157話:ハチュミチュ
サビちゃんに連れられて、比較的小柄な猫人の男たちが宮殿の敷地へ入ってきた。おそらくオルビリア宮殿の歴史の中で初の事であろう。彼らに与えられた任務は、崩れた地下通路の修復である。そしてそれに猫人の職人が使われるのは、逃走経路の地下通路は機密だからだ。
人が流入して急速に大きくなっている今のオルビリアでは、宮殿御用達の職人が安全とは言い難くなっていた。彼らに信頼がないわけではないが、人では簡単に魔術師が紛れ込める。むしろにゅにゅ姫を盲信している猫人の方が今では安全であった。
「にゅにゅ姫の妹は要注意。猫人の敵」
メイド姿のサビちゃんがびしっと猫人の職人たちにそう伝える。なんか勝手なこと吹聴しているが、まあ多分大丈夫だろう。実際工事にシリアナが乱入したら面倒なことになる。それなので事前に離宮に隔離した。
それはともかく、宮殿の地下に入るには宮殿内の食料庫を通らねばならず、猫人の男たちはえっさほいさにゃんこらにゃんにゃんと宮殿の中へ入っていく。宮殿で働く下働きの方々はともかく、メイドさんや文官の方々は猫人たちを苦々しい表情で見ていた。猫人自体はサビちゃんで慣れてるとはいえ、まあ保守的な田舎なのでしょうがない。それに「猫人が非文化的で街中のその辺でうんこする」ようなことが偏見ではなかったりするので、そういう目で見てしまうのも仕方がない。「仕事前に葉っぱキメていいっすか」とか土木現場監督に聞いちゃうし。印象マイナスに振り切れちゃうし。ちなみに葉っぱとは口の中でくちゃくちゃして吐き出すタイプのマクナムである。
しかたがないのでサビちゃんにバケツを持たせて走り回ってもらう。お前らー。その辺でツバ吐き出したら糞尿処理係行きだかんなー!
「うぃーっす」
ふむ。この態度でナクナムの王に選抜された、「信頼できる」「技術力を持つ」「人里に馴染んだ」職人の猫人なのか。やくいな。本当に信頼できるのか不安になってきたぞ。
サビちゃんの後に続き、ガラの悪い猫人の男たちは猫のように背を丸めて地下通路へ入っていく。彼らは小柄な者たちが選ばれたはずだが、元々体躯が大きい猫人だ。小柄な大人の猫人は背の高い人族くらいあった。ゆえにどんどん狭くなる通路に対し、猫人たちはぎゅうぎゅうとなっていく。
あ、これダメじゃね?
ギリギリ通ることはできるが、これでこの中で工事とか無理でしょ。
「いやいけますって。我社におまかせください!」
おまかせできないわ。
猫人たちにはお引取り願う。最初から御用達の職人を使えば良かったぜ。しかし彼らは彼らで仕事が割り振られているので忙しい。
人族の土木現場監督はその中でわざわざ来て貰ったのだが。
「精霊姫さま。ロラッタに依頼するのはどうでしょうか」
ロラッタ?
ああ、犬人族のことか。ネコラル鉱山のロータブルトで働く犬人族はロラッタと呼ばれている。しかしこの呼び名は人族がそう呼んでいるだけで彼らの種族や部族名ではない。オルビリアに住む犬人族はダーケと呼ぶ。
まあ気にしているのは犬人族の長老だけのようだが。
さて。
確かに鉱山で働くような犬人族だ。彼らは小柄で、そして力が強い。地下通路の修復くらい簡単にこなせるだろう。そうか。なんでもっと早く気が付かなかったんだ。猫なら狭いところも平気だろと思っていたが、彼らは大型なのだ。もっと適した種族がオルビリアにはいたのだ。
まあ問題は忠誠度なのだが……。
さっそく私は犬人族を宮殿に呼び出した。私は緊張しながら彼らに地下通路の修復を依頼した。
犬人族の長老はいつものしかめっ面のまま。そして周囲の若者たちはざわついた。
そう。いくら鉱山犬人族がトンネル堀りが得意だからといって、草原犬人族も得意とは限らない。彼らは鉱山で人間にこき使われないことを選んだ者たちなのだ。
そんな彼らの心情を無視して無理に働かせるのは、良くない。
「光栄余りある仕事を我らダーケに下さり、誠に感謝いたしとうございますじゃ」
ちなみに長老のオルビリア語は非常に聞き取りにくいので、私が脳内翻訳するとこうなるのである。癖が強い訛りの上にホガホガしてるので、時々隣の彼の孫が要所要所で補足してくれる。
とりあえず、ぜひやらせてほしいとのことなので、非常に助かった。それはお互い様という。
というのも、彼ら犬人族はオルビリアにおいて立場があまり良くない。なぜなら亜人を引き入れたとされている精霊姫が猫派と知られているからだ。まあ、実際私は比べる間もなく犬より猫派である。むしろ犬は苦手な部類だ。だってあいつら、人見知りの犬だと吠えてくるだろ。逆に人懐っこい犬だと抱きついてくるだろ。両極端なんだよあいつら。猫みたいに物陰から初対面を観察するような陰キャになれ。
ちなみに動物性格診断でいうと、きっと妹シリアナは猫より犬タイプだ。猫はフリーダムと思われがちだが、人の気配や空気を敏感に感じ取りつつも自由に振る舞うのだ。なので私はまごうことなき猫タイプである。
私が上の空になっている間に、どうやら工事の話は付いたらしい。
契約書を渡されたので、私は適当に読まずににょろにょろっとサインをした。そこは私がちゃんと読まなくても平気なシステムとなっている。私に上がってくるまでに、私より詳しい者たちの多重チェックを通ってきているからだ。むしろここで私が「うーん。この部分まずくない?」とか言い出すとひっちゃかめっちゃかどんちゃん騒ぎのあえんびえんになってしまう。
私が渋るのは、砂糖の高騰によるお菓子の自粛要請くらいなものだ。「砂糖がないなら蜂蜜を舐めればいいじゃない!」と私は養蜂を促進するように指示した。蜂蜜なんてものはいくらでもあっても困らないからね。そして上質な蜂蜜の鍵は花だ。当然だが、蜂蜜の蜜は花の蜜だ。ならば最高級の花畑を用意しなくては。やるか。私の豊穣魔法もとい、魔力ぶっぱを……。
「はちゅみちゅ……」
「どうなされました?」
じゅるり。長老に声をかけられ、私は慌ててよだれを拭いた。
「いや、養蜂にも力を入れようと考えていてね」
「おお。それでしたら是非とも犬人族におまかせあれ。わしらの鼻は腐った蜂の巣を嗅ぎ分けられますぞ」
ほう? じゃあ任せるか。
北東の方に猫人の街ニャータウン作ったから、犬人族は南西でいっか。あっちはまだ近代化されてないけど、そのぶん森が広がっている。その辺でほら、適当に。
「ぜひとも。わしらの新天地にも精霊姫さまの命名をぜひとも」
ふーむ。考えるのめんどくさいな。養蜂はともかく街の名前はどうでもよかった。犬人の街だし。
私は令嬢芋のフライドポテトにマヨソースロードのソースをディップしてもぐもぐ食べておやつにしていた。しょっぱいおやつもいいね。
「じゃあ、フライモグモグ」
「おお! わしら犬人族のフライモグモグ。その名に恥じぬ精霊姫御用達の蜂蜜を作り差し上げて存じましょうぞ」
――かくして。犬人族による最高級蜂蜜ハチュミチュの歴史が始まった。




