シーン:食堂棟
リサ・ノルヴァは頭を抱えていた。
彼女は前世オフィスレディの、うっかりゲームの世界に転生しちゃった系女子だ。
最推しのベルナルドを拝むために、そしてなにより大好きなゲームの世界に浸るために、彼女は擦り切れるほどに周回を重ねた。
けれども実際はどうだろうか?
これまで周回を重ねた、どのルートとも異なる現状に見舞われている。
彼女の隣には、ヒロインであるはずのエンドウが、明らかに男子生徒な見た目と言動でうろうろしている。
そしてだるそうに床に座り込んでいるのは、本来であれば既に死亡しているはずのキャラクター、リズリットだ。
——まったくもって、訳がわからないよ!
だって今はエリーゼ王女服毒事件の調査をしないといけないはずなのに、学園の怪談の調査をしている。
はやくしないとエリーたんが死んじゃうのに、こんな悠長なことしてられないのに!
ノルヴァは焦っていた。
このままエリーゼが死亡すれば、嫌疑をかけられたミュゼットは処刑されてしまう。
——それだけは、絶対にさせない!!
ミュゼたんもエリーたんもベルにゃんも、みんなみんな悲しい思いなんかさせないんだから!!
けれども同時に、彼女は困り果てていた。
彼女が浴びるほどやり込んだゲームでは、ミュゼットは悪役として定められている。
本来であれば悪役令嬢であるはずのミュゼットが、犯人でない。
……では、誰がエリーゼ王女に毒を盛ったのか?
どれだけシンキングフェイス……と考え込んでも、ノルヴァにはゲーム知識という色眼鏡がある。
突然、自力では知り得ないはずの情報を開示して「ノルヴァさん、とち狂ったの?」と疑念を持たれてはたまらない。
第一に、王女殿下毒殺の計画を知っていながら黙秘していたなんて、処刑場待ったなしだ。
ミュゼットの処刑を回避しながら、ノルヴァは自身の処刑も防がなければならなかった。
「見たところ、上に行けそうなところも見当たらねぇがなあ」
「俺、もう飽きたよぅ……ベルくんに会いたいよぉ……」
「そう言いなさんな。その従者の兄ちゃんのためさ」
退屈そうに、リズリットがひとつに束ねた自身の髪に指を通す。
指に絡まる白髪を床へ落とし、またさらに手櫛が髪を梳いた。
——リズリットは情緒が乱れると、髪に当たる癖がある。
ざんばらな彼の髪は不揃いで、何度か雑にハサミを入れたあとが見られた。
……本当は俺もベルくんとおんなじ黒髪なのに。
こんな年寄りみたいな真っ白な髪じゃないのに。
リズリットは、自身の髪色を嫌っていた。
「そうさな、俺はもう一度奥を見てくる。お前さんらはそこで待ってな」
「は、はいぃ」
にっ、と明るく笑ったエンドウが、階段横の鏡の前を通り抜け、訓練場へと入っていく。
桃色の髪はさっぱりと短く、男子制服が爽やかによく似合った。
ちょっと小柄な男子生徒、といった印象のエンドウだが、彼女の性別は女である。
ただし、見抜けた人物はリズリットだけであり、多くの生徒が彼女を『彼』だと認識している。
「つまんないよぉ! ベルくん、アルくん……!」
「ひえっ、出た! リズリットくんの駄々っ子……!!」
突然上げられた不満に、ノルヴァの肩が跳ねる。
彼女はゲーム情報を熟知していた。
よって、リズリットが『歩く死神システム』であることも知っている。
彼はこの無邪気な言動で、何度ヒロインの視界をレッドアウトさせてきたか数知れない。
今が多少おとなしいとしても、リズリットの問題児伝説は数え上げるときりがない。ノルヴァは真っ青だ。
「ねえノルヴァさん、面白い話して?」
「えええっ!? なんて無茶な……!!」
「やーだー!! 面白い話してってばー!!!」
長い脚を投げ出して座っていたリズリットが、子どものように両手を振る。
——ベルにゃん、アルにゃん、助けて……!!
ノルヴァは心で助けを求めていた。お願いエンドウくん、はやく帰ってきて!!
「あだっ」
「だ、大丈夫!? リズリットくん!」
ごちんっ! 振り回したリズリットの手が、彼の隣にあった鏡にぶつかる。
不服そうに患部をさする彼の睫毛が、はたと上下した。
「ねえ、ノルヴァさん。これなにかなぁ?」
「え?」
よいしょと腰を上げたリズリットが、たった今まで座り込んでいた箇所を指でさす。
瞬いたノルヴァがそこを覗き込み、同じように首を傾げた。
そこには壁沿いに、細い段差が刻まれていた。
「レール……ですか?」
「鏡、動くのかな? えい!!」
「はわわ!? リズリットくん!?」
立ち上がったリズリットが、ふたり並んで映ってもゆとりのある鏡に指をかける。
その背丈と体力を使って、彼が鏡を横へ滑らせた。
ガチャン! 余った勢いで跳ね返った鏡が音を立てる。
えええええ!? ノルヴァは唖然とした。
元々鏡のあった場所には、上へとのびる真っ暗な階段が続いており、覗き込んでいたリズリットが一歩踏み出した。
彼の足取りはうきうきしている。
「俺、行ってみるね!」
「ま、待ってください、リズリットくん!! あわわっどうしよう、エンドウくーん!! 階段見つけましたよぉー!!」
「本当かい、嬢ちゃん!」
軽やかな靴音を立てて上ってしまうリズリットに慌て、ノルヴァが訓練場へ向かって声を張る。
明かりの消えた薄暗い訓練場から戻ってきたエンドウが、その若草色の目を丸くした。
ほへー、顎に手を添える彼女が、階段を覗き込む。
「まさか鏡が扉になってたぁねぇ。リズリットの兄ちゃんは、もう行っちまったのかい?」
「そ、そうなんです!」
「ノルヴァさーん! エンドウさーん! なにしてるの早くはやくー! すごいよ〜!!」
「おう、そう急かしなさんな」
上階から響く弾んだ声に、エンドウが苦笑を滲ませる。
彼女がノルヴァへ手を差し出した。
はて、瞬く彼女へ、見た目少年が爽やかに片目を閉じる。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
「……ッ!!!!」
少し掠れた声が、鼓膜をくすぐる。
ノルヴァの頬が熱を持った。
——これが乙女ゲームの本気!!!!
立場上ヒロインから仕掛けられた突然の乙女ゲーム仕様に、長年拗らせた廃ゲーマーは一瞬で陥落した。
引かれる気配のない手に、あばばばと慌てながら指を重ね、彼女たちは暗い階段へ足をかけた。




