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03

「やったー! 勝ちましたー!!」

「絶対うそだ。こんなのありえない」


 開いた両手を天井へ向け、喜びを心のままに体現する。

 ぴょんぴょん弾む僕とは対極にいるリヒト殿下が、二枚の用紙を見比べ、渋面を浮かべていた。

 同じような紙切れを手にしたクラウス様が、にこやかな笑みとともに僕の頭を撫でる。


「ベル、何センチだったんだ?」

「175センチです! 殿下より2センチ高いんです!」

「絶対うそだ。ベル、背伸びしたでしょ」

「おー、ついに殿下を超したのか。良かったな」

「すっごく嬉しいです!」


 弾んだ心地のまま、にこにこと笑みが漏れる。


 進級した僕たちは、最初の時間に、魔力測定や身体測定を行うことになっている。

 測定会場は男女別に分けられ、僕たちがいるのは食堂側の訓練場だった。


 ざわめく会場はあれやこれやと賑やかで、各々がそれぞれの用紙を手に、一喜一憂している。


 やっぱり男の子たるもの、身長は重要な問題だ。

 特に僕は執事志望であるため、高い身長を得なければ進路の道が断たれてしまう。

 欲を言えば、もう少し欲しい。

 それでも、最低ラインには立てたはずだ。


 そして何より、過去これまでに受けてきたちびっこ扱いの雪辱を果たせたんだ! ふふん、どうだ!

 むすりとしたお顔のリヒト殿下が、じとりとこちらを睨みつけた。


「来年はベルより3センチ高くなるから」

「殿下、そろそろ成長期も終わりじゃないっすか?」

「ぼくの成長期は、まだ諦めてない」

「応援だけしてますわ」


 クラウス様が揶揄する。

 ひらひらと振られた彼の測定結果には、『181センチ』の文字が躍っていた。

 ぴたりと殿下の表情が止まる。


 いやあ、クラウス様、本当に高身長でいらっしゃる……。


「クラウスは20センチくらい、ぼくに献上してくれてもいいんだよ?」

「いやあー。俺だけがこーんなにすくすく伸びて、ははっ、申し訳ないっすわー」

「今日のクラウスのお昼ごはん、藁で決まりだね」

「ひがまないでくださいよ、でーんか」


 にやにや笑うクラウス様を睨みつけ、ますますリヒト殿下が憮然としたお顔をされる。

 便乗するように、にこにこ笑顔で彼に話しかけた。


「ふふーん。リヒト殿下、ちびっこの称号はお譲りしますね」

「よし。ベル、3センチ縮もっか」

「嫌ですよ!?」

「うんうん。3センチくらい、骨格の歪みでどうとでもなるからね。我ながら名案だ」


 真顔のリヒト殿下にくるりと身体を反転させられ、彼が僕の首に腕を回す。

 背中にかけられるずっしりとした重みに、踏ん張る身体が前屈みになった。

 何だろう、この体勢に既視感が……!


「や、やめてください! 僕の背骨をいじめないでください!!」

「さあベル! 教室に戻ろうか!」

「わーんっ、殿下がいじめるー!」

「ははは、どんぐりの背比べ」


 爽やかな笑顔で、クラウス様が鮮やかに心を抉った。


 階段以外はリヒト殿下を背負ったまま、何とか教室に辿り着く。

 加えられる体重以上の重たさに、背後の彼の本気を垣間見た。

 つらい。本当に縮められる……!


 息切れしながら薄い扉を開け放つと、お嬢さまは既に自席へお戻りになられていた。

 窓際の陽光に照らされる清浄なお姿に、迷わず縋りつく。


「お嬢さまー! リヒト殿下とクラウス様がいじめてきますー!」

「あらあら、楽しそうで何よりだわ」

「お嬢さま!?」


 読みかけの本に栞紐を通し、こちらを向いたお嬢さまが、やわりと目許を緩められる。

 慈愛に満ちたお顔なのに、僕、いじめられてるって、あれ? おじょうさま!?


「ミュゼット。ベルのこと3センチ縮めるまで、ぼくこのままでいるから」

「やだー!!」

「あら、初勝利ね、ベル。おめでとう」

「お嬢さま、その勝利が今脅かされています!」

「ベル、2センチは縮んだんじゃねぇか?」

「世界が僕に優しくない!!」


 リヒト殿下の加重に耐えながら、めえめえ悲しみを叫ぶ。

 にこにこ微笑んでいたお嬢さまが、穏やかな面持ちで石榴色の目を瞬かせた。


「そういえば、このクラスに編入生が加わるそうですの」

「編入生? へえ、伝説上の存在じゃねぇんだな」

「あー。そういえばあったね、そんな話。今日来るの?」

「そのようですわ。ノイス教官がお連れになっていたそうですの」


 お嬢さまが振られた話題に、ぴたりと硬直する。


 そ、そっか。いよいよ編入生が来るのか……。

 物語のスタート地点に立ってしまった。


 あ、どうしよう、緊張してきた。

 何としてでも、お嬢さまをお守りしなければ……!


「ベル、どうしたの? 顔色が悪いわ」

「あっ、いえ! 何でもありません」

「殿下の重みで参ったのか?」

「ちょっとは縮んだかな」

「僕の背骨が泣いてる!」


 わっ! と顔を覆って誤魔化す。

 気安いクラウス様とリヒト殿下のおかげで、強張った気持ちが少しだけ楽になった。


 扉の開閉音に、はたと時計を見上げる。

 出席簿を片手に入室したノイス教官の姿に、ようやくリヒト殿下の加重から解放された。

 慌ててお嬢さまへ一礼し、各々自席へ着席する。

 ざわめいていた教室が、鐘の音とともに静かになった。


「今年度より当クラスの担当をすることになった、エレノア・ノイスだ。よろしく頼む」


 艶やかな唇を動かし、ノイス教官が口許の黒子を笑ます。

 豊満な身体をシンプルなスーツに包んだ彼女の姿に、男子生徒が小声で囁き合った。


 ……実技訓練でのノイス教官の一面を知っているだけに、喜びに拳を作っている彼等へ、何故だか同情心を抱いてしまう。

 隣のクラウス様へ目配せすると、彼も顔色を悪くさせていた。

 ……そのお気持ち、痛いほどよくわかります。


 僕たちの心情など構うことなく、ノイス教官が口を開く。


「本日より、当クラスに編入生が加わることになった。入れ」


 あっさりとした指示に従い、薄い扉が音を立てる。

 ざわめく教室内へ踏み込まれた脚が、軽やかな靴音を響かせた。


 歩む振動に合わせて、その人の桃色の髪が揺れる。

 その姿に唖然とした。


「挨拶を頼む」

「サヤ・エンドウと言う。気軽にエンドウと呼んでくれ。田舎生まれの田舎育ちなもんで、なにぶんお貴族サマのことはよくわからん。面倒をかけると思うが、まあ、よろしく頼むぜ」


 短く切られた桃色の髪と、にんまり細められた緑色の目。

 配色はゲームヒロインのそれなのに、編入生は男子制服を着用していた。

 着崩された襟元はネクタイを緩め、右手に持たれた鞄は、男らしく肩に担がれている。

 にっと引き上げられた口角は悪戯っぽく大胆で、彼の登場に女子生徒等が賑やかになった。


 彼……? 彼!?


「エンドウの席は、ケルビムの隣だ。ケルビム、手を上げてくれ」

「はーい」


 のほほんと手を上げたリヒト殿下に、編入生がぱっと表情を明るくさせる。

 長机の間を進んだ彼が、殿下の隣に鞄を置いた。


「よろしくな、別嬪さん」

「あはは、ありがとう。わからないことがあったら言ってね」

「おう」

「では、今年の予定について説明を行う」


 編入生が席についたところで、ノイス教官が資料を配布していく。

 先頭の人から回されるそれを後ろへ配り、抱えた混乱で内情を圧迫させた。


 えええっ、どういうことだろう!?

 編入生の座席はゲーム通り、リヒト殿下のお隣なのに、性別が違う!?

 実はこの世界がゲームだという前提から違うのかな!?


 い、いや、でも主要人物はいるし、符合箇所が多過ぎる……。

 ええええ!? じゃあ何でヒロインがヒロインしてないんだろう!?

 わかんないな、この世界……!


 余りの動揺に、愕然と震える。

 どうしよう、お嬢さまをお守りしないといけないのに、どう立ち回ればいいのかまるでわからない。


 そ、それに、編入生さんのお名前が『サヤ・エンドウ』って、全国のエンドウ サヤさんにお詫び申し上げるけれど、何だかすっごく前世を思い出す……。

 どういうことなんだろう……?

 エンドウさん、何かご存知なのかな……?




 *


 編入生さんとの接点は、意外にも早くに訪れた。


 坊っちゃん、エリーゼ様、ギルベルト様、ユージーンさん。

 そしてリヒト殿下とリズリット様と僕、最後にエンドウ様が中庭集う。


 心臓がきゅっとした。

 坊っちゃんだけを予定していた校内案内が、突然の一大イベントになってしまった。


 心の支えだったお嬢さまは、「お姉さまにお呼ばれしているの」とアーリアさんを連れて行ってしまい、クラウス様は「野暮用」と片目を閉じて輪から離れられた。


 ゲーム画面では、どんな感じで進んでいたかな……?

 朧気な記憶を、懸命に引き摺り出す。


 何となく、リヒト殿下が校内案内をしてくれた気がするのだけど……。

 そう思うと、シナリオ通り……なのかな?

 たくさんおまけがついてるけど。

 こ、こんなイベントだったっけ……?


「はー。これだけ別嬪さんが揃うと、圧巻だねぇ」

「誰? この人」

「編入生のエンドウさん。ついでだから一緒に回ろうって誘ってみた」


 不審そうなお顔のエリーゼ様が、エンドウ様を見上げる。

 リヒト殿下の説明に、彼女がふんと鼻を鳴らした。


 並んだ面々に呆気に取られていたエンドウ様が、人好きの笑みを浮かべて腰を折る。


「驚かせてすまないな、お嬢さん。俺はエンドウ。まあ、この場限りと思って、仲良くしてやってくれや」

「……別に構わないわ。私はエリーゼ」

「おい、お前! エリーはこの国の王女殿下だぞ!? もっと言葉遣いを、いって!?」

「うるさいわね、ギル」

「はーっ。本物のおひいさんか。こいつはたまげたな」


 エリーゼ様とエンドウ様の間を割ったギルベルト様を、王女殿下が足蹴にする。

 脛を押さえて蹲ったギルベルト様を置いて、唖然とした顔でエンドウ様が顎に手を添えた。


 にっこり笑ったリズリット様が、人懐っこい笑顔で右手を差し出す。


「俺はリズリット。向こうの人見知り全開の子がアルくんだよ。よろしくね、エンドウさん」

「アルバートだ」

「おう、よろしくな」


 緩い握手をかわし、エンドウ様とリズリット様がへらりと笑い合う。


 蹴られた痛みが引いたらしい。

 憮然としたお顔のギルベルト様が、敵意いっぱいにエンドウ様へ指を突きつけた。


「ギルベルトだ。いいか、お前! ちょっと顔が良いからといって、エリーを誘惑して良い理由にはならないからな!!」

「ちょっと、ギル!!」

「ははは! 心配しなさんな。誰も取りゃあしねーよ」

「本当か!? 本当だな!? 嘘をついたらひどいぞ! 針千本だからな!!」

「おうおう。本当だ本当だ」

「ギルくん、大丈夫だよ? エンドウさん、女の子なんだし」

「え?」


 ぽかん、空気が固まる。

 きょとんとしているリズリット様は、不思議そうに瞬きを繰り返していた。

「どうしたの? みんな」首を傾げている。


 おずおずと、彼からエンドウ様へ視線を向ける。

 呆気に取られていた男前が、たまらないとばかりに笑い出した。


 屈めた膝をばしりと叩いた彼、……彼女? が、笑いに噎せながら顔を上げる。


「いやあ、もうバレちまったのか? 結構自信あったんだがなあ」

「えええええ!? ど、どういうことでしょうか!?」

「ベルくん、どうしてそんなに驚いてるの? ほら、エンドウさん肩幅も狭めだし、声も女の子っぽいでしょう? 握手すると、一発でわかるよ」

「大丈夫だよ、エンドウ。リズリット以外、みんな騙せてたみたいだから」

「握手かー。気ぃつけるわー」


 けらけら笑うエンドウ様が、頭の後ろで手を組む。

 底抜けに明るい表情でにっかり笑う彼女が、「ほら、何処を案内してくれるんだ?」中性的な声で話しかけた。


 ちょっと小柄な男の子といった印象しか受けないのに、これをリズリット様は見抜いたんだ……?

 す、すごいな、リズリット様……。


 唖然とする僕たちを置いて、リヒト殿下が淀みなく校内案内を始める。

 坊っちゃんの周りをぴょこぴょこ弾むリズリット様には、既にエンドウ様への興味などないらしい。

 えへんと胸を張って、庭と植物の紹介をしていた。


「ほら、あなたもギルも、しゃんとなさい」

「あ、は、はい。すみません」

「いや、だってな、驚くだろ? 驚かないか? 驚くよな!?」

「とても、驚きました……」

「固定観念が強過ぎるのよ。もっと柔軟に生きなさい」


 エリーゼ様に背中をぺんと叩かれ、ギルベルト様とふたり、狼狽えながら頷く。

 ユージーンさんは終始困ったような顔をしており、ぽつりと「世界は広いですね」と呟いていた。

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