03
翌日、旦那様の護衛に僕がつくことになった。
昨夜の内にお嬢さまと坊っちゃん、アーリアさんには報告していたので、お見送りに心配そうなお顔のお嬢さまが立たれた。
アーリアさんも思案気だ。
「ベル、必ず戻ってくるのよ?」
『ご安心くださいませ、お嬢さま』
「必ずよ? 必ず」
落ち込まれたご様子のお嬢さまに手を取られ、温かな両手に包まれる。
寂しげに揺れる石榴色の瞳に覗き込まれる。
お嬢さまにこのようなお顔をさせている自分を、万死したくなった。
ちなみに坊っちゃんは昨夜お話している最中に、力いっぱい、これでもかというほど僕の頬を引っ張り、「お前は! その人たらしを! どうにか出来ないのかこの天然たらし!!」とお怒りになられた。
身に覚えがありません坊っちゃん!
たらすとか人聞きの悪いこと言わないでください!!
これにより、朝から僕と顔を合わせようとしない彼は、完全に機嫌が斜めを向いている。
どうすればご機嫌を取れるのか未だにわからないが、僕は一刻も早くコード邸へ戻って、お拗ねになられている坊っちゃんを立て直さなければならない。
ぱっと行って、ぱっと帰りたい。
何よりもお嬢さまの憂いを取り払いたい。
「かならず」
掠れた声で応答し、御者台へ向かう。
慌しく荷物の確認を行った旦那様が、ヒルトンさんが開ける馬車の扉を潜った。
「それでは、行ってくるよ」
「行ってらっしゃいませ」
「お父様、ベル、お気をつけて」
出発の合図を送り、蹄の音が鳴る。
早朝の日差しは日中に比べればまだ弱かったが、それでも充分眩しく感じられた。
*
王城の造りは、よくわからない。
案内の人に促されるまま、旦那様と一緒に別室へ通された。
応接間のようなそこは日陰に位置しているようで、外の明度に対して薄暗かった。
旦那様がソファに座られ、その後ろに姿勢を正して立つ。
ここまで送ってくれた案内人のおじさんは、入り口付近に控えており、彼が腰に提げている剣を一瞥した。
次いで部屋の間取りと、窓から窺える景色に目を向ける。
有事に備えられるよう、不自然にならない程度に軽く見回し、交渉人の登場を待った。
ばたばたとした音が重厚な扉の向こうから聞こえ、顔をそちらへ向ける。
護衛の人を振り払って扉を開けたのは、エリーゼ王女殿下その人だった。
彼女の後ろで、青褪めた顔の兵士やメイドの姿が見える。
てっきり代理人が来るとばかり思っていた僕は、唖然と硬直してしまい、けれども我関せずとばかりに、王女殿下は旦那様の対面のソファに座られる。
困惑と混乱でいっぱいの僕に対して、旦那様は落ち着いていらっしゃった。
静かに立ち上がった当主が恭しく頭を下げ、慌ててそれに倣う。
旦那様の静かな声が響いた。
「お目にかかれて光栄にございます、エリーゼ様」
「形式はいらない。その子くれるの?」
退屈そうに旦那様を見上げた赤い目が、早く座るよう促す。
王女殿下に従った旦那様がソファへかけられ、やんわりとした口調で言葉を発した。
「折角のお誘いですが、なにぶん、私どもも人手が足りておりませんので」
「雇えばいいでしょう? 公爵家はお金だってある」
「信用は金銭では買えません」
「……くれる気はない?」
「申し訳ございません」
「…………」
考え込むように沈黙した王女殿下が、ちらりと僕へ視線を向ける。
そのまま旦那様へ視線を動かし、その小さな唇を開いた。
「毎日が無理なら、曜日を決めてもいいわ」
「週に一度でしたら」
「丸一日拘束するわ」
「それは困ります。彼は私の子息の従者です。彼にしか出来ない仕事があります」
「週二日」
「午後一時から午後五時まででしたら、お受けいたしましょう」
「お金なら出すわ」
「信用は金銭では買えません。彼には我が領の紋章を与えています」
競売にかけられている気分だ……。
二人とも静かな声なのに、緊迫感と緊張感がぴりぴりと肌を刺す。
日陰の部屋という立地を差し引いても、この空間の気温は低い気がした。
……こわい。
エリーゼ王女殿下が眼光を強める。
苛立たしげに腕を組むご様子に、旦那様捕まったりしない? 不安に駆られた。
「何故、それほどまでにうちの従者にご執心を」
「必要だから」
「理由をお聞きしても?」
「一目惚れとか言えば、納得してくれる?」
「出来ませんな」
嘲る調子で小首を傾げた王女殿下に、絶対にそんな甘酸っぱい感情抱いてないでしょう! 内心で激しく抗議する。
看破しているのか旦那様が薄く笑い、王女殿下が不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「公爵家だから? お金を出せば、もっと簡単に寝返ると思っていたわ」
「金銭に尺度を置くような臣下に、あなたは信を置けますか?」
「そうだったら、より好都合だったのよ」
鼻で笑った王女殿下が、ため息とともに背凭れに身を預ける。
揺蕩う白髪は、座面に載るまでの長さを有していた。
「週二日、午後一時から五時まででいいわ」
「期限は最長一年間で。途中の打ち切りもお受けいたします」
「期限まで設けるの?」
「彼は学園入学者ですので、準備期間が必要です」
「……わかったわ」
「では書面にて契約を」
「コード卿は、何でも書類でやり取りするのね」
「口約束ほど曖昧なものはありませんので」
エリーゼ王女殿下の皮肉を受け流し、旦那様が白紙の紙にさらさらと文字を連ねて行く。
先ほど口頭で纏められた内容の他に、給金の支払い、指定された曜日、規約違反に対する罰則、事情などによる代替などが綴られた。
僕にも確認するよう回された書面を見詰め、ふと気付く。
王女殿下が指定した曜日は、リヒト殿下がコード邸へ遊びに来ることの多いものだ。
「不備はないかね?」
僅かに引っ掛かったそれを伝えようにも、場が悪い。
曖昧にこくりと頷き、書類を返した。
複写したそれぞれに名前を連ね、一枚を王女殿下が控える。
ため息をついた彼女が、それを二つに折った。
「まさかこんなに強情だなんて、思わなかった」
「人材は貴重な資源ですので」
「約束は明日から。使いの者を出すわ」
「では、城門からよろしくお願いいたします」
「……逃げたらどうなるか、わかっているわね?」
「ここに記した通り、嘘偽りなく」
鼻を鳴らした王女殿下が席を立ち、僕の前まで来る。
こちらを見上げる赤い瞳には何の感慨もなく、恋慕の線は絶対にないと二重線で消した。
ならば何故、金銭を支払ってまで僕を買い付けたのだろう?
曖昧に微笑んだ。
「よろしくね。あなたの一挙一動に、コード卿の命運がかかっているのよ」
「……ッ!!」
「あなたがあっさり尻尾を振れば、私だってこんな意地悪しなかったわ」
これまでの言動から鑑みるに、王女殿下は少々擦れていらっしゃるようだ。
引きつりそうな口許を必死に整え、自身に科せられた重石に既に根を上げそうになる。
王女殿下がくるりと身を翻した。
「また明日」
さっさと扉を抜けた王女殿下の靴音が遠くなる。
合わせて、兵士やメイドの足音も離れていく。
不敬とか無礼とか、騒がれなくて良かった。
旦那様の首が飛ばなくて、本当に良かった。
生きた心地のしない疲弊感に、ふらふら、頭が揺れる。
旦那様が疲れたように息をつかれた。
「すまない、ベルナルド。折り合いがつかなかった」
こちらを見上げた旦那様へ、首を横に振り、深々と頭を下げる。
本来なら献上すべきだったのだろう。
それをしなかったのは、僕の希望を叶えてくださった旦那様のお陰だ。
示された金額は、孤児出身の使用人ひとりに対して、明らかに余剰だった。
結果的に妥協という形を取られたが、交渉中にかわされた旦那様のお言葉は身に余るものばかりで、目頭が熱くなる。
僕の頭を優しく叩いた旦那様が、よっこいしょと席を立たれた。
窺った表情は柔らかな笑顔で、このお家の使用人になれて良かったと、心から思った。
「私はこれから会議へ向かう。帰りはヒルトンに迎えに来させてくれ」
再度深く頭を下げ、旦那様の後ろに続く。
会議室で別れたあと、案内人に従い、空の馬車を走らせた。




