03
「ベル、顔色悪いね。どうしたの?」
リヒト殿下の言葉に、曖昧に微笑む。
ヒルトンさんと話して数日、こんな反応をしてばかりだ。
お嬢さまにも坊っちゃんにも、ご迷惑をおかけしている。
切り替えなければとわかっていても、心情がついてこない。
今日は二週間に一度の、リヒト殿下のお部屋へ出張する日だ。
エリーゼ王女殿下のお部屋には、これまで通り一週間に二日出向いている。
変則的な日程だが、大分慣れてきた。
思案気に頬杖をついたリヒト殿下が、執務机から身を乗り出す。
この方、まだ13歳なのに、既にご公務をこなされていらっしゃる。
特に収穫祭は殿下の誕生月であるため、もっと幼い頃からお仕事に務められていた。
エリーゼ王女殿下も、ご自身の誕生月の春待祭をご担当されている。
エリーゼ様は、「誰がこんな大掛かりな祭り考えたのよ」と悪態をついていらっしゃった。
このご兄妹、幼い時分より働き過ぎではないだろうか?
「相談出来ないこと?」
リヒト殿下の穏やかな問いかけに、渦巻くように沈殿していた思考を吐露しそうになる。
……咄嗟に声が出せなくてよかった。
表情を作り直し、緩く首を横に振る。
今は、従事することだけを考えよう。
お茶を淹れるため、茶器を調える。
ふーん、殿下の声が聞こえた。
「ベルはわかりやすいんだからさ、そういうの似合わないよ」
「…………」
「無理に笑われると傷つくなあ。嫌々来させてるみたい」
重たくため息をついた殿下が、そっぽを向く。
そのようなつもりではないのだと、慌てて首を振るも一瞥すらくれない。
動揺する僕に再度ため息で畳みかけ、「あーあ、ベルに無理させてるもんな……」寂しげな呟きを落とされた。
慌ててメモ帳を引っ張り出す。
『そのようなつもりではなく』
「どのようなつもり?」
「…………、」
走り書きに目線を落としたリヒト殿下が、じと目でこちらを見上げる。
……観念しよう。ため息を落とし、紙面に文字を並べた。
『例えばなんですけど、自分がいるせいで大切な人に迷惑をかけてしまったとき、どうしたらいいと思いますか?』
「……ベルって生真面目だね。迷惑かけない人なんていないよ」
『いえその、度合いが違うといいますか……』
「ふーん?」
頬杖を組み直した殿下が、不思議そうに相槌を打つ。
しばし考え込むように長い睫毛を伏せた彼が、唇を開いた。
「ベルの大事な人といえば、ミュゼット、アルバート、ミスターオレンジバレー、あとアーリアか。ベルがいるせいで、ってことは、その迷惑にベルの意思はないんでしょ?」
この人、例え話って前置きしたのに、抉り込んでくるな……。
発揮されたまさかの慧眼に、頬が引きつる。
僕の反応で仮説を組み立てているらしい、リヒト殿下が続けた。
「他人が勝手にベルの名前を使って、ミュゼットたちに迷惑をかけた。これ、別にベル悪くないでしょ?」
『ですけど、そもそも僕がいなければ、起こらなかった被害ですし……』
「あ、そういうこと言っちゃうの?」
むっと眉間に皺を寄せた殿下の低い声に、びくりと肩が跳ねる。
不意に日暮れの壁ドンを思い出した辺り、僕の中であの日の殿下が最高に怖かったらしい。
頬杖を崩した彼が、考え込むように顎に手を添える。
目線だけがこちらへ向けられた。
「……収穫祭の期間中にさ、毎年嫌な事件が起こるんだ。ぼくへのあてつけだろうって噂でさ、ぼくさえ生まれてこなければ、こんなことにはならなかったのにね?」
『そんな! リヒト殿下のせいではありません!』
「はい、そういうとこー」
僕へ人差し指を向け、殿下が口角を持ち上げる。
反射的に出てしまった自分の反応に、気まずさから顔を俯けた。
「ぼくなんて格好の的だけどさ。王子殿下の名の下に、とかさ。勝手に名前使われて驚くよ」
『ですけど、殿下の責任ではありませんし……』
「他人のことは許せるけど、自分のことは許せないってところが、今後のベルの課題かな」
「…………」
「大義名分掲げたって、実行者は自分じゃない誰かでしょ? そんな勝手な人の世話なんて、ぼくなら焼かないけど」
致された指摘に口を噤む。
勝手な人、の言葉に胸中が痛んだ。
ペンを下ろした僕に、書類を捲ったリヒト殿下が言葉を重ねる。
「勤勉なベルが仕事に支障を来たすほど落ち込んでいるから、ミュゼット絡みかな。そのことについて、ミュゼットに何かいわれたの?」
何度も首を横に振って否定する。
お嬢さまは、一切の事情をお知りにならない。
その上で僕の様子を案じ、お気遣いくださる。
僕のせいだというのに、ご存知でないばかりに、お嬢さまは変わることなくお優しくしてくださる。
……それが、騙しているようで心苦しい。
僕の顔を見上げたリヒト殿下が、不意に立ち上がった。
伸ばされた手が頬に添えられる。
「もしもミュゼットに、そのベルのせいじゃないことで怒られたら、ぼくのところにおいで」
「!」
「ぼくがベルのこと、大事にするから」
まあ、ミュゼットならそんなこと言わないと思うけど。苦笑いを浮かべた殿下の手が離れる。
再び椅子に戻った彼が、笑みを改めた。
「ベルの真面目なところ、すきだよ。でも、あんまり自分をいじめてあげないでね。そんなにいじめられたいなら、ぼくが代わりにいじめるから。いつでも教えてね?」
『どういう理屈ですか!?』
「ぼくはベルがいてくれて嬉しいのに、『いなければいい』とか、嘘でもいわないで」
唐突に真摯な言葉を放たれ、不意打ちを食らった気分になる。
『すみません』綴った文字に、「よろしい」仰々しい声が返ってきた。
リヒト殿下から目を逸らし、熱を持った頬を手のひらで扇ぐ。
気恥ずかしい台詞を、臆面もなく言える殿下、すごい。
――リヒト殿下は、惨殺事件をご存知だった。
きっとこのご様子だと、調べている僕よりもお詳しいのだろう。
彼の存在は、象徴として扱われやすい。
これまでずっと、ヒルトンさんの思惑の中にいた。
話してもらわなければ、一生知らぬまま、のん気に過ごしていただろう。
その罪悪を明かしてでも、養父は僕を、この件から引き離したかった。
何度口で止めても脅されても、僕はそれを聞かなかった。
恐らくこれが、最終通達だ。
僕に一端を担わせることで、強制的に剥離させている。
現に僕は口を封じ、突きつけられた事実に傷心している。
何故ここまで強引に引き離すのだろう?
純粋に危険だから?
象徴であるリヒト殿下のお近くにいるから?
わからない。けれどもヒルトンさんは、本気だった。
『……お話、聞いてくださってありがとうございます』
「今度落ち込んでたら、いっぱい褒めてあげるね」
『恥ずかしいので、遠慮します』
えー。笑ったリヒト殿下が頬杖をつく。
ふんにゃり緩んだ表情は優しく、つられて僕の表情も軟化した。
あれほど切羽詰っていた気持ちに、ゆとりが生まれている。
殿下のカウンセリング、すごい。
それにしても、そこまでがっつり相談事項を連ねた覚えはないはずなのに、やたらと分析がえぐかった気がする。
これは僕がわかりやすいからだろうか? 隠し事できないの、こわい。
『……殿下、プロファイリング凄いですね』
「ぼく、王子様廃業したら、ベルの解説者になるね」
『そんな職業ありません!!』
「ぼくが第一人者になるから、他にいたら困るよー」
にこにこ、いつもの笑顔で微笑む殿下に戦慄を覚える。
この人何処までが冗談なんだろう!?
全部本気とかないよね!?
羞恥心で頬が火照る。
大事にするとか、すきとか平気で言えちゃう辺り、殿下って本当王子様だと思った。
さすがは乙女ゲームのメイン攻略キャラだ。
可愛さにかっこよさが足された顔で、キラキラした笑顔を見せた件の王子様が、お茶が飲みたいなー。所望された。




