天気雨にかざす
食い入るように画面を見詰め、三つ並んだ選択肢に惑う。……困った。どれも同じようにしか見えない。
ひとまずコントローラーを脇に置き、携帯端末を手に取った。
選んだ相手はゲームの貸し出し主で、数回のコール音がふつりと途切れる。
『おうおう、どうした?』
「あ。なあなあ、王子ルートもうやった?」
『どの王子』
「王子掛け持ち過ぎだろ。庭の方。くろにっくがーでん」
『あー、儚いタイプの王子!』
「それそれ!」
通話相手の彼こそが、『男を磨く!』と乙女ゲームを配り出した張本人だ。
内容を思い出してくれたのか、はいはいと気のない返事をくれる。
俺は今正に、渦中に身を置いて大変な目に遭ってるのにな!
画面に目を向けた。
『何か詰まったか?』
「いや、何かもう、このゲーム病み過ぎじゃないか? びっくりするわ」
『泣きゲー』
「意味を調べろ。えっとな、リヒトくんの、対立戦終わってすぐの選択肢なんだけど」
『おう』
「あなたの痛みを知りたいと、あなたの支えになりたいと、あなたと一緒にいたいって出てるんだわ」
『俺も女の子から、そんなこと言われたい』
「もしもーし。俺の話聞いてー?」
画面に映った選択肢から、儚い系王子様へ視線を動かして辟易する。
けたけた笑う通話口が、わざとらしく咳払いした。
『リヒト何つったかな。今アルス落としててなー』
「誰アルス」
『穢れなき群青の花嫁』
「新しいタイトル増やすなし」
『今度貸してやる』
「いらねぇ……! 今こっちで手いっぱい!」
『同時進行で二股かける気分はいかが?』
「こんな誠実な選択肢の裏で、発想が腹黒すぎません!?」
通話口が愉快そうに笑う。
膝を抱えてゲームのパッケージを見詰め、はたと疑問を投げかけた。
「せんせー! ベルナルドくん、失踪し過ぎじゃないですかー?」
『誰ベルナルド』
「従者従者。ほらあの、お嬢さまの後ろの黒いの」
『ああー、黒いの! いたいた、そういえば』
「影薄過ぎ問題」
指差したパッケージの無表情。
物静かで、気がつくと何処かへ消えている攻略対象。
いつもどの辺りでいなくなるんだったかな……?
だってなー。笑っていた彼が、声音を改めた。
『なあなあ、俺からも聞いていいか?』
「おう、何だ?」
『リヒト、そんな選択肢なかったと思うんだけど、本当にそんな画面出てるのか?』
「え?」
耳から流れ込んできた音声に、慌てて画面を確認する。
儚い系王子の下には、変わらず似たり寄ったりな三択が表示されていた。
「ほんとほんと。びっくりさせるなよー!」
『えー、本当かー? だってリヒトだぞ? わかりやすいの代表例だぞ?』
「んじゃあ、これ、どれ選んでもブラックアウトしないってことかな? ノエルくんのあれには驚かされたからな!」
『あれはなー。……なあ』
手にしたコントローラーの、カーソルを下方向に押す。
色のついた欄が、くるくると音を立てて巡った。
通話相手が神妙な声を出す。
うん? 端末に問い掛けた。
『……お前、さ。何て名前だっけ?』
カーソルを押していた手が止まる。
何をおかしな冗談を。笑い飛ばしたかったそれが、喉奥で固まった。
……俺って、誰だっけ?
*
はたと目を覚ますと、見知らぬ部屋にいた。
動悸を訴える心臓を服の上から押さえて、お腹に走った痛みに呻く。
蹲ったことで、自分が床に座り込んでいることに気付いた。
そして僕の膝で、リズリット様が寝ている。
「……?」
うん? どういうこと? ここは何処だろう? 何でこんな状況?
大量の疑問符が一気に沸き、困惑してしまう。
ひとまずリズリット様の頭を撫でてみたけど、起きる気配が微塵も感じられない。……困ったなあ。
座り込んだ位置から見える範囲で、周囲を見渡してみる。
……物のない部屋だった。
全体的にこじんまりとしていて、質素なパイプベッドがふたつ並んでいる。
扉は鉛色をしており、重たそうだ。
見上げた天井にはレールが走っており、薄い色のカーテンが纏められている。
……病室で見かける、間仕切りのカーテンっぽい。
すり硝子の窓には鉄柵だろうか、無骨な黒い線が透けて見える。
日差しが明るいから、時間帯は朝か昼なのかな?
時計をと探して、自分のポケットに懐中時計がないことに気付いた。
何処に行っちゃったんだろう? ヒルトンさんからもらったものなのに。
「いたたっ」
ベッドの下を覗き込もうと身体を傾げて、痛んだ傷口にうっかり声が出てしまう。
うううっ、脇腹を押さえてじっとした。
肩から落ちたブランケットが、乾いた音を立てる。
こんなに痛かったっけ……? そもそも、何で僕怪我してるの?
うう、思い出せない……。
涙目になりながらベッドの下を覗き、懐中時計がないことに落胆する。
代わりにぬいぐるみを見つけた。
誰かの落し物だろうか? 取りたいけど、リズリット様がいるので動けない。
呻きそうな声を噛み殺して体勢を戻し、背後の壁に凭れた。
いたたっ、ずきずきしてる……。
「……僕、昨日、なにしてたっけ……?」
声にして、改めて思う。
何だか、頭に靄がかかったようで、記憶が取り留めない。
覚束ない感覚は寝起きのようで、何となく気持ち悪い。
ううん、リズリット様、起きてくれないかな。
お嬢さまと坊っちゃんはどちらだろう?
リヒト殿下の朝のご準備をしなきゃ……?
「リズリット様、リズリット様! 対立戦はどうなったのですか!?」
膝で眠る彼の肩を揺すって、おろおろと確認したい項目を音にする。
何で僕、こんな重要なことを忘れていたんだろう!?
坊っちゃんは、あのあと坊っちゃんはどうなったのだろうか!?
お嬢さまのご容体は?
リヒト殿下やクラウス様、ノエル様は、他の皆様方はご無事だろうか!?
ううんっ、唸ったリズリット様が、薄目を開ける。
腫れぼったい瞼は寝起きというより、泣いたあとのように見えて、心配になった。
身を起こした彼に、がばりと腕を回された。
固く抱き寄せられ、困惑と動揺を覚える。
「リズリット様……!?」
「うわあああああんっ!! ベルくんやっと起きたあああ!!!」
「僕どんだけ寝てたんですか!?」
思わずびっくりしてしまい、雑な言葉遣いをしてしまう。
わんわん泣きじゃくるリズリット様は腕を緩めてくれず、途方に暮れた。
彼の背中を宥めるように叩く。
素早く響いたノックの音が、手荒く扉を開いた。
顔を覗かせたのは坊っちゃんとお嬢さまとアーリアさんで、おふたりのお元気そうなお姿に、僕まで涙腺が緩む。
「坊っちゃん、お嬢さま……!」
「ベル! 目が覚めたのね!」
駆け寄って来られたお嬢さまが、僕の前で膝をつかれる。
僕の頬を両手で包み、石榴色の瞳を潤ませられた。
額に触れたお嬢さまの手が、ひやりとしている。
アーリアさんへ、「体温計を」指示を出されている。
「あのっ、お嬢さま、お加減は? 坊っちゃんのご容体は? 状況のご説明をいただけると、ありがたいのですが……!」
ひどく焦った心地で質問を投げかける。
何処かからか水の入ったグラスを持ってこられた坊っちゃんが、それをこちらへ差し出した。
リズリット様から手を離し、困惑のまま受け取る。
……そういえば、喉が渇いている気がする。
水を傾けると、うっかり噎せてしまった。
空になったグラスを手から抜かれ、坊っちゃんに背中を擦られる。
ついでに水銀製の体温計もさされた。
「わたくしは平気よ。アルの怪我も、ちゃんと治療しているわ。あとは日にち薬よ」
「そうですか……よかった……」
「他にも怪我をしている方はたくさんいたわ。けれども、全員戻ってこられたの。ベル、対立戦は終わったのよ」
お嬢さまのお言葉に、ぼろりと涙が落ちた。
はたと瞬いた瞬間にぼろぼろと雫が落ちるものだから、慌てて俯いて瞼を擦る。
よかった。震えた声が、リズリット様の肩口に滲んだ。
よかった。本当によかった。
ゲーム内では死亡が確定していたリズリット様も、こうしてお元気にされている。
あたたかな体温が間近にある。本当に、よかった。
ぐすぐす揺れる呼吸を宥める。
お嬢さまに頭を撫でられた。
「……ッ、リヒト殿下や、クラウス様は?」
「別のお部屋にいらっしゃるわ」
「よかった……」
安堵から息をつき、リズリット様の背を握る。
嗚咽を漏らす彼に、ますます締められた。
あ、それ以上はギブです。
「ベルくん全然起きないんだもん……っ、心配で心配でぇ……ッ」
「お前は少し寝ろ、リズリット」
「あの、僕どのくらい起きなかったんでしょうか……?」
僕の問い掛けに、お嬢さま方が顔を見合わせた。
その示し合わせるような仕草が、とても心臓に悪いのですが……。
こちらを向いたお嬢さまが口を開かれる。
何処か、曖昧な微笑みに感じられた。
「二日……くらいかしら。わたくしたちも、消耗から一日は寝て過ごしたわ」
「そう、でしたか」
「対立戦の様子を、何処まで覚えている?」
坊っちゃんに問い掛けられ、途切れている記憶の際を探る。
ノエル様を見つけて、坊っちゃんの元まで向かって、坊っちゃんを突き飛ばした……あとの記憶がない。
懸命に思い出そうとするも、言い知れぬ不安感に苛まれて続きが思い返せない。
これらの旨を伝えた。坊っちゃんが難しそうなお顔をされる。
「……お前は僕を庇って、第二階層へ落ちた。これについては?」
「坊っちゃんの足許が暗かったなー、としか……」
「そうか。……第二階層へ下りたのは、お前とお前の救出へ向かったクラウスだけだ。その後エンドウの協力を得て、下層から脱出することが出来た」
「お詫びとお礼に向かいますッ!!」
「じっとしていろ、怪我人」
リズリット様ごと立ち上がろうとした僕を、呆れ声が止める。
ううっ、絶対にご挨拶に向かう! 意地でも、目を盗んででも向かう!!
「手間をかけさせるな。お前は熱を出しているんだ」
脇から抜かれた体温計が、目の前にかざされる。
僕がお世話する側なら、「今日はご静養日ですね」と諭す数字が示されていた。
ええっ、うそだー!!
「ご冗談を……」
「起きたのなら、ベッドへ向かえ。大人しく寝ろ」
「やだー! 起きますー!! 僕元気ですー!!」
「なら、状況説明は以上で仕舞いだ。義姉さん、出るぞ」
「わあああんっ! あんまりです、坊っちゃん!!」
泣き声を上げた僕を、お嬢さまが苦笑いで見詰めている。
立ち上がった坊っちゃんが、冷めた目でこちらを見下ろした。
「大人しくベッドへ戻るか?」
「ひゃい」
そもそも、何で僕、床にいたんだろう?
リズリット様に支えられながら、よろよろとベッドへ向かう。
立ち上がって気付いた、お腹の痛み。
シーツを握り締めながら、ぜいぜい喉を鳴らした。
「ベルくん、大丈夫?」
「うそだー! こんなに痛くなかったもん!!」
「お前、その状態で部屋の外へ出てみろ。向こう五年は僕の世話が出来ないと思え」
「二十歳!!」
坊っちゃんの詰め方がえげつないです。ベルナルドは悲しいです。
ベッドに乗り上げたことで視点が変わり、サイドテーブルに懐中時計があることに気付いた。
ほっと息をつき、手繰り寄せたそれに損傷がないことを確かめる。
開いた文字盤の時刻を坊っちゃんに尋ね、合致していることに安堵した。
坊っちゃんのご説明によれば、現在地であるここはクラリス精神病院というらしい。
お貴族さまのご子息ご令嬢、更には王子殿下と王女殿下までいらっしゃるのに、精神病院などに放り込んでいいのだろうか……?
どうやら対立戦参加者から調査職員が順番に話を聞いているらしく、そこで不安定になる人が多くいるらしい。
そういった観点から、設備の整ったこの病院を利用しているそうだ。
……それでもやっぱり複雑だけど。
お嬢さまと坊っちゃんの聞き取りは終わっていて、リズリット様は途中で続行不可となったらしい。
不眠の症状を訴えている生徒は多くいるそうで、リズリット様もそのうちのひとりだそうだ。
よく見れば、リズリット様の目許には隈が出来ている。
僕が起きたことで不安が解消されたのか、またしても膝で眠られた。
……リズリット様、寝苦しくないのかな? 体勢的にも、膝枕的にも。
お嬢さまは長時間の魔術の連続使用により、現在虚脱状態にあるらしい。お労しい……。
しばらく安静にすると戻るそうで、大丈夫だと微笑まれた。
坊っちゃんは再びお食事が取れない状況にあるそうだ。
あとでごはんをご一緒しましょうと約束した。
「滞在期間は、全員の聞き取りと怪我の程度によって変動する。何か質問はあるか?」
「他の方のご様子について――」




