03
「はい、先輩。あんよが上手」
「ノエル様! 恥ずかしいんでやめてください!!」
「ベルくん、抱っこしようか?」
「僕、地に足をつけたいタイプなので、遠慮します!」
「先輩、それ、意味違いません?」
ぜいぜい息を切らせながら、階段を上る。
リヒト殿下、また高いところに押し込められて……!
防衛上致し方ないとはいえ、毎度毎度階段昇降に苦しめられている気がするんだけどな……!
想像以上に自分がぼろぼろなことに驚いた。
何とかして、殿下に会うまでに体裁を整えなければ。
涼しい顔で、無傷ですけど何か? くらいの態度を取り繕わなければ。
これ以上痛いのは嫌だ!!
道案内役のノエル様にしがみつく。
リズリット様はおろおろとしたお顔で、僕が転ばないよう後ろに控えていた。
……どうしよう、介護されている。つらい。
階段を上り切ったところで、ノエル様が廊下の様子を窺った。
こちらを向いた彼が、声音を潜める。
「アリヤ先輩がいますけど、どうしますか?」
「お礼とお詫びを申し上げます」
「……アリヤ先輩からコードくんへ、先輩が脱走してるって話が入りそうですけど、いいんですか?」
「あああああ。そうでした申し訳ございませんお嬢さま坊っちゃん……!!」
ノエル様の指摘に、今更ながら言いつけを破った罪悪感に胸が苦しくなる。
主人の命令に背反するなんて、従者として失格だ。
ううっ、解雇されたらどうしよう……。
でも、リヒト殿下をこのまま放置することも出来ない。
お食事をとられていないようだし、誰ともお会いされていないのは、心身によろしくない。
……僕が行って会える保証はない上、お節介だろうけど。
「……クラウス様に直接お願いします」
「そうですか。……どちらにせよ、これだけ時間をかけていれば、戻ってきたコードくんたちにバレているでしょうね」
「すんっ」
「だから抱っこするって言ったのにー」
突きつけられた真実と、リズリット様のむくれたお声に、胸の中がきゅっとする。
きっちりお叱りを受けよう。そうしよう……。
廊下へ踏み出したことで、こちらに気付いたクラウス様が駆け寄ってこられた。
僕たちの前まで来た彼が、困惑のお顔をされる。
「ベル! 動いて良かったのか!? リズリット、お前ッ」
「僕がお願いしました! リズリット様もノエル様も、協力してくださっているだけです!」
クラウス様の想定外の反応に驚く。
リズリット様へ伸ばされた腕を、慌てて掴んだ。
はたと我に返ったクラウス様が、お顔を歪める。
躊躇いがちに頭に手が置かれた。
「……具合は?」
「平気です。皆さんに過保護にされています」
「腹裂けてりゃな」
吐息に混ぜる程度の声量で「よかった」と囁き、クラウス様が苦笑を浮かべる。
その複雑な表情は見たことのないもので、思わず呆然としてしまった。
わしわし! 頭を乱雑に撫でられる。
「クラウス様っ! 僕、犬じゃないです!」
「ははっ。殿下に会いにきたのか?」
「はい。リヒト殿下のお加減は……?」
「調子悪そうってのはわかるんだがな。何せ引きこもってるからなあ」
「天岩戸……」
ちらと視線を向けられた病室の扉に、暗鬱とした心地を覚える。
どうやったら出てきてくれるんだろう? 扉の前で宴会でもやる?
クラウス様へ向き直り、頭を下げた。
戸惑った声が頭上から聞こえる。
「クラウス様、その節は助けていただき、ありがとうございました。ご迷惑をおかけしてしまって、申し訳ございません」
「あー……いや。ベル、第二階層の出来事は、覚えているのか?」
「それが全く。坊っちゃんを突き飛ばしたところで、途切れています」
「……そうか」
また苦い顔で微笑まれた。
いつも以上に優しい手付きで頭を撫でられ、困惑してしまう。
リズリット様がクラウス様の手を払った。
むくれたご様子で背を押される。
「ベルくん、いつまでクラウスに構ってるの。ミュゼットちゃんたち来ちゃうよ」
「こ、困りますー! クラウス様っ、お嬢さま方には、僕がここに来たことはどうか伏せてください!」
「やっぱり脱走か! そんな気はしてたんだよなあー」
「わーん! ばれてた!!」
「先輩、王子様のお部屋、ここです」
お顔を引きつらせたクラウス様を置いて、ノエル様の示した扉を数度叩く。
でんかー! あけてくださいー!
情けない調子のまま呼びかけてしまった。恥ずかしい……。
「……ううっ、無視ですかリヒト殿下」
「どーしたもんかなあ。ベルでも開かないとなると……」
人の気配すら感じられないお部屋に落胆する。
困り果てたクラウス様が腕を組んだところで、かたり、微かな音が響いた。
薄く開いた扉が小さく軋む。
垣間見えた薄暗い室内に、はたとクラウス様と顔を見合わせた。
「リヒト殿下、いらっしゃいますか?」
「……ベルだけ、はいって」
「はい? ……畏まりました」
聞き漏らしてしまいそうなほど小さなお声に、思わず不安になってしまう。
険しい表情をされたクラウス様が、隙間へ話しかけた。
「殿下、ベルも万全じゃないんです。あんまり無茶させないでください」
「だ、大丈夫ですよ? 殿下にお会いするために、ここまで来ましたし……」
「……気が済みましたら、ちゃきっと出てくださいよー。みんな心配してますんで」
何処か苦い調子で、クラウス様が要望を告げる。
扉の向こうから返答はなく、静々隙間を広げて中へ踏み入った。
ぱたんっ、呆気ない音を立てて扉を閉められる。
丁度影になる位置にリヒト殿下はいらっしゃり、憔悴し切ったご様子で微笑んでいた。
「ベル、具合は? また無理してるでしょう?」
「……少し痛むだけです。殿下こそ、お顔色が優れません。ちゃんとお休みになられていますか?」
「ううん。色々考えちゃってね」
差し出された手を取り、促されるままソファに座る。
……リヒト殿下のお部屋、病室なのにソファとテーブルがある。
さすが王族。待遇が違う。
薄暗さの原因は、閉め切られたカーテンにあるらしい。
隣に腰を下ろした殿下が微笑んだ。
……淡雪とともに消えてしまいそうな、儚い笑みだった。
俯いた彼が、僕の脇腹に手を伸ばす。
「これ、ぼくがやったんでしょう?」
「違います」
「きみのこと守るだなんて、どの口が言ったんだろうね。本当、最低だな」
「リヒト殿下!」
誤魔化し切れなかった。
自虐的なお声は沈んでいて、きっとご本人なりに確証がある。
リヒト殿下が口を開いた。
項垂れた彼は、お顔を上げようとしない。
「ごめんね、ベル。きみにひどいことをした」
「お気に病まれないでください。こうして無事なんです!」
「自分が許せないんだ。なんの助けにもならないどころか、きみを傷つけた」
「そんなことありません! 殿下がいらっしゃったから、僕たちはッ」
「危うくきみを失うところだった。血がいっぱい出て」
「もうっ! 僕元気ですってば!!」
殿下の頬を両手で包んで、無理矢理持ち上げる。
真ん丸になった碧眼は潤んでおり、彼の心痛の具合が見てとれた。
うっ、胸が苦しくなる、そのお顔……!
「殿下、指ぱっちんしてください」
「え? う、うん?」
唐突な要望にはたはたと瞬いたリヒト殿下が、困惑のまま指を鳴らした。
ぱちーんっ、良い音がする。
ついに殿下に指ぱっちんしてもらった!
僕とみんなの夢が、半分くらい成就された!! やったー!
……けほんっ。
「はい。これで僕の怪我についてはチャラです」
「……え!? ならないよ!? なにいってるの!」
「なります! 示談成立です! 被害者がそう言っているんです。これ以上の罰則は過剰です!」
ぱんぱんと手を叩いた僕を唖然と見詰め、焦ったお顔で殿下が僕の両肩を掴む。
……うっ、殿下、その細腕の何処にその握力が眠っているんですか?
リズリット様といい、リヒト殿下といい、謎な人多いな……。
「そんなッ、せめてもっとマシな罰則を要求してよ! なに、指ぱっちんって!」
「いいじゃなですか。かっこよかったですよ? なのでリヒト様も、もうこれ以上ご自身のことをいじめちゃだめですよ」
「ひどい! 騙まし討ちっていうんだよ、こういうの!」
「リヒト様がよく僕に使う手段です。あれあれ? まさかリヒト様は、僕とのお約束が守れないだなんて、そんなこと仰いませんよね?」
「く……ッ」
恨みがましそうな目付きでこちらを睨みつけたリヒト様が、ぷいとそっぽを向く。
子どもっぽい仕草は珍しいもので、まじまじと様子を窺った。
「……ずるい」
「僕、暗いところの方が、強くなれるので」
「カーテン開けてくる」
「どうぞ。良いお天気ですよ」
ジャッ。乱雑に音を立てたカーテンが無造作に開かれる。
差し込む日差しの眩しさに、思わず目を細めた。
不貞腐れたお顔のリヒト様が、逆光を背負う。
一気に明度を上げた室内は、鬱屈した思考に不向きな環境を作り上げた。
「やっぱりリヒト様は、明るい中の方がキレイに見えますよ」
「ありがとう。あんまり嬉しくない」
「えー」
再び隣に座った彼が、珍しい半眼を披露する。
いつもにこにこされているからか、妙な迫力があった。
リヒト様がため息をつく。
「いっぱいいろんなこと考えてたのに」
「そうですか。お聞かせ願っても構いませんか?」
「ぼくがきみに依存し過ぎていること」
真っ直ぐな碧眼に晒され、呼吸が一拍遅れる。
「続きを」内心の緊張感を無視した声音は、思っていたよりも普通に聞こえた。




