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攻防その9

『お祖父様とお祖母様へ。

 ご旅行は楽しんでおられますか?今は熱砂の街にいると聞きましたが、体調には充分に気をつけて散策してください。

 実はお二人にご報告があります。私サラは、今月の十五日をもちまして、ルキオ・ガードナー様と結婚致しました。お祖母様の言いつけは守っていたつもりでしたが、ハンカチの香りにまでは気が回りませんでした。でもどうか、心配しないでください。残念すぎる人ですが、私のことをとても大切にしてくれています。私はちゃんと幸せです。むしろお祖母様の教えのおかげで、ルキオ様と出会うまで自分を守ることができたと感謝しております。

 お二人が戻られてから、結婚式を挙げる予定ですので、ゆっくりと観光地を巡ってくださいね。

 サラより


 追伸

 諸事情により、ルキオ様の髪が失くなっていますが、彼を見ても腰を抜かさないでください』


 サラ・プティエル改め、サラ・ガードナーとなった彼女は、夫の生家に住まいを移していた。ルキオとサラには屋敷の離れが新居として与えられ、そこで新婚生活を送っている。

 ルキオとの結婚に踏み切った際、彼女の両親は若干戸惑いながら、それでもサラの意思を尊重して祝福してくれた。一方、ルキオの両親はというと…


『息子にこんな素晴らしく普通な女性が見つかるなんて…!』

『どうせ変な女に引っ掛けられてゴミのように捨てられると思っていたのに…!』

『ありがとうございます!ご息女は我が家の家宝のように扱いますので!!』

『至らぬ点がございましたら、煮るなり焼くなりしてくださって構いませんので!もちろん息子を!』


 こんな感じで、大歓迎ムードだった。

 何やら釈然としない言い回しがあった気がするが、サラはガードナー家に快く受け入れてもらえたのである。

 そう遠くない将来、ガードナー家を継ぐのがルキオではなく彼の妹だと知った時、サラは衝撃を受けた。いくら頭のネジが飛んでいようと、長男が後継となるのは当たり前だと思っていたからだ。


『妹の方が俺より遥かに賢いし、当主としての度量もある。ガードナー家は民の命を背負う立場なんだ。くだらない矜持のせいで、人々を苦しめるわけにはいかない』


 真剣味を帯びたルキオの表情と声に、サラは密かに彼を見直した。ルキオは、馬鹿は馬鹿でも救いようの無い愚か者ではない。だから、ごちゃごちゃ言いながらもクロードは仕え続けているし、サラだって結婚する気になったのだ。


『今のルキオ様、とても格好良かったですよ』


 そう褒められて動揺した挙句、何もない所で盛大に転んでたんこぶを作るような男だが、サラの愛しの旦那様なのである。


 さて、離れにいるのは新婚夫婦と、クロードを含めた使用人数名だ。サラの望んだ静かで生温い生活が、ここにはある。今の彼女のやることと言えば刺繍か読書か昼寝だ。最高以外の何物でもない。

 サラに「高圧的な物言いが大嫌い」と釘を刺された所為で、ルキオの口数は極端に少なくなった。思ってもいない暴言が口から出れば嫌われてしまうと恐れるあまり、今度は全然喋れなくなったのだ。だから新妻であるサラが、夫の言いたい事を察してあげねばならない。


「…今日は昼まで用事がある」


 今まさに言われたこの一言。単なる予定の報告に聞こえるが違う。これはルキオなりのデートのお誘いである。正しくはこうだ。


『今日は昼まで用事があるが、その後は時間が空くから、どこか出掛けないか』


 やれやれという呟きは飲み込み、サラは頷く。


「いつもの散歩道を歩きたいです」

「……おう」


 馬車が苦手なルキオを気遣い、サラが希望するのはいつも、徒歩で行ける近場だった。もともと屋敷でのんびり過ごすのが好きなので、無理に遠出したいとは思わないのも理由の一つではある。

 ちなみに彼の用事とは妹の雑用係である。彼女は筋金入りの男嫌いで、職務上の付き合いなら我慢するが、プライベートとなるとクロードですらも近寄らせない。生涯独身を貫くと豪語し、例外は家族だけだ。なので労働力としてルキオが駆り出される事もしばしばあった。


「まったく。ルキオ様の奥様が務まるのは、サラ様だけですよ」

「そんなことも無いと思いますが…」

「いやいや。誰もあんなのがデートの誘い文句だなんて気付きませんて」


 ルキオが離れを出て行った後、クロードは呆れ顔で肩を竦めた。

 仮にサラがああ返さずに「そうですか」だけに留めた場合、延々と見つめるだけ見つめ、終いにはがくりと肩を落として去っていくまでが様式美である。


「本当に良かったんですか。あんなのと結婚して」

「すごく今更ですね」

「いやぁ、私だったら何としてでも拒否しますから。だってアホでハゲでゲロ男ですよ?」


 執事に散々貶されるような男を好きになったサラも、見方を変えれば変人なのかもしれない。


「あの頭にしたのはクロードさんじゃないですか……それを言ったら私だって、取り立てて魅力があるわけじゃないですし」


 普通の人と結婚し、一貴族として平凡な人生を送っていくのだと、サラはぼんやり思っていた。ところがルキオと出会い、彼女の思い描いていた未来は一変した。


「…凡庸な私のために、あんなにも必死になってくれる人が現れるなんて、思ってもみませんでした。だから、ルキオ様で良かったんです」

「サラ様…」


 照れくさそうに頰を染めるサラは、紛れもなく恋する乙女の顔をしていた。ルキオがうるさく天使だ天使だと騒いでいた理由が、クロードにも少しだけわかる気がした。


「……そんなサラ様と見込んでお尋ねします」

「何でしょう?」

「女性にこんなことを聞くのはご法度ですが…お世継ぎの方はどうにかなりそうですか」


 クロードだって当初はちゃんとルキオに尋ねた。ところが『貴様!俺のサラをそんな、ふらっ…不埒な目で見ていたのか!許さん!表に出ろ!!』と喚かれ、てんで話にならなかったので、失礼を承知でサラに疑問をぶつけた訳だ。彼女もルキオの反応は予想ができたので、別段咎めたりはしない。


「いえ…それが…」


 サラも伯爵家の妻となったからには、子供をもうける義務があるのだが、いかんせん相手はあのルキオなのだ。手を繋ぐだけで真っ赤っかになる、超ド級の奥手。サラが恥じらう前に恥じらう男。それがルキオ・ガードナーである。このままでは子供どころか、結婚式の誓いのキスすら危うい。


「一応、ルキオ様もその気はありそうなのですが、その…鼻から血が…」

「ああ…もう大丈夫です。察しました。さすがは男女の指南書を鼻血で染め上げた方。ヘタレを凌駕するにもほどがあります」


 今のところ、ルキオの鼻粘膜が耐えられるボーダーラインは頰にキスまでだ。本当に夫婦なのかと疑いたくなる。

 サラ自身は無理にどうこうしようとは思わないが、ガードナー家としては悠長な事も言っていられないだろう。妹が結婚しないと宣言している以上、サラとルキオの間に子が生まれなければ、ガードナー家の血筋が途絶えてしまう。


「…まあサラ様はまだ十八、あのヘタレも二十二ですからね。十年ヘタレ続けても間に合わないことはありませんし、いずれ慣れるでしょう。いえ、何としてでも慣れさせます」


 どうやってとは、聞かないでおくサラであった。


「…ひとまず、今日は正午までに出掛ける支度をしなければ」

「メイド達に頼んでおきますね」

「お願いします」


 着飾っても大して見栄えしないが、夫のためにおめかしをしようという女心くらいはある。義母が大喜びで衣装を買い揃えてくれたので、クローゼットの中は色とりどりのドレスがぎっしり詰まっていた。受け取った時は多いなと思ったが、選ぶ楽しみがあるのは嬉しい。


(…薄桃色のドレスにしましょうか)


 今日は何となく、そういう気分だった。




 おめかししたサラを目にしたルキオは、すぐに顔を背けた。しかし、隠すものが頭に何も乗っていないので、耳まで赤いのが明白である。それを見て、サラは自分の格好について「よく似合ってる」と褒められたようなものだと判断している。しかし言葉に出してもらった方がやはり嬉しいので、彼女は一工夫する。


「どうですか?多少は可愛いですか?」

「た……たっ、…たしょっ多少は、なっ…!」

「ありがとうございます」


 褒めたいのに褒められないルキオは、サラのこういう尋ね方に大変助けられていた。

「じゃあ行きましょう」と言いながら、サラは自分の手をルキオの手に絡める。ルキオから動くのを待っていたら日が暮れてしまう。彼は決まって一瞬ビクつくが、決して振り払うことはない。ただし過去に一度だけ、腕を組んだ時には胸が当たったと大騒ぎして離されたことはある。


「今日は散歩日和の良い天気ですね」

「…………」

「昼食はいつものお店にしましょうか」

「…………」

「あ、あそこ。野良猫がいますよ。可愛いですね」


 大抵は静かに歩くが、ぽつぽつとサラが話しかけるので、完全に沈黙が落ちることはない。返事がなくても、ルキオはしっかり聞いているので、サラも気にしていなかった。


「………………………………かわ…ぃぃ…」

「え…?」


 珍しいこともあるものだと、サラは目を見開いた。可愛いのはサラか、猫か。それは茹で上がったルキオの顔を見れば、尋ねるまでもないことだった。誤魔化さなければ、たったひと言すら言えない夫に、妻はにこにこと笑いかけた。


「嬉しいです。すっごく」

「っ………」

「ルキオ様。少し屈んでください」

「?」


 ルキオは不思議そうにしながらも大人しく指示に従い、膝を少し曲げる。そうしてサラは、近くなった彼の頰に軽くキスをした。すでに恋人を通り越して夫婦なのだから、これくらい挨拶みたいなものだ。それでもルキオは、初心な乙女のような反応を見せる。


「!?!?」

「お礼、ですよ」


 サラだってちょっと恥ずかしいが、せっかく夫が頑張って可愛いと言ってくれたので、自分も背伸びしてみた。

 結婚式では彼からしてもらいたいなと願いながら。

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