攻防その6
もう置いて帰ろうかと、クロードは心の中で何度呟いたかしれない。主人であるルキオの買い物に付き合わされること約一時間。彼は同じ場所から動きもしない。しかも、ルキオ達がいるのは、女性向けの雑貨が売っている店。男二人の存在が浮きまくって、非常に居心地が悪いのなんの。
「ハンカチ一枚にどれだけ悩めば気がすむんです」
「サラに贈るハンカチだぞ。とびっきりの一枚じゃなきゃな」
醜態を晒した夜会の後、汚れたハンカチを綺麗にしようとして、力任せに五回も洗ったら、皺々のよれよれになってしまったのだ。裁縫ができないルキオに、修繕なんて不可能。サラのハンカチを自分以外の人間に触れさせたくなかった為、メイドに頼むこともできなかった。
そこでルキオは、新品のハンカチを添えて、あの時のお礼と今までの謝罪をする作戦を立てたのだ。それは結構だが、悩みすぎてたった一枚も選べずにいる。
「勘弁してくださいよ。さっきから他のお客さんの視線が刺さりまくりなんですから」
「俺は何も刺さらん」
「はあ、まったく…どれとどれで悩んでるんですか」
「全部だな」
「まさかの」
今までの時間はなんだったのか。耐えかねたクロードが一緒に選ぶこと、更に一時間半。ようやくお買い上げでき、クロードはいよいよ退職を視野に入れようかと悩み始めた。
「あっ!!」
「今度はなんです?」
「あそこにサラがいる!」
「え、どこですか」
店を出てすぐ、ルキオがいきなり大声を上げたので何事かと思えば、遠くの方に意中の女性を発見したらしい。クロードは目を凝らして、ルキオが指差す先を見る。ややあって、その人を見つけることができた。
(……『普通』を体現したような方ですね)
お世辞で「可愛い」と言える感じだな、というのがクロードの素直な感想だった。あれが天使に見えるとは、なるほどまさに恋は盲目である。
「ちょっと待て、誰だあの男!?」
「さあ?私が知るはずないでしょう」
サラは見知らぬ男性といた。それを目にしたルキオの顔が、焦りと嫉妬に染まる。
「こ、こっ恋人か!?それとも暴漢か!」
「サラ様の様子からして暴漢ではなさそうですよ。恋人…という感じもしませんね」
「じゃあ誰だ?」
「ご親戚が妥当でしょう。何をそんなに慌てているんです?」
「親戚同士でも結婚できちまうだろ!」
「発想が飛躍しすぎです」
「俺というものがありながら…!」
「どうして恋人面なんですか。気持ち悪い。逆にルキオ様がいるからでは?」
「逆に!?あっ!!俺が連れて行こうと思ってたお洒落なカフェに!!行かせるかぁぁ!!」
「えええ!?いくらなんでもまずいですよ!!」
クロードの制止を無視してルキオは走り出した。運動音痴な彼にしては、良い走りを見せる。
「サラッッ!!!」
「……こんにちは」
多少目を丸くしたものの、サラは普通に挨拶をした。ルキオの奇行にだいぶ慣れてきたのだ。少し遅れてクロードもやってくる。
「ぜぇぜぇ…き、奇遇だな!俺も…げほっ、このカフェに入…ごほっ、るつもりだった」
そんなに息を乱して駆け込むような店ではないし、半分くらい何を言っているのかわからない。
「…そうですか。今日は連れがおりますので、失礼しますね」
「待っ…!いっ……今なら俺が!同席してやるぞ!」
ルキオは慌てて引き止めるが、シンプルに嫌な誘いだなとクロードは内心思った。
「いえ、今日は久しぶりに会う従兄弟を案内しようと…」
「なんだなんだ。サラ、お前も隅に置けないな。可愛い妹分だと思っていたのに、いつのまにか大人になったんだなぁ」
「違います」
「照れなくていいぞ。案内は叔母さんにしてもらうから、お前はデートしてこい」
「えっ」
「えっ」
バチっとウインクを決めた従兄弟は、素早く退散してしまう。しばし呆気にとられた後、残されたサラとルキオは無言で見つめ合う。そして、デートという単語に赤くなるルキオ、対して徐々に無になっていくサラ。むごい温度差である。
「………」
「………」
「…とりあえず、入りますか?」
仕方なく口火を切ったのはサラだった。このままでは延々と沈黙が落ちそうな気がしてならなかったからだ。ルキオは目を不自然に泳がせながら、こくんと頷く。
(いや、サラ様に言わせてどうする)
一部始終を傍観していたクロードは、そう突っ込まずにはいられなかった。
店内に入ってからもルキオの無言は続き、喋っているのはもっぱらサラとクロードだ。自分を差し置いてとルキオは恨みがましい目を向けるが、だったらお前が喋れとクロードも視線でやり返す。
「本当に申し訳ありません。さぞかしご迷惑だったでしょう」
「それはまあ……過ぎたことは気にしないのでいいですけど」
「サラ様は寛大ですね。私でしたら顔が変形するほど殴ってから縛り上げて川に捨てていますよ」
冗談めかして話すクロードだが、彼もまたルキオほどではないが、サラを気に入っていた。淡白そうにみえて根は優しい、サラの本質がわかってきたからだ。馬鹿を相手に怒るのが面倒くさいという理由もあるのだろうが、なんだかんだ許容してしまうお人好しらしい、というのがクロードの分析だった。自分の主人は、残念な欠点だらけでも人を見る目はあるんだなと、密かに安堵する執事であった。
「…ちょっと。いつまで黙っているんですか。さっき買ったハンカチを渡すチャンスですよ」
ルキオを肘で小突きながら耳打ちするクロード。その途端にルキオはいっそう挙動不審になる。
(これを渡す…?今?本当に?いや、従兄弟さんとの時間を邪魔しちゃったし、これまでも散々…本当に散々やらかしたし……よし!言うぞ!言ってやる!!)
「さ、サラ!」
意気込みすぎて声が裏返り、額と手の平に滝のような汗をかいてしまう。
「なんですか?」
「う…あぅ、その…だな。こ、この…」
「お待たせしましたー。紅茶のシフォンケーキですー」
非情にも店員によりルキオの台詞は遮られ、結局、最後までハンカチを渡すことはできず、お会計となった。
しかしそこでもハプニングが起こる。
「………」
「ルキオ様、まさかとは思いますが…」
ルキオは財布の中身を見て硬直した。ものすごく嫌な予感がしたクロードは、口元を引攣らせる。
「………………金が足りない」
「このドアホーーーッ!!!」
二時間半も滞在した雑貨屋で、店員に勧められるがまま、最高級シルク一点物のハンカチを買わされた為、ルキオの手持ちは寂しくなっていたのだ。
これでは謝罪どころか、迷惑を上乗せしただけである。
「クロードはいくらある!?」
「貴方にすべて奢らせようと思い、所持金ゼロです」
「お前図々しくない!?」
「…私も出しますから、行きましょう」
周囲から憐れみの目で見られるサラは、流石に居たたまれなくなる。手早く会計を済ませると、不毛な争いを続ける二人を連れて外へ逃げたのだった。
「重ね重ね申し訳ありません。後日、返金致しますので」
「自分の食べた分を払ったと思えばいいだけです」
「いけません。ルキオ様が邪魔した挙句、詫びの一つも言わないまま、お金だけ払わせるなんて、私が許しませんので」
改めて言葉にすると酷い。
サラとしては、あまり関わりたくないので、手切れ金だと思えば痛くも痒くもない金額だ。どうしてもというなら、郵便受けに放り込んでくれて構わない。
「必ずルキオ様を行かせますので、今日のところはご勘弁を」
どうやら、ルキオとの接触は避けられないらしい。そう悟ったサラは肩を落とした。
「ほら、私達も帰りますよ」
「………」
「いやぁ、ルキオ様は好感度を下げる天才ですね!」
「…せめて慰めろよ」
夕暮れに染まる帰り道、ルキオはちょっとだけ泣いた。




