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攻防その1

『社交界を平穏に渡っていきたいのなら、大多数に紛れなさい』


 これが祖母の口癖だった。

 なんでも祖母がうら若き乙女だった時代は"婚約破棄ブーム"が起きていたらしい。男も女も真実の愛を求めて、決められた婚約者が気に入らなければ、裏で画策でも何でもして婚約破棄に持ち込む。かくいう祖母も、そんな不謹慎な流行に巻き込まれてしまった。かつては侯爵家の令嬢だった祖母だが、自分の婚約者がなかなかの好青年だった為に、他の令嬢達から嫉妬の標的にされたのだ。まんまと陥れられ流行りの婚約破棄という運びになりかけた時、祖母は身一つで家を飛び出し、幼馴染と駆け落ちしたそうな。

 当時、それを聞いていたサラは、祖母の実体験で一冊本が書けそうだと思った。


『可愛い孫のお前には、私のような苦労はさせたくない。いいかい?サラ。私達は男爵家といえど貴族だ。いずれ社交界に出なければならない。けれどあそこは、煌びやかに見えて醜い場所。矢面に立たされるのは、非常に辛く苦しい』

『そんなにこわいところなんですか?』

『その通り。だからお前に、私が蓄えた知恵を貸そう。波風を立てずただ静かにしている方法を知り、自分を守りなさい』


 幼い頃に叩き込まれた祖母の教えのおかげで、サラは学園生活をつつがなく過ごし、無事に社交界デビューを果たすことができた。現在、恩師でもある祖母は、祖父と長期の旅行に出掛けている。帰って来たらお礼を言わねばなるまい。

 そして今宵、サラは七度目となる夜会にいざ行かんとしている。


「どうですか?お母様」

「大丈夫よ。おかしなところは無いわ。気をつけていってらっしゃい」


 十八歳を迎えたサラは、父と共に夜会に参加する事が増えた。目的は言わずもがな、結婚相手を探すためだ。サラの家は、お金が有り余っている訳でもないし、使用人を雇う余裕も無いほど貧乏な訳でもない。よくある小金持ちな男爵家である。縁談は舞い込むものではなく、こちらから持ち掛ける立場なのだ。しかしサラの縁組みが思うように進まないのは、実家の資産以外にも問題があった。それは、サラ自身の容姿である。

 この国で最も多い、金髪と青い目という色彩に加え、顔立ちも至って普通。一度会ったくらいでは顔を覚えてもらえないような、ぼんやりとした印象の造りだ。早々と売れていくのは美男美女ばかりの世界で、これは厳しい現実だった。だがサラは、自分の容姿を卑下してはいない。祖母曰く"恵まれた顔立ち"らしいからである。


『美しい人、可愛い人はそれだけで嫉妬の対象よ。だからサラ、自分の容姿を誇っていいわ。「私はなんて安全な顔なのかしら」って』


 人によってはどんな慰め方だと思うかもしれない。しかし祖母の言葉は真実だった。学園一の美少女は、いつだって騒動の中心にいたのをサラは見てきた。身分が低かろうが、人目を引く容姿をしていれば、理不尽な嫌がらせを受けていた。それを目の当たりにした時、サラは心の底から祖母に同意できた。確かにあんなのは御免だ、この顔で良かったと。

 そもそも、祖母をはじめ両親もサラのことを可愛いと口々に言ってくれるので、何の不満も無いのだ。


「今夜こそ、良い相手が見つかるといいわね、サラ」

「そうですね」


 母はそう言うが、サラ本人は同じくらいの家柄の、ごく普通の人が見つかれば万々歳だと思っていた。それでいい、否、それがいい。不便なく穏やかに、結局はそういう生温い生活が一番なのだ。


「では、いってきます」


 結婚相手はおいおいでも構わない。今夜もサラの目標はただ一つ。『大多数に紛れる』ことである。




 サラの行動原理はすべて、祖母から教わった知恵に基づいている。

 一つ、皆に同調する事。

 一つ、決して一人にならない事。

 一つ、万全の体調で挑む事。

 一つ、警戒を怠らない事。

 祖母はありとあらゆる場面を見、そして経験していた。サラが子供の頃はよく、その体験談を詳しく聞かせてくれたものだ。


『サラ、パーティーでぽつんと一人でいては駄目。壁の花になるのもよくないわ。大人しくしているつもりでも目立つのよ。あと、料理に夢中になるのもいけない。そういう子が目をつけられたのも見たわ』


 じゃあどうすればいいのだろう。幼いサラはそう思った。それが顔に出ていたのだろう。祖母は微笑んで続けた。


『皆が王子様にきゃあきゃあ言っていたら、サラも王子様をうっとり眺めていればいいの。笑顔で挨拶していたら、同じように笑顔で。反対に素っ気なくしてしまうと、相手の気を引きかねないわ』


 祖母の解説は続く。


『一人で中庭に出る、バルコニーに行くのも危険ね。高確率で男が来るわ。だからといって、具合が悪いと出て行くのもやめた方がいいわね。その道中に何かしらの出会いが待っているから』


 つまりは適当に周りと話を合わせつつ、会場内に留まり続け、それとなく人影に隠れていれば良い、そういう事だ。

 サラはもう既に六度、そうやって夜会を乗り切っている。実は前回、祖母の言っていたような場面を見かけた。おどおどと所在無さげに壁の花となっていた令嬢へ「君はあの人(公爵子息)に興味が無いの?」と話しかける青年がいたのだ。


(なるほど。あれが『目立つ壁の花』というものですか)


 横目で眺めていたサラは、祖母の教えが無ければ餌食になっていたかもしれないと冷や汗をかいた。

 ところでその令嬢は、同性から見ても可憐な美少女だったが、祖母が言うにはサラみたいに平凡な女性でも、絶対の安全は無いらしい。


『"恵まれた顔立ち"をしていても、油断は禁物よ。そういう子達が次々と男に捕まるのを、私は飽きるほど見てきたわ』


 サラは身が引き締まる思いだった。

 この安全な顔でも警戒し続けなければ、厄介事に巻き込まれる可能性があるらしい。一挙一動に注意を払わないが最後、社交界の洗礼を喰らう羽目になる。

 そう悟ったサラは、いつも完璧な体調で参加し、皆が右と言えば右、左と言えば左、といった具合に行動していた。安全性の高い装備に、慎重な振る舞い。非の打ち所がない『大多数』に擬態できていた。婚約者探しは父がやる。貴族の結婚なんてそれが普通だ。サラは今まで通り、このまま時間が過ぎるのを待てば良い。

 今回の夜会も、そうなるはずだった。


「おい、お前」


 不遜な男の声が、サラにかかるまでは。

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