03
王都滞在、残り2日。
昨夜あれほどアルコールを浴びるように飲んだというのに、清潔感漂う笑顔で、ヒルトンさんが朝の挨拶をしている。
彼の肝臓、どうなってるんだろう?
それこそファンタジー仕様?
対するお酒をかわした相手は二日酔いしているのか、非常に悪い顔色で、痛そうに頭を抱えていた。
彼を休ませた客室の窓を開けて、空気を入れ替え、持ってきた水を差し出す。
ちなみに、運んでくださったのは坊っちゃんだ。
三角巾と松葉杖とお盆で苦しんでいたところ、「腕は二本しかないだろう」と呆れた顔で助けてくれた。
ぼそりと低い声でお礼を告げた青年が、苦しそうに水を飲み干す。
生涯二日酔いになったことのない僕は、この症状を緩和する方法を知らない。
とりあえず、お水いっぱい飲む?
再び水差しを傾けた。
「その、昨日はヒルトンさんが無理させて、すみませんでした」
「……ここ、どこだ」
「コード邸です。ご自宅がわからなかったので……」
「……世話になった」
「もうしばらく横になられてください」
大人しく横になった青年は、相当具合が悪いのだろう。
ひとまず額に、坊っちゃんが絞ったタオルを乗せた。
怪訝そうな顔をしている坊っちゃんにとって、急に家の中に見ず知らずの人がいる状態なのだから、不信感でいっぱいなのだろう。
なのに僕のお手伝いをしてくれる、この健気さ。
感動の涙が出そう。
旦那様に一連の事情を説明したところ、苦い顔で「ヒルトンのあれはなあ……」と笑っていたから、過去の泥酔事件を思い返したらしい。
青年に同情していた。
けろりとしている張本人は、「では面接は昼からにしましょう」と足取りも軽やかで、彼に取り込まれたはずのアルコールは何処へ消えてしまったのだろう?
旦那様と首を捻った。
僕はといえば、流石に具合の悪い見知らぬ人をひとりにもできないので、部屋の隅で本を読んで待機していた。
青年の容態は、午前中に比べれば昼には快方へ向かい、ぼんやりしながらも動けるようになった。
身繕いを整えてもらった後、お食事を取ってもらい、ヒルトンさんの面談へ向かってもらう。
お勉強へ向かわれた坊っちゃんにお昼を召し上がっていただきたいので、案内が終わったら、僕も坊っちゃんの元へ向かわせてもらおう。
明るい中で改めて見た彼は、赤茶の髪に、緑色の目をした、精悍な顔立ちの青年だった。
180センチはあるだろう高い身長と、鍛えられた身体は肩幅も広い。
領地の私兵の方々を思い出す身体つきだ。
恐らく女性に人気があるのだろう。
しかし、元から笑顔が少ない人なのか、二日酔いで苦しんでいるのか、その表情は険しかった。
「ミスターのお部屋へご案内いたします」
右手で差し示し、松葉杖をつく。
そして僕は、大柄な成人男性の歩幅の本気を見るのだった。
健康状態でジャンプしてギリギリだろう、この大きな一歩。
こちらを振り返った青年は暫し考え込んだ後、僕の身体を抱き上げた。
横抱きにしてくれた辺り、三角巾を気遣ってくれたらしい。
突然の浮遊体験に、衝撃を禁じえない。涙出そう。
「何処だ?」
「ひゃいっ」
指差し、辿り着いたヒルトンさんの部屋にて、出迎えた部屋の主は唖然とした後、耐え切れないとばかりに笑い出した。
怒りたい、この養父。
*
「いや、すまない。予想を超えた光景だったもので、つい、ね」
優雅に紅茶を淹れたヒルトンさんが、青年ハイネさんと僕の前にカップを置く。
ハイネさんはヒルトンさんがお腹を抱えて笑った姿よりも、元気ピンピンな姿に衝撃を受けたらしい。
僅かに目を瞠って動揺していた。
僕はといえば、ヒルトンさんの隣に座らされたため、時間的拘束の約束を察知した。
諦めて紅茶に手をつける。
「まさかベルナルドが『鳩』を連れてくるとは思わなかったよ」
「ご存知で?」
「仕事柄ね」
滑らかに書類を出したヒルトンさんが、万年筆と揃えてハイネさんの前に差し出す。
『雇用契約申請書』表題に大きくそのような文字が書かれていた。
「文字の読み書きは?」
「可能だ」
「ではこちらに名前、連絡先を記入してください」
その間も、得意な武器は? 大体扱える。魔術の使用は? 不可。質問と応答が続く。
僕がここにいる意味とは……?
疑問に感じたところで、突然ヒルトンさんが僕の背を押した。
「さて、君は私でなく、彼に従ってもらうことになるが、異論はないかね?」
「……貰える額に変化は?」
「ないよ。枢機卿と取引したのは、この子だ」
「金銭に変化がないなら、構わない。好きにしろ」
雑な応対に頬が引きつりそうになる。
いいの? お兄さんの雇用主、このガキだよ?
ガキに興味ないって言ったの、何処の誰だったっけ?
「ではベルナルド、仕事の内容について話しなさい」
「!?」
にこにこと変わらない笑顔で僕に話を振る執事に、思わずその胡散臭い顔を二度見してしまった。
悪意とは無縁そうな朗らかなそれと、青年の無愛想な無表情に晒され、完全に口許が引きつる。
咳払いを挟み、雇用主として改めて背筋を伸ばした。
「コード卿、及びご家族、主に御子息御息女が王都に滞在した際の護衛を第一に、お屋敷の警備を行っていただきます」
「外か」
「中に入っていただいて構いません。その際は裏口をご利用ください。あなたの手腕にお任せします」
「…………」
青年が怪訝そうな顔をする。構わず続けた。
「次に、私ベルナルドが王都から離れている間、最低で月に一度、王都の様子を書面で報告してください」
「具体的な内容は?」
「王都で起こった事件や噂、その他気になったものを中心に、流行などでも構いません。緊急性のあるものでしたら、出来るだけ早目にご連絡ください」
「……わかった」
「コード卿は夏季の2ヶ月間と、秋季の2ヶ月間を王都で過ごします。残りはほぼ領地におりますので、その間はご自由になさってください。
また、有事の際は何かとお願いをするかと思われますので、連絡はこちらの住所へ宛てさせていただきます。必ず目を通してください」
「…………」
ハイネさんがちらりとヒルトンさんへ視線を向ける。
わかってる。そのアイコンタクト、「これで本当に良いのか?」と聞きたいのだろう。
僕だってヒルトンさんに答え合わせを求めたい。
内心不安でいっぱいだ。
頻脈を疑うほど動悸が激しい。
契約の場という神妙な空気の中、明らかに観察して楽しんでいたのであろう。
ヒルトンさんがにこりと口を開いた。
「護衛と諜報。『鳩』の得意分野ではないか」
「……わかった。了承しよう」
「給金の受け渡しについては、屋敷の案内が終わってから説明しよう。ベルナルド、彼に案内を」
「ご案内いたします」
さくっと立って、すっとお辞儀をしたのに、立ち上がったハイネさんが軽々と僕を抱き上げたものだから、僕の心に深い傷が生まれた。
ヒルトンさんが隠しもせずに「ははは」と笑っている。
この人、可愛がる方向性間違ってるんじゃないかな?
時間短縮したいのだろう、ハイネさんがさくさく屋敷内を歩く。
擦れ違う使用人さん方が慌てた様子で頭を下げてくれるが、彼女等が三度見くらいしているのがわかり、泣きたくなった。
ちなみにお嬢さまと坊っちゃんのご反応は「唖然」で、奥様は「あらあら」、旦那様はヒルトンさんと同じく「ははは」だった。
リズリット様は何故か闘志を燃やし、「俺もやる!!」と張り切っていた。
違う、そうじゃない。
後から聞いた話だが、ヒルトンさんいわく、「最高に目付きの悪い成人男性に抱えられたベルナルドが、子ウサギのように震えている様が実に面白かった」
「いやあ、あのまま誘拐されるのではないかと錯覚するくらいの怯えようだったよ。はっはっは」と爽やかな笑顔で言い切ってくれた。
そろそろ僕は怒っていいと思う。
お嬢さまも「護衛と聞くまで、ベルが誘拐されるのだと思ってしまったわ。わたくし、どうすればあなたを助けられるか必死で考えていたの」
と、僕の手を握られたので、誤解を解くよう、二日酔いの件を全て白状した。
お話のあと、お嬢さまは安堵されたご様子だったけれど、どうしよう。
最近お嬢さまが、武力派への道を辿られていらっしゃる。
お嬢さまの中の眠れる獅子が、大きく伸びをしていらっしゃる。




