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02

 旦那様の忘れもの事件から、数日経った。


 あれから旦那様は、出掛ける前にヒルトンさんと荷物チェックをされている。

 毎朝慌しく荷物を纏めるご様子を、奥様は困ったような微笑みでご覧になられていた。


 旦那様のネクタイやスーツを整えられる奥様のお姿は、世話のかかる息子を相手にしているようだ。

「うちの人、そそっかしいんだから」やんわりとした微笑みを前に、旦那様が言葉に窮している様子が印象的だった。

 お幸せそうで何よりです。



 さて、夕餉も終わり、お嬢さまと坊っちゃんへ給仕している最中、ヒルトンさんに呼ばれた。


 どうして彼はいつもこう、僕の癒しの時間をぶった切ってくれるのだろう?

 あからさまに落ち込んだ僕を、お嬢さまが励ましてくださった。

 渋々応接間へ向かう。

 ヒルトンさんの部屋ではないことに疑問を抱きながら、扉を数度叩いた。


「ベルナルド、そこへ座りなさい」


 ソファに身を沈めた難しい顔の旦那様に、これまでの自分の行いと反省点を瞬時に思い返す。

 何かやらかしてしまったのかな!?


 出来ることなら、このまま扉を閉めて、逃げ出したい。

 そんな無謀なことなどできず、おずおずと示されたソファに、浅く腰を下ろした。


 ……こわい。心当たりがないことが、更にこわい。

 何だろう。自覚がないまま、悪事を働いてしまったのだろうか?


 震える胸中で、旦那様のお言葉を待つ。

 ヒルトンさんは、当主の後ろに控えていた。

 この三者面談、心臓に悪い。


「君を呼び出した件だが、今日、エリーゼ王女殿下より君宛に手紙を渡された」

「!?」

「これがその手紙だ」


 悪いが、中をあらためさせてもらったよ。開かれた封筒と、取り出された数枚の便箋が卓上に置かれる。


 旦那様の言葉を受けて、驚愕に震えた。

 何で王女殿下が? やっぱり不敬?

 青褪める僕を見詰め、ため息を挟んだ旦那様が続ける。


「内容は、話し相手になって欲しいというものだった。……心当たりはあるかい?」


 話し相手の件については心当たりはないが、王女殿下との接点については説明出来る。

 当日の内にヒルトンさんへも報告した内容を、使い込んだノートに綴った。


 幼少期より、事あるごとにヒルトンさんへ報告を重ねてきたので、僕はとても素直に正直に日報を上げていると自負している。

 黙読した旦那様が、再びため息をついた。


「ヒルトンから聞いた内容と同じだね。……他にはないかい?」


 静かに首を横に振る。

 記載した通り、エリーゼ様とは知らずに声をかけ、震えていたところをリヒト様に助けていただいた、との内容だ。

 この短い会合で、何故お話し相手に選ばれたのか、理解出来ない。


 確かにお手製の花冠はいただいた。

 これも鞄を返す際、ヒルトンさんに見せている。

 この話をしたとき、養父は呆れた顔で、「よく首と胴体が繋がったまま帰って来れたものだ」と口にしていた。

 僕もそう思う。


 決してエリーゼ様が暴虐な方とか、そういう意味ではない。

 本来使用人ごときが口を利いてはいけない相手、ということだ。

 だからこそ、旦那様もこうして慎重になられているのだろう。


 リヒト殿下は特例だ。

 お嬢さまのご婚約者様であり、コード家と親交を結びたいと、ご本人たってのご希望だ。


 初めて殿下とお会いした頃の僕は、礼儀作法が身に付いていなかった。

 ヒルトンさんとメイド長含む、使用人等で僕を表に出さないよう、必死だったらしい。


 しかし、僕を気に入ってくださったお嬢さまに負け、どうやって探し出しているのか、気づけばリヒト殿下が僕と遊び、なし崩しで今の形があるらしい。


 この話を笑い話として聞かされたときの、僕の心情。

 勿論謝って回った。



 幼さが誤爆したリヒト殿下とは違い、エリーゼ様の場合は、そもそも基点から異なる。

 どのようなご意思で僕などを遊び相手に選んだのか、全く心当たりが浮かばない。

 困惑する僕に、三度旦那様がため息をつかれる。

 膝の上に組んだ手を乗せ、当主が口を開いた。


「君の意思を確認したい。まずは手紙を読んでくれ」

「…………」


 促されるまま、白く飾り気のない便箋を手に取る。

 封筒には短く『Belle』と書かれていた。

 ベルナルドの綴りは『Bernard』だ。

 愛称はLではなくR。


 推察するに、王女殿下は僕の名前を、リヒト殿下が呼んだ『ベル』という音でしか知らない。


 便箋を開く。

 中には簡潔に、「私の話し相手になってほしい。日勤で給与を出す。毎日来るように」との旨が記されていた。


 唖然と短い文章を何度も読み直す。

 変わらない内容と、変わらない解釈に、頭を抱えたくなった。


「読み終わったかね?」

『旦那様は、どのようにこの手紙を受け取られましたか?』

「使いの者からね、『ベルという従者へ渡して欲しい』と頼まれたよ」


 リヒト殿下が発した僕の情報は、『コード邸の従者』と『ベル』の愛称。

 ますます意図がわからない。

 たったこれだけの情報しかない人間を、何故手元に毎日置こうと考えているのか。


 推察をノートに綴る。

 僕の後ろに回り込んだヒルトンさんが、「確かにこれでは女性名だ」面白そうにくつくつ笑った。

 旦那様が嘆息する。


「ヒルトン、今はミステリ小説の時間じゃない。……ベルナルド、王女殿下からのお声掛けなど、今後一生ないと考えていい。君はどうしたい?」


 真剣な面持ちで尋ねられ、思わずむっとしてしまう。


 僕は常日頃から、自分の思いを素直に発しているというのに、何故こうも周りは率直に受け止めてくれないのだろう?

 今日だって、折角のお嬢さまと坊っちゃんの休息のお時間だったのに。

 こんなにもお嬢さまと坊っちゃんにご奉仕したい精神を持て余しているというのに!

 お嬢さまにお仕えしたいというのに!!


『僕はコード邸に仕える使用人です。この命はお救いいただいたお嬢さまのためにあります。僕の忠義はコード邸へ帰属するものであり、全てはミュゼットお嬢さまとアルバート坊っちゃんに捧げます。お嬢さまと坊っちゃんへご奉仕出来る時間が僕の至福であり、存在意義です。それを今後お嬢さまと坊っちゃんへお仕え出来ない、または僕自身が不要であると仰るのでしたら、この身すべからく処分致しま』

「わかった、わかった私が悪かった。そう軽々と自害を考えないでくれ」


 最後まで書き切る前に旦那様に止められ、深いため息をつかれる。

 マイルドに処分と称したけれど、きっちり内容を把握したらしい旦那様は、若干顔色が悪かった。


「どうしてこう……君の教育した子は、皆物騒になるんだい?」

「さて。本人の資質でしょうか」


 ほけほけとヒルトンさんが笑う。

 たぬきめ、額を押さえて唸った旦那様が、顔を上げた。


「ベルナルド、君の意思を汲もう。明日、断りの返答をする。君にも立ち会ってもらいたい」

『ありがとうございます』


 立ち上がり、深く礼をする。

 しゃらりと揺れた銀細工が音を立てた。

 疑問は尽きないが、僕自身、コード家以外に属する気はない。


 しかし、お断りってどうするんだろう?

 旦那様にご迷惑をおかけしなければいいのだけれど……。

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