その十三(海の見える街で)
「すっごぉ・・・」
「おい、あまりはしゃぐなよ」
馬から乗りださんばかりに辺りを見回すシャアラに、リュウが眉を顰める。
大分彼の馬も落ち着いたらしく、まだリュウ自身おっかなびっくりな所は否めないが無事に騎乗していた。
そんな二人の後ろから馬の嘶きが響き、二人が他の騎士とともに振り向けば、黒塗りの簡素な馬車とその周りに付き従った騎士たちが向かってきている所であった。
港のすぐ傍まで来た一行は、そこで一度合流した。
第二陣であったフィアナ達の隊が合流すると、既に馬を預ける場所に行く係と、そのまま一般市民に紛れて護衛する係がそれぞれ打ち合わせをしている所だった。そこに第二陣の騎士たちも混じり、役割を確認していく。
騎士たちの話し合いに参加できないフィアナは、馬車を降りると並び立つ建物の奥に見える海を見つめていた。
王子はまだ騒いでいるリュウ達を一瞥した後に、その後ろ姿に近寄っていく。
「姫はあまりはしゃいでは・・・」
いませんね、と続けようとした王子は、フィアナの顔を見て固まった。
そこには姫と同じか、それ以上に目を輝かせたフィアナがいたためである。
声もなしに感動しているらしいフィアナは、きょろきょろと辺りを見回してはうずうずしている様子だ。
「姫様、落ち着いてください」
そう笑いながら声をかけたのは、ルチエである。
彼は第一陣にいたらしく、既に馬を預け終わってすっかりくつろいでいたようだ。
ルチエも以前見た騎士服とは違う一般的な服を着ているが、童顔の彼は騎士服を脱いだためにまだ少年のように見えた。
ルチエに気付いたフィアナが嬉しげに顔を綻ばせる。
「あら、ルチエ!来てくれたのね」
「僭越ながら護衛にと思いまして」
「嬉しいわ」
「・・・」
それを眉を顰めて王子が見つめるが、それに気付かないフィアナはルチエに自らも近づいていく。
「楽しんで戴けて我らは光栄なのですが、あまりはしゃいでお怪我でもなさったら大変です」
「はしゃいでなんていないわ」
「おや、そのように可愛いお顔をされていては、悪い虫がついてしまいますよ。気を付けてください」
「ルチエは口がお上手ね!」
笑いあう二人にぴりぴりとした空気が王子から漂い始める。それに気付いたらしいルチエがにやりと笑えば、王子は顔を引き攣らせた。そしてぼそりと呟く。
「私が言ったら変人を見るような目で見たくせに・・・」
「なにかおっしゃいましたか、王子」
「なんでもないよ、ルチエ。でもね、その軽い口は塞いだほうがいいと思うんだけど?」
「この口も僕は主を見習って得たんですよ?僕にそういうということは、僕の主の口が軽いということですか?」
王子の蟀谷がぴくぴくと動いているが、顔は笑顔のままだ。壮絶な雰囲気を醸し出す彼の前から、騎士達がすすすっといなくなっていくが、ルチエはにこにこと王子を見つめていた。かなり肝が据わっている。
王子ですら彼の主についての悪口は言えないようだと、フィアナはまだ見ぬルチエの主兼ストーカー疑惑保持者に心の中で新たな肩書を加えた。
馬車と馬たちを預け終わり、さっそく港付近まで行くことになった。
その時にシャアラは念入りに「すぐに戻るから、待っていてね」とアパネに言い聞かせていた。それを落ち着いた眼差しでアパネが見つめ返す。これはいつもの光景である。
リュウの方はといえば、何を思ったか、いつぞやの馬―――後で聞いたところ名前はシュガーというらしいが、に近寄って鼻づらを撫でようとしていた。かなりビクついていたが、なんとか撫でることができてほっとしていたようだ。言葉はなかったが、彼にしては進歩だろう。
ただ、シュガーの方が仕方ないと言わんばかりに鼻を鳴らしていたから、これはシュガーの功績かもしれない。
***
「いらっしゃい!」
「安いよ安いよ!叩き売りだ!」
「こっちは大特価だ!買ってかなきゃぁ損だぜ!」
さすが市が開かれているだけあって、一歩足を踏み入れた途端ものすごい声がフィアナの耳に届いてきた。
活気と張りに満ち溢れたその声がいたるところから飛んできて、フィアナとシャアラ、ついでにリュウも目を白黒させている。
「ここは露店が出ていますからね、騒がしいでしょう。もう少し行けば普通に店もありますよ」
王子が微笑んでフィアナとシャアラに言えば、なにやらビクついていたリュウも頷いていた。
進むのかと思えば、そこで急に王子は立ち止まって何やら考え込んでいる。どうしたのかと思って口を開こうとしたが、フィアナも閉口した。様々な視線がフィアナ達に突き刺さっていたからである。
まだ入り口の為に騎士たちもばらけていない。この大所帯だと余程目立つらしい。
「私たちも別行動した方がいいか・・・」
「目立っているようだしな。警護隊、予定通りに別れろ」
リュウも頷いてそういえば、騎士たちが了解と言い、素早くバラけて行った。
「別れるってどういうこと?」
「俺たちが固まっていると目立つ。だから二人ずつに別れる」
「そうなの。わかった」
「・・・どこへいく」
「うぎゅっ!」
フィアナの方に歩いて行こうとしたシャアラの襟首を、リュウがむんずと掴む。シャアラは急に締まった首に女の子らしからぬ声を上げると、怒りの眼差しでリュウを振り返った。
「何するのよっ!」
「お前は俺といくんだ」
「はぁ?!なんでっ」
「いいからいくぞ!」
リュウが手を掴んだ途端、シャアラの顔が真っ赤になった。リュウが訝しげに顔を顰めていたが、おとなしくなったシャアラをこれ幸いと連れて行った。
彼とシャアラの気持ちを知っているフィアナとしては、邪魔できない状況である。しょうがないなと苦笑しながら、彼らを手を振って見送る。
そして、重たい気持ちで自分の背後を振り返った。
「・・・どうしてそんなに暗い顔をなさっているんです?」
「暗い顔なんてしてませんわ」
王子は相変わらずいい笑顔だが、その後ろから何やら黒いものが立ち上っている気がする。一体何が気に障ったのだろう。
「大丈夫です、僕もついていますからおかしなことはさせませんよ」
「ルチエく」
フィアナの言葉が言い終わらないうちに、何かがひゅんっと音を立てて通り過ぎた。
フィアナの視線の先にいたルチエが首をさっと傾けると、その後少し遅れて何かが壁にあたるがんっという音がした。
・・・落ちる音がしないようだが、壁にめり込んだのではないだろうか。
「石なんて投げないでください、危ないじゃないですか」
「い、石の音じゃ・・・」
「石なんて投げるわけないだろう、この私が。さぁ姫、いきましょう」
そういうと王子は、フィアナの手に手を伸ばそうとしたのだが。
「ちっ、また負けかよ!今日はやめだ、やめっ!」
「お前、今日はついてねぇなぁ。俺にしてはラッキーだったが!」
「へんっ、持ってきやがれこの野郎!俺は上がりだ!」
そんな声が聞こえてきてフィアナは、その声の方に体を向けた。
そのせいで王子が伸ばしかけた手は空を切り、それを見ていたルチエが声もなく腹を抱えて笑い出した。その頭をがんと王子が殴り、彼は痛そうに蹲る、という事態が起きていたのだが、すっかりその声の方に気が向いていたフィアナは気づかず、声の出処をよく見ようとその店に近付く。
看板すらない店は、外にまで木椅子が置かれており、そこに街の男たちが集まっていた。そこから先程の声の主だろう男が出てくる。財布を開けて、何やら肩を落とした後どこかへ歩いて行った。
フィアナが目を凝らせば、ちらほら女の姿も見える。何やら威勢のいい声が響いてくるそこに興味をひかれて、フィアナは傍に来ていた王子の袖を引っ張った。
「あれは、なんです?」
「あれは賭博屋です」
「とばくや?」
「ええ、お金をかけるところですよ」
王子の返答に、何やら黙りこくったフィアナだったが思い立ったように顔を上げた。
「私もできますか?」
「「えっ!」」
興味津々でフィアナが言った言葉に声をあげたのは、周りに紛れて付き添っていたお付の人々である。
王子自身も姫に説明していいものかと困っている様子だ。困らせているのは申し訳ないが、こんな機会が二度あると思えないフィアナは好奇心の方が勝っていた。
期待するような目で見ると、王子は何やらちらちらと視線を逸らす。
・・・やはりだめなのかと諦めが勝とうとしたときに、進み出てきた小柄な影があった。
「いいじゃないですか」
「ルチエ」
またお前か、と言わんばかりに顔を顰めた王子だったが、やはりルチエはそんなことを気にしない様子で王子の横まで歩いてきて、賭博屋を指差した。
「僕はやってみてもいいと思いますよ?でも僕は決定権をもっていませんからね。僕が目の前でやってみせますよ。そうしたら少しは気が済むかもしれないでしょう?」
そう清々しい笑顔で言うと、ルチエが男だらけの場所に堂々と向かっていく。
「お前はただやりたいだけだろう・・・」と王子が呟いていたが、興味津々のフィアナの顔を見て口を噤んだ。
何やら柄の悪いおじさんの横にルチエは我が物顔で座ると「で、今の最高掛け額はいくらなんです?」と手慣れた風に言い出した。
「なんだよ、がきんちょ!掏られてもしらねぇぞ」
「大丈夫です。始めましょうか」
そういうと、ルチエは片手で賽子を握った。
男たちも何かを確認するように煙管を吸う老人に目をやったが、老人の反応はない。何やら肩を竦めて、男たちも賽子を握る。
「大丈夫なんでしょうか?」
「・・・あいつは大丈夫です」
自分が言い出したことだが今更不安になってきたフィアナは王子に尋ねるが、王子は腕を組んでそういった。全く心配していない様子だ。その王子の言葉通り、幾分も経たずして弾んだルチエの声が聞こえてきた。
「うん、僕は五・五・五ですね」
「げ・・・」
「おめぇつえぇな・・・」
「それ程でも」
そう笑ってルチエは卓上のお金を引き寄せた。
それを纏めてバックに突っ込むと、それではと立ち上がる。
「勝ち逃げかよ!」
「僕はあそこのお嬢に見せたかっただけですので」
「ん?・・・なんだこいつら!キラキラしてやがる!」
フィアナと王子を見て場がざわついたが、フィアナはじっと卓上の賽子を見つめている。そしてフィアナは徐にそれを指差した。
「あの、それって私でもできますか?」
男たちは驚いたようだが、また老人に目を向ける。老人はやはり反応がないが、男たちは頷いた。
「おお、できるできる。手ぇ抜くからやってみな」
「何事も人生経験だぁ」
その言葉に目を輝かせたフィアナが王子を振り返れば、王子は天を仰ぎ、頷いた。
フィアナは先程までルチエが座っていた席に座ると、もの珍しそうに賽子を手に取った。
「お嬢ちゃん、賭事は初めてか?」
「はい」
「なぁに簡単だ。この賽子を一つずつ振ってだな・・・」
手解きを受けるフィアナを不安げに見つめる王子の下に戻ってきたルチエの頭を、王子は小突いた。
「お前なぁ」
「姫様が負けても、僕の勝った分で採算つくでしょう?」
「そういう問題じゃないんだが・・・」
その時わっと声が上がった。
「言わんこっちゃないってか・・・?!」
慌てて王子が卓上を覗き込むと、そこには驚きの光景が広がっていた。
「あら、おじ様、私一・二・三です」
「げっ!まじかよ、負けじゃねぇか!」
姫は勝ったことが嬉しいらしくにこにこしていたが、負けた男たちは素直に金をフィアナに押しやった。
「つ、次はまけねぇよ!もう一度だ」
「はい!」
「ひ、姫」
次という言葉に、王子が慌てたが、フィアナは楽しそうにまた賽子を握った。ルチエは止める気もなく、周りの騎士たちには止める権限がないためにまたもや賭博が始まる。
「四・五・六です」
「「・・・・・・」」
「六・六・六ですね」
「「・・・・・・」」
「一・一・一です!」
「「・・・・・・」」
「「ま、まじかよ、嬢ちゃん・・・!!」」
あっという間にそれまで卓上にあった以上の金を集めてしまったフィアナに、その場の男達が唖然としている。唖然としていたのは男たちばかりでなく、金の入ったバックを握ったルチエと、腕を組んだままの王子もである。王子が呆然と口を開いた。
「ルチエ・・・」
「僕は何もやってませんよ・・・本当に」
あれは完全なる姫様の勝負運でしょうね。そう笑うルチエは、手の中で賽子を転がした。あの店のものでなく自分のものである。それを見て王子が顔を顰める。
「お前と違って彼女は実力か・・・」
「その言い方はやめてください。これも立派な実力ですから」
二人してフィアナの後ろで呆れていたが、段々と人が集まってきて、最早話題の人とフィアナは化しつつあった。
「あんちゃん達、あの嬢ちゃんの連れか?」
王子とルチエの傍に立った老人は、ふかしていた煙管を外して尋ねてきた。
二人が頷けば、老人は肩を竦めた。
「あの子は素人だろ?強運なのはよーくわかったから、そろそろ連れてってやってくれ。うちの売り上げもなくなっちまう」
そういってまた煙管をふかしながら店の奥に戻っていく。そして先程と同じ場所に腰かけてまた動かなくなった。彼が生きている証は、煙管からでる煙だけである。
「あの煙管、高級品でしたよね?」
「ああ。ここの主だろう。まぁこんな場所で賭博屋をやってるんだ。かなりの人物だろうな。・・・とにかく、そろそろ連れて行こう」
そういうと王子は、本格的にフィアナを引っ張り出すために人を押しのけ始めた。
作中での賭博はチンチロリンです。
参考にしたURLです。
http://nade-q.main.jp/5dollars/text/chinchiro.htm




