深海が覗く
※残酷描写注意
この町の偉い人だという人物が、挨拶に来た。
一緒にいた神官のような女性が、明後日雨が降ると告げる。
つまりは明後日、僕たちは対立と戦わなければならないらしい。
彼等が帰ったあと、四年の先輩が明るい調子で晩ごはんを尋ねた。
それに便乗するかのように、ノリの良い人たちがわいわい賑やかにする。
彼等の中には、最初の対立戦の説明で、ジル教官に食って掛かった先輩もいる。
これまでの道中でも、彼等は暗くなりがちな僕たちの空気を、明るく払拭してくれていた。
僕たちは先発隊であり、後発隊に騎士団の人たちがいる。万が一に備えた人数は物々しくて、彼等との連絡はジル教官が行っていた。
クラウス様とリズリット様も騎士団の人たちのところへ挨拶へ行ったらしい。
帰ってきた彼等が、「学園の研究生もいた」と話していた。なるほど、大人数の移動は大変お金がかかる。
翌日、訓練を行ったあと、最終の打ち合わせが行われた。
これまで微調整のかけられてきたそれを、資料とともに目で辿る。
全体の流れに変更はない。
僕とクラウス様がお嬢さまの星屑を運び、防護壁を生成する。
その際、予備の武器と飲み水、救急用品を運び、5箇所の防護壁のうち2箇所に設置することになった。
当初クラウス様が3箇所の星屑の設置を命じられていたが、武器の運搬のこともあり、僕が3箇所設置することに変更された。
よって、奥の武器はクラウス様とノエル様が運搬。奥の水はリヒト殿下とエンドウさんが運ばれる。
救急用品は坊っちゃん。第一班は、彼等に僕を含めた6人だ。
現場の指揮官であるギルベルト様は、大体中間に配置されるらしい。
石の小鳥が存外に滑らかな動きをするので、坊っちゃんの肩に留まっている小鳥さんへの愛着がすごい。
たまに鳥らしく「ぴっ」と鳴くので、愛らしさが激しい。僕もほしい。部屋に置きたい。
お嬢さま、リズリット様、エリーゼ殿下、ノイス教官は小ホール待機班だ。ここに変更点はない。
門にフェリクス教官、ジル教官は騎士団と控えている点も変更はない。
鐘が鳴るまで、決して扉を開けてはならないと繰り返し言い聞かせられた。
これは僕たちも、鐘が鳴るまでは外へ出られないことを指している。
扉が破られれば僕たちの負け。90分耐え切らなければならない。
最後に、鐘が鳴ったら速やかに撤退する。
全員の脱出が確認されたところで、ギルベルト様が最後に扉を潜る。
ギルベルト様が小ホールに入った瞬間に扉を閉めるので、逃げ遅れると二度と外の世界へは出られない。
この際、持ち込んだ品々は全て捨て置くことになる。予備の武器に構って逃げ遅れるなんて、洒落にならない。
「くれぐれもバディとはぐれるな。何か異常があれば、俺かアルバートに伝えてくれ」
長い睫毛を伏せて資料を読み上げていたギルベルト様が、琥珀色の目を覗かせる。
エリーゼ様が原案であるこの作戦は、指揮官であるギルベルト様の手に渡り、今の形となった。
「各自、星屑は決して手放さないように。誤認で負傷したくないだろ?」
「対立って、どんな形で来るんですかねー?」
「さあなあ。俺は個人的に、くまかウサギのきぐるみを希望しているが」
「それはそれでこわくないっすか?」
会議に使われている部屋に、笑いが起こる。
にっと口角を上げたギルベルト様が、室内を見回した。
「他、質問はないか? リヒト、何か一言述べるか?」
「ええっ。……明日はよろしくね。ぼくも精一杯がんばるよ」
「あっさりした挨拶だな。ではみんな、よろしく頼む」
「ギルも人のこと言えねーなあ!」
「うるせー!」
立ち上がったリヒト殿下が穏やかに微笑み、ギルベルト様を野次がからかう。
まさかこんなにも和やかに過ごせるとは思ってもみなくて、エリーゼ様とフェリクス教官が呆れたように嘆息していた。
ノイス教官は笑っている。
けれども、沈鬱な空気で緊張のまま死地へ赴くより、遥かに気が楽だ。
何だか、ちょっと遠くを散歩するような心地だ。
*
明後日と示された今日、晴れた空には雨が降っていた。
しとしと身体を濡らす小雨を受け、大きな両開きの扉を前に、フェリクス教官とノイス教官が術式を張る。
ふたりとも扉を背に合わせ、緊迫した様子をしていた。
「オレンジバレー、索敵は行えるか?」
「変な感覚がします。近くと思えば近くに感じますし、遠くにも感じられます」
「わかった。作戦に変更はなしだ。下がっていろ」
「はい」
あんまり役に立たなかった索敵結果を告げ、急ぎ門の前に合流する。
不思議な建物だった。
光柱を伸ばすそれは天高い塔で、取り囲むように錆びた鉄柵が乱雑に巡らされている。
門の内側に緑はなく、雑草すら生えていなかった。
塔の感想を述べようとすると、意識にノイズが走る。
……あまり、良い気分にはなれない。薄気味悪いような、忌避したいような、ざわざわした感覚がする。
「開くぞ」
「ああ」
カウントとともに教官が『裁定の間』を開き、扉の中へ大掛かりな術を放つ。
隙間から伸ばされた肌色の手が、焼け爛れるように炭化した。ひっ、誰かが悲鳴を上げる。
「最後にここが開いたのは10年前だ。10年間、飲まず食わずで生きられたなら、そいつは人間ではない。くれぐれも惑わされるな」
顔に走る大きな傷を撫で、フェリクス教官が振り返る。
ノイス教官の手招く仕草に促され、まずは小ホールへ移動した。益々強くなったざわつく感覚に、無意識に腕を擦る。
騎士団員が物資を運び込む中、辺りの様子を観察した。
リヒト殿下とギルベルト様は互いに打ち合わせをしており、エリーゼ様は扉の前にいらっしゃる。
坊っちゃんは上級生の方とともに、物資の確認をされていた。
小ホールは灯火もないのに明るく、想像以上に広かった。
小というより、大と称した方が適切だろう。
灰色の壁が丸く周囲を囲み、蔦模様を浮かび上がらせている。
天井には一面の薔薇窓が広がり、全体的に赤い硝子が嵌められていた。
赤、ピンク、橙、紫、青、時折色彩を変えるそれらを見上げ、ふと気付く。
……外から見た塔の外周と、このホールの大きさが合っていない。
「ノイス教官、大丈夫ですか……?」
「……ああ、心配いらない」
お嬢さまのお声に振り返り、急いでそちらへ駆け寄る。
具合悪そうに口許を塞いだノイス教官を、お嬢さまとリズリット様が支えていらっしゃった。
冷や汗を掻く教官は真っ青な顔色で、リズリット様が不安そうなお顔をされる。
「ノイス教官っ、大丈夫!? 90分持つ!?」
「私を侮るな。……なあ。きみたちには、あれが何に見える?」
ノイス教官の人差し指が、真っ直ぐ頭上へ向けられる。
促されるようにもう一度天井を見上げ、教官へ顔を戻した。
「薔薇窓です」
「わたくしも」
「ちょっと動いてるよね」
「あ。度々色変わってますよね」
「え? そうかしら……?」
「……そうか。ありがとう、参考にさせてもらう」
つらそうに息をついたノイス教官が、姿勢を正す。眼鏡を押し上げた彼女が号令をかけた。
運び終わった物資をそれぞれの役職が手にし、班ごとに整列する。
一様に顔色の悪い騎士団員等が撤退し、最後にフェリクス教官が扉の外へ出た。
「ここで待っている。どうか、全員無事で」
胸が苦しくなるような顔で、フェリクス教官が微笑む。
開くときにも発した鉄錆の軋む音を立て、扉が重く閉じられた。
ノイス教官がふたつ目の扉へ近づく。
扉の前に座り込むエリーゼ様の足許には、暗黒色の幾何学模様が緩く明滅していた。
「殿下、準備の方は」
「上々よ。いつでもいけるわ」
「畏まりました。各班、配置につけ!」
先ほどまでの具合の悪さを微塵も感じさせない態度で、ノイス教官が扉に手を添える。
扉に走る歪な模様は左右非対称で、表現しにくい色に汚れていた。
教官が取っ手を掴む。鋭い目を僕たちへ走らせた。
「武運を祈る」
さん、に、いち。静かな声でカウントを取り、勢い良く扉が開かれる。
エリーゼ様の魔術が発動した。
夜を煮詰めたような色の闇が、何かを目視する前に扉の向こうを塗り潰す。
「行って!!」
「第一班、行くよ!」
剣を利き手に、リヒト殿下が先陣を切る。
彼に続いて、お嬢さまからお預かりした星屑を握り締めた。
クラウス様は左へ、僕は右へ、外観の構造と一致しない、広大な内部を駆ける。
エリーゼ様の闇が晴れたことで、内部の構造が明るみになった。
小ホール同様、明かりもないのに暗さを感じない周囲と、切れ目のない白い床。
遠くの壁一面に光が差し込み、神話を描いたステンドグラスを透過させた。
遠近感と方向感覚を失わせる空間に、ひとつめの星屑を設置する。
柔らかな緑の光を纏ったそれが、四人くらいなら休められるだろう、正方形の光柱を天高く伸ばした。
見上げた頭上は真っ暗で、思わずぎょっとしてしまう。
右に蛇行した進行方向を、扉の延長線上まで戻す。
真ん中なんて何処かわからないけれど、同じ要領でふたつ目の星屑を設置した。
……ここがひとつ目の補給ポイントになる。
更に奥へと走ったところで、遠くに人影を見つけた。
先に行った誰かだろうか? 疑問に思ったそれへ声をかけるよりも先に、違和感からナイフを抜いた。
じわじわと、周囲の景色が濁っていく。
領地のようにも見える。けれども、夢で見た景色のように細部が覚束ない。
遠くに見えた人影はマネキン人形で、何故だろうか、片腕がなかった。
赤く汚れた顔面は、平面の写真をマジックで塗り潰したかのように、ぐしゃぐしゃに消されている。
あれ? ここが深層心理を投影した世界なら、僕のこの心理状態って、何なんだろう?
回避出来るだろうか? 確実に星屑を設置しなきゃ。
周囲に目を滑らせると、めこりめこりと異音を立てて、地面が盛り上がった。
ずるりと這い出てきたのは同じようなマネキンで、それぞれ欠けている部位が異なる。
襲い掛かってくるそれらを、瞬時に避けた。
片足のないものの喉をナイフで裂き、片腕のないものを勢い良く蹴り飛ばす。
……感触は、人に近しかった。ごぽっ、喉を裂いたマネキンが溺れる音を立てる。
生々しさにぞっとした心情を置いて駆け出し、最後の星屑を設置した。
*
「――五つ、設置が終わったようです」
「そうか。ありがとう」
祈るように指を組んだミュゼットが、ゆったりと顔を上げる。
防護壁の制御を担う彼女は、これから鐘の音まで壁を維持し続けなければならなかった。
全円のスカートが床に広がり、彼女を縫い留める。
ミュゼットの周りを揺蕩う、五つの幾何学模様。
緩やかに円転するそれらは輪を描き、水に沈めた海月のような不規則な動きをしていた。
膝をつくノイスが、吐息混じりに礼を述べる。女教官に凭れているのはエリーゼで、ぐったりとしていた。
「王女様、大丈夫?」
「……ええ、……気にしないでちょうだい」
心配そうに眉尻を下げたリズリットへ、力なくエリーゼが利き手を振る。
ふらついた声にはいつもの覇気はなく、苦しげに呻いていた。
「久々にあれだけ気張ったわ。……どう、お兄様。本気を出したら、私の方がつよいのよ」
「今は休め、ケルビム」
「わかってるわよ……」
ここにはいない兄へ殊勝に呟き、ノイスに促されるままエリーゼが沈黙する。
ミュゼットの傍に立つリズリットが、固く閉じられた扉へ顔を向けた。
「……ねえ、カレンさん。ベルくんたち大丈夫かなあ?」
「……リズリットさん?」
「俺も向こうに行きたかったなあ」
唐突にミュゼットの母親の名前を出したリズリットが、何ごともなかったかのように「ミュゼットちゃんは、俺が守るからね!」明るく笑う。
こくりと喉を鳴らしたミュゼットが、何処かぎこちない笑みを返した。




