142.氷の世界
マリエルの登場に、イリスは動揺した。
しかし、すぐに切り替えると、ファーレンに向かって構える。
「マリエルさん、ありがとうございます」
「ふふっ、いいのよ。雑魚はわたくしに任せて……やりたいように、ね」
マリエルが『雑魚』と呼んだ相手には、決して弱い相手が含まれているわけではない。
彼女の登場と共に警戒して下がった者もいる――しかし、マリエルの刃はそれすらも捉えている。
――あれは、《剣客衆》の一人であるフィス・メーデンが使用していた《鋼糸剣》だ。
イリスは実際に戦ったわけではないが、実物は確認している。
使用者もさることながら……あの剣を自在に使っている時点で、マリエルの腕も常軌を逸していることが分かった。
……少なくとも、イリスにあの剣は使えない。
それこそ、フィスのように『悪魔』のような感覚を持ち合わせた人間だからこそ、使えるような代物だと思っていた。
だが、マリエルは自在にそれを振るう。
「……あえて私のことは狙わず、か。だが、まさかただの一人に我らがここまで蹂躙されようとはな」
「降伏するのなら、今すぐ結界を解除しなさい」
「結界の解除か。私一人を止めたところでこの魔法は止まらない。だが――私は降伏する気もない。お前達、イリスは私がやる。その女は任せたぞ」
「はっ」
控えていた魔導師達も動き出す。
狙いはマリエル――イリスはちらりと彼女に視線を送るが、優しげな微笑みを浮かべて、ただ彼女は頷くだけだった。
任せろ――そういう意味なのだ。
(先生だけでなく、その家族にも助けられるとは思わなかったけれど……)
今の状況なら、正直ありがたいことだ。
イリスに求められることは、一刻も早く敵を倒すこと。
故に、イリスはファーレン・トーベルトただ一人に集中して剣を握る。
先に動き出したのは、イリスの方だった。
地面を蹴ってファーレンとの距離を詰める。
ファーレンは武器を持っているわけではない――距離を詰めての戦闘ならば、イリスの方が有利なのは違いなかった。
「簡単に近づけさせると思うなよ」
「っ!」
パキッと、何かが割れるような音が耳に届く。
何が割れたのか――頭の中で思考を巡らせ、それがイリスの勘違いであることに気付く。
足元に感じるのは冷気。死角から伸びたのは、《氷の槍》であった。
イリスは右方へと跳び、その攻撃を回避する。
見れば、ファーレン自身が冷気を纏っている。その周囲の地面にはだんだんと霜が張り、パキパキと周囲を凍らせていくのが分かった。
「冷気を使う魔導師は初めてか?」
「……氷の魔法は扱いが難しいと聞くわ。実戦レベルにまで引き上げるには、相当な練度を必要とするって」
「私はそれを完璧に扱える」
ファーレンがそう言い放つと、一気に周囲へと冷気が広がっていく。
まるでそこは氷の世界――地面は凍り付き、草木もまた、芸術家が作り上げたように美しい氷の彫刻へと姿を変貌させる。
さらに、地面の氷は変化を見せた。
茨のような道が出来上がると、ファーレンは淡々とした口調で続ける。
「これで私には近づけなくなったな。仮に靴を履いていても、この氷の茨は簡単に貫くが」
イリスが素足のままであることを指摘しているのだろう。
確かに、今の状況ではイリスは近づくことができない――だが、それはあくまでイリスが『何もしなければ』の話だ。
「私にそれが破壊できないとでも思っているの?」
イリスは地面に剣を突き刺す――魔力を込めて、放つのは雷撃。
周囲に広がるように走る雷撃は、簡単にファーレンの作り出した氷の茨を破壊し尽くす。
ファーレンが驚きに目を見開いた。
「っ!」
「これで――」
イリスがファーレンとの距離を詰めようとした瞬間、寒気のようなものを感じる。
それは、彼が放つ冷気ではなく、何か仕掛けがあると感じ取ったからだ。
瞬間、イリスは跳躍してファーレンとの距離を取った。
先ほどまでいたところを確認すると、イリスを捕えようとした形跡が見られる。
「……瞬時に凍らせるくらいの力はあるってことね」
「気付いたか。これが私の魔法の力だ」
「それだけの力がありながら――」
「言ったはずだ。これも『この国のため』だと。言ったところで、お前に理解できることではない」
イリスには、確かに理解できることではない。
ファーレンのしていることは、明らかにこの国に対する反逆行為だ。
しかし、ファーレンはあくまでこの国のためだ、と主張する。
その真意を確認するためには、どのみちファーレンを倒す必要があった。
(おそらく、この距離からの攻撃は届いたとしても、私では倒すことができない。シュヴァイツ先生なら、《インビジブル》を使って攻撃を当てることができるだろうけれど……)
イリスの持つ遠距離の攻撃は、雷の刃を飛ばす《飛雷》。
速度はあるが、攻撃力は高くない。氷の壁でも作られたら、簡単に防がれてしまうだろう。
向き合ったまま、イリスは静かに息を吐き出す。
白い息が視線に入り、そのままファーレンを見据えた。
「諦めろ。剣士であるお前は私に近づくことはできん」
「あなたも、必要以上に近づいてこないのは何か理由があるんでしょう? たとえば、その魔法を維持するためには……そこを動けない、とか」
「……」
ファーレンは答えない。
あの魔法を維持したまま動けるのなら、イリスに近づいてくればいい。
けれど、それをしないのは――魔法を維持した状態では動くことが難しいと考えられた。
イリスを必要以上に追ってこないのは、魔法がその場に『展開する』タイプだからだ。
つまり、決められた場所でしか発動することができない『結界』のようなもの。……時間を掛ければ、イリスに勝機がある。
しかし、それでは利害が一致しない。
イリスはできるだけ早く、ファーレンを倒さなければならないのだから。
「……考えても仕方ないわね。一撃で決めるわ――」
イリスは覚悟を決め、踏み出した。
ファーレンの使う魔法のギリギリを見極め、そこで跳躍する。
だが、いくらイリスでも――一歩ではファーレンの元へ辿り着くことはできない。
仮に地面に剣を突き刺して雷撃を放ったとして、その後が続かない。
地面に足がつけば、捕まってしまうだろう。
ファーレンもそれが分かっていて、さらに追い打ちをかけるように、イリスの降り立つ地点に向かって《氷の槍》を向ける。
イリスが足元に展開したのは、『魔力の壁』であった。
「なに――」
ファーレンが驚きに目を見開く。
着地する前に、イリスは自ら作り出した『魔力の壁』に着地している。
それもわずかに方向をファーレンに傾け、大きく両足に力を込めている。――これは、ルイノ・トムラが使用した技だ。
蹴り出した瞬間に『魔力の壁』は脆く崩れ去るが、イリスは瞬時にファーレンとの距離を詰める。
ファーレンもそれに反応するが、イリスの方が速い。
イリスの振るう《紫電》が、ファーレンを斬り捨てた。
「がっ、はっ……」
「ふっ――」
イリスは勢いのままにファーレンとすれ違う。
もう一度『魔力の壁』を作り出そうとするが、今度は失敗してしまい、すぐに崩れ去る。
そのまま地面へと落下するが、ファーレンの作り出した氷の魔法も、解除されていくのが分かった。
「……ふぅ、やっぱり実戦でいきなり使うのは無理があったわね。でも、上手くいったわ」
かつて倒した者の技を使い、イリスはファーレンを打ち倒したのだった。
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