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その十(嘘か誠か)

 




 フィアナはその後どうしてか、自室に戻ってきた。


 

 部屋に戻ってからは、引きずり込まれるように眠りに落ちたのだろう。全くその道中の記憶がなかった。

 ただそんな事は本人にとってはどうでもよいことで、フィアナは心地よい眠りにくるまれていた。

 寝ている間は、何も考えなくていい。

 フィアナは温かい布団と共に、更に深い眠りを引き寄せた、筈だった。


 

「ちょっと、フィアナ!」


 

 耳元での大声と共に体を激しく前後に揺さぶられ、フィアナは強制的に眠りの世界から呼び起された。

 目を開けて、いつもなら直ぐにはっきりする視界も滲んでいる。ぐるぐると頭の中を渦巻く眠気に、ぼんやりと目を開けているだけのフィアナに目の前の人物が捲し立てた。


 

「何してるの?!とっくに起床の時間は過ぎてるのよ?!」

「・・・ひ、め様?」

「そうよ!早くしなさいって!らしくないわね!」


 

 そう叫ぶとシャアラはフィアナの布団を引っぺがした。


 

「ほらほら!顔を洗って、水はもうあるから。後、お茶も運んできたわよ。それ飲んで目を覚ましなさい!」

「ひ、姫様・・・?」


 

 驚きに目を見開くフィアナが、やっとその目をぱっちりと開いてシャアラを見れば、シャアラは侍女服を着ていた。

 シャアラはフィアナの背中を押すように「ほらほら!」と声をかけると、フィアナをベットの上から追い出しにかかる。腰に手をあててどうだ、という顔をしているシャアラ。開いた隣の部屋との扉の奥に、確かにティーカップが用意された机が見えた。


 

「どうしたんです・・・急に」


 

 シャアラは姫である。

 本来なら人にかしずかれ、お茶を自分で運ぶこともしない、してはならない身分のものだ。

 なのにフィアナの為に洗面の水や目覚ましのお茶を用意し、揚句フィアナを起こしすらした。

 職務怠慢―――その言葉がフィアナの頭に過る。

 寝坊など怠慢以上の何物でもない。疲れていたから、というのは理由にはなりなどしない。

 それを言うならシャアラだって同じ疲労を抱えていたのだ。たとえそのあとフィアナに予想外の出来事があったとしてもだ。


 

「姫様」


 

 拳を戦慄かせ、フィアナはその眼力を強めた。


 

「な、何。何かまずかった?」


 

 急に弱気になったシャアラは、何かまずかったのかと視線で自分の行った軌跡を追う。


 

「そうではありません!姫様にこのような気を使わせるなんて・・・申し訳ございません」

「いや、まぁ、わたくしのせいで貴女に苦労・・・」


 

 目を逸らしながらぼそぼそとシャアラは呟いたが、滾るフィアナは気づかない。


 

「ああ、すぐに本日の支度をしなくては!」

「え、ええ」


 いきり立つフィアナに、シャアラは若干引き気味である。何がフィアナの侍女としてのプライドを刺激してしまったのかわからない様子だ。

 


「そういえば・・・姫様」

「な、なに」

「雨の中を馬で走り抜けて、頭部が茶色くなることってあります?」

「は?ないんじゃないの。あのバカみたいに湖とか泥沼とかに頭から突っ込まなきゃ」


 なるほどリュウは帰りに泥沼に頭から突っ込んだらしい。

 呆れ顔のシャアラだが、どことなくその瞳が優しげに揺らいでいて、あら、と思ってフィアナは思わず口にした。


「姫様・・・もしかしてリュウ殿に・・・」

「はっ、はぁ?!何言ってんの?!そんなわけないでしょ!アイツ、執務しかできない頭でっかちなのよ!う、運動だってできないし、ま、まぁ顔がいいのは認めるけどっ」

「姫様、私まだ何もいってませんが」

 

 また、節介を焼いたんですか、と言おうとしただけだといえば、シャアラの顔が段々と朱に染まり、ぶるぶると震えだした。

 やがてフィアナが温かい視線を向けるその空気に耐えられなくなったのか、シャアラは脱兎のごとく駆け出すと、奥の部屋へ消えていった。その時に声にならない悲鳴をあげいたようだ。

 青春である。

 

 シャアラに構うのは後でいいか、と決めたフィアナは、身支度を整えるために衣装台へと向かう。


 目の前の顔に、シャアラをイメージしながら化粧を施していく。

 そしてぼんやりとシャアラの答えを反復する。

 

 「余程のことがないと・・・頭が茶色くなることはないのよね」


 昨日の雨を思い出す。ずぶ濡れの体をタオルで包みこまれ、彼を振り返った時のことを。

 フィアナが見たもの、それは茶色く変色したタオルだった。

 王子が頭から被ったタオルは、外は白いままであったのに、その内側は茶色く変色していた。

 しかし帰ってくるまでの間に、シャアラがいうような奇天烈な事態は起きていないと思う。 

 

 あれは、いったいなんだったのかとフィアナは首を傾げたのだった。

 


 ***



 結局フィアナがすべての準備を終え、なんとか感情を消化し終えたシャアラが立て籠もりから出てくるころには、とっくに昼を過ぎていた。


「どこにいくの」

「図書室にいこうかと思うわ」


 元々蔵書に興味がないシャアラは、つまらなそうに唇を尖らせ文句を言いながらも、フィアナについてくる。

 フィアナが図書室にいこうと思ったのは、ただ自分の趣向のためではない。この国の状況を調べる必要があるからだ。

 元々、この花嫁修業という名の見合いにはおかしな点がいくつもあるのだ。

 まず、この国に招待されておきながら、フィアナは一度も国王に面会したことがない。王子に問おうにも、矢継ぎ早にあの笑顔で予定を言いつけられてしまっては聞けずじまいだった。

 一応ここに来るときに、お付の騎士から王と妃は恋愛結婚云々を大事にしているから、もしかすると当人の顔合わせが済んで、状況を王子に確認してからのご面会となる可能性云々とよくわからないようなわかるような説明を受けている。

 しかし顔合わせは済んでいるし、何より昨日のようなことがあっては面会に呼ばれてもおかしくないのでは、と思うのだ。この国の内政が関係しているのではと勘繰りを始めてしまえば、まずはこの国を知らねばと焦るに至った。

 それに、この国の役職のことも調べておきたい。そうすれば月夜の人物であるラジェのことも多少はわかるかもしれない。

 

「手伝ってくださ・・・」


 いね、と振り向いたその先にいるはずの人物は、なんと廊下から外れて庭師と談笑していた。そのそばには、騎士が控えている。いつの間に。


「ちょっと出かけてきていいでしょうか?」

「は?」


 輝くような笑顔でフィアナを振り返ったシャアラに、訝しげに顔を顰めるフィアナ。

 大体なんだというんだ、姫様に近づいて。シャアラを狙っているのではあるまいな、と三人に近寄りながら観察する。

 フィアナが近づけば、騎士は礼儀正しく、庭師は慌てて頭を下げた。

「この方たち、昨日アパネの世話をしてくれた方なのです。アパネの厩舎まで連れてっていただけるように今お願いしましたの!」

 こういうのもなんだが、シャアラの顔立ちは整っている。少しだけ垂れた目に愛嬌を感じる。

 その彼女にせがまれては、姫の侍女という役職を考えても断りにくかろうとフィアナは逆に同情した。

「この方、庭師もしながら馬のお世話もしているんですって。また会えるとは思いませんし・・・」

 きらきらした目を向けるシャアラに、フィアナはため息をつく。この方は全く、姫のただ一人の侍女という自覚が薄い。

 諦めたように頷けば、騎士が驚いたように目を見張った。その騎士とシャアラに視線を向けて、フィアナはいう。


「いいのです。図書室にいくだけですもの。用事が終わったら帰ってきなさい」

「ありがとうございます!」


 シャアラは飛び上がらんばかりに喜んでいる。


「では、すぐに護衛を呼びましょう」

「ええ、お願い。それと」

「?」

「彼女には誰にも手を出させないで頂戴。あなた方も然りよ」

「もっ、もちろん心得ております!」


 正式な礼の形をとった騎士の目は、正義感で燃え滾っていた。その横で庭師が滅相もないと首をぶんぶん振っているので、一応は安心であろう。


「あ、そこのお前!」


 視線を廊下に向けた騎士は、大きな声で通りかかった騎士を呼び止めた。その騎士は一瞬戸惑ったように視線を彷徨わせ、駆け足で近寄ってくる。


「・・・なんでしょう」

「お前、所属は」


 男は困ったように視線をフィアナとシャアラにやったが、諦めたように答えた。


「特殊隊所属です」

「と、特殊隊のものか。それは呼び止めてすまなかった」

「いえ、何かあったのですか?」

「じ、実は誰かにシャアラ姫の護衛を頼もうとしていたのだ、が」

 

 何やら歯切れ悪く騎士が答える。ああ、と男は頷く。


「成程。そこに僕が。構いません。僕も今は任務外ですので」

「そ、そうか」


 困ったように騎士は苦笑いしているが、そんなことも気にせず男はフィアナに体を向けた。


「お初にお目にかかります。特殊隊所属、ルチエと申します」

「ルチエ、素敵な響きね」

「そういって頂けて光栄です。この名前は、僕の拾い主がつけてくださったのです」

「では、ルチエ。図書室に行きたいの。護衛を」

「わかりました、姫様」 


 男の筈なのに、まだ少年ぽさを残した顔立ちをしている彼は、頷いて騎士の礼をとった。


「姫様に護衛一人ですか?少ないのでは」


 やっと本来の立場を思い出したらしいシャアラが口をはさむが、騎士は苦笑した。


「大丈夫です。正直、彼の実力は私より上です。それに身分も確かです」


 先程のどもりはどこにいったのか。騎士の返事に、ルチエはにっこり笑った。

「では、姫様。行きましょう」


 この国に来て、何度もシャアラとは別れて行動している。彼女が羽を伸ばす度に、どこかしら自分には苦難が付き纏っている気がするものの、あのシャアラの笑顔や、悲しい顔を思えば、フィアナはそれでもいいかとおもってしまうのだった。





「ねぇ貴方」

「はい、なんでしょう」

「特殊部隊とは、何をするところなの?」


 国家の重要機密かしら?と含んだようにほほ笑めば、彼は何やら驚いたように目を見開いた。


「なるほど・・・かの方がほれ込むのも・・・」


「何?」


「独り言でございます。お気遣いなく。さて、先ほどの質問の答えですが、特殊部隊とは正式な騎士の順列が当てられていないので、特殊部隊といわれています。ですが、名前のように大層なものではなく、騎士団の問題児が集まっていたり、様々な問題をこなす・・・何でも屋のようなものなのです」


 騎士には団ごとに順列が当てられている。一の騎士団、二の騎士団といったように。その中の順列に含まれていないということは、正式な文書には載っていないということになる。


「問題児、という割にあの騎士は貴方を信頼しているように見えたわ」

「それは、僕の名前を聞いてからでしょう。最初は明らかに困っていました」


 相手は他国の姫だというのに、ルチエは臆することなく饒舌にしゃべっている。


「僕の名前は、多少は信用があるようなので」

「・・・貴方、先ほど拾われた、といっていなかったかしら」

「そうです。言えば、成り上がりともいえるかもしれません」


 急に暗い顔になったルチエから漂うものに、背筋が一瞬震える。その視線は逸らされているが、きっと何かを滾らせているのだろうとフィアナは感じていた。拾われるような立場にいたものが、今や王宮に召し抱えられているのだ。昔、彼はそういわれていたのかもしれない。成り上がりの奴、と。

 フィアナもそういう時があった。影武者としての役割がはっきり世間に知らされないために、王女の傍で甘い蜜をすする侯爵家の余り者、いらない子だと、寄生虫ではないかと言われた。しかし、それを突っぱねるだけの力がフィアナにはなかった。


「ですから、高貴な方と話すような身分では、本当はないのです」


ルチエはフィアナに謝罪する。このようなものが傍にいることをお許しください、しかし、貴女を守ることには、命を賭すと誓います、と。しかし、フィアナは、笑った。


「貴方が何の出身だろうと、私は気にしていません。貴方は今、私を守り送り届けてくださる騎士様ですもの」


 ―――フィアナがどこの誰だろうと、彼女は私の友人であり、仲間よ。あなたたちが口出す権利など、誰が与えたのかしら。教えてくださらない?


 そういって、フィアナよりも小さい背中でフィアナを守ってくれた彼女は、確かにその瞬間、フィアナの騎士だった。


 ルチエは驚いたようで、しかし次いで納得したようだった。


「貴女様は、やはり聡明で、気高く、なにより美しいのですね。あの方が言っていた通りです」

「あ、あの方?」


 自分のことをそんな風に形容する人物がいるのか。誰だ。王子か!恥ずかしいマネをすぐやめさせねば!


「ええ、私の主です」


 やはり王子か!とフィアナは頭に血が上るのを感じたが、次の彼の一言でそれをとどめた。


「主、パーティーで貴女を見てからそんなことを言うようになったんです」

「パ、パーティー?」


 こっちにきてからそんなもの出てないし、数年前のパーティーでは王子にあっていないけど!


「僕は、正直貴女にはあの方を御していただきたかった。あの方の相手は、あなたくらい素晴らしくなければ務まりませんから」

「あ、あの方って」

「けれど貴女があの方を選んでくださることは・・・きっとないのでしょうね」

「・・・私は、王子と見合いに来ただけの女よ。なぜ他の方の話をするのか理解できないわ」

「そう、芯が通っているところにも、きっとあの方は惚れ込んだのでしょうね・・・」


 しみじみと呟くルチエにぴくぴくと米神が疼いた。あの方って誰よ!浸らないでよ!と叫びだしたいのをこらえる。


「もしも」

「?」

「もしも危険な目にあったときは、あの人がきっと助けに行きますから安心してくださいね」

「だ、誰なの、そのあの人って」


 既にストーカーのように感じている。フィアナを助けにいく、安心してくれと言われても、その人物に監視されているといわれているようにしか感じない。


「両人があったことがあるのかは、私にはわかりませんが・・・美しい顔をしている、王子様のような人ですよ」


 フィアナの中で、この城には粘着質な王子顔のストーカーがいることが決まった。

 

 結局ルチエはそのストーカー当人の名前は教えてくれず、図書室まで辿り着いた。


「結局教えてくれないのね」

「ええ」

「正直、私を怯えさせただけよ」


 なぜ怯えるのかわからない、という顔をしているルチエから視線をそらしてため息をつく。この子は天然かしら?


「・・・図書室、入っていいのよね」

「はい。ただ僕は今中に入れませんので、入り口で待機しています」

「? 騎士は入れないの?」

「はい。基本は許可のあるものだけですし、特に今は僕は入れません。身分の問題があるので」


 どういうことなのかわからないが、フィアナは一人で図書室の扉を開いた。

 その先の光景に、フィアナは目を見開く。

 フィアナ住む城の図書室は、らせん階段が伸び、円形の部屋の壁に本が並ぶ見上げるような図書室だ。ガラスをふんだんに使った窓から、調節された光が伸びる解放感あふれるそこは、図書室というより一種のオブジェのような美しさがあった。


 しかしここの図書室は、フィアナの思っていた図書室とは全く違っていた。


 まず、棚がある。何十もが壁とそして部屋のど真ん中に並べられている。しかも背が高い。見上げるほどに。どうやって本をとるのかと思えば、梯子がくっついていた。その梯子の足元にはレールが引いてあり、どうやら自在にこれを動かして本をとるようだ。視線を巡らせば窓辺に机が並べられていた。どうやら窓辺で読むつくりらしい。

 再び本棚に視線をやれば、重量感のある本が棚の中を占めており、それがフィアナに圧迫感を与えてきていた。解放感あふれる廊下とはすごい違いだ。

 とにかく何か情報になるものを探さないと、とフィアナがその目に力を込めた時だった。


 ドサドサドサドサッ!ゴンッ!「がふっ!」


「・・・・・・」


 最後のは人の声だろうか。

 聞いたことがあるような。

 まさか。

 そーっと音のするほうを覗けば、本が山になっている場所から伸びている、色素の濃い、しかし運動をしないのだろう細い腕。

 

「さすがに・・・救出すべきよね」


 図書室にきたはずなのに、まさかの肉体労働が決定した。







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