前世大魔導師と呼ばれた転生令嬢と、黒髪の公爵令息〜黒髪は不幸を呼ぶと言われる世界にて〜
リハビリ
————黒髪は、不幸を呼ぶ。
そんな噂が当たり前のように知られる一風変わった世界にて、私は二度目の生を受けた。
一度目は、〝魔導〟と呼ばれるものが存在する世界にて、『大魔導師』とまで呼ばれた私は、ひょんな事から、〝魔導〟が存在しない〝魔法〟の世界に、ミア・アルザークとして、生きる事になった。
ただ、私は一度目の人生のように生きる気は毛ほどもなかった。
困っている誰かを助けたい。
誰かの、力になりたい。
そう願い、『大魔導師』と呼ばれるに至った魔導師の最期は、都合のいいように利用されるだけされただけで、本来の願いなんてものは殆ど叶えられずに終わってしまったようなものだったから。
それを身をもって知ってる私だったから、出来るだけ、慎ましく、平穏に、そして、一度目の人生では出来なかった事を出来る限り楽しんでやろう。謳歌してやろう。
そう————思ってたのだけれど。
「……どうして、こうなるかなぁ」
十五歳の誕生日を迎えてからそう間もない頃。
側に人がいない事を良い事に、私は溜息混じりに呟いた。
目の前には、荘厳な門が。
その奥には、大きな屋敷があった。
そして、眼前に映り込むそれが、今日から私が住み込みでお世話になる事になる御家であった。
†
アルザーク子爵家は代々、メフィスト公爵家の子息にあたる人物の従者を務めている家系。
ただし、性別に関係なく、アルザーク側は、長子がその役目を務める事とする。
それが、私の生家であるアルザーク子爵家が代々受け継いできた家訓の一つであった。
しかし、だからこそ、私は安心していた。
何故ならば、私は次女であるから。
なので、普通に考えれば、家訓にのっとり私がメフィスト公爵家の従者を務める事になる、なんて事は間違ってもあり得ない筈だったのだが、
「……よりにもよって、私に押し付けるとは」
姉のブレンダが十八歳を迎えたその日、メフィスト公爵家の従者を務めるために準備をする最中であろう事か、ブレンダがごねたのだ。
黒髪赤目で知られるメフィスト公爵家の子息の従者など、したくはないと。
————黒髪は、不幸を呼ぶ噂。
それ故に、両親もブレンダのその言葉に、強く言い返す事は出来ていなかった。
従者の役目がよほど嫌だったのだろう。
ブレンダは、〝魔法〟の才がない私が行けば良い話だと言い始め、そして、将来有望な魔法師である己が、黒髪の不幸に巻き込まれても良いのか。などと言い訳を重ねた結果、何かとブレンダに甘い両親と、姉によって従者の役目を私はこうして強引に押し付けられる羽目になっていた。
「平凡に慎ましく精神が、ここで仇になるとは思っても見なかった……!!」
あの我儘姉め。
心の中で毒づきながら、私はちょっぴり過去の己の行いを後悔した。
きっと、私がブレンダと同等程の才を示していれば、こうはならなかっただろうから。
かつて『大魔導師』と呼ばれていた過去を持つ私は、基本的に今でも〝魔導〟は扱えるものの、この世界の〝魔法〟を扱う事は出来なかった。
使えない理由は、〝魔導〟に慣れすぎていたのか。はたまた、それ以外の理由なのか。
判然としていなかったけれど、私はそれで良いと思っていた。別に、優秀な魔法師となって今度こそ、誰かの為に。
……そんな高尚な理念を、今生でも持てる気も、ましてや、持つ気もなかったから。
だから、〝魔法〟の才に恵まれなかった落ちこぼれと言われようと、私はなんでも良かった。
「……でも、不幸を呼ぶ、か」
ポツリと。
少しだけ懐かしさを感じながら、私は口にする。
ここではない別の世界。
〝魔法〟ではなく、〝魔導〟が存在していた世界でも、差別というものは当然のように存在していた。そして、そういったものを無くしたいなどと思っていた『大魔導師』がいた。
……失敗だらけだった己の過去が不意に思い起こされて、無性に私の心臓が、虚しさで軋んだ気にすら陥って。
やがて、数秒ほどの空白を置いたのち、
「ばっかみたい」
罵った。
当たり前のように、ここでの生活を、どうやって乗り切るか。
そんな事を考えていた自分に対して。
そんな迷信を、本気で信じてしまっている大多数の人間と、この世界に対して、私は罵った。
「これじゃ、ミイラ取りがミイラになっただけじゃん」
一度砕けた理想はもう持てない。
それは、私が一番知ってる。
かつて『大魔導師』と呼ばれた人間が、愚かで、ばかで、騙されやすくて、最後まで才能を持ちながらも、理想に手を届かせられなかったあほだった事も。
ただ、過去の失敗を活かす事と、己までミイラになる事は、きっと違う。
それは、違う。
「……昔の私は、ばかだった。間違いだらけの人生だった。それは、自覚してる。……でも、あの時抱いてた私の想いを、私が嘘にしてどうするんだよ」
私が、否定してどうするんだ。
心の中で、責め立てるように言葉を繰り返す。
そして、数瞬前の己と決別するように、ふぅ、と肺に溜まっていた空気を思い切り吐き出す。
「手を差し伸べようとしない事と、見て見ぬふりをする事は、違う」
誰も彼もを救えとは言わない。
でも、直面したにもかかわらず、素知らぬ顔で背を向ける事は、違う。
だから————『黒髪は不幸を呼ぶ』。
そのくだらない噂を否定する為であれば。
今も尚、苦しんでるかもしれない一人の少年を救えるのならば、ひた隠しにしてきた『魔導』を使ってでも、彼の力になろう。
それが、先程まで抱いてしまっていた己の感情に対する贖罪だ。
「だから……うん。これが本当に最後かもしれないけど、私が助けてあげられると良いな」
その一言は、実に『大魔導師』と呼ばれていた私らしく思えて。
家から半ば強引に連れられた際とは正反対の、屈託のない笑みを浮かべながら、一歩、と私は踏み出した。
どんな形でもいいから、助けになれますようにと願いながら。
†
結論からいうならば、私が従者として仕える相手であるウェル・メフィストは、重度の人間不信であった。
メフィスト公爵家にやって来たその日に、彼の両親から、私はそう聞かされた。
そして、姉であるブレンダではなく妹の私がどうして来たのかと疑問に思っている様子ではあったけれど、薄らと察してくれたのか、その事について聞かれる事はなかった。
ただ従者の件について、
『ウェルと無理に関わろうとする必要はないからね』
と、気遣われた事が特に印象に残った。
メフィスト公爵夫妻曰く、本当に、黒髪であるウェル・メフィストの側には不幸が降りかかった過去があるらしい。
それも、一度や二度ではなく、両手では足りない程の数。
だから、代々受け継いできたしきたりとはいえ、今回ばかりは従者としての務めを果たそうとしてくれなくていいと言われはしたけれど。
やると決めたらとことんやる。
今生は、腰が重いのが玉に瑕ではあるけれど、それでもそこだけは譲れなくて、私がその申し出をお断りしたのが、かれこれ三日も前の話だった。
「……そこに居座るな。鬱陶しい。何処かへ行け」
彼が部屋に入れてくれないからということで、部屋の前のドアに背をもたれながら、部屋のドアを開けてくれる時を今か今かと待つ私に、不機嫌そうな声が投げ掛けられる。
やって来た一日目に、従者をする必要はないと突き放されて。
その忠告を無視して部屋の前でじっと待ち続けていた二日目は、声すら掛けてもらえなくて。
三日目に、漸く話し掛けて貰えるようになっていた。もっとも、その全てが不満を述べるものではあったけれども。
「嫌です。だって私、貴方の従者になる為にこうしてやってきたんですから」
だから、主を放っておけという言に、おいそれと頷く事は出来ないのだと答える。
基本的に、ウェルが部屋から出てくるのは食事といった時だけ。
でも、よほど私と関わりたくないのか。
私がいるならご飯も食べないというものだから、その時だけ、私は自分の部屋に戻る事にしていた。
「俺に従者は必要ない。実家にでも帰ってろ」
「代々受け継いできた伝統を、私の代で終わらせちゃ、先達の方々に申し訳ないじゃないですか」
「……そんな事は知らん」
にべもなく、言葉を返される。
この調子だと、まだまだ我慢比べが続くかな。
なんて思っていた折、
「……お前が、底抜けのバカだということはよく分かった。だが、聞いてるだろう。俺は黒髪だ。不幸に巻き込まれても、俺は知らんぞ」
嘲笑するように、そう言われる。
そして、だから不幸に見舞われたくなければ、さっさとそこからいなくなれと。
どんな出来事に見舞われようと、責任は取れないぞと指摘をされて。
「大丈夫ですよ」
「……あ?」
「だって私、ものすっごく強いですから」
たとえ本当に不幸が降りかかる事になろうとも、その程度は屁でもないと言ってやると素っ頓狂な声が返ってきた。
二度目の生を受けて早、十五年。
一度として口にしてこなかった事を理由に使ってまで、否定する。
そこに、躊躇といった感情は、これっぽっちも過りはしなかった。
そして、ならその証明を今ここでしてみろと言われたならば、刹那の逡巡すらなく〝魔導〟を使用するつもりですらいた。
……だけど。
数秒ほどの沈黙を経たのち、
「……出て行け」
先程までとは比べ物にならない程の不機嫌な声が私の鼓膜を揺らす。
それは、腹の底から出す獣の唸り声に似ていた。
「とっとと、出て行け……ッ!!!」
ドアに何か物を投げたのか。
ガン、と音が鳴る。
確かな衝撃を背中に感じながら、なんで急にそんなに怒るんだろうか。
そんな疑問に眉根を寄せながら、先程まで以上に憤慨するウェルの態度を前に、私は一旦、その場から離れる事にした。
†
「ごめんなさいね、ミアちゃん。でも、あの子に悪気はないのよ。だから、その……嫌わないであげて貰えないかしら」
一連のやり取りを遠くから見ていたのか。
怒鳴られて追い出された私の下に、ウェルのお母様にあたるリルレアさまが、程なく駆け寄ってくる。
「……私、何かまずい事を言っちゃいましたかね。もし、そうだったなら謝りたいんですけど……」
「……ううん。ミアちゃんは何も悪くはないわ。ただ、ミアちゃんが優しすぎる事が、あの子にとってはしんどいのだと思う」
申し訳なさそうに、紡がれる。
「その優しさを、あの子は自分の中で色んな人に重ねちゃったんでしょうね」
「重ねる……?」
「ええ。黒髪だっていっても、それでもあの子に優しくしてくれる人は確かにいるのよ。……ただ、そういう人に限って、いつも、不幸に見舞われる。見舞われて、きたのよ。だから、色々としんどいんでしょうね」
また、自分に優しくしてくれる人が自分のせいで不幸に見舞われると思うと、耐えられないのだと思う。
そこまで言われて、漸く納得する。
手を差し伸べたつもりが、かえって逆に彼の傷口を抉ってしまっていたらしい。
自覚すると同時、物凄い罪悪感に見舞われた。
「でも、ウェルも、本当は嬉しいって思ってるわよ。口にはしないでしょうけど、それは絶対に。だから、そんな顔をしないで、ミアちゃん」
本心ではそう思っていなくとも、突き放さなくちゃいけない理由がある。
本当は嬉しいはずだ。
己を気にかけてくれる存在というものは、嬉しいものの筈だ。
だけど、内に入れてしまったが最後、また、不幸が繰り返される。
そう思うと、素直に厚意を受け入れる事がとてもじゃないが、出来ないのだろうと。
そして、その過去がある限り、彼の心は城の城門のように固く閉ざされたままである事は、言われずとも理解出来てしまった。
でも、だからといって私が引き下がる理由にはなり得なくて。
「……ありがとうございます。リルレアさま。そういう事なら、もう少しだけ〝余計なお世話〟をしてみようと思います」
……さっきみたいに、ひどく怒られる羽目になるかもしれないけど、それでも。
そんな事を思いながら、何処か行けという言葉と共にウェルの口から言い放たれた言葉を借りながら、リルレアさまにそう言うと、彼女は小さく笑っていた。
「こうして、従者に来てくれた人がミアちゃんで、本当に良かったわ」
————ありがとうと、言葉が続けられ、リルレアさまはその場を後にした。
そして、その日の夜。
誰もが寝静まった夜半の頃に偶然、ぱちりと目が覚め、私の意識が覚醒した。
今、何時だろうか。
そんな疑問に従うように、与えられていた部屋に設られた窓を覗き込み————まだ夜中だから、布団に帰ろう。
そう思った私であったけれど、何処となく靄がかった視界に、見慣れない人影が一つ、映り込んだ。
一人でぽつんと地面に腰を下ろしながら、夜空を堪能しているように見えた。
遠くから見た感じ、私よりも一、二個年上な雰囲気。髪色は、真夜中である事もあるだろうけれど、その人の髪は真っ黒のように見えた。
何より、私の瞳が捉えたそのシルエットは、事前に知らされていたウェル・メフィストそのものであった。
その事実を認識した時、既に、頭の中にあった布団に帰るという選択肢は跡形もなく消え去っていて、私の足は、考えるよりも先に外へと向かっていた。
「……こんな時間まで、お前が起きてるとは思わなかった」
お陰で油断していたと言外に告げられる。
声を掛けてもいないのに、近づいていただけで私であると言い当てられる。
「俺に構おうとする奴は限られてる。そして、こんな時間に外に顔を出してる俺に、わざわざ構おうとしてきそうな奴は、お前ぐらいしか思い浮かばない」
反射的に、胸に抱いた動揺を見せるように足を止めたのが悪かったのか。
その内心を見透かしたかのような言葉が続いた。
「……もう一度だけ言う。これ以上、俺に関わるな。お前の家の事情は知ってる。だから、無理に追い返すつもりはない。ただ、俺に関わるな……関わらないでくれ」
怯えのような、恐れのような、懇願のような。
ウェルのその発言は、それらの感情を纏めて混ぜ込んだかのような物言いだった。
決して彼は言っていない筈なのに、語尾に、「頼むから」と付け足された気にすら陥る。
けれど、決定的なまでの拒絶を貫くウェルの言葉に従う事なく、私は止めてしまっていた足を再び動かして、彼の下へと歩み寄っていく。
「それは、私が不幸になるから……とでも思ってるからですか?」
本心から、私という存在が嫌で、何処かへ行って欲しいというのであれば、彼の言に頷く事も吝かではなかった。
だから、それ故の確認だったというのに、すぐに返事は返ってこなくて。
私は、ウェルの返事を待たずに言葉を続けた。
「なら、お笑い草ですね。……これまで、貴方がどんな不幸に見舞われたのか。それを聞く気はありません。ただ、」
ぽすん、とウェルの隣に腰を下ろしながら私は、
「黒髪だからどーのこーのと言われる不幸で、どうにかなる私じゃないです。なにせ、私は強いですから。そんな心配はご無用です」
相手を安心させるように、笑ってやる。
暗がりで見えてないかもしれないけど、それでもと。
「理不尽な不幸は、人生につきものだ。だから、貴方は偶々、不幸に見舞われただけ。黒髪だからとか、そんなものは一切関係がない」
だから、そんな悲しそうな顔を浮かべないで欲しいと切に願う。
「関係があって堪るか」
黒髪に生まれたから、不幸を呼ぶ存在。
そんなくだらない噂を、私は認める気はなかった。
「でも、私が幾ら言葉を並べ立てたところで、貴方が信じられないのもよく分かります」
これまで、噂通り、不幸に見舞われ続けたからこそ、今のウェル・メフィストがある。
仮にどれだけ説得力のある言葉を並べ立てたところで、彼からすれば、その言葉に殊勝に頷けるような問題ではない事は分かっていた。
だから。
「だから、時間を下さい」
「……時間?」
「はい。黒髪だから不幸を呼ぶ。そんな噂は、嘘っぱちなんだって証明する時間を下さい」
どういう事だ。
私に向けられる、そう言わんばかりの懐疑的な視線に返事をするように、
「一週間でも、一ヶ月でも、期間はウェルさんが決めて下さい。そして、その期間の間、私を貴方の側に置いてください」
それ故に、時間を下さい、であった。
「その間に、一度でも貴方のいう不幸に私が苦しめられる事があったならば、大人しく貴方のいう事に従います」
たとえそれが家に帰れというものであったとしても、もしそうなったならば、今度はちゃんと言葉に従うと口にする。
やがて、逡巡するように黙考を経たのち、
「……一度だ。一度でも、あれば、そこでお前はクビだ。大人しくここから出て行け。それが条件だ」
これから先、これまでのようにずっと付き纏わられるくらいならば。
そんな思考が透けて見えたけれど、それで十分だった。
「分かってます。それが条件だという事は、もちろん」
ただし、何も起こってないのに「帰れ」とかは無しですよと私が念を押すと、煩わしそうに溜息を吐かれ、ウェルは立ち上がってその場を後にしてゆく。
「……これで、漸く一歩前進、ってところなのかな」
本当に偶然の産物であったけれど、こうして夜中に己の目が覚めてくれて良かったと思いながら、彼の背中を追うように私もまた、屋敷へ戻らんと踵を返した。
†
〝魔導〟と〝魔法〟の違いというものは言ってしまえば単純明快で、〝魔法陣〟を使うか、使わないか。
加えて、〝マナ〟を使うか〝魔力〟を使うか。
その二点だけであった。
そして、〝魔導〟を扱う際に必要となる〝マナ〟は、〝魔法〟を扱う際に要する〝魔力〟とは根本的に異なるようで、基本的に私がどれだけ〝魔導〟を使ったところでバレはしない。
だから、それを良い事に私は不幸らしきものは先んじて全て圧倒的な〝魔導〟の力に物を言わせて蹴散らしながら日々を過ごしていた。
それ故に、魔物と呼ばれる害獣が突然襲ってくる。などという不幸は一度として起こってはいないものの、ある日偶然、屋敷のすぐ側に魔物の死骸が転がっていた。なんて事は既に二回ほどあり、そのせいか、ウェルからは懐疑的な視線で見られるようになってしまった。
『きっと、魔物がドジを踏んだんでしょう。不幸というより、幸運の持ち主かもしれませんね、ウェルさんは』
などと言った直後に、白々しいと言わんばかりの視線を向けられた事はまだ記憶に新しい。
でも、心なしか、そんなやり取りを私とする彼は、少しだけ嬉しそうだった。
お忍びで外に出た際も、偶然、盗賊らしき集団が魔法を撃ち込まれでもしたのか。
傷だらけで気絶していたりと、『大魔導師』と呼ばれていた頃に培った力を遺憾なく発揮してやっていた事もあってか。
あの時の夜の出来事からひと月経過した今でも、私は変わらず、メフィスト公爵家の屋敷にてお世話になっていた。
そして、ウェルの従者としてそれなりに板についてきたある日の事。
「……精霊の祝福、ですか」
教会へ、祝福を受けにいく。
だから、付き添ってくれと話を切り出したウェルの一言に、私は首を傾げた。
「祝福を受けに行かれてなかったんですか?」
一番初めに浮かんだ疑問を言葉に変える。
この世界では、十六歳を迎えると、教会に出向いて精霊の祝福を受けるというしきたりが存在していた。
基本的に、祝福を受けたからといって何かが変わるというわけではないけれど、多くの精霊に祝福された者は、精霊の寵愛を受ける者として幸せが訪れる。という黒髪とは正反対の噂は多くの人間が知るところであった。
「……どうせ、散々な結果になると思って受けには行かなかったんだ」
だったら、受けに行かない方がいい。
それがウェルの考えであったが故に、祝福を受けにいっていなかったのだと言う。
……ただ。
「……けど、お前を見てると、そう思う事が馬鹿らしく思えてな。今更ではあるが、受けに行くのも悪くないかと思った。それだけだ」
私を見ていると、というと、黒髪だから不幸を呼ぶなんて事はあり得ないと言い続ける姿勢の事だろうか。
「何より、黒髪は不幸を呼ぶ。その噂は、嘘っぱちなんだろう?」
私に確認するように、言葉が投げ掛けられる。
それは、このひと月、私が耳にタコが出来るほど言い続けてきた言葉であった。
「それに、たとえ悲惨な結果でも、お前が〝証明〟を続けてくれるんだろう?」
————こんな俺の、従者でいてくれるんだろう?
「それは、もちろん」
そう、言われた気がして、笑みを浮かべながら、当然だと伝えるべく首肯を一つ。
「だったら、俺はどうなろうと気にしない」
まだ、ひと月程度の付き合いでしかなかったけれど、そう思ってくれる事は素直に嬉しくて。
だけど、もし、精霊の祝福で良い結果に恵まれたならば、黒髪が不幸を呼ぶという噂は嘘っぱちだったのだと紛れもなく証明される事になる。
そうなれば、私はお役御免になるかもしれない。なにせ元々、ウェルの従者は私ではなく姉のブレンダの役目であった。
だから、何も問題がなければそこで私は実家に戻る事になるやもしれない。
そう思うと、少しだけ寂しく思う。
ただ、それがウェルにとって最善なのだから、それを願ってあげなくちゃと思いつつ、私はいつもと変わらない笑みを浮かべた。
†
そして、半日ほどの時間を掛けてたどり着いた教会にて、その日、かつて無いほどの激震が走る事になった。
一体、もしくは二体の精霊から祝福される事が普通であり、三体以上ともなれば、稀有な子として。歴史を遡っても、十体の精霊から祝福された者がいるという伝承が一応、残っているだけ。
だからこそ、目算、二十は下らない数の精霊から、今しがた祝福を受けているウェルの姿は異常に過ぎた。故に、腰を抜かす神父さんのその態度も、仕方がないものと思われた。
そして、色鮮やかなピクシーのような精霊達。
そのうちの一体が、不意に口を開いた。
『……どうやら、随分と迷惑を掛けてしまっていたらしいな』
開口一番の一言は、謝罪の言葉であった。
『黒髪は、精霊の寵愛を受ける人間の象徴。ただ、そのせいで黒髪の人間は、魔物から狙われるような事が多くなってしまう』
精霊と魔物は正反対の存在。
それ故に、精霊の寵愛を受ける者ともなると、魔物からも必然、狙われる事が多くなってしまうと精霊は言う。
『そのせいで、黒髪は不幸を呼ぶ。などと言われるようになってしまった。……随分と迷惑をかけてしまった』
黒髪という事実一つで、迫害をされるこの世界。
だから、幼い頃に黒髪であるからと捨てられる事もあれば、こうして精霊の祝福をまともに受けられない事はザラだったのだろう。
何より、魔物に狙われるのであれば、十六歳の祝福の時を待たずして命を落とすケースだって多かった筈だ。
そして、その連鎖が重なり続けた結果、黒髪は不幸を呼ぶ。などという噂が出来上がったと。
傍迷惑なものだと、心底思った。
でも、そこまで申し訳なさそうに言われては、責めるに責められなかったのだろう。
謝罪をされているウェル自身、声を荒げて不満を口にする、といった事をする様子は見受けられなかった。
『そこの少女』
「……えっ、と、私、ですか?」
『そうだ』
言葉を口にしていた精霊は、何を思ってか、私を呼んだ。
そして程なく、
『感謝する』
言葉は、それだけ。
でも、碧色の髪の隙間から覗く瞳は、私の内心まで見通しているのでは。
思わずそんな感想を抱いてしまう程に、異様に澄んでいて。
もしかすると、眼前の精霊は、私が『魔導師』である事に気が付いているのやもしれない。
少しだけ、精霊の瞳に空恐ろしいものを感じながらも私は視線を外し、彼らに背を向けた。
「私は、何もしてませんよ。私はただ、付き添っていただけです。家のしきたりに従って、従者を務めていた。ただそれだけです」
だから、礼を言われる謂れはない。
そう言ってやると、小さく笑われた。
きっと、これで黒髪の誤解もゆっくりと解けていく事だろう。
だからたぶん、私はもう必要ないかな、とか思った瞬間。
「ミア」
精霊と会話するのに、無関係の私がいるとまずいかなと思って、そのままその場を後にしようとした私に、ウェルが声を掛けてくる。
鼓膜に入り込んできたその一言は、いつの間にか呼んでくれるようになっていた私の名前。
「お前には、感謝してる。多分、お前がいなければ、俺はこうして祝福を受けにやってくる事はなかった。きっと、お前がいなければ今も部屋に篭っていたと思う」
まだ一ヶ月程度の付き合いだけど、ここまで信頼してくれている事は、本心から嬉しく思う。
「あの時の約束、覚えてるか」
持ち出されたその言葉は、きっとあの時の夜の事。交わした約束についてだ。
私は、肩越しに振り返りつつ、返事をする。
「もちろん、覚えてますよ」
「期間は、俺が決めて良い事になっていた筈だ。そして、その間は、お前が俺の側にいると」
「…………」
一度でも不幸が降り掛かれば出ていくから。
だからそれまでは側に置いてくれ。
そんな意味合いで口にした約束だった。
言葉もあの時、私が口にしたものそのもの。
なのにどうして、ウェルが繰り返したその言葉に、私は違和感を覚えるのだろうか。
字面は同じだ。
どこまでも同じ。それは間違いない。
でも。
「だから、俺の側から離れる事は、まだ認めない。認められない」
その言葉には、私がウェルと初めて会話した際、出て行ってくれと口にしていた頃のような感情が込められていた。
それ即ち————『懇願』に似た何か。
「俺は、ミアがいい。側にいてくれる奴は、お前がいい。お前じゃなきゃ、俺はいやだ」
頭の整理が満足についていない私に、追い討ちをかけるように言葉が続く。
それはまるで、この未来が訪れたならば、私がウェルの側にいる理由もなくなるんじゃないか。
事前に私がそう考えていた事を知っていたかのような言い草であった。
向けてくる震えた瞳は、言い放たれた言葉に対する返事を待ち望んでいて。
「俺の前から、いなくならないでくれ」
声は、明らかにソレと分かるほどに震えていた。
やっとの思いで、どうにか絞り出したのだと分かるものだった。
だから、そんな状態にしてまで言わせてしまった事に対して申し訳なさを感じつつ、踵を返して教会を後にしようとしていた足を止める。
正直なところ、どうにかして私が側にいてやろうとする為の約束だったから、そんな用途で使われるとは思っても見なくて。
だけど。
「約束、ですからね。勝手にいなくなったりは、しませんよ。なにせ私は、ウェルさんの従者ですから」
どんな理由であれ、一度口にした約束を反故にするほど私も人でなしではない。
実家の事については……少し、リルレアさまとかと話し合わなくちゃいけないかもしれないけど。
「あの、一緒にいても良いですか」
ウェルから視線を逸らし、少し前まで話をしていた精霊に声を掛ける。
『構わない』
「ありがとうございます」
一緒にいる事はまずいかなって思ってたけど、どうにも杞憂だったらしい。
もしかすると、先のウェルの反応があったから、許可をしてくれたのかもしれないけれど。
「……あと、ひとつだけ、良いですか」
精霊に向かって、話し掛ける。
彼らとお話をする機会なんてものは、きっとこれから先も殆どないだろうから、思い残しがないように言いたい事はダメ元でも言っておく事にした。
「ウェルには、うんと凄い祝福してあげて下さい。誰もが羨むような、そんな祝福を」
精霊の祝福がどんなものかは知らない。
一度目の人生は、そんなもの存在すらしていなかったし、二度目の人生ではまだ私は年齢の関係上、精霊の祝福というものを受けていない。
でも、決して悪いものではないと聞いている。
だから、それ故の発言だった。
『言われずとも。なんなら、一年早いがお前も一緒に祝福してやろう』
そこに、一緒に並べ。
あぁ、そうだ。手でも繋ぐと尚良いな。
何故かしたり顔で、楽しそうにそんな事を言う精霊の言に従い、その場の流れで私も精霊の祝福を一年早く受ける事になってしまった。
側にいたウェルが少しだけ嬉しそうな、ただ、どこか申し訳なさそうな複雑な表情を浮かべていたのが気掛かりだったけれど、精霊の祝福は恙なく終わりを迎えた。
そして、半日ほどの時間をまた掛けて教会からメフィスト公爵家の屋敷へと私達は帰って来ていた。
「————精霊の祝福を二人一緒に受けた? あらあら、仲が良いのね。……あれ。でも、二人一緒に精霊の祝福って、それってまるで結こ————」
「母上は、余計な事を言わないでくれ」
帰って来て早々、教会であった事を出迎えてくれたリルレアさまに話すと、どうしてか。
ウェルが途中でリルレアさまの発言を強引に寸断していた。
何を言っていたのかは気になるところだったけれど、私がメフィスト公爵家に来た頃とは打って変わって明るくなったウェルの様子を見ているとそんな事はどうでも良く思えてしまって。
心底楽しそうに笑うリルレアさまに倣うように、私もまた、一緒になって笑う事にした。
読了ありがとうございました。
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