踵をそろえてご挨拶
「ベルくーん、そろそろミュゼットちゃんたちが到着するよー」
遠く呼びかける声へ、ベルナルドは振り返った。
右目を覆う眼帯に、黒髪がかかる。
リズリットは無邪気な様子で大きく手を振り、口の横に両手を当てた。
「はやく行こうよーぉ!!」
「もうそんな時間でしたか」
慌てた様子で懐中時計を引っ張り出した少年が、文字盤を見つめ、ふわりと表情を緩める。
コード領の茶園は収穫の季節へ入り、新芽は朝露を受け、光を弾いていた。
雪解けを迎えた若葉は、風が吹くたびやわらかく香り、青々とした細波を起こす。
あの収穫祭の事件から、冬を越えた。
配達員の男は捕らえられ、学園には新しい保険医が配属された。
事件の首謀者は次の対立戦で起用されることになり、収穫祭は無事終幕を迎えた。
そして片目を失ったベルナルドには療養が言い渡され、ひどく動揺を見せた彼と同じく、ひどい癇癪を起こしたリズリットも、まとめて領地へ送られた。
のちにこれを『コードさん家の強制送還』もしくは、『ヒルトンさんの実力行使』と呼ばれることになる。
若葉が織りなす細道を、慣れた様子でリズリットが駆ける。
人懐っこい笑顔でベルナルドの元までたどり着き、彼の手首を引いた。
「ほら、ベルくん!」
「……リズリット様、……本当によかったんですか?」
「んもう、またその話?」
眉尻を下げるベルナルドへ、リズリットが呆れる。
——度々ベルナルドは、同じ質問を繰り返した。
僕のせいで、僕がいたから、たくさんの人が殺された。
火種になった僕は、生きていてはいけないのではないか、と。
「俺はね、ベルくん。俺とベルくんだけなんだよ、あいつから逃げ延びたの。こんな偶然、どこにもないんだよ。俺たちだけなんだよ」
リズリットが、肩にかかる自身の髪を指先に絡める。
真っ白に色の抜けたそれは、幼少期に『ベルナルドの代わり』にされたときの後遺症だった。
「それにね、ベルくん。ベルくんがそうやって罪悪感を持ち続けてくれるから、俺はどこまでもそれにつけ込むんだよ。ずっと一緒にいてね、ベルくん」
「あはは、熱烈ですね」
「俺、とっても情熱的だから」
えへんと胸を張り、リズリットが「はやく行こう」と促す。
一歩踏み出したベルナルドが、はてと遠方を見つめ、瞬いた。
「あれ? リズリット様、あれって……」
「……ははーん」
左目だけになったベルナルドは、距離感をよく間違える。
代わりに聴覚が拾った、きゃいきゃいとはしゃぐような賑やかな声。
ぱしぱし瞬く彼からそそくさと距離を取り、先ほどの情熱的な言葉に反するがごとく、リズリットは駆け出した。
その口は、「アルくうぅぅぅぅうううんッ!!!!!!!」叫んでいる。
正に手のひらドリルの所業だった。
「あー! いたいた、ベルー!!!!!!」
「うわッ!? リヒト殿下!?」
入れ替わるように飛び込んできたのは、王都から出られないジンクスを持つリヒトだった。
タックルと見紛う勢いでベルナルドへ抱きつき、くまのぬいぐるみを絞めるがごとく、ベルナルドを抱きしめる。
ギブギブギブギブ!!!! 従者は即座に降伏した。
「ベル、こっちにいたんだ! ぼくの勘って、やっぱりよく当たるね〜!」
「殿下っ、どうしてこちらに!?」
「社会科見学のために、家出してきたんだ」
「家出!?」
「ずるいわ、リヒト様! ベルー!!」
遅れて駆けてきたミュゼットが、息を切らせながら、団子になっているふたりへ飛びつく。
さすがに二人分のタックルを相殺できなかったベルナルドはう、しろへ転び、「お嬢さま、お召し物があッ!!!」高らかな叫び声を上げさせた。
やはりテディベアを彷彿させるような頬擦りを繰り出しながら、ミュゼットは幸せそうに頬を緩める。
「久しぶりね、ベル。また一段と素敵になったのではなくって?」
「お嬢さま!? 僕いま、すごくぺちゃんこですけど、本当にそうお思いですか!?」
「ええっ、ふふ、とてもかっこいいわ!」
「うんうん、ベルとってもかっこいいよ!」
いたずらに微笑むミュゼットとリヒトが、けらけら声を立てる。
ショックにわななく彼をふたりで立たせ、甲斐甲斐しく服をぽんぽんした。
「今回はクラウス様もご一緒しているの。さあベル、行きましょう!」
「クラウス様もですか!? まさか家出……!?」
「あら、ちゃんとご両家には許可も取っているわ」
「え。リヒト殿下、また僕をからかいましたね!?」
「あははは!」
おっとりとしたミュゼットの言葉に、慌てていたベルナルドがむくれる。
ふくらんだ頬をつつきながら、リヒトはのんびりしていた。
「そういえば、ベルって留年になったんだよね?」
「うっ、……そうですけど。坊っちゃんと同学年になりますけど」
休学措置の取られたベルナルドは、二度目の2年生を送ることが決まっている。
彼は咄嗟に渋い顔をした。
その返答にうんうん頷き、ぽかぽか陽気に負けない微笑みを浮かべ、リヒトはブイサインを作った。
「ぼくも留年することになったんだ! これでエリーたちと同級生だね、ベル!」
「ええええええええ!?」
「それは初耳ですわ、リヒト様!!」
明るく「ぼくも留年☆」と茶目っ気を飛ばしたリヒトに、宣告されたふたりが驚く。
「……うん、純粋に出席率がたりてなかったんだ」
「おかわいそう!!!! ご公務がっ、あんまりです!!!!!」
「で、ベルが留年するって聞いたから、補講のテスト全部白紙で提出したんだ」
「なにやらかしちゃってんですか、殿下あああああ!!!!!!」
てへ☆と茶化す王子殿下へ、一使用人が全力フォルテッシモで叫ぶ。
わなわなと両手を震わせたミュゼットは、打ちひしがれたように俯いた。
「……ずるいわ、リヒト様。それでは、3年はわたくしとクラウス様とエンドウさんだけではなくて?」
「リズリットも単位落としてるよ」
「わたくしもベルと同級生がよかったわ!!」
「お嬢さま、なんてことを!? っ、コード先輩、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします!!!」
「……まあっ!」
リフレインする『先輩』の響きに、ミュゼットが頬へ手を当てる。
うふふ、はにかんだ彼女は「許します」大仰に頷いた。
はたと、リヒトが顎に手を添える。
「そうだった。大事なことを忘れてたよ、ミュゼット」
「あら! なら駆けっこは引き分けね。リヒト様」
パッと表情を明るくさせたミュゼットと、リヒトが目配せする。
不思議そうなベルナルドを置いて、ふたりが「せーの」呼吸を整えた。
「ただいま! ベル!!」
「……おかえりなさいませ、お嬢さま。リヒト殿下」




