その十四(つかの間の平穏)
少し暴力を匂わせる表現があります。今後も多少ですがでてくると思われます。また、行為を匂わせる発言もあります。苦手な方はご注意ください。
「どうしましょう・・・こんなに貰うつもりなんてなかったんです」
困ったように眉尻を下げるフィアナの手には、先程の賭博屋で稼いだ金の入った袋がある。
かなりの重量になったそれはフィアナの手に余るので、王子が受け取る。
じゃらじゃらと音がするそれは無駄に悪目立ちするため、王子がルチエのバックにも半分流し込んだ。
ルチエは「もう少し稼いでおけばよかった」と若干不服そうにしている。どうやら姫に稼いだ金額で完敗していることが悔しいらしい。
王子はそんなルチエを放置して、フィアナに話しかけた。
「今日つかってしまいましょう」
「え、でも私が稼いだお金ではないのに」
賭博に興味があったといえど、そのお金をどうこうしようと思ってはいなかったフィアナはいきなり手に入れた金の扱いに困っていた。しかし急に使えばいいと言われても、なんとなく罪悪感もある。
「けれど、返しに行くわけにもいきませんから」
そういって王子とルチエは視線を合わせた。
「のこのこ返しに行くと、おそらく見世物になりますよね」
ルチエの言葉に王子も頷いた。
金は稼ぐが全部返却するという気前のいい強運の娘など、おいそれとまた賭博屋には連れて行きたくない、というのはお互い同意見なのだと二人は視線で確認しあう。
「それに」と王子は言う。
「これを使えば、またこの港町に金がまわりますから」
「そうですよ、ぱーっと使えばいいんです!」
ルチエがにっこり笑って、大げさに身振りも加えてフィアナに言えば、フィアナもそれでいいのなら、と頷いた。
知識としては金は使わなければまわらない、というものはあったし、ルチエの笑顔を見ているとそれでいいのかもしれないという気になるのだ。
その様子を見た王子がまたも眉間に皺を寄せる。
「お前・・・いい加減にしろ」
「なんのことですか?」
王子とルチエが無言で睨み合っている所に、フィアナが頬を上気させて声を上げた。
「けれど、楽しかったです!城下にはあのようなものがあるのですね、みなさん活気付いていました」
「あれは、一種のストレス解消も兼ねているようですからね」
「もっと裏は恐ろしいところばかりなんですがね」
「ルチエ、黙れ」
「王子、先程からルチエへの態度が良くないと思いますわ!」
フィアナからのまさかの叱責に、王子が口を噤んだ。
そうだそうだ、といった顔をしているルチエの足をフィアナに見えないように王子が踏み抜く。
「い゛っ!」
ルチエは小さく苦痛の声を漏らした。が、横から王子の視線をひしひしと感じていたために、急に声をあげたルチエを不思議そうに見るフィアナに無理やり笑んで見せていた。
その姿に満足したように王子は頷くと、にっこりと笑う。
「ただ、姫。もう賭博はやめてくださいね」
「ええ。こんなにお金を戴いてしまうものなんて、申し訳ないですし」
普通はそんなには稼げないのでこれが一種の才能であることは、王子もルチエも口にしなかった。
***
「そろそろお昼の時間ですね、お腹はすいていませんか」
「もうそんな時間なのですね。・・・確かに、すきましたわ」
「ならばどこかで食事をしましょう。どこがいいですか?」
「そういわれましても・・・」
全く地理がわからないフィアナは困ったが、とりあえず辺りを見回してみる。
そうすると、白い煙に混じっていい匂いが漂ってくる店があるではないか。看板が店の前に出ているのを目を凝らしてみると、フィアナはそこに描いてあった絵に目を見開いた。それを指差し、王子とルチエの方を振り向く。
「あれは、トルンではないですか?!」
「そうなのですか?私もそのままのトルンは見たことがないので・・・」
「きっとそうです!ここにも扱っている店があるのですね」
そういいながらフィアナが進みだすので、王子とルチエもそのあとに続いた。
「やっぱり」
その看板の絵の下には『珍味トルンのタルト』と描かれている。
「珍味なんて失礼です!確かにこちらでは珍しいかもしれませんが・・・」
「トルンとは一体なんなんです?」
憤慨したようなフィアナに首を傾げていたルチエが、そう王子に尋ねる。
「姫の大好物だよ。こちらでは珍しいものだ」
「そうなのですか」
じっとその看板を見つめるフィアナに、王子は破顔した。
「姫、ここにしますか?姫がよければですが」
その言葉を聞いて、フィアナが顔をぱっと上げる。
その目はきらきらと輝いていたが、店の中に並ぶオブジェだろうワインボトルを見て固まった。
「ここは、お酒を嗜む所なのですか?」
「ええ。まぁ、姫のような身分の方がいくところではないのは確かです」
「・・・そう、ですか」
考え込むように目を彷徨わせるフィアナは、ぼそぼそと呟く。
「・・・でも、これからこんなところに来る機会なんて・・・」
ルチエと王子が、何やら深刻そうに考え込むフィアナを不思議そうに見ているが、フィアナにとってはそう何度もないチャンスなのだ。
特に、この国に来ての初日から久しく食べていない好物が目の前にある。
確かにどうやら店はフィアナの入ったことのないような店であるが、今は王子とルチエもいる。多少の無茶もできるだろう。
ならば行くしかないだろうと、フィアナは王子とルチエに頷いていた。
「そう心配なさらずとも大丈夫です。護衛もいますからね」
そういってルチエを小突くと、王子は先に店の中に入っていく。
フィアナを先に行かせて、その後にルチエが続いた。
「いらっしゃい」
「すまないが、なるべく人が少ないところにしてくれ」
入ってそうそう王子がそういえば、髭面のがっしりした店の主はちらりとフィアナとルチエを見て頷いた。磨いていたグラスを置いて、メニューと思しき紙の束を王子に手渡す。
「あちらの奥のテーブルにどうぞ」
「ありがとう」
席についてそうそう、フィアナはあたりを見回す。全てが珍しいのだ。
木製の椅子や、レースもないテーブルクロスに目を瞬かせる。フィアナの身近にあったものと質は全く違うし、店に漂う様々な料理が混じりあった匂いも初めて嗅いだ。
フィアナには市井の知識はあっても、実際に見聞きしたわけではないのだ。
きょろきょろと見回すフィアナに王子とルチエが微笑を零し、王子が手ずからメニューを差し出した。
「食事をとりながらゆっくり見ればいいですよ」
メニューもフィアナの知らない料理名ばかりで驚いたが、思いのほか三人は注文を早く終え、料理を食した。
メインディッシュが終わったころにフィアナがお目当てのトルンを頼むと、店の主があの味がわかるのか!と目を輝かせた。
そこで店の主とフィアナの話に花が咲きそうになったのだが、王子の店主への料理の催促により、それはなくなる。残念そうな顔をする両者に、王子の笑みは深くなるばかりである。
その間、珍しくルチエは黙りこくっていた。
店主が料理を取りに去った後、ルチエは王子にだけ聞こえるように、ぼそぼそとした声を発する。
「気付いていますか」
「・・・勿論」
「・・・なんか変なのがいますね」
「ああ」
「この場所には、相応しくない輩のように見えますが」
「・・・」
視線をルチエがやる先には、明らかに異様な雰囲気を醸し出す男たちがいた。
彼らから品定めをするような不躾な視線が注がれている。
王子はグラスを傾けると、ルチエにも男たちにも視線をやらないまま呟いた。
「店を出たら、すぐに片付けろ」
「はい。・・・他にいないか護衛たちにも探らせます」
「ああ」
王子の返事を聞き届けると、ルチエは立ち上がった。
「ルチエ?」
急に立ち上がったルチエに不思議そうな顔をするフィアナに笑いかけて、ルチエは自らの服を軽く整えた。
「野暮用ができたので先に失礼します。支払いはしておきますね」
「そうなのですか・・・戻ってきますよね?」
心細そうに言うフィアナに、ルチエは一瞬虚を突かれたような顔をした。
「・・・・・・ええ、勿論ですとも。我が姫」
ルチエはフィアナにふわりと笑いかけると、わざと勢いよく自分のバックを持ち上げた。
今日フィアナとルチエが稼いだ金がたんまりと入っているそのバックは、じゃらじゃらと盛大に音を立てる。
ルチエはそのバックを背負って颯爽とカウンターに向かうと、わざと多めのお金を置いた。
目を瞬かせる店の主に「あの人たちにもう一杯ずつ好きなものを」とフィアナと王子を指差して頼み、そのまま出て行った。
「・・・変な気の利かせ方をして」
「どうしたんですかね、用事って」
「まぁ、本当に野暮用だと思いますよ。気にせずにいましょうか」
「・・・はい」
組んだ手の上に顎を乗せた王子の視界の端で、男たちが動いた。
そのまま金をカウンターに投げつけるように置くと、まっすぐに出口に向かっていく。
「ご愁傷様・・・と」
その後ろ姿を見送った後、王子はそっと笑んだのだった。
***
「どこにいきやがった?」
「確かにこっちに・・・」
「ここを越えたってのは、ないよな」
「ねぇだろ。あんなちいせぇ体でよ」
金蔓と思われる少年のような風貌の男を追ってきたはずなのに、路地裏で男たちはその姿を見失っていた。
きょろきょろと辺りを見回す男たちの前は行き止まりである。
その男たちの後ろに、ふらりと小柄な影が現れる。
見当違いの方向を見回す男たちを嘲笑うようにその口元を吊り上げ、影は声を発した。
「あの人のテンションが高くて助かったよ」
その声に振り向いた男たちが、驚いたように目を見張った。
が、すぐににやにやとした笑みに変わる。
男の一人が進み出て、右手を影に向けて伸ばした。その指先をくいくいと動かし、その顔を醜悪に歪めた。
「坊主、一体どこにいったのかと思ったぜ。さぁ、その袋を渡しな」
「・・・いつものあの人なら、あんたたちみたいなのの視線を浴びたことに気付いただろうから」
「あぁ?!一人で何言ってんだ、コイツ」
「頭くるってんのか?」
「・・・でも」
浴びせたのは、それはそれで罪だよね?
そういって、小柄な影―――ルチエは凄絶な笑みを浮かべた。
***
「満たされましたか?」
「ええ、とても美味でした」
「それはよかった」
トルンのケーキを食し終わって、フィアナは満足感に満たされていた。
さて、と王子が立ち上がる。既にルチエが支払いを済ませているため、真っすぐに出口に向かう。
お腹も高潮していた気分も落ち着いたフィアナは、王子の後ろについて出口に向かうときに覚えのある視線を感じた。
思わずその方を見れば、だぼっとした服を着ていても隠しきれない色香を纏う妖艶な女が、じっと王子を見つめていた。
その後ろを歩くフィアナには、鋭い視線を向けている。
「お知り合いですか?」
「・・・知らないですね。いきましょう」
王子がそういうならば仕方ないと、フィアナもそのまま店を出た。
が、数メートルも進んだところで、酒場から追いかけてきたらしい女が、二人の間に割り込むように王子の腕を掴んだ。
迷惑そうに顔を顰める王子とは裏腹に、女の顔は紅潮している。同性のフィアナから見ても扇情的な顔だ。
「貴方、どこかであったことはないかしら」
だぼだぼの洋服に隠されている実際は豊満なのだろう体を王子に摺り寄せ、女は期待するように王子を見つめた。
その際にフィアナに察しろと言わんばかりの視線をちらりと向けてくる。
そこでフィアナは気付いた。
彼女の視線が覚えがあると思ったのは、この手の視線を社交界で散々自らが浴びたからであると。
そう思い当れば、さっさとフィアナは頷いていた。
「お邪魔なようなので、私は少しあの店を見ていますね。終わったら声をかけてください」
面倒事には関わりたくない。
特に王子の女事情など、知りたくはないのである。
さっさと歩き出すフィアナに、王子は慌てて手を伸ばしたが腕に絡みつく女のせいでつかみ損ねる。
少し歩けばつく露店だったため、まだ視界のなかにいるだけいいがと王子は顔を顰めた。
こんなところで女に捕まっている場合ではない。
折角の姫との出かけが台無しになりかけているのだから。
「その香水・・・貴方やっぱり」
そんな王子の心情は無視して、勝手に王子の香りを嗅いで、蕩けそうな顔をしながらずいと肉感的な体を寄せてくる女。
その体から強い香水の匂いがした。
――――姫の香りとは違う。
「なんのことか、さっぱりなんですけれど」
一応は体裁を保ってにこやかに女に話しかけたが、女の方は王子の視線が向いたや否や更に体を押し付けてきた。
ふふふと不気味な笑みを浮かべながら、女は顔を紅潮させた。
「嘘ばっかり。私にはわかるの。あんなに素敵な一夜だったのだから」
そういいながら道のど真ん中だというのに、そろりと王子の二の腕に触れる。
「・・・離してくれる?」
静かな声で王子が言えば、女は体をびくりと揺らした。
声こそ荒げていないが、彼の目は怒りに揺らめいていた。
じっと女を見つめるその目は冷たく、女をどこまでも冷徹に突き放していた。
その目で射抜かれた女はそろそろと腕を抜きながらも、引き攣った笑みを浮かべた。
「な、なによ。一夜を共にした仲じゃないの」
「君となんて知らない。・・・さっさと消えてくれ」
「・・・・っ!」
怒りの色さえ消え、感情の一片も籠らないその声に女は目を見開く。
興味をなくしたように顔を逸らす王子に、女は顔を青くした後に憤怒のためか真っ赤に染め上げ、踵を返した。
「・・・くさ」
王子はそう呟くと、女が触れていた部分を手で叩いた。
面倒事はどこかにいったし、さぁ姫の下に戻ろうと振り向いたときだった。
「・・・・姫?」
いたと思ったはずの場所に、王子の求める姿がない。
確かにあの店を指差し、そこに向かったのは見たのだ。
なのに、あの薄紅の髪が見つけられず、王子は焦った。
「どこです?シャアラ殿!」
声を上げて名を呼ぶが、返事はない。
慌てて店に走り寄って中をみるが、いない。店を出て辺りを見回すが、人混みの中にも姿はなかった。
「・・・ま、ずい」
王子の呟きは、人混みの喧騒の中に紛れていった。




