26.強く清らかな人
イーディス様とお話をして、ずいぶんと気持ちが軽くなった。最後にちょっとした爆撃があったけれど。
ブライアンを信頼出来るか、YES。
ブライアンへの愛情があるか、YES。
最後のひとつは───
「シェリー?」
「きゃあっ!!」
「え、ごめん。脅かすつもりは無かったのだけど」
ドッキドッキドッキッ。
心臓が大変なことになっている。
「だっ、大丈夫!ちょっと考え事をしていたから驚いちゃって!!」
「悪かった。でも、何をそんなにも考えてたんだ?」
それは貴方のことです。だなんて恥ずかしくて言えないわ……
「………」
「……何?」
どうしてそんなにもジッと見てくるの?
「もしかして私のことかなって」
「……いつからそんなにも恥ずかしいことを言う様になったのよ」
何故バレたの!?
「ふふ、真っ赤」
きゃ────っっ!!戻って!私の顔色っ!!
「……気のせいだから」
「そうか、残念だ。あ、母上は?」
「いつもと同じ時間に目覚められたわ。食事も変わらずにお召し上がりになったそうです。でも、もうお休みになられたかと。何かあったの?」
「いや、急ぎじゃないから。ああ、先に君に報告するよ。事業計画のことだけど、国からの支援が受けられるかもしれない」
「本当に?」
「ああ、ただ色々と条件もあるし、決定ではない。これから話し合いの場を持つ予定だ」
「それでも凄いことだわ」
「そうだな。だからこれからは忙しくなるよ。覚悟しておいて」
「分かった」
そうよ。今、一番に考えるべき事はこの事業のことだ。これは学生の頃のような夢物語では無く、多くの人の人生に関わるものなのだ。
「いい顔になったね」
「ええ。しっかりと気を引き締めないと」
「先は長い。無理せず頑張っていこう」
「そうね、お互いにね?」
「ああ」
本当に先は長い。これが私の実績だと言えるのは、正式に契約が結ばれ、事業が開始される時だ。
今の私では公爵家に相応しいとは絶対に思われない。伯爵家の娘で、婚約破棄した女。さらに、ふしだらだという醜聞まである。
だから今、彼の好意に甘えて手を取るなんてことは絶対に出来ない。たとえ時間が掛かったとしても、彼の隣に立つに相応しい人間だと認められなくてはいけないのだ。
だからブライアンはご両親に対してプレゼンなんかを行う必要があったし、告白もしないで待ってくれている。
イーディス様だって、道は示して下さったけれど、彼女の夢である未来は、いつか、だと仰ってくれたのだ。
二人とも本当によく似ているわ。
「どうした?」
「イーディス様とブライアンはよく似ていると思っていたのよ」
「そうかな?でも、ずいぶんと仲良くなったんだな」
「ええ。今では秘密を共有しているもの」
「何だか妬けるなあ」
「だめよ、絶対に秘密なのだから」
そう、まだ秘密なの。それでも。
「私って貴方に甘えてるみたい」
「ああ、だからツンとしてて可愛いよね」
もう。知っていたのね?
「だって貴方の側は居心地がいいのよ」
「……そうか」
たったこれだけの言葉にそんなにも嬉しそうな顔をしないで。こっちまで頬が緩んでしまう。
「だから、貴方に並び立てる様に頑張るから」
「……本当に?」
「ええ。だからお願い。力を貸してほしいの」
私一人で成せることは少ない。でも、貴方と一緒なら。
「当たり前だ。だってパートナーだろう?」
「……ありがとう」
今はこれが精一杯。でも、彼やイーディス様達がここまで導いてくれたのだもの。その好意を絶対に無駄にはしない。
◇◇◇
それからは本当に忙しかった。そして───
イーディス様が目覚めている時間は少しずつ、でも確実に失われていった。
「……シェリー?」
「ブライアン、少し休んで。イーディス様が心配されるわ」
「そうだね。ようやく来週には承認が下りることを報告していたら、今までの事が色々と……話し過ぎてしまったな」
「もう。いい男が台無しよ?」
「……それは大変だ」
「私はさっきまで休んでいたからここにいるわ。公爵様とカルヴァンも、もう少ししたらいらっしゃるでしょうし」
最近では、皆、この別邸で寝泊まりしている。だから直ぐに駆けつけられるのだ。
だが、分かっていても離れ難いのだろう。瞳が揺れている。
ここ数日、イーディス様の目覚めは本当に数分程度。いつ、その終わりが来るか分からない状態だ。時間帯も一定では無く、全員が不安と寝不足で限界を迎えている。
「じゃあ、せめてそこのソファで体を横にして。それだけでも違うわ」
手を引いてソファーまで連れて行く。
なんとなく、その手を繋いだままソファーに座る。
「頭、乗せていいわ」
膝をポンポンと叩く。動かない彼をゆっくりと引っ張って横たわらせる。
知らなかった。人の頭って意外と重いのね。
「……今日はずいぶん甘やかしてくれるんだな」
「ふふ、そうね」
愛する人が、ゆっくりと死に向かっていくのを見ているだけなのは辛い。
「ちょっと人のぬくもりが恋しいかなって」
こうやって彼に触れていると、少し心が落ち着く。ブライアンも僅かでも癒やされてくれるといいけれど。
ふと、彼の髪に触れる。思ったよりも柔らかで手触りがいい。つい、そのままサラサラと撫でてしまう。
「……猫になった気分だ」
「そ?少しおやすみなさいな、猫さん」
それから30分くらい経っただろうか。ふと、イーディス様の呼吸が変わった。
「ブライアン、起きて」
「……何…」
「イーディス様がっ」
慌てて起き上がり枕元に駆け寄る。
「……母上?」
「ブ…ラ…イアン……」
かすれた弱々しい声。でも目覚められた!
「公爵様達を呼んできますっ!」
返事も聞かずに駆け出す。
待って、お願い後少しだけっ!
廊下を駆けながら大声で叫ぶ。
「公爵様!カルヴァン!イーディス様が目覚められました!」
私の叫び声を聞きつけ、二人が部屋から飛び出てくる。よかった、間に合う!
「ありがとう、シェリーさん!」
「急ぎましょうっ」
部屋に戻るとブライアンが立ち上がった。
「私はもう話せたので」
そう言って一歩下がった。
「イーディス!」「母上っ」
「……まあ、なんて……幸せなのかしら…、こんなふうに皆に見送られるなんて……」
「……当たり前だ。お前を一人で行かせるわけがないだろう。愛しているよ、イーディス」
「うん。母上、大好きだよ」
「……ふふ、嬉しいわ……、私も愛してる、みんな大好きよ」
イーディス様はどこまでも強く、清らかで。
皆も涙を浮かべつつも笑顔で愛を伝えている。なんて切なくも美しく、そして哀しい光景なのか。
「シェリーさんも……あなたとのおしゃべりは……とってもたのしかった…」
「私もです。これからも、ずっと内緒話しますね」
「ええ、嬉しい……ありがとう」
それからもイーディス様は何度もありがとう、愛してると、優しい言葉を紡ぎながら静かに目を閉じられ、その後、目覚めることなく永遠の眠りにつかれた。




