少女の皮を被った荒ぶる鷹
少しばかり邪な気持ちはあった。
けれどもそれ以上に、推しを守りたい気持ちが強かった。
通された応接間でガチガチに緊張しながら、お年を召された執事さんの質問に答えていく。
穏やかな口調で「武術は得意ですか?」なんて聞かれたものだから、間の抜けた声で固まってしまった。
「……い、いえ……」
「そうですか。では裁縫は得意ですか?」
にこにこ、何事もなかったかのように質問が流れていく。
正直、メイドの面接を舐めてた。
WordとExcelとコピー作業が、仕事内容じゃないんだ。
そうだ、この世界にはパソコンがない。
パソコンを欠いた現代人に出来る家庭的なものって、なんだっけ?
こんなことになるくらいなら、釦つけくらいめんどくさがらずにすれば良かった。
コンビニ弁当とか牛丼やらに頼らず、女子力高そうなアボカドとサーモンのふんちゃかサラダとか作ればよかった。
推しが作りそうな料理とか、妄想して作ればよかった。
失敗したなあ!!
私はリサ・ノルヴァ。
コード領の大体お隣に領地を構える、ノルヴァ伯爵家の一人娘だ。
娘にデレデレな両親から12歳の誕生日を祝ってもらった際、私はこの世界がやり込んだゲームとそっくりなことに気づいた。
名探偵も驚きのひらめきだったと思う。
それから私は人が変わったように心を入れ替え、そして私の推しを守るために情報を集めた。
口伝ネットワーク恐るべし。
私も身の振り方に気をつけよう……。
ちょっと手遅れなところもあるけど……。
そも、私はオタクだ。
推しのために私財を投資すること即ち、推しの活躍が増えることに繋がる。
私の推しは全く喋らないタイプなので、吐息ひとつで転がらんばかりに悶えられる自信がある。
今笑ったやつ、後で校舎裏な?
勘違いしないでもらいたいのは、私は推しと同じ画面に入りたいわけじゃない。
そこはわきまえている。
推しはアイドルであり、崇めるものであり、お布施する対象だ。
そりゃあ確かに夢小説から、趣味の偏ったちょっと過激な小説から、心温まる物語まで読み漁ったりしたけど。
推しフォルダを温めて、ほくほくしてたけど。
けれども私は、推しが健やかであれば、影から見守るだけでいい。
寧ろ同じ画面に入り込んでしまったら、不審者丸出しでお巡りさんのお世話になってしまう。
そんな姿を人様に晒すわけにはいかない。断じて。
さて、そんな私が何故コード公爵家のメイドに志願したのか?
この乙女ゲーム、展開が鬱なんだ。
特に私の推しは、ハッピーエンドを決めても、悲しみの微笑しか見せてくれない。
あり得なくない? ハッピーなのにサッドなのよ?
エンドロール流しながら涙も一緒に流れたわ。
意地でハーレムエンドも攻略したけど、推しが! 一言も! 喋らなかった!!
もう、大の字で不貞寝したよね。
むしろ攻略特典の挨拶の方が、はにかんでたよね。
なんなの、最高かよ。
話が逸れたけれど、とにかく私は推しに幸せになってもらいたい。
それはもう、暑苦しいくらいに意気込んでいる。
潜入捜査を思い立って、「メイドになる!」と情熱溢れる履歴書を叩きつけたところで、両親に泣かれた。
溺愛している伯爵令嬢が奉公に行くだなんて、とんでもないと止められた。
正直すまんかったと思っている。
けれど、身を粉にして働く以外の選択肢が、私の中からすっぽ抜けていたんだ。
お茶会とか、お嬢さまとお友達になる、とか。
あーそっかー。ここ、貴族社会なんだー……。
思い改まった私を置いて、熱烈な履歴書だけが先方に届いた。
かくして、先走った自身の不始末をつけるべく、老紳士さんとマンツーマンで面接に挑んでいる。
現状、震えが止まらない。
にこり、口許に微笑みをたたえた執事さんが、広げた書類を畳んだ。
「本日は遥々お越しいただき、ありがとうございました」
「……いえ、」
引きつる口許を懸命に抑え、静かに礼をする。
自分が最高に無能なことが露呈しただけだよ!
何せ最近まで甘えたお嬢ちゃまだったからね!!
恥ずかしいわ!!
席を立った老紳士に合わせて、私もソファから立ち上がる。
そこで控えめなノックの音が響き、緊張に強張った心臓が跳ねた。
「入りなさい」
「失礼します。……ミスター、少々お時間を」
ひょこりと現れた、黒髪と青い目と泣き黒子の子ども。
ひえっ、ベルにゃんが! 推しが!!
ドアの向こうから声変わり迎えてない推しが!!!!
ちらっとこっち見た、推しが!!!!
突然迷い込んだ天使に、立ち上がろうとした中途半端な体勢のまま、心拍数が異常な回数を叩き出す。
ベルにゃん、公式よりもちっさいね……!
その上目遣いは新規絵かな?
はーッ、堪らん誘拐案件ですわー!!
私の悶えんばかりの動揺など露知らず、老紳士がちっさいベルにゃんに指示を出した。
「丁度良い。ベルナルド、ノルヴァ様を玄関までお送りなさい」
「畏まりました」
ひえあああッ、おじいちゃんなんて命令出してんですかー!
軽率に誘拐とか連想してごめんなさい!!
わ、私不審者になってない!? 大丈夫!?
こちらを向いた天使が、ほんのり微笑を浮かべる。
「こちらです」澄んだ声音と香ったいいにおいに、全私が死んだ。
ベルにゃんと一緒に廊下を歩くという拷問。
これはあれだ。
ネコカフェでそろそろ帰ろうと思って立ち上がろうとした瞬間、猫が膝に乗ってきて「や、やめろよー」とにやにやしてしまうアレだ。
そして延長してしまうあの現象だ。
別パターンで、公園で犬と全力で戯れて、そろそろ帰ろーと声をかけたときに見せる寂しげな顔に、「うっ、もうちょっとだけな……」と遊んでしまう、確実に失うものはあるけれど、私としても嬉しくて堪らんご褒美と拷問の狭間のアレだ。
にやにやしちゃう。
まあ、今失うものは、世間体だけどね!!
目の前の優雅な足運びに、うっとりと見とれてしまう。
推しが尊いです。
当然ながら端末もなく、推しが見れない日々を鬱屈して過ごしていた。
正直ベルにゃんが生息するこのお屋敷のメイドにならなくて、本当に良かったと思いました。
突然の過剰供給に、心臓が持ちそうにありません。
心の中で拝んだ。
「ベルナルド」
不意に後ろから聞こえたぶっきら棒な声に振り返る。
やってきた白茶の髪に黄橙色の目の少年に、アルにゃああああん!!! 心の中で絶叫した。
こちらへ一瞥すらしないアルにゃんが、振り返ったベルにゃんの手首を掴んで耳打ちする。
え、その距離公式なの?
あれ? 通り過ぎたアルにゃん、ベルにゃんと同じにおいしたよ?
お揃いなの? おそろ香水つけてるの?
マジなの?
五体投地していい?
「……。畏まりました。後ほどお伺いいたします」
「ああ」
堪らん可愛いな君たちは!!
お姉さん嬉しいよ! 今日は祝杯だ!
現実が私を殺しにかかっている!!
ふわっと微笑んだベルにゃんを解放して、アルにゃんがさくさく廊下を進んで行く。
こちらを向いた天使が「失礼いたしました。参りましょうか」玄関までご案内してくれた。
何も失礼してない。むしろもっとやってください。
私、ここの植物になりたい。
今呼吸荒いから、物凄く光合成に貢献出来ると思う。
*
短いようで濃密だった玄関までの道のりも、これで終わり。
ベルにゃんが開けようとした玄関の扉が、ひとりでに開いた。
扉を開けたのは、クール系の黒髪のお姉さんで、服装からコード邸の使用人だと察した。
彼女の後ろから現れた、若草色の髪の女の子。
ウサギのぬいぐるみを抱えた、石榴色の瞳のその子に、自分の血の気がすっと引くのがわかった。
「ベル!」
「お嬢さま、どちらへお出かけでしたか?」
「ヨハンのところよ。ねえ、見てちょうだい!」
ラスボス様が、ベルにゃんへウサギのぬいぐるみを差し出し、驚いた様子のベルにゃんがそれを抱える。
控えめに言って天使かな?
まじまじとウサギのぬいぐるみを見詰めたベルにゃんが、あっ、声を出した。
「アルキメデスさん、白くなりましたね!」
「そうなの! ヨハンに手伝ってもらって、魔術の応用でね、……あら?」
こちらを向いた石榴色が、くるりと丸くなる。
瞬間、慌てた様子で顔が俯けられた。
覗いた耳が真っ赤だ。
「たっ、大変失礼いたしました! お客様がいらっしゃるとは知らずに……っ!」
お、おおう? 私の知ってるラスボス様と違うぞ?
幼いからか?
幼さが、不遜な態度を取り払ったのか?
私の知っているお嬢様は、微笑みの壁から相手を見下し、オブラート80枚包みで毒を吐き、完全に優位な位置からいたぶり、高みの見物をしかけてくるお方だぞ?
終始動揺しまくっている私は、頭を下げたこの屋敷のお嬢様に対し、ひたすらあわあわしていた。
回らない口で「だだだだだだいじょぶです!!!」危ない人を演出するしか出来なかった。
「こっ、これから帰るところ、で、ですし……!」
「そ、そうでしたか! ひっ、引き留めてしまって、すみません!」
「い、いえっ、こちらこそ! お話の邪魔をしてしまい……ッ」
「そっ、そんなことありません! あっあの、よろしければ、お名前を……」
「も、申し送れました! り、リサ・ノルヴァと、いいいいます!」
「ノルヴァ卿の! わ、わたくし、ミュゼット・コードと申します!」
「……お嬢様、玄関先でございます」
クール美人なお姉さんの一言に、ミュゼットお嬢様が1オクターブ高い「ごめんなさい!!」を発した。
完全に動転している様子に、酸素過多だった呼吸が少しだけ落ち着く。
ここはひとつ、精神年齢の高いお姉さんが、大人にならなくては!
「あっあの! よろしければ、今後とも仲良くさせてくだちゃひッ」
顔を覆って打ち震えた。
しかし、直後にお嬢様の「こちらこそ!!」の喜びに弾んだ笑顔に、全てが癒された。
ベルにゃんとお姉さんと私のお付きによるスタンディングオベーションが巻き起こった。
美少女と手を繋いだ。和平の握手だ。
私はもう手を洗えない。
帰りの馬車の中で、窓越しに手を振るお嬢様へ手を振り返す。
踵を弾ませぴょんぴょんしている様子は、ベルにゃんが抱いているウサギの化身かと見紛う無邪気さだった。
だ、ダメでしょ! そんなすぐに人に懐いたら!
私が通報されるでしょ!!
どっと沸いた疲れに、背凭れに身を預ける。
何周も追いかけたシナリオを思い返した。
このゲームのヒロインの恋敵は、ミュゼット嬢とエリーゼ王女だ。
中でもミュゼット嬢は、悪役令嬢の名を貫いている。
何度、「ミュゼたんやめてよ~」と薄目で暴動を見たかわからない。
ミュゼたん、私の天使のベルにゃんに、容赦なく物理攻撃を仕掛けるんだ。
その度に癒しフォルダを読み漁って、心の傷を慰めていた。
だがしかし、先ほど目の前で繰り広げられていた光景はどうだろう?
ファンディスク追加されたの?
まず原作のベルにゃんは笑わないし、喋らない。
ヤンデレ代表のアルにゃんの、ベルにゃんへの懐きっぷり。
ミュゼたんに至っては最早別人だ。
何だあの、人見知りはわわ系美少女は。
入学するまでの4、5年間で人生狂わされるの?
あの楽園が踏み荒らされるの?
惨くない?
これはちょっと、今までほったらかしにしていた伯爵令嬢の名にかけて、ミュゼたんがぼっちにならないように、お友達を増やそうじゃありませんか。
折角の純真培養が孤立で拗れないように、真心で真空パックしよう!
派閥はめんどくさいが、データを纏めるのなら任せろ。得意分野だ。
人付き合いはまあ苦手だけど、私の推しの幸せのためだ。
鉄砲玉になってやる!
ふんす! 気合いを入れた私の前で、お付きの彼女が遠い目をした。
すまんって。




