111.完膚なきまでに
ゼナス・ラーデイが《剣客衆》という組織に入ったのは、もう何年も前の話だ。
元々は軍医であったゼナスは、同じ部隊に所属していたロウエルに誘われて、剣客衆に入ることになる。
……入った理由は至極単純であった。
軍医として人を治すよりも、殺し屋として人間を殺した方が――楽だったからだ。
治療をするよりも、治療をする手間を作る人間を殺した方が、より多くの人間を救うことができる。
剣客衆は自ら戦いを呼ぶ組織ではあったが、無双の強さを誇る十人の剣士達がいる限り、無駄な犠牲が出ることはない。
少なくとも、ゼナスはそう考えていた。
ロウエルと共に、何人も殺してきた。人を救った数だけ、人を殺してきた。
それが『おかしい』ことだと、ゼナスが気付くことはない。
気付かないからこそ、ゼナスは人道を踏み外したのだ。
けれど、ゼナスにも『友情』というものは感じられる。
長年、ロウエルと共に戦場を駆けてきたからこそ、彼との絆はかけがえのないものであった。
「いつか、剣客衆の奴らも俺達で殺そう。そして、残った俺達で――どちらが強いか決める」
「ああ、それも、面白そうだな」
――それが、ロウエルと交わした約束だ。
けれど、ロウエルは死んだ。
あの男は約束を守ることなく、呆気なく殺されたのだ。
ならばどうする――ゼナスの取る行動は簡単だ。
ロウエルを殺した奴を殺す――それが、ゼナスにできる唯一のことであったからだ。
***
「グ、ギギ、グ」
声なのか、ただの音なのか――イリスには分からない。
首が再び繋がったゼナスは、両目からも血液を垂れ流しながら、復讐の念をルイノに向けている。自身に向けられたものでないと分かっていても、背筋が凍るほどのものであった。
そんな念を向けられても、ルイノは表情を崩すことはなく、面倒そうにため息を吐く。
「はあ、こういうのはあまり乗り気にはならないよねぇ」
少し意外な言葉を口にした、とイリスは感じた。
イリスから見て、ルイノは戦闘狂でしかない。
そのルイノが、ゼナスのような相手を戦い甲斐があると感じるのではなく、『乗り気にはならない』と言ったのだ。
ルイノという少女にとって、殺し合いは楽しむもの――だが、すでにゼナスはルイノから見て、『死んでいる』のと同義なのかもしれない。
死んだ人間を斬ることは、ルイノにとってはつまらないことなのだ。
「ゴ、ッグハ」
声にならない声を漏らし、ゼナスが剣を構える。
流れ出した血液が、ゼナスの持つ剣へと集まっていく、作り出されたのは、『真紅の鎌』。
ゼナスの身体をゆうに超える大きさの鎌を振りかぶり、ゼナスがルイノを睨む。
「お、前、だけは……!」
ゼナスが倒れそうになりながらも、一歩を踏み出した。
ブンッと風を切る音と共に、真紅の鎌が地上に並行するように振られる。
ルイノは身体を屈めるように駆け出し、イリスは跳躍して――それぞれ回避する。
身に纏った雷撃を《紫電》に集中させると、イリスはその場で魔法を放つ。
紫色の雷撃がゼナスの下へと駆け、直撃した。
「……グ、ク」
イリスの放った一撃が効いているのか分からないが、ゼナスが呻き声を上げる。
だが、ゼナスの動きは止まらない。
ぐらりとバランスを崩しながらも、ゼナスが再び鎌を振ろうとする。
「にひっ、大振りすぎて隙だらけだねっ」
ルイノがゼナスとの距離を詰める。
地面と鎌の距離はかなり狭かっただろう――それ以上に、ルイノは身を屈めて、ゼナスとの距離を詰めたのだ。
ルイノの刀による連撃。ゼナスの腕を斬り飛ばし、左胸に刀を突き立てる。
勢いよく、鎌を持ったゼナスの腕が吹き飛んでいく。
どろりと、ゼナスの身体から血が溢れ出した。
「今度こそ終わり、かな?」
「あ、ああ、お前を殺して、終わり、だ」
「――っ!」
ゼナスが失った右腕の方を振り上げると、ゴボゴボと音を鳴らしながら、血液で『大きな爪』を作り出す。
……致命傷のはずだった。すでに、ゼナスは何度死んでもおかしくない攻撃を受け続けている。それでもなお、ゼナスがルイノの命を奪おうと、動くのを止めない。
「お前、だけ、は――」
「……もう、終わりよ。ゼナス・ラーデイ」
イリスはすでに、ゼナスとの距離を詰めていた。ゼナスが作り出した爪を、剣の一振りで破壊する。
さらに、背中から一撃――ゼナスの身体が、大きく震えた。
「……ごっ、ぶ」
ルイノがゼナスの身体から刀を抜き去り、距離を取る。
ゆらりと、一歩、二歩と歩き出したゼナスは――やがて力を失ったように、その場に倒れ伏す。
魔法によって繋がれた身体も、絶命したことによってバラバラと崩れ去っていく。
その光景は思わず目を背けたくなるものであったが、それでもイリスは、死にゆくゼナスを真っすぐ見据えた。
ゼナスはもう、死んでいると言ってもいい状態ではあった。
それでも――最後の一撃を与えたのは、イリスだ。その手で初めて……人を殺した。
いつもとは違う、剣を握る感触がある。だが、イリスの心に迷いはない。
イリスは視線を移す。ゼナスの血で大地が赤色に染まっていき――ルイノがその場に立った。
「にひっ、これでようやく……一対一、だね」
「ええ、そうね」
「それでさ。さっきの言葉の続き、聞かせてよ。それを聞かないと、何だかもやもやしちゃうからさぁ」
「話の続き?」
「言ったじゃん! 『あたしを止める』んだよね? それも、殺す以外の方法で! どんな風にするのかな、って」
ルイノが期待するような表情で、問いかけてくる。
先ほどから、ずっとイリスの言葉を気にしていたようだ。
きっと、ルイノ自身にも分からないのだろう――殺し合いでしか、戦いを終わらせられない彼女には、戦いを止めるという選択が存在しない。
イリスは小さく息を吐くと、紫電を強く握りしめて構えた。
「簡単なことよ」
それは誰にでもできることではない――けれど、アルタならば。
(シュヴァイツ先生なら、できること。私も、それくらい強くありたいから……)
決意を以て、その言葉を口にする。
「私は《剣聖姫》。今から私が、あなたを完膚なきまでに叩き潰す。指一本すら動かせないくらいにね。それが私にできる――あなたを止める唯一の方法よ」
同じ剣士であるのならば、辿り着く答えはそこにある。
イリスの言葉を聞いて、ルイノは驚いたように目を丸くして、すぐに大きな声で笑いだした。
「にひっ、にひひっ! 面白いこと言うねぇ。完膚なきまでに? このあたしを? にひっ、にひひひひっ! それなら、やってもらおうかなぁ……あたしも《剣客少女》を名乗ってるからさ。言わせてもらうけど――あなたはあたしが斬り殺す。絶対に、だ」
ルイノもまた、絶対の意志を示して、刀を構える。
二人は同時に動き出し、戦いは始まった。






