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03

 銀トレイを支えて部屋に戻ると、リヒト殿下が増えていることに驚いた。

 ぱっと表情を輝かせた彼が、にこにこと笑みを浮かべる。


「ベル、新しい制服姿もかわいいね!」

「……ありがとうございます……」


 クラウス様はかっこいいって言ってくれたのに……!

 あんまり嬉しくありませんよ、その褒め言葉!

 内心不貞腐れた心地で、礼を述べる。


 可愛らしさよりかっこよさの増した殿下が座る場所は、質素なベッドだというのに、優雅に脚を組んだ姿は洗練されている。

 何だかそういうソファみたいだ。

 黒の制服も着こなし、様になっている。


 テーブルのない室内は書き物机しか台がなく、お盆を置いて、ティーポットからお茶を注いだ。


 白磁のシンプルなカップを満たした琥珀色を、再びお盆に載せて客人へ差し出す。

 ティーカップは揃いのものを、アーリアさんとそれぞれ六客用意している。

 予備って大事。


「手渡しになることを、ご容赦ください」

「気にすんな」

「二人部屋って、こんな風になってるんだね」


 興味津々とばかりにリヒト殿下が辺りを見回し、彼等がお盆から茶器を取る。


「リヒト殿下は最上階でしたっけ?」

「そうなんだ! ねえベル、ぼくもこの部屋使っていい? 何か同室の人いないっぽいし」

「お断りします。僕が使用人組合から、村八分にされてしまいます」

「毎日9階まで上るのいやだなあー」

「殿下ー、ベルが困ってるんで、駄々捏ねないでくださーい」


 一口つけたカップをベッドサイドへ置き、リヒト殿下が空のベッドに突っ伏した。

 シーツを乱したそれを、ハラハラ見遣る。

 苦笑を浮かべたクラウス様が、殿下を緩くたしなめた。

 はたと気付く。


「そういえば、今日が入寮手続きの最終日でしたよね? ここの部屋の人って、どなたなんでしょう?」


 相変わらず僕の荷物しかない二人部屋を見渡し、首を傾げる。

 もそもそと顔を上げたリヒト殿下が、前髪を跳ねさせながらこちらを向いた。


「いないよ。来年期待しててねって、管理者さんが」

「そうだったんですか……ちょっと残念です」


 結構楽しみにしていたのにな……。

 気落ちする僕に、きらきらと表情を輝かせたリヒト殿下が起き上がる。


 ……いや、先ほども述べました通り、王子様は使用人と同室にはなれませんので。却下です。


 そもそも、何で僕の部屋割りの情報について、リヒト殿下の方がお詳しいんだろう?

 管理者さんからこの部屋を聞いたときに、教えてもらったのかな?


「殿下、大人しく9階に帰りましょうねー?」

「折角2階が空いてるのに? わざわざ時間と労力を費やして、あんな高所へ上らないといけないの?」

「王族なんで」

「クラウスの5階と交換しよう?」

「嫌っすよー最上階なんかー」

「ほら、そういうー」

「リヒト殿下、毎日筋トレお疲れさまです!」

「ベルまでそんなこと言っちゃうの?」


 似非爽やかなまでに微笑んだクラウス様との応酬に、頬を膨らませたリヒト殿下が、革靴を脱いでもそもそとシーツの中へ入られる。


 いや、待って。居つこうとしないで?

 僕が村八分にされるから!!


「リヒト殿下、制服が皺になってしまいます……!」

「わかった!! ベル、ぼくと一緒に9階行こう? ぼくのお世話してよ!」

「!!!!」


 がばりと跳ね起きたリヒト殿下のご提案に、ご奉仕したい精神がぐらりと傾く。


 う、うわあっ、何て甘言……!

 お嬢さまと坊っちゃんのいらっしゃらない地獄に射した光明……!

 お世話したい……!!


「ベール、派遣先9階だぞ? よく考えろ」

「9階が何だと言うのですか! あっ、いえ、ですが、本来殿下にお仕えするはずの方々のお仕事を奪ってしまうのは本意ではありません。それに僕は変則的な予定を組んでおりますので、その点についても雇用主にご迷惑をおかけ……あっまさかこれは主人へ対する裏切り行為でしょうか!? そうであるなら僕はコード家に従属する身としてこのお話をお受けするわけには」

「ほら、ぼくとエリーのところに一年くらい通ってくれたでしょ? あんな感じだと思って」

「落ち着け、ベル。深呼吸しろ。一息と早口が、切羽詰った心情を物語り過ぎだ」


 にこにことリヒト殿下が見守る中、慌てたようなお顔で、クラウス様が僕の肩を支える。


 ですけど、ですけど!

 お嬢さまと坊っちゃんが僕の主人で、けれどもお二方はこの寮にいらっしゃらなくて、寮内に於いての任はこの一年に限り解除されていて、ご奉仕したい精神を持て余している現状を、僕はどのように発散したらいいのでしょうか!?


「焦らなくていいよ。明日ミュゼットに聞いてみよう?」

「……背信行為になりませんか……?」

「それとも、ベルは明日もクラウスに手を引っ張ってもらいたいの?」

「何でご存知なんですか!?」


 うっかり頬に熱が集まってしまう。

 瞬間的に闇を背負ってしまったあのときの出来事を、何故あの場にいなかったはずの殿下がご存知なのだろうか!?


 慈愛に満ちた柔らかな笑顔で、退避させていた茶器を手に取り、リヒト殿下が微笑んだ。


「管理者さんにベルの部屋を聞いたら、色々教えてくれたんだ」

「初日から黒歴史を生み出してしまった……!!」

「印象には残るよな。ほら、ベルも落ち着いたんなら、飯行こうぜ、めしー」


 明るく爽やかに笑ったクラウス様に背中を押され、部屋を出る。

 茶器はこのままでいいのか尋ねる王子様に、使用人の仕事ですと告げて引っ張り出した。

 鍵をかけ、階段を下りる。


「やっとベルとごはん食べれるのかー。感慨深いね!」

「いえ、僕は使用人ですので、後ろで控えています。ご用がおありでしたら、何なりと」

「やっぱりかー!」


 何処となく気落ちした様子で、リヒト殿下が苦笑した。

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