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02

 呆れた面持ちのヒルトンさんに、手紙に異物がなかったことを報告する。

 彼のその、特に何も言わないけれど、胸中では色々考えています、という顔が心に刺さる。

 報告が遅れたのは僕の責任ですが!


「浮かない顔をしているね」


 執務机に座るヒルトンさんが、かけていた眼鏡を外す。

 目頭を揉む様子に、『紅茶、淹れましょうか』走り書きしたメモを卓上に載せた。


「ありがとう。この頃年齢を痛感するよ」

「…………」


 養父の言葉に、神妙な心地を覚えてしまう。

 白さの増した頭髪から見られる歳月。

 目線が近付くにつれ、嬉しいはずなのに、何故か物悲しい。


 注いだお湯に流され、ポットの中で跳ねる茶葉を見つめる。


 立てた肘の先で指を組んだヒルトンさんが、出来上がった土台に顎を乗せる。

 優雅な仕草は、長い脚も組んでいるのだろう。

 浮かべられた微笑は何処か楽しげだった。


「先ほども、何かを言いかけていたね」

「……、」


 言葉の端が弾んだ問いかけに、抽出を待つ間、紙面に返答を綴る。

 懐中時計が刻む秒針が、微かな音を立てた。


 紙面を引っ掻くペン先の音を止め、白磁のカップに温かな琥珀色を注ぐ。


『なぞなぞの答えがわかりました』

「ふむ?」


 紅茶とともに差し出した紙面に、養父がきょとんと白青色の目を瞬かせる。


 ……さては覚えていないな。

 忘れ去られた出題を綴ると、彼が納得の顔を浮かべた。


「随分と時間がかかったね。すっかり忘れていたよ」

『年単位で時間をかけたのは事実ですが、忘れないでください!』

「ははは、すまないね」


 重厚な椅子の背凭れに身を預けたヒルトンさんが、穏やかに笑う。

 さて、どんな問題だったかね? 思案気にカップに口をつけ、呟いた。

 戻されたそれが、ソーサーと触れ合い軽い音を立てる。


「……それで、私の行動と何か結びついたかね?」

「…………」

「おや、もうお話は終わりかな」


 にんまり、意地悪く笑う姿に苦渋を飲む。


 ……そうだった。

 そもそもウサギ男……ヒルトンさんの行動原理についてのヒントだったんだ。

 ヒントがなぞなぞって、本当趣味悪いなあ。


 不貞腐れた僕を見上げ、ヒルトンさんが笑う。

 君のその詰めの甘いところが好きだよ。続けられた言葉は、全く褒められている気がしなかった。


『その点についてはまだ考えていません。あと他に、気になることがあります』

「何かね?」


 視線で促す仕草へ、手帳を開いて、ハイネさんに伝えた内容を指し示す。

 紙面を覗き込んだ養父が、ぱらりと頁を捲った。


「……この様子では、ハイネと喧嘩をしたのではないかね?」

『喧嘩じゃないです』

「ははは、拗ねるな。……そうか、君の目には、そう映るのか」


 笑い声が小さく呟く。

 疑問に顔を上げると、声音以上に真剣な眼差しとかち合った。

 想像していなかった表情に、思わず息を呑む。


「ウサギ男が現れて、一番得をしたのは誰だと思う?」

「?」

「では逆に、ウサギ男が現れ、損をしたのは誰か。あれが現れる前と後、何が変わった?」


 得と損? 新たに出題された問題に、当時の情景を思い起こす。


 怪我を負わされて、僕は損をした。

 ヒルトンさんも責任を負わされた。


 得をした人?

 坊っちゃんは魔術を発現された。

 護衛を雇うことになり、ハイネさんが来た。……護衛?


『ハイネさんが来ました。お嬢さまが8歳の頃の星祭り以降、雇用していなかった護衛……』

「よく覚えていたね。あの日、お嬢さまに白いお召し物を着せるよう、アーリアに指示したのは私だよ」

「!?」


 事もなげに明かされた事実に、唖然としてしまう。

 思わず机を叩いた僕を見上げ、ヒルトンさんが「ははは」と穏やかに笑った。


 いや、何笑ってるんですか!

 何てことを仕出かしてくれたんですか!?


「君も感じたはずだ。夜闇に白い服は目立つ。お嬢さまを護衛するにも、襲撃するにも、目印になる」

「なんで……ッ!?」

「そう机を叩かないでくれ。紅茶が零れる」


 必要なものしか置いていない、整頓された机を叩く僕から、ひょいとソーサーごとカップを救出したヒルトンさんが、優雅にお茶を飲む。


 何で!! この執事、どれだけ謀反を重ねる気なんですかー!?


「……しかし、あれは失敗だったな。私の指示を離れていた。何処で金を詰まれたのだろうな?」

「……っ、」

「君がいてくれて助かったよ。旦那様は保守派でね、人材の新規雇用は出来ず、君たちには苦労をかけた」


 ヒルトンさんの言葉に引っ掛かりを覚え、訴訟を起こしていた手を止める。

 憂いある面持ちで右手の水面をくるりと回した養父が、やんわりと口許に笑みをたたえた。


「君は、猟奇殺人の始まりを、何処だと考えている?」


 致された質問に静止する。僕の手元には、今年を含めた7年分の調書がある。


 今年、14歳の少年

 1年前、一家惨殺

 2年前、10歳頃の孤児の少女

 3年前、11歳のリズリット様のご家族

 4年前、一家惨殺

 5年前、一家惨殺

 6年前、5、6歳頃の孤児の少年


 それ以前については調べていない。

 緩く首を横に振ると、ヒルトンさんが小さく笑った。


「君は今年13だったか。……早いものだ」

「…………」

「君がコード家に拾われたときのことは、覚えているかね?」

『……お嬢さまに拾われ、名前をいただいたことは』


 懐かしむ声音へ、開きっ放しの手帳で返答する。

 茶器を机に戻したヒルトンさんが、背凭れに身を沈めた。


「あの頃の君は、酷くあやふやだった。年も名前もわからない。何故傷だらけだったのかも覚えていない。お嬢さまと同年の6歳と仮定したが、身体も小さく、言葉も覚束ない」


 ヒルトンさんの言葉に、気まずい心地を覚える。


 孤児時代に、僕の所属していた縄張りが崩壊したこと、枢機卿と教会のこと、鳩のことを思い出したのは、最近の出来事だ。

 けれども、僕の出生と謀反は関係ないだろう。

 不満に口を噤む僕を見上げ、養父が笑った。


「覚えているかね? 君を拾ったあの日、収穫祭の頃、スラムで惨殺事件があった」

「!?」

「ひとつの縄張りが崩壊したのだろう。今でも鮮烈だ。人の身体を各部位ごとに分けて、他の人間のものと入れ替え遊ばれていたよ。確か、『あなたに祝福を!』だったかな。壁にでかでかと血文字が躍っていた」


 込み上げてきた吐き気。

 顔も名前も覚えていないリーダー、友達、縄張りの人達。

 けれども確かに記憶に残る彼等の凄惨な情景に、思わず口許を覆う。


 引きつりそうな喉の奥を、懸命に嚥下した。


「覚えておきなさい。この屋敷には、君とリズリット、二人の被害者がいる。……少しは私の心配がわかってもらえたかね?」


 ゆったりとした動作で立ち上がったヒルトンさんが、静かに僕の背を撫でる。

 大きくて温かな手が往復するそれに、震える手を握り締めた。


 ヒルトンさんは、貴族のリズリット様が襲われたことで焦ったのだろう。

 それまでの被害は、孤児や一般家庭だけに留まっていた。


 これが関係のない貴族であれば、恐らく話も違った。

 クラウス様のご友人であるリズリット様は、無関係にするほど遠くでない。

 更には僕たちは、率先してリズリット様と関わった。


 全ては護衛をつけるため。


 ウサギ男にお嬢さまが襲われ、壊滅的な打撃を受ければ、流石の旦那様も早急に護衛を雇用するだろう。


 コード邸の使用人は、皆古くからいる人達ばかりだ。

 新規雇用を設けているのは、王都別邸のメイドくらいだろう。

 それですら、雇用期間を明確にされた、限定的なものだ。


 旦那様は信用を買っている。

 特に領地から遠征に出される者は、その信を深く得ている。

 旦那様は用心深い。


 でも、だからって、あのような真似しなくたって、他に方法はあったはずだ!


「なんでッ、……進言、すればッ」

「それですぐに叶うかね? 金に尻尾を振る低脳ではなく、ハイネのようなものが来たか?」

「僕は! 武器を、持っていました! 殺すつもりでっ、本気で!」


 荒立った胸中のまま叫ぶ。動いた声帯に刺激され、咳き込んだ。

 吐き気と合わさったそれが、苦い。

 それでも殴り書きする時間すら惜しく、怒声を上げる。


「殺していたかも知れない! 殺そうとしてた! 僕はッ」

「それならそれで僥倖だ。君は私の保護下から抜けた。私の手がなくとも、君は自身を守ることの出来る証明だ」

「ふざけないでください!!」


 養父の手を払い除け、固く手を握り締める。


 睨みつけた彼の顔は、場違いなくらい穏やかだった。

 それが余計癪に障る。咳払いが邪魔で、苛立ちが増す。


「ベルナルド。不思議な話なんだが、私はね。他所のお嬢さんよりも、血の繋がりすらない自分の息子が、何よりも可愛いんだよ」

「だったら尚更、こんなやり方やめてください……ッ」

「私も焼きが回ったものだ」


 ハイネさんの雇い主は、僕だ。

 僕はお嬢さまと坊っちゃん、そして屋敷の護衛を彼にお願いした。


 けれどもハイネさんの中には、無条件で雇い主である僕の警護が含まれていた。


 彼は情報を与える傍ら、いつも僕を事から遠ざけようとしていた。

 今日もそうだ。

 僕は知らぬ間に、保護下に置かれていた。


 皺だらけの人差し指の背で目許を撫でられ、慌てて俯く。

 頬を経由しない涙が、ぼたぼた床に落ちた。

 しゃくり上げそうな喉を懸命に押さえ込み、震える肩を手のひらに爪を食い込ませることで誤魔化す。


 そっと撫でられた頭に、噛み締めた奥歯から嗚咽が漏れた。


「……落ち着いたら、顔を洗ってきなさい」


 僕にハンカチを差し出したヒルトンさんが、それだけを残して部屋から出て行く。

 ぱたん、背後で鳴った扉の閉まる音に、耐えていた嗚咽が決壊した。


 僕の存在がお嬢さまを窮地に立たせた。

 僕がいるから、養父が無茶をした。


 違う。本来の筋書きでは、僕のせいで、僕の手によって、養父は殺さる。

 ――僕のせいで、お嬢さまの人生が狂ってしまう。

 咳き込んだ喉から、鉄錆の味がした。

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