113.神を殺す者、神を名乗る者
イリスの剣とルイノの刀が交わった。周囲に響き渡る金属音。それは一度ならず、断続的に続く。
《紫電》を扱うとき、イリスはその刀身のみならず、身体にも紫色の雷撃を纏う。
だが、今は身体には雷を纏っていない。刀身から迸る雷は音を立てるが、イリスは意識的に『それ』をコントロールしていた。
ただ、闇雲に力を放つだけでは、効かない相手が多い。
ルイノの戦いはすでに見てきた。様子見をする必要も、牽制をする必要もない。自らの肉体に流れる魔力を、剣を振るうために使う。
ルイノの戦い方もそうだ。彼女は魔法に頼る戦い方はしない――単純に一撃一撃、力を込めて刃を振るう。互いの剣速に差はほとんど存在しない。
全ての一振りにおいて、勝敗を決する可能性があった。
「にひっ、いいね! やっぱり戦いはこうじゃないと!」
嬉しそうな笑みを浮かべて、ルイノが言う。イリスの刃をギリギリで交わし、わずかに着物に切れ目が入る。
そんな些細なことは一切、気にも止めない。
ルイノが一歩踏み出し、イリスの胸元に向かって突く。
イリスはすぐに反応し、紫電で突きを防ぐ――否、受け流す。わずかに刀身を反らして威力をそのままに。
そうして作り出した『隙』を見て、イリスは速い剣撃を繰り出した。
「ふっ!」
「にひっ、当たらないっての!」
ルイノが身体を大きく仰け反らせて、イリスの攻撃を交わす。勢いをそのままに両手を地面に突くと、繰り出したのは蹴り。
イリスの紫電を持つ手を狙ったものだ。
「っ!」
無理やり、イリスの腕が上がった状態にさせられる。ルイノはすでに態勢を戻し、膝を曲げて身を屈めていた。地面を蹴り飛ばし、素早い動きでイリスの首を狙う。
(速い――)
回避からの反撃。さらに攻勢に出るまでの速さが桁違いだ。イリスとは圧倒的に、『実戦の経験値』において差がある。
だが、イリスとて一対一の戦いの経験は数多い。
特に純粋な『白兵戦』において、イリスは多くの者から最強と呼ばれているのだ。その言葉は、まだ十五歳のイリスにとってはあまりに重いもの。
けれど、それよりも歳若いはずのアルタが、『王国最強』を名乗ると約束してくれた。イリスが目指す先を、教えてくれた。
そんな人を『守る』ために、ここにいるのだ――この程度で、負けるなどあり得ない。
イリスはバランスを崩したが、あえて態勢を整えることはせず、大きく仰け反る。勢いよく飛び出してきたルイノの刃はギリギリのところで空振りをする。
イリスは身体をひねり、後方を向く。
ルイノが空中で回転しながら、すぐにこちらを向いていることに気付く。そして、
「にひっ! これが、あたしの本当の――戦い方だよ」
ルイノの足元に作り出されたのは、『魔力の壁』。およそ、魔法というレベルにすら達していない疎かなものであるが――足場としては、それで十分だろう。
両足をバネにして、再びイリスの下へと加速して戻ってくる。
ほぼ水平の跳躍。イリスは即座に防御の姿勢に入るが、ルイノの勢いを殺しきることはできない。
致命傷とはならなかったが、イリスの肩に一撃。
決して浅くはなく、痛みにイリスは表情を歪める。だが、ルイノの攻撃はこれで終わらない。
イリスは即座に身体を翻す――ルイノは再び、攻勢に入っていた。
眼前にまで迫る刃。イリスはまたギリギリのところでそれを防ぐ。擦れるような金属音が響き渡り、二人は交差する。
またも、威力を殺しきれずに、イリスは腕を斬られる。
(まだ、反応が足りない……!)
次いで三撃目。
ルイノの勢いは止まることなく、今度は少し高めの位置から滑空するようにイリスへと迫る。
「ふぅ――」
小さく呼吸をして、イリスは意識を整える。
速度と勢いに惑わされるな――ルイノの動きは、決して特殊なものではない。
むしろ、イリスの命を確実に奪おうとする一撃は、シンプルで分かりやすいものだ。
また反応はわずかに遅れたが――今度の攻撃は、確実に防ぎきる。すれ違いざまに、ルイノの表情がわずかに揺らいだのが見える。
一撃目、ニ撃目までは、確実にイリスに傷を負わせることができた。
だが、三撃目で、イリスはそれを見切ったのだ。続く四撃目には、イリスの刃の方が先行した。
勢いのままに跳躍したルイノは、イリスの刃を防ぐようにしながら交差する。
地面を転がるようにしながら、ルイノが態勢を立て直した。
「……にひっ、少し驚いたよ。まさか、あたしの攻撃にたった三撃で追い付いて、それをさらに超えるなんて」
四撃目に至っては、ルイノの方に傷を負わせている。
戦いの中で、イリスは常に成長する。その成長性は著しく、戦いが激しくあればあるほど――イリスは力を手に入れる。
紫電を構え、イリスはルイノを見据えた。身を低くしたまま、ルイノも刀を握り締め、構える。
「言ったでしょう。私はあなたを止める、と」
「完膚なきまでに、だっけ? 言葉通りとはいかないみたいだね」
「……そうね。けれど、これだけは言わせてもらうわ。勝つのは――私よ」
「にひひっ、いいねぇ。そこにあたしに対する殺意があれば、もっと楽しめたのになぁ。それだけ強いのに、どうして戦いをもっと楽しもうとは思わないの? ギリギリの……命の奪い合いを楽しむつもりはない? 今からでも、遅くはないよ」
ゆらりと刀を揺らし、誘うような仕草を見せるルイノ。まだ、イリスに対して『殺し合い』を望んでいるようだ。
それに応えるのは、至極簡単なことである。
イリスが何も考えずに、ルイノを殺すと決意する――それだけでいい。
きっと、その方が楽なのかもしれない。何も考えずに力を振るう方が、難しく考えるより何倍も。
けれど、イリスの選んだ道は……困難でも、夢を叶える道だ。
「私の考えは変わらないわ」
「……そっか。残念だなぁ」
「私も、あなたに確認したいことがあるの」
「……確認?」
「そう。ルイノ、あなたはどうして――ゼナスと戦おうとしたの?」
ずっと疑問だったことだ。
ここにやってきた時点で、イリスとルイノが対峙した時点で――こうなるはずだった。
イリスが戦うと宣言したのだから、ルイノがイリスと戦うことを選ぶ、と。
それなのに、ルイノはゼナスを視界に捉えると、迷うことなくそちらに向かったのだ。
「別に、深い意味はないけど。剣客衆はアルタ・シュヴァイツを狙ってる。いずれ邪魔になるから、始末するつもりだった……それだけだよ」
「それなら、私も同じく邪魔になるはずよ。むしろ、シュヴァイツ先生を守ろうとして、こうして戦っているのだから」
邪魔になる、という意味ならば、間違いなくイリスの方が、ルイノにとっては邪魔になる。
けれど、ルイノがわざわざイリスを放っても――ゼナスと戦うことを選んだ。
王都ではまともに戦おうとはしなかったというゼナス相手に、今度は嬉々として挑んでいった。
ルイノの行動には、どこか引っ掛かるものがある。
「……何が言いたいのかな?」
ルイノの表情が鋭くなる。
イリスの辿り着いた結論は、間違っているのかもしれない。けれど、ルイノが刀を振るう理由は、きっと戦いを楽しむだけではない。
「騎士団と協力関係を結んだのも、シュヴァイツ先生と戦うためだって聞いたわ。きっと、それは本心なんだと思う」
「もちろん、そのつもりだよ。だから、あなたはあたしを止めようとしてるんだよね?」
「そうよ。私があなたを殺さずに止めたいと思ったのは――あなたが、ただ殺しを楽しんでいるわけじゃないと思ったから」
「……はあ?」
ルイノの表情が険しくなる。
イリスはそのまま、言葉を続けた。
「あなたが本当に戦いを楽しむだけなら……きっと王都でも激しい戦いが起こったはず。でも、実際に被害が出たのは騎士団だけだって聞いたわ。この町でもそう。あなたが殺したのは……剣客衆だけ。唯一、シュヴァイツ先生を狙っているということ以外では、あなたの行動はむしろ、気を使っているように見えたわ」
ルイノの行動には一貫性がないようで、一つの法則性がある。
「何それ。まるであたしが……わざわざ他人のことを気にして戦ってるとでも言いたいの? そんな、『正義の味方』みたいなこと?」
「……正義という言葉は、そんな簡単に使っていいものじゃない。けれど、あなたがゼナスと戦うことを選んだのは、ゼナスがアリアとオットーさんを狙ったからでしょう? あなたは『強者の敵』で、『弱者の味方』なのよ。だから……私はあなたを止めたいと思ったの」
あくまでイリスの、憶測に過ぎないことだ。今だって、ルイノがイリスの命を確実に奪おうと刀を振るっているには違いない。
けれど、昨日のルイノは――イリスと戦おうとすらしなかった。
強さを認めながら、戦うことはしなかったのだ。
それが、イリスの中で疑問を生むことになり、一つの答えに辿り着かせた。
強者と戦うことを望み、弱者が傷つくことを嫌う――それが、ルイノ・トムラという少女なのではないか、と。
イリスの言葉を聞いたルイノは、にやりと表情を歪めて笑い出す。
「……にひっ、にひひひひひひっ! 本当に、あなたは面白いこと言うねぇ? あたしの行動だけで、そこまで言える理由でもあるの?」
「似てるのよ、私と」
「……似てる?」
「そう。一人で何でもできると思って、誰も頼らずに――強くなろうとした。そして、私より強いかもしれない人が現れたら、その人と戦おうとした。私の方が強いんだって、証明しようとしたの。私は、『最強の騎士』になるんだって。あなたにも、似たような気持ちがあるんじゃないの?」
「にひっ、そういうことかぁ。うんうん、大事な気持ちだよね。でもさ――」
ルイノの表情から、笑顔が消える。
「知った風な口を……いつまでも利くな」
刀を構えて、ルイノが駆け出す。尋常ではない速さから繰り出される十連撃。
踊るように放たれた剣術を――イリスは全て防ぎきる。刃と刃が交わり、二人の視線が交錯する。
ルイノの表情は、驚きに満ちていた。
「なんで、急に……」
「急なんかじゃないわ。私の強さは変わってない。あなたの剣に、動揺する気持ちがあるのよ」
「あたしが動揺……? ふざけるな。あなたの言葉くらいで……!」
怒りを露にした表情を見せるルイノ。言葉とは裏腹に、今までで最も感情を表に出している――何を考えているか、全く分からなかった相手だ。
けれど、怒っているからこそ、一つの事実が証明されることになる。
イリスの言葉は本当で――ルイノはそれを否定できない。
だから、怒りという感情を露にしているのだ。
かつてアルタに、復讐心を指摘されたイリスだからこそ、理解できる。
ルイノはきっと、イリスと同じなのだと。
イリスがルイノの刀を弾き、連撃を繰り出す。ルイノはそれを防ぎ、かわす。
すぐに反撃に出ようとするが、イリスはそれを許さない。
素早い剣撃を繰り出し、ルイノに反撃する暇を与えない。剣速はほとんど同じであったはずだ――だが、今はイリスの方が優勢だ。
ルイノが堪らず跳躍し、イリスとの距離を取る。
ルイノはすぐに刀を構えるが、すでに呼吸は乱れている。先ほどまでの余裕の態度とは、まるで変っていた。
イリスはルイノを追うようなことはしない。それが、再びルイノの怒りを買う。
「はっ、はっ……何で追ってこないの? 絶好のチャンスだったのに」
「……あなたを揺さぶって勝つつもりなんて、ないからよ。こんなに動揺するとは思ってなかったから」
「動揺? にひっ、勝手に決めつけないでよ。あたしが……『弱者の味方』? 笑っちゃうよね。弱い人間のことなんて、考えたことないよ。だって、弱い人間は淘汰されるしかないんだから。戦場では、弱い人間から死んでいくんだよ? だから――」
ルイノがそこまで言葉を続けると、ハッとした表情を浮かべて、ピタリと話すのをやめる。
口を滑らせそうになったのを、止めるかのように。
「……だから?」
「……にひっ、くだらないなぁ」
トンッと、ルイノが地面を蹴る。
垂直に跳躍すると、足元に魔力の壁を作り出し、次々と上空へと上がっていく。
やがて十数メートルという高さまでたどり着くと、ルイノは反転し――先ほどと同じように、自らの作り出した魔力の壁に張り付いた。
今度はイリスの方向に。そして、異常なまでの量の魔力を刃に込めて。
「あなたと話すと、イライラするから……もう終わらせるよ」
***
ルイノ・トムラは幼い頃から、剣や刀を振るのが好きだった。
特に祖父や両親も同じように刀を振るう家系であり、ルイノも一本の刀を貰って、それを大事に使うほどである。
いつかは、剣士として有名になる――そんな女の子らしくはない願いを抱きながらも、彼女は実に真っ当であった。
誰か困っている人がいるのならば、助ける。それがルイノという少女であり、幼いながらも『他人のため』を当たり前のようにできていた。
――ルイノが変わってしまったのは、家族が殺されてしまったときからだ。
最初に失ったのは母だった。
悲しみの気持ちはあったけれど、祖父は優しく接して、励ましてくれた。母を失っても、優しい祖父がルイノの支えになってくれる。
いつも笑顔で迎えてくれるはずの祖父が、血塗れて倒れていたことは……今でも鮮明に思い出せる。大好きな祖父を失い、そして父親も、その時に失った。残されたルイノが感じたのは、無力感ばかり。
(どうして……どうしてどうしてどうして――)
ルイノは絶望するのではなく、ただ考えた。どうしてこうなってしまったのか……祖父も両親も、ルイノより優れた剣術の使い手であった。負けるのには理由がある。負けた方が弱い。
かつて、祖父が言っていた。
「戦場では『死神』に選ばれた奴から死んでいくのさ」
「死神?」
「ああ、どんなに生きたくても、そいつに見つかっちまったら終わりさ」
「お祖父ちゃんは、死神を見たことあるの?」
「ああ、あるぜ。ま、俺と死神は仲が良かったからな! だからこうして、今も可愛い孫と一緒にいられるんだからな」
――だが、祖父は死んだ。それが、『死神に選ばれる』ということなのか。
『死神と友達』だと言っていたのに、それでも殺されてしまったのだ。
ならば、どうする。簡単なこと――強くなればいい。
死神に選ばれて殺されるのだというのなら、死神すら――否、《神》を殺す力を手に入れよう。
たとえ相手が神だろうと、悪魔だろうと関係ない。
全てを斬り殺す力をルイノは望み、そうして力を付けた。ありとあらゆる強者を捩じ伏せる、絶対的な強さ。
ルイノは強者を殺し続ける。それがルイノにとって『死神の存在を消す』ことなのだから。
そして手に入れた――何者も、『この一刀』を防ぐことはできない。その一振りの名は、
「心身一刀――《神斬殺し》ッ!」
まるで一つの刃のように。ルイノはイリスに向かって跳んだ。
***
ずっと、父のような『正義の味方』になりたいと思っていた。
いつかそうなれると思っていたし、当たり前のように父はイリスのことを見守ってくれるものだと思っていた。
そんな父――ガルロが目の前で殺されて、イリスの考えは変わった。
ガルロがいなくなったのなら、誰かが正義の味方にならなければならない。
代わりになる誰かは……自分しかいない。
そう思っていたイリスは、アルタと出会って変わった。
誰かを守るために戦い、『最強の騎士』を目指すという……明確な目標ができた。
だから、最近は昔のことをよく、思い出す。
《紫電》を完璧に振るうガルロが見せてくれた、一つの技。
「すごい、すごい! 今の技、どうやったの!?」
「これはな。俺が編み出した技なんだ」
「父様が?」
「ああ。イリスは……神を信じるか?」
「神様……?」
「そうだ。剣の世界で言えば……《剣聖》がそれにあたるかもしれないな。俺も、それくらいの強さを手に入れたいと思っている」
「父様の憧れの人?」
イリスの問いかけに、少しだけ沈黙したあと――ガルロが答える。
「剣術という面では、憧れていると言えるかな。けれど、俺は俺らしく……人々を守るために剣を振るうつもりさ。だから、この技にはある神の名前を借りることにした。気性は荒いが、誰よりも優しい……神の名前だ。雷を恐れる人が多いが、俺はこの剣と共に――人々を守るつもりだ」
幼いイリスには、ガルロの言葉の全てがきちんと理解できていたとは言えない。
けれど、はっきりと『人々を守る』という言葉だけは、イリスの記憶に残り、引き継がれている。
一度しか見たことのない技も――イリスの中には刻み込まれている。
「――《雷神》」
けたたましい音を靡かせ、イリスは紫色に強く輝く刃を振るった。






