攻防その7
プティエル家に『明後日の午後、先だっての謝礼に伺いたい』という、今までを思えば随分良識的な先触れが届いた。それを受け取ったサラは、多分あの執事さんが書いたんだろうなと推察していた。ルキオだったら今日にも突撃しかねない。
(…どうしましょうお祖母様。何となく…ですが、逃げられない気がします)
最終奥義を使っても、あのルキオが諦めてくれるとは到底思えなかった。地の果てまで追いかけて来そうだ。せめてルキオがサラ好みの男だったなら、まだ納得できたのかもしれないが、見た目もさることながら、中身の残念さがずば抜けている。
「はあ……」
ただただ、ため息が出るばかりだった。
そして約束の日を迎え、サラは複雑な気持ちのまま、ルキオと面会していた。ものすごく小さな声で「あの時は悪かった」と謝られ、お金を返された。彼はクロードと必死に練習を重ね、ようやくこれだけ言えたのだ。その涙ぐましい努力をサラは知らない。
「わざわざありがとうございました」
「…………………す…こし」
「?」
「さ、さんっ散歩に、付き合え!」
「…わかりました」
ルキオが目を血走らせて言うものだから、サラも思わず頷いてしまった。馬車は懲りたのか、クロードの入れ知恵か、散歩とは安全な方法をとったものだ。ただし、今日が曇天でなければの話である。すぐ終わるとルキオは言ったが、この男は言いたいことを言い出すまでにかなりの時間を要するのだ。すぐに終わるわけがないと、サラの方がよくわかっていた。
「じっ、実はっ…だな。お前に、くれてやるものがあって…」
ルキオがようやく切り出せた時には、雷が鳴り始めていた。サラは晴雨兼用の日傘を持っているので何とか凌げるが、ルキオはそうもいかないだろう。
「このハンカチを…!!」
まさに差し出そうとしたその時、雷雨が二人を襲った。呆然とするルキオを引っ張り、サラは雨宿りできそうな場所を探した。走ったために、傘を持っていた彼女もかなり濡れてしまった。
「通り雨だと思いますから、しばらくここで待ちましょう」
「………」
濡れ鼠になったルキオは、ずーんと落ち込んだ様子だ。髪から流れ落ちる雨水が涙のように見えてくる。仕方のない人だと、サラは手持ちのイニシャル入りハンカチを、彼の頰にそっと当てた。
「…!」
「先程は、何を仰ろうとしていたのですか」
とうとう可哀想になってきたので、サラの方から聞いてあげることにした。
「……ハンカチを…渡そうと思って…」
「ハンカチ?」
「こ、これっ。お前のだろ。しらばっくれても無駄だからなっ」
ルキオが胸のポケットから取り出したのは桃色のハンカチ。サラは何となく気付いていた。彼がこのハンカチの持ち主はサラだと確信している事に。でもそれを素直に認めるのが癪だったので、知らん顔を続けていたのだ。
「洗濯したらちょっと…ぼろぼろになっちまって…」
「それで代わりのハンカチを?」
しかし例の最高級シルクハンカチは、包装紙ごとずぶ濡れになってしまった。シルクは雨に弱く、すぐに縮んだり色落ちしたりする繊細な素材。サラには最高の品を贈りたかったのに、これでは台無しだ。ルキオは力無く項垂れる。
でもサラは、ポタポタと水がしたたるそれを、両手で丁重に受け取った。
「ありがたく使わせていただきます」
「え!?いや、でも…」
「ハンカチなんて濡れるものです。お気になさらず」
サラがそう言った時の、ルキオの表情の輝きといったらない。数秒前まで意気消沈していたのが嘘のようだ。
「お前には色々世話になったからなっ………ぁり、がとぅ………でも!この俺の世話ができて光栄だったとも思うべきだ!」
「はあ」
「……………また、俺と…出掛けてくれるか…?」
「急に小声になりましたね。…まあ、いいですよ」
「!!今いいって言ったな!!約束だからな!!」
「はい」
「今度は有り金全部持っていくから、好きなだけ注文するといい!」
「そんなにいりません」
だんだん見ていて面白くなってきたというのは、彼に内緒だ。
後日、丁寧に乾かした最高級シルクハンカチを手にするサラが、くすりと笑っていた事を知るのは、プティエル家の飼い猫のみである。
雨が上がり、濡れ鼠のまま自分の屋敷に帰還したルキオは、開口一番こう宣言した。
「俺はサラに求婚する!!」
「気は確かですか」
クロードが投げてよこしたタオルが顔面に直撃するが、ルキオはへこたれない。
「俺にはサラしかいない!あの天使を他の男どもに掻っ攫われる前に、何としても『はい』って言ってもらう!!」
「かなり性急すぎません?」
「この俺に、他の男に勝てる要素があると思うのか!!」
「確かにそれは一つもありませんが、だとしたら求婚が大失敗に終わる可能性も高いでしょうに」
「くそ…正論を言いやがって…」
ずばずば斬られても、ルキオはしぶとかった。
「……また一緒に出かけようって誘ったんだ」
「貴方にしては頑張りましたね」
「そしたら『いいですよ』って。これはもうチャンスだろ!」
どうせ断わってもお前がしつこく押し掛けるのが目に見えてたんだろ、とクロードは考えもしたが、ルキオの言う通りごく細い脈があるのかもしれない。
「…そうですか。では作戦会議といきましょう」
「お、おう。珍しいな、お前が乗り気なんて」
「これでも旦那様方から何とかしろと、圧力をかけられているものでしてね。貴方にお相手が見つかるなら万々歳ですよ」
こうして、ルキオのプロポーズ作戦は始まった。




