157.学園祭と留学生
講師生活を始めて早数か月――四大貴族の一つ、ラインフェル家の令嬢であるイリス・ラインフェルの護衛として潜入したはずの僕であったが、気付けばこちらの生活の方が主軸になりつつあった。
もちろん、イリスの親友であり家族でもあるアリア・ノートリアの隣国まで絡むこととなった《影の使徒》に関わる事件に続き、海辺の町である《リレイ》では僕の前世と関わりのあるルイノ・トムラとの出会い。
そして、いよいよこの国に迫る次代の《王》候補を巡る問題にも直面している。
イリスと同じく四大貴族の一つであるラーンベルク家。その『娘』であったカシェル・ラーンベルクは、現在も『重要参考人』として《黒狼騎士団》が話を聞いている。
だが、それは彼女がこの国を裏切ったと問い詰めるものではなく、むしろ『保護』を目的とするものであった。
カシェルもまた、イリスと同じく命を狙われた身なのだ。
団長であるレミィルとは、最近あまり連絡を取れていない。
その原因は、西側を中心に警備を担当する《聖鎧騎士団》の騎士団長――ヘイロン・スティレットが何者かによる暗殺未遂を受けたことが大きな原因だ。
ヘイロンは一命を取り留めたが、今も意識は戻らないままで、誰が彼を襲ったのかも分かっていない。
入院している場所についても秘匿されたままだ。
ただ、聖鎧騎士団は《ファルメア帝国》との防衛ラインも担当する騎士団であり、騎士団長の不在はあまりに大きな問題となる。
すぐに代理の騎士団長を立てることが必要になるのだろうが、聖鎧騎士団ではそれも纏まっていない状態らしい。
故に、レミィルが実質的な代理として、仕事を受け持っているというのだ。
彼女自身もそれを受け入れたとのことだが、ただでさえ仕事をためやすいタイプなのに大丈夫なのだろうか……という純粋に心配な気持ちはある。ただ現状ならば、さすがにサボる暇もないだろう。
この状況下――僕も騎士として気を引き締め、今度の身の振り方も考えていかなければならないのかもしれないけれど、
「では、一年に一度の『学園祭』における私達の出し物を決めたいと思います」
黒板の前に立つ女子生徒の言葉を傍らで聞いていた。
学園祭――《フィオルム学園》に限ったことではないが、学園の一大行事の一つとして数えられている。
目的として掲げられるのは、生徒達が社会に出るための活動支援となっているが――話を聞く限りでは単純なお祭り騒ぎだ。
たとえばクラスで演劇を演じたり、音楽に合わせて踊ったり、お店を出したり……とにかくそれぞれのクラスで出し物をして楽しむ日なわけだ。
実施はもう少し先になるが、事前の準備などもあるために早い段階から話し合いは始まる。
僕のクラスでも、出し物に関しては色々な意見が飛び交っていた。
「出店にしようぜ! 焼き鳥だ!」
「何言ってるの、劇に決まってるでしょ! このクラスでやるのなら、演劇が一番いいわ!」
「いや、かき氷店にしよう」
「なんでかき氷……?」
思わず、苦笑いを浮かべてしまう。
生徒達の主体性に任せることにしたけれど、僕は学園祭どころか、お祭りにも参加した経験がほとんどない。どちらかと言えば、彼らの方が考えるのは適任だ、というところだろうか。
最終的には多数決で決めることになるのかもしれないが、その前にどんどん黒板に生徒達の意見が追加されていく。
書記を担当する子は少し目が回りそうになっていて、気の毒にも思えた。
そんな中――相変わらず他の生徒達に比べて平静なのは、イリスとアリアだ。
海辺の町での一件以降は、クラスメート達との隔たりも徐々に薄れていき、今では他の子達とも話す姿が見られる。
それはアリアも同様だが、それでもあの二人が常に一緒にいるのは変わらない。
だが、イリスの様子は、最近少しおかしかった。
剣の修行の時は集中しているようだが、普段の時は僕と視線が合うと、スッと逸らすことがある。……何か悪いことをしたつもりはないのだけれど。
今日も、イリスはあまり僕と視線を合わせようとはしない。
逆に、その隣に座るアリアは僕の方に強い視線を向けてくる――どういう意図があるのかは、正直分からない。
イリスは正直、現状では学園祭どころではないのかもしれない。婚約話は破談となったが、やはりイリス自身も今後のことは考えているだろう。
それでも、クラスメート達とようやく馴染んできたと言える二人なのだが、ここに来てもう一人。具体的には明日から、僕のクラスにやってくる『生徒』がいる。
その生徒の名は――
「メイド喫茶」
「「「それだーっ!」」」
「ちょっと、男子うるさい……っ! ――って、誰ですか!? あなたはっ」
進行役を務めていた女子生徒が、驚きの声を上げる。
ガラリと教室の扉を開けて、『メイド喫茶』などと突然言い放った少女がいれば、誰だって驚くだろう。……男子生徒達はその宣言を聞いて、物凄い勢いで同意していたが。
ただ、見覚えのない少女を見て、教室内に動揺が走る。
その中には、イリスも含まれていた。
「あなたは……」
「ふはっ、しばらくぶりだな。イリス・ラインフェル――今日は改めて学園内を見学させてもらっていたが、丁度明日から通うことになるクラスで何やら『面白いこと』を決めようとしているではないか。知っていれば、今日から登校したというのに」
にやりと笑みを浮かべて、軍服に身を包んだ少女――エーナ・ボードルは言う。
どうやら今の彼女は一人らしく、いつも一緒にいる彼女の部下、メルシェの姿はなかった。
それにアリアも気付いているのか、他のクラスメートと違って特に驚く仕草は見せなかった。
コツコツ、と靴の音を鳴らしながら、エーナは黒板の前に立つ。
「まずは自己紹介をさせてもらおう。私の名はエーナ・ボードル――《ファルメア帝国》からこの度、留学生として通うことになった。普段は見ての通り、軍人として活動している。だが、ここにいるうちは学園の生徒の一人として振る舞うつもりだ。皆、よろしく頼む」
エーナの宣言を聞いて、生徒達はただ呆気に取られているようだった。
留学生が来る――その話も、生徒達にとっては初めてのことだろうが、なにより彼女の名前の方が問題だ。
「ボードル……? ボードルって確か……」
「帝国元帥がボードルじゃなかったか?」
「え、それじゃあ帝国のお姫様的な……!?」
ざわつき始める生徒達――僕は小さくため息を吐いて、パンッと軽く手を叩く。
「はい、皆さん。色々と気になるところはあるかと思いますが、エーナさんは明日からクラスの一員となります。こんな形で自己紹介を行うことになるとは思いませんでしたが、明日から仲良くしてくださいね」
「ふはっ、面白いことを言うな、アルタ。まあ、言われなくても私のカリスマがあればクラスメート達とも簡単に打ち解けることができるだろう」
自ら『カリスマ』で仲良くなると言ってのけるあたりすごいと思うが、僕はエーナの前に立って言葉を続ける。
「エーナさん、明日からではありますが、君はここの生徒になります。僕は特別扱いをするつもりはありませんし、君もそれは望まないと思います。なので、講師として接するつもりですから――まずは『先生』と呼ぶところから始めてもらえますか?」
「アルタ君でもいいよね」
「ミネイさん、このタイミングで言うことではなかったですね」
僕とエーナの会話に割って入るように女子生徒のミネイ・ロットーが入ってきたため、エーナはそれを聞いて少し考え込む表情を見せる。そして、
「『アルタ君』は性に合わんな。一先ずは、アルタ先生と呼ばせてもらうか」
「……まあ、それでも大丈夫です。それから、明日はきちんと学生服で来てくださいね?」
「学生服……」
僕の言葉を聞いて、ちらりとエーナが近くに立つ女子生徒へと視線を移す。
見られた生徒はびくりと身体を震わせるが、気に留めることもなくまじまじと生徒を見つめた後、
「この制服、私には似合わない気がするのだが」
やや不服そうにそんなことを呟いた。
「あはは、そういう問題ではないですよ。とにかく、今日はまだ授業に参加する予定はないのですし、そろそろ……」
「ああ、そうだな。では、邪魔をした。また明日会おう」
そう言い残して、エーナは教室を去っていく。
突如姿を見せたと思えば、自己紹介をしていなくなる――その姿には、生徒達にただ衝撃を与えたようであった。……明日から仲良くできればいいのだけれど。
静寂に包まれる教室の中、今まで一切発言のなかったアリアが不意に手を挙げて、口を開く。
「メイド喫茶に一票。イリスにメイド服を着せたいから」
「……!? ちょ、なんで私が――」
「そ、そうだ。いきなりで動揺しちまったが、彼女は物凄くいい意見を残してくれた。メイド喫茶……メイドがやる喫茶、なんて素晴らしい!」
「そうだ、それしかねえ!」
アリアの言葉を皮切りに、男子生徒達が次々と同調していく。
だが、女子生徒の中には『演劇』などそもそも出し物の方向性が違う子達がいる。彼女達から反発するような声が上がったが、
「先生もメイド服、着るよね?」
「え、僕ですか? 僕が着ても面白くないと思いますが……」
僕はまた苦笑いを浮かべて答えるが、生徒達の視線が一気に僕に集中する。
反発の声は消え――気付けば颯爽と姿を現して消えたエーナの意見が通っていた。
エーナのカリスマによりメイド喫茶に決まりました。
割と学園物っぽい感じがしてきた……?






