種明かし
エリーゼ王女殿下の元へ通うことになり、徹底的なまでにリヒト殿下とお会いしない日が、3ヶ月続いた。
お嬢さま、坊っちゃん、リズリット様、クラウス様からお伺いする限り、リヒト殿下は門前の段階で、ひどく落胆した顔を見せられるらしい。
あの方の察知能力、どうなっているのでしょう?
流石に僕でも、索敵で個人の特定までは出来ませんよ?
出来ても、この気配、前にも感じた……くらいですよ?
懸念していた箇所が、まさか的確にリヒト殿下を狙っていたとは。
旦那様は既に領地へお戻りになられているため、相談事は綿密にヒルトンさんと行っている。
王女殿下に、どのような思惑があるのか存じ上げない。
けれども曲がりなりにも兄王子と繋がりのある、公爵家の使用人を拘束している点が、どうにも引っ掛かる。
もしも王位継承や地位争いを活発化したいのであれば、攻撃する位置が微妙過ぎる。
使用人は、基本使い捨てだ。
それに交渉時の王女殿下の言葉。
直訳すれば、僕に『金で転がる、信用の置けない軽率なやつであればよかったのに』と言っているようなものだった。
この辺りについては、事情を察したクラウス様が教えてくれた。
何でも昔、クラウス様も買収されそうになったらしい。
他にもリヒト殿下の取り巻きへ、金銭をちらつかせたそうだ。
これにより、幾人かは買収されたとのこと。
エリーゼ様が指しているのは、恐らくこのことだろう。
クラウス様はのらりくらりとかわされたため、実質的な被害は余り受けていないと言っていた。
……最も、クラウス様は世渡りが上手なため、『余り』がどこまで示すのかは未知数だけど。
しかし、今現在のおふたりのご様子を見ていると、リヒト様はクラウス様と、数名の護衛しか連れておられない。
エリーゼ様に至っては、固定の付き人さえ取っていらっしゃらない。
買収された彼等は、どこへ消えたのだろう?
お嬢さまとご一緒に考えを巡らせたが、ぱっとした解答を導き出せない。
坊っちゃんに「ベルナルドひとり篭絡したところで、何が変わるわけでもない。単純に王女の我が儘だろう。考えるだけ馬鹿馬鹿しい」と鼻を鳴らされた。
坊っちゃん、辛辣度上がってませんか?
大丈夫ですか?
相手は王女様ですよ?
さて、心臓が凍て竦む、王女殿下との会合のお時間がやってまいりました。
3ヶ月が何だというのでしょう。
全く会話らしい会話も、遊びもありません。
ただお茶をお出しし、御髪を結い、時折質問に答える以外は、壁の染みごっこを継続しています。
僕、髪も服装も黒いので、壁染みの真似、得意なんですよー!
これは、僕が変声期だから悪いのかな?
だったらいつでもチェンジしますよ?
打ち切りいつでも受け入れますよ?
「……何? 不満があるなら言いなさい」
一口つけたカップをソーサーへ戻し、エリーゼ王女殿下が瞳に剣呑な色を浮かべられる。
いけない、うっかり不信感が表情に出てた。
使用人にあるまじき行為だ。
内心焦りながら、腰のメモ帳を取り出す。
ペン先を迷わせた末、文字を綴った。
『僭越ながら、王女殿下は、何故僕を傍へおつけになられたのでしょうか?』
仕方なく勇気を振り絞って上げた質問に、「何だ、そんなこと」と言わんばかりの半眼を向けられた。
「髪を結ってちょうだい」
「…………」
ふいと背けられた身体が鏡台の前へ行き、無造作な白髪がドレスを滑る。
この期間で慣れた仕草に、鏡越しに一礼して御髪を梳く。
しばらくしてから、ぽつり、王女殿下の無表情が動いた。
「私、この髪嫌いなの」
「?」
「魔女のおばあさんみたい。影でメイドに笑われて、初めは大人しく泣いてたわ。私もお兄様みたいな金の髪が良かったって」
唐突な独白は、先ほどの質問に対するご返答だろうか?
神妙な思いでブラシを通す。
「でも気付いたの。私はいずれ嫁ぐ身だから、ここにあるものは全てなくなるんだって」
「?」
不可思議な顔をしてしまったのだろう。止まった僕の手に、王女殿下の真っ赤な目が向けられる。
お嬢さまのお色と似通っているはずのそれは、しかし温度がまるで違っていた。
「始めから私に居場所なんてなかったのよ。王位に女が即位した歴史なんてない。私は献上品よろしく、陛下のお気に入りの部下へ贈られるのよ」
冷め切った表情がため息をつく。
事実、この国の歴代の国王は、全て男性だ。
女王がいた過去はない。
世論も、リヒト殿下が当然時期国王に即位すると思っている。
けれども、エリーゼ様ご自身が女王として即位する可能性は低くとも、正妃となられる可能性は多いにある。
その点へは目を向けられないのだろうか?
……権力争いの火種をまきたくないので、言わないけれど。
「そうしたら、何にも失わないお兄様が、羨ましく思えたの」
呟くように落とされた心情の後に、「髪型、前回と同じものがいいわ。リボンを巻くやつ」
いつもと変わりない平坦なお声が続く。
ご希望通り、引き出しから細めのリボンを取り出し、白い髪に通した。
王女殿下のそれは、暴論だ。
人はそれぞれ何かを得て、何かを失っている。
リヒト殿下は、確実に自由を拘束されている。
以前、リヒト殿下の予定についてお伺いしたが、それはそれはびっちりと緻密に組まれていた。
思わずげんなりしてしまったのを覚えている。
坊っちゃんの仰った「我がまま」が、一番的を得ていて苦い心地に陥った。
けれども、わからなくもない。
エリーゼ様はまだ12歳。分別をつけるにはまだ幼い。
お嬢さまを含め、幼少の頃から将来を定められることは、窮屈だろう。
生家であるはずなのに、居場所がないことは苦しい。
ご両親がお揃いだというのに、安らぎを得られないことは、ひどく残酷だ。
「お兄様、あんなに優しくあなたへ接していたもの。あなたを奪ったら、さぞかし悲しむだろうと思ったわ。いっそぐちゃぐちゃに怒ってしまえばいいのに。あんな薄っぺらな笑顔」
嘲るように口角を持ち上げた王女殿下が、鏡に映る。
……この異母兄妹は仲が悪いのだろうか?
初めてエリーゼ様をお見かけした星祭りのときは、仲睦まじくされていらっしゃったのに……。
他人の悪意が、ここまで在りし日の姫殿下を捻じ曲げてしまったの?
卑屈を拗らせ過ぎると、予想外の方向へシフトチェンジするんだね!
「……なーんてね。お兄様もお友達が王城をうろついてくれた方が、遭遇出来る確立も上がって、お喜びになるでしょう?」
あくどい笑顔だった。
こうして3ヶ月間、リヒト殿下と遭遇していない実績から、彼女の嘘は明白だ。
内情を吐露して、幾分気が晴れたのだろう。
今日の王女殿下は饒舌だ。
リボンの結び目が見えないよう、緩いみつあみを編んでいく。
ざっくりとしたそれに、桃色や水色のリボンが、ランダムに顔を出した。
適当なところで編み終え、結び目にリボンを巻きつける。
流した毛先と馴染むよう、長めに取った蝶結びを手櫛で梳いた。
微調整をかけ、見栄えの良い角度を、三面鏡の前に差し出す。
「……私にも出来る髪形は、あるかしら?」
『みつあみでしたら、練習なさいましたら、きっと』
「そう。今日はやめておくわ」
引っ張り出したメモ帳に綴り、返答を差し出す。
あっさりとした王女殿下は「習得出来たら、余計お兄様を惑わせられるもの」不吉なことを呟いてくださった。
「あの悔しそうな顔。お兄様にも人の心がおありでしたのね」
弾んだ声で上機嫌に笑ったその方が、にんまり赤の目を細める。
あの初夏の頃、うっかりお会いしなければ、このような事態など引き起こさなかっただろうに。
リヒト殿下への申し訳なさから、胃が軋む。
けれども、僕ごときでそのようなご反応をされるのだとしたら、お嬢さまや坊っちゃん、クラウス様を相手取られたときは、どうなさるのだろう?
これは、次回お会いしたときにご忠告入れておかないと……!
『僕は、エリーゼ様の御髪を、綿毛のようで綺麗だと思っています。外壁庭園にタンポポは咲きますか?』
一先ず空気を換えようと、先ほどまで格闘していた髪の話題を出す。
途端、半眼で鼻を鳴らした王女殿下が、面白くなさそうに頬杖をつかれた。
「見え透いたおべっかは結構よ。タンポポなら咲くわ。あれ、根強いのよね」
『タンポポとシロツメクサは、ぱっと見でわかるので、好きなんです。来年の春、楽しみにしていますね』
「……あなた、変わってるって言われない? どうしてそんな話に持っていけるの? まあいいけど」
『タンポポって、ライオンのタテガミみたいで可愛いと思うのです』
「あっそ」
興味がなさそうにそっぽを向いた王女殿下が、お茶を所望された。
今日はお話らしいお話を沢山した。
随分腹の黒いお話だったけど、無言で壁の染みごっこをするより、遥かに気が紛れる。
けれども、そっか、リヒト殿下に対抗されているのか……。
勿論ヒルトンさんには報告するが、どうしたものか……。
この後、案内人さんの後ろを歩いていたはずの僕は、リヒト殿下から壁ドンされた。
怖すぎて心臓が止まるかと思った。
壁ドンに夢見てるみんな!
やられる方は結構痛いし、相手迫真だし、そんな胸きゅんイベントにはならないよ!
これ、ただの恐喝イベントだからね!! 怖かったよ!!!
それにしても、個人の印象だけど、リヒト殿下のご様子が、生前やったゲームのリヒト様に近しかったように思う。
待って。久しくお会いしてない内に、原作に近付くの止めてください。
知らない内に、お嬢さまの死亡フラグに繋がるものを立てないでください!




