表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
155/224

02

 ノックの音に、口を噤んだ。

 アーリアさんが開いた扉の向こうから、ギルベルト様が顔を覗かせる。

 意外にもその後ろにいたのはノエル様で、落ち着きのない様子で目線を下げていた。


「ギルベルト様! 腕、どうされたのですか!?」


 思わずぎょっとしてしまった、ギルベルト様の左腕を吊った三角巾。

 ご本人様は飄々とした調子で、気軽に元気な片手を上げていた。


「いやなに。大袈裟に治療されただけだ。お前こそ、調子はどうだ?」

「平気です。元気です、歩けます」

「ベル?」

「申し訳ございませんッ、お嬢さま……!!」

「ははは! お前、だいぶん参ってたからなあ。無理すんなよ!」


 宰相閣下によく似たお顔を快活に笑ませ、ギルベルト様が片足を引き摺る。

 うかがえば、捻挫だと答えられた。

 坊っちゃんとお揃いですね……。


 はーどっこいしょ、とギルベルト様がベッドの縁に腰を下ろされる。

 ……いつも思うけれど、彼はもっと見た目を大事にした方がいい。

 見た目のイメージって、大切だ。


「ノエル様は?」


 扉の前から動かないノエル様へ、調子をお尋ねする。

 びくりと肩を跳ねさせた彼は、俯いたまま固く手を握り締めていた。


「ッ、何がですか」

「お加減、お怪我の調子は?」

「別に。……普通です」


 ぶっきら棒に返され、あんまり大丈夫じゃないんだろうなあと感想を抱く。

 この部屋には僕以外に人がいるのに、普段の猫被りが出来ないほど、彼は磨耗しているようだ。


 ギルベルト様が膝を叩く。

 ぱん、とした小気味良い音に、そちらへ顔を向けた。


「リヒトが部屋に引きこもっててな、クラウスが言うには飯も食ってないんだと。あとでで構わないから、様子を見てやってくれないか?」

「殿下がですか? 畏まりました」

「わたくしたちも、先程お部屋をお伺いしたの。……お会い出来なかったのだけれど」


 眉尻を下げたお嬢さまが、坊っちゃんへ相槌を求められる。

 こくりと頷かれる坊っちゃんに、リヒト殿下のご様子が心配になった。

 殿下のペンダントも返さないといけないし……?


 ぱん、ズボンの両ポケットを叩く。

 すっと青褪めた。殿下のペンダント、どこ!?


「……あの、殿下のペンダントは、どちらに……?」

「ああ、ここだ」


 坊っちゃんがポケットからハンカチで包んだ小包を取り出し、広げられる。

 中央に収められた赤い石のペンダントに、泣きそうなくらい安堵した。

 繰り返し坊っちゃんへお礼を伝える。


「よ、よかった! 打ち首になるところだった!!」

「ベル、あまり不吉なことを言わないで」

「申し訳ございませんッ、お嬢さま!」

「ははっ、懐かしいなそれ! リヒトがよく窓から投げ捨ててたやつ!」

「何してるんですか、殿下!?」


 けらけら笑うギルベルト様が、いててと肩を押さえられる。

 それでも声を笑わせたまま、彼がペンダントを指差した。


「リヒト、王子やめたかったみたいでな。椅子で踏んでみたり、色々してたんだぜ?」

「リヒト殿下にも、そんな時期があったのか?」

「あ、やべ。本人には言うなよ? 絶対怒られる」


 意外そうなお顔で首を傾げた坊っちゃんに、ギルベルト様が慌ててご自身の口を塞がれる。

 僕とお嬢さまはひたすら驚いていて、まじまじとペンダントの赤い石を見詰めていた。

 ……歴戦の猛者だと思えないくらいに、傷ひとつない。


「まあ、この年までちゃんと持ってたんだ。偉いもんだよな。じゃあな、俺は伝えたからな」


 立ち上がったギルベルト様が片手を振り、上がらない片足を引きながら部屋を出て行く。

 重たい扉が閉じる音に続き、廊下から「ギルベルトさまああああ! 勝手に出歩かないでくださいと、あれほど申したはずですがああああ!!」滅多にないユージーンさんの大声が響き渡った。

「うわっ!? 何だユージーン、驚かせるな! その肺活量どうしたんだ!?」声が遠退いていく。


「……騒がしいやつだな」

「ギルベルト様も、抜け出したタイプなのね」


 坊っちゃんとお嬢さまがしみじみされていらっしゃる。

 ギルベルト様、あんなに堂々と脱走されていたのですね。見習います。


「……あの、」


 ノエル様の発した小さなお声に、全員の視線が向く。

 一瞬たじろいだように唇を開閉させた彼が、再度俯いた。


「……すみません。オレンジバレー先輩に話があるので、ふたりにしてもらえませんか」


 飾り気も疑問符もない、素っ気ない声だった。

 困惑したように、お嬢さまがこちらをうかがう。

 とても心配そうなお顔に、良心が痛んだ。


「大丈夫です。どうぞ、ノエル様。椅子……は、ないようですね。適当にお寛ぎください。お嬢さま、坊っちゃん、アーリアさん。また後ほどお迎えに上がります」

「お前は安静にしていろ。頃合いを見て戻ってくる」

「ベル、絶対に無理をしては駄目よ。いいわね? ベッドがあなたのお城なの」

「僕も歩き回りたいです!!」

「48時間後に審議する」

「二日後!!」


 うわああああんっ、あんまりですー!!


 情けなく追い縋る僕に構うことなく、お嬢さま方が「何かあれば、大きな声で呼ぶのよ」と部屋を出て行ってしまう。

 うわあああん! 脚は動くのにー! また身体が鈍っちゃうのにー!


「ぐすっ。お茶もお出し出来ず、申し訳ございません、ノエル様」

「通常運転ですね、先輩。俺が何かするとか、考えなかったんですか?」

「リズリット様もいますし、大変なことにはならないかなと」

「寝てるじゃないですか、その人」


 ベッドの縁に座ったノエル様が半眼を作る。

 寝返りすら打たないリズリット様の頭を撫で、まあまあと笑った。


「それで、どうなさいましたか? ノエル様」


 僕の問い掛けに、言いよどむように彼が口を噤む。

 俯いた仕草に合わせて、前髪が表情を隠した。

 固く握られた手が微かに震えている。


「……せんぱい、……俺のお話聞いて、はいよしよしって、してください……ッ」

「はい?」


 泣きそうなほど歪んだ声で訴え、ノエル様が俯いている。

 記憶を辿って、彼がそう称した話題を思い返した。

 ……何だっけ。僕には聞くことしか出来ないと言ったやつだっけ。


 ノエル様、彼を呼ぶ。

 びくりと大袈裟なまでに震えた肩に、これ以上怯えさせないよう両手を差し出した。


「もう少しこちらへ来てください。そこは腕が届きません」

「っ、いいん、ですか……?」

「どうぞ」


 ベッドの傍らをぽんぽん叩くと、こちらを向いた緑の目が潤み、大粒の涙が溢れ出した。

 両手で顔を覆ったノエル様が、嗚咽を漏らす。


 いつも持っているハンカチはポケットになく、おろおろと周囲を見回した。

 仕方なく長袖を引っ張り、ノエル様の頬を拭う。

 あ、あれ!? ますます泣いちゃったんだけど、どうしよう!?


「……ッ、せんぱ、せんぱいっ」

「どうしました? 悲しいことでもありましたか?」

「俺、ひっ、家、……追い、ださ、れましたッ」


 ノエル様の言葉に、思わず息を呑む。

 泣きじゃくる彼は呼吸をつっかえさせながら、それでも続きを話した。


「てが、てがみ、がっ、届いて、ぐすっ、……父が、ッとおえ、んに、俺、……預けるって」

「……はい」

「コード、くん、の、ことっ、……だけッ、ひっ、……ほめ、ほめて、ううっ、もら、はじめて、ッほめ、て」


 本格的に泣き出してしまったノエル様の頭を撫で、神妙な心地に陥ってしまう。

 ノエル様は以前から、愛情を渇望している様子を見せていた。

 反省室に怯えた仕草や、対立に投影された母親。

『三男なんて、頑張らないとパパとママに認めてもらえない』彼は最初から、答えを口にしていた。


 肩口にノエル様の頭を寄せ、背中を宥めるように叩く。

 僕の背に回された腕が、痛いほどに縋りついた。

 ぐすぐす、涙声が不安定に揺れる。


「せんぱ、いっ、俺、どうしよ、すて、ひっく、すてられ、家、すてられたぁ……!」

「大丈夫です、ノエル様。ノエル様は、いい子です。大丈夫です」


 15歳で家族というコミュニティから外されるなんて、どれだけ苦痛なのだろう。


 彼が僕や坊っちゃんに拘った理由は、高位の存在への足がかりだ。

 彼は彼で、家のために尽力していた。

 それをコード家との接点だけ褒めて、ノエル様は不用と?

 それってちょっとひどすぎない?

 お家の人はノエル様のことを、何だと思ってるんだろう!?


「ノエル様は、対立戦で大変な中でも、坊っちゃんのことを知らせに来てくれました。お友達思いの、優しい方です」

「ち、ちがっ、俺、……めいれ、無視! コードく、ん、ひとりにっ、した! せんぱい、落ちて……ッ」

「……ご心配をおかけしました。僕も、坊っちゃんも、ノエル様も、こうして無事です。ノエル様が知らせに来てくれなければ、僕はもっとのんびり坊っちゃんの元へ向かっていました。……取り返しのつかないことになっていたと思います」


 柔らかな髪を梳く。

 あのとき、坊っちゃんのすぐ足許に影が見えた。

 普通に走っただけでは、きっと間に合わなかっただろう。

 坊っちゃんをお守り出来て、本当によかった。


「ありがとうございます、ノエル様。あなたがいてくれたから、坊っちゃんをお守りすることが出来ました」


 ますます背に回された腕に力が込められ、ノエル様が泣き出した。

 わんわんとしたそれは子どものようで、心音に合わせて背中をあやす。


 ノエル様が落ち着くのを待ちながら、彼が語ったご実家の様子について思案する。

 遠縁の家に預けられることも、家を追い出されたことも、僕は関与出来ない。

 ……つくづく、僕には何の知恵も力もないのだと痛感してしまう。


 ……旦那様に相談したら、何か解決策は見出せるのだろうか?

 ううん、旦那様にまで話が行ってしまえば、大事になってしまう。

 まずはヒルトンさんに相談しよう。

 養父なら、何か助言してくれるはずだ。


 そもそも、ここまでノエル様を蔑ろにするご実家は、本当にノエル様にとって必要なのだろうか?


「ぐすっ、……ううっ」

「落ち着きましたか?」

「……リズリット先輩、起きてますよね。絶対」


 涙で震えた声が、恨みがましい音で響く。

 ノエル様の頭を撫でながら、膝に乗った頭を見下ろした。

 ぱちり、開いた白い睫毛が薄茶色の瞳を覗かせる。

 本当だ、起きてる!


「ベルくんの膝は俺のだもん」

「僕の膝は僕のですよ。おはようございます、リズリット様。起きたのでしたら、そろそろ退いてください。痺れました」

「ベルくんのそういうところ、すきだよ……。やだあぁ、まだ寝るううう」


 駄々をこねるリズリット様に、ううん、唸る。


「寝苦しくありませんか? 隣のベッド空いてますよ」

「先輩って、時々めちゃくちゃクールですよね。温度差で風邪引きます」

「どういう意味でしょうか!?」


 僕、そんなに非道なこと言ってるの!?

 ノエル様が離れたため、ごねるリズリット様の頭を撫でて宥める。

 目許を擦ったノエル様が、呆れたように息をついた。


「先輩が寝てる間、不眠を拗らせたリズリット先輩が、夜通し廊下を徘徊していたんです」

「何なさってるんですか、リズリット様!?」

「ただでさえ精神病院とかいう薄気味悪い場所なのに、何往復もぺたぺた足音がするんですよ? ぶち切れた俺と一戦交えました」

「何なさってるんですか、おふたりとも!?」

「真夜中に廊下と壁を抉って、教官にものすごく怒られました。なので俺はリズリット先輩が苦手です」


 剣呑な顔でじっとりとリズリット様を睨むノエル様に、勢いよく頭を下げる。


「その節はリズリット様が大変なご迷惑をおかけしましたこと、誠に申し訳ございません!!」

「その子だって、突然攻撃してきたんだよ? 正当防衛だもんー!」

「リズリット様、夜は寝る時間です! 夜更かししたら、大きくなれませんよ!?」

「俺、まだ大きくなるの……?」


 180センチ台にいるリズリット様が、愕然としたお顔をされる。

 優男といった風貌で、細身だからうっかりするけれど、リズリット様は身長にも筋力にも恵まれている。……羨ましい。


 むすりと唇を引き結んだノエル様が、僕の手首を掴んで腕を引く。

 そちらを向くと、不機嫌そうな顔とかち合った。


「先輩、王子様のお部屋に案内します。部屋番号知らないでしょう?」

「本当ですか!? 助かります!!」

「ええーっ。それ、ミュゼットちゃんとアルくんに怒られるよー?」

「だったら俺の名前を出したらどうですか? 別に俺の評価が下がっても、痛くも痒くもないので」

「ノエル様、捨て身が過ぎませんか……?」


 のそりと起き上がったリズリット様が眉尻を下げる一方で、ノエル様が不貞腐れた顔で腕を引く。


「うるさいですよ。行くんですか? 行かないんですか?」

「行きます」

「ええー! ベルくんチャレンジャー……」

「じゃあ、さっさと立ってください。見つかったら強制送還なんで」


 脳裏をお嬢さまと坊っちゃんとアーリアさんが過ぎたが、痛む良心に蓋をした。

 リヒト殿下のことが心配だったし、何よりネガティブを繰り広げていそうで戦慄した。


 それからクラウス様と、エンドウさんにもお礼とお詫びを伝えたい。

 やりたいことがいっぱいある。


 ノエル様に腕を引かれるまま、床に足をつける。

 何処にどんな怪我を負っているのか把握していないけれど、引きつれた痛みに悲鳴を噛み殺した。


「……誘ったの俺ですけど、先輩、大丈夫です?」

「ベルくん、やっぱりあとにしよう?」

「い、いやですー! 時間は有限なんですー!」


 う、うそだ! こんなに痛くなかったもん!

 僕、このコンディションで飛んだり跳ねたりしてたもん!!


 ノエル様に思い切り体重を預け、リズリット様の護送つきで、僕の病室脱出大作戦が幕を開けた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ