164話:あなたの手は汚れている
私たち姉妹を肩に乗せた熊人は、街の子どもたちに囲まれた。子どもたちは恐れを知らず、キャッキャと熊人の脚にしがみついた。
子どもたちに囲まれ身動きが取れなくなった熊人を見て、私は思った。この熊、いい熊だ!
「ねーねー。くまさんのお名前なんてゆーの?」
「ヴァウスト」
あれ? アヒルさんじゃなかったっけ? 名前うそ付いてたの? 騙してたの? やっぱ悪い熊さんなの?
「ティアラー。アヒルさんは色々こねこねして作る人だよ?」
そなの? 妹シリアナが得意気な顔してるけど、その説明じゃわからん。こねこねって粘土?
まあつまりは、熊人のアヒルさんという役職のヴァウストさんだったのね。
私たちは熊さんに乗ったまま街の散歩を続けた。街の人は熊人を見てギョッとするが、肩に美少女姫姉妹を乗せてるのを見ると「なんだいつものことか」と安心していた。恐らくは、またペットが増えたのだろうと思ったのだろう。
実際は森からやって来たお客様なのだが。
いや待てよ。お客様の肩に乗っていたらまずいのでは? 私はするするりと地面に降りた。
「ティアラ降りちゃうの〜? あっ! だいえっとだもんね」
むかっ!
妹シリアナは私と違ってすらりとしている。なぜだ。私だけぷにぷになのは……。こうして毎日ウォーキングをしているというのに……。屋台のおっちゃんに呼ばれてふらりと誘われて渡されたジャガイモクレープをもぐもぐしながら考える。一つ受け取ると次々におやつが増えていき、持ちきれなくなった分は熊さんに渡した。もぐもぐ。
そしていつものお散歩ルートで教会に寄る。
教会はいつものように盛況である。エイジス教ペタンコからキョヌウと鞍替えさせられるはずの教会は、ロアーネによって精霊姫教にさせられてしまった。精霊姫教は改宗しても前の宗教捨てなくてもええよ。誰でもウェルカムしてるので、実質今では教会内はペタンコとキョヌウが共生している状態だ。つまりは、精霊姫教とはペタンコとキョヌウの良いとこ取り。どちらの考えも尊重した融和した派閥なのである。
ゆるふわなのだが、ただ一つ困ったことがある。それは精霊姫教徒は私に施しをすると徳が貯まると思っている節があることである。なのでみんな私におやつを渡してくる。しかし私は通うのを止められないし、それを断れないのだ。チヤホヤされるのが気持ちいいから。
「えへん」
やれやれ。ちょっと購買所によって帰ろうと思ったのに、入口の門でシスターたちに囲まれてしまった。
「今日もかわいー!」
「ぷにぷにー!」
「今日の教えの言葉をください!」
ふむ。みんなが私の言葉に耳を傾ける。
「月のない森の蜂蜜は美味しい」
シスターたちの動きがピタリと止まった。そして皆の顔が強張る。
そして彼女たちは私の背後の熊人に気付いたようだ。
熊さんは恐い顔のままそっと距離を取った。
ふむ。私はどうやら地雷を踏んでしまったらしい。こういう時はロアーネに投げるのが一番である。
私はシスターの一人にポアポア化ポアーネを連れてくるように頼んだ。
ポアーネが来るまでの間、熊人さんをシスターに紹介することにした。みんな知らないから熊さんの事が恐いのだ。熊さんは悪い熊ではないのだ。
「熊さーん。こっち来てみんなに森の蜂蜜の事を教えてあげて」
私は手を振って、離れた熊さんを呼び戻す。
「あの黒い蜂蜜って何の花の蜜なの?」
「花……いや、虫だす」
「そりゃ蜂は虫だけど。そうじゃなくて」
「花ではなく、アブラムシの蜜だす」
……?
ひっ!? ぞわわわわっ。
わ、私を騙したな! やはり悪い熊さんだ! 虫の蜜の蜂蜜って何それ!? きもちわる!
私は、偉そうに黄色い布に包まれて運ばれてきたポアーネを掴んだ。
「ポアーネ! あの熊人が私を騙した!」
「異教徒の悪魔め。やはり森を焼いておくべきでしたか」
久々にロアーネに宗教スイッチが入ってしまい、逆に私は落ち着きを取り戻した。
「待ってロアーネ。誤解があった。あの熊人はお客様。さっきのはジョーク。軽いジョークね。虫の蜜の蜂蜜だったことにワタシ衝撃受けたダケネ。よく考えたら何も騙されていないねワタシ。森を焼く良くないネ。落ち着くネ」
私はポアーネをもにゅもにゅした。
「何を言ってるのですか。熊人は悪魔です。森に引きこもっていれば良いものを……」
私はポアーネの口をぷぎゅっと塞いだ。こいつ、いつの間に普通に喋れるようになっていたんだ。
しかしあれだ。シスターたちの反応や、熊さんの反応からすると、この対立はそういうものらしい。どうしようもできないやつだこれ。なるほどなるほど。めんどくさいなこれ。
私はパンパンと手を叩いた。しかし手にポアーネを持っているので音は鳴らなかった。
「悪魔め。シリアナを離しなさい。さもないと……」
なるほど。さらにポアーネからは熊人がシリアナを人質にしているように見えるようだ。くまったくまった。
「喧嘩はダメだよ〜?」
シリアナはぴょいんしゅたっと熊人の肩から飛び降りて、ポアーネを私の手から取り、熊人に渡した。
熊さんはそれを受け取った。
「はい仲直り」
こうして幼女の手によってエイジス教と熊人は仲直りしたのであった。
ポアーネは熊さんの手の中でぷるぷるしている。そしてぽーんと飛び出して、私の頭に着地した。
「くさい。べとべとする。きらいー!」
ポアーネが幼女帰りしてしまった……。いや、これはぽぽたろうの意識だろうか。複数の魂混ざってる状態って面倒だな。
「ティアラ殿。貴女はわたすをここへ連れて来てまで、何をしたいだすか」
ふむ。私は空を見上げて小考する。
私は一体何がしたいのだろう。おそらく私の答えで今後の歴史が変わる。
素直に答えるのには抵抗がある。私は痩せるための運動で街へ来たのに、熊さんの肩に乗っていて、ほとんど歩いていなかった。まるで、お散歩と言いつつ、肩に乗ってはしゃいでいた幼女だ。そのとおりである。
「私は、ハチュミチュを食べたかった」
私はぽつりと呟く。そう、それが全てのきっかけだ。犬人族移民の町とか正直どうでもいいのである。
私は熊さんの目をじっと見た。彼は私の言葉の続きを待っている。
しかし私のセリフには続きはない。これで全てである。
熊人は私の目を見つめ返し、手を差し出した。
「仲直り……だすか……」
私はその手を握ろうとして、止めた。ゾッと嫌な予感が走った。
ぽぽたろうが臭いと言っていたからだ。その理由は、私が荷物持ちとして、お肉の串焼きやらなにやら持たせていたせいであった。色んな汁で手がべたべたになっているのが見えた。
だから私ははっきりと言う。
「その手は握れない。あなたの手は汚れている」
「森で生まれた精霊姫も、わたすたつを許さない、と……」
私は肯定も否定もしない。
そもそも私はその辺りの歴史のことを知らない。お勉強をサボりすぎたせいだろう。なるほど。だから応接間では教育係が同席していたのか。
「一度汚れた手は洗い流せばいい。シリアナ、おねがい」
「合点承知の助!」
どこでそんな言葉遣いを!?
シリアナは水魔法でじょばーと熊さんの手を洗い流した。脂でぎとぎとになっていた手がつるぴかである。シリアナの水魔法はただの水ではないらしい。
私は熊さんの手を改めて握った。
熊さんは繋がれた手を見る。
「こんなことで」
「こんなこと、と、思うようなことが大事」
レディの手を汚すのは重罪である。猫人のガキがうんこ付いた手で私に触ろうとしてきたので、そう定められた。
「場所には場所のルールがある」
「ならば、姫が派遣した犬っころも、戻してほすぃ」
「それはまた別。いや、彼らと一緒に蜂蜜を作って欲しい。交易もだ」
仲が悪い者同士。いきなり手を取り合って仲直り、なんて子どもの喧嘩のように済むわけないのは、ロアーネの反応からしてわかる。ならば間に第三者を挟むべきだ。その上で友好を深めれば良い。
「わかただ。しかしそれには森を殺す雨をどうにかしていだたきたい」
ふむ。まだなんか問題あるのか……。そういや言ってたな。森が滅びるとか。




