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ニコラは上手に挽回したと、満足気に紅茶の味を楽しんでいたのだが、いやに、四阿が静かになった。
誰も口を開かない。
エベリンお嬢様は青くなり、オットーは白くなっている。
キャスは、魔獣肉を食ったのが大分ショックだったのか、ずっと下を向いている。
「えーと?皆様?」
東屋の美しいテーブルの上には、宝石のような色とりどりのお菓子が並んでいた。
確か、貴族のお茶会で出てくるお菓子は一人につき一つだと、ジャンは言っていた。
それ以上の量が出ている時は、みんなが食べた量と同じ量なら食べてもいいらしい。
それから、最後の一個になったら手をつけない。
ニコラは最初のお菓子なんぞも随分前に食べ終わったから、エベリンお嬢様が次のお菓子に手をつけるのを、じっと待っているのだが、誰もお菓子に手をつけるどころか、紅茶も手を取らないし、しん、と静まり返って、先ほどまでのつまらない会話の応酬が、嘘みたいだ。
皆の様子がおかしい。
「ニコラ嬢。念のために、確認したい。今私が耳にした事は、全て本当なのでしょうか」
オットーが、祈るような、思い詰めたような、真剣な眼差しで、そうニコラに問う。
先ほどまでオットーが纏っていた、いかにも音楽の先生らしい、柔らかい高位貴族の優しい雰囲気から転じて、まるで仕事中のジャンのような厳しい空気感を醸し出している。
(そんなにあの犬がドロボーしたのは、まずい事だったのかな。あの犬めっちゃくちゃ後で怒られるのね)
あまりのオットーの真剣な眼差しに、ニコラはたじろいだが、ニコラは嘘は言っていないし、そもそもここまでやってきたのは、肉を弁償してほしいからだ。
ニコラは少し逡巡したが、犬を売って、金をもらう事とする。
さようなら、肉ドロボー。しっかり叱られてくれ。
キッとニコラはオットーの視線に負けないように、眼力を込めて見つめ返すと、深く頷いて、言った。
「オットー様。私の申し上げた事に、髪の毛一筋ほどの偽りもございませんわ」
別に眼力を込めた事に意味はない。ただオットーに負けたくなかっただけ。なのだが。
オットーは、しばらくニコラの眼力の強い瞳をしっかりと見つめて、小さく頷くと、今度は、青い顔をして、固まっているエベリンお嬢様に振り返る。
「川の向こうの隣国の、三番目の領地ですか。あなたのお父上の、新しい取引先は」
あれ、三番目の胃の肉の話をしていたのに、なんか話が変わってきている。なぜオットーは領地の話をしているのだ。
キャスは、さっき食った肉が魔獣の内臓肉と聞いて、よほどショックだったのだろう。
くしゃくしゃのハンカチを何処から取り出して、口元を押さえている。でも美味い、美味いと全部食っていたのは、この大男だったはずだ。
「オットー先生、私何も知らなくってよ。何をおっしゃっておられるのか、ちっとも」
青い顔をしながらも、エベリンは優雅に紅茶を捌く。だが、カチカチと細かくスプーンが茶器に触れて、小さな音をだしている。エベリンの手が、震えているのだ。
ニコラはちょっと、気の毒になってしまった。
別に、肉代さえ払ってもらえれば、ニコラはここに用事はないし、ましてやエベリンお嬢様が問題に巻き込まれる事なんて、別に望んでもいやしないのだ。
紅茶の出どころをバラしたのは、どうやらまずかったらしい。
でも、川向こうの紅茶は、一応は密輸だが、大した犯罪ではないはずだ。罰金くらいで済む話だが、なんでこのお嬢様はこんなに怯えているのか。
ニコラは、気の毒に震えているエベリンに、助け舟を出すつもりで、キャスに向かって口を開いた。
「魔獣肉は、扱いが難しいですね。捕まえたら、すぐに捌いて処理をしてしまわないと、魔力が消えてしまって、使い物にならないと聞きます」
ニコラはすまして、自分では捌いたりする事もある、魔獣肉の知識をひけらかしてみた。
さっきお前の食った肉はうまかったろう、あの定食屋は肉の扱いが上手だから、安心しろと伝えたかったのだ。
ニコラが魔獣肉を手に入れたら、捌いた先からさっさとすぐに食うので別に問題はないが、魔獣肉を保存食にするには、結構な手間がかかって、下手な捌き方をすると折角の魔力がうまく残ってくれずに、熟成が失敗するので厄介なのだ。
「すぐに・・捌かないと、魔力が消える・・そうか」
ニコラの発言で何か、決断したらしいオットーは、今度は張り詰めた声で、厳しい表情でエベリンを問い詰めた。
「エベリン嬢。質問を変えましょう。公爵は、今どこにおいでですか」
エベリンは、苦しそうに目をつぶった。
「犬とは・・ニコラ嬢。犬が魔獣を、公爵家まで運んだという訳ですね。ここは対魔法の魔法陣がかかってあるから、追跡の魔術はすぐに消え失せる。この屋敷に入った、犬の飼い主を探している、か」
ブツブツと、なんかオットーは独り言を言っているが、ニコラの発言を何かに解釈が完了したらしい。
「ああ、なんとも知的な方法で、私を導いてくださった。たった一人で、この公爵家まで。なんと勇敢な。なんと気高い。貴女は貴婦人の中の貴婦人だ」
オットーは、キラッキラの笑顔で、ニコラを見つめると、ニコラの小さな手に口づけを落とした。
そしてピリピリピリ!と、近衛の隊の警笛魔法を発し、全館の結界の内部を赤い警戒色で染め上げた。
「総隊!犬を探せ!ニコラ嬢の追跡魔力の先だ!」
どこかに潜んでいたのか、大勢の兵士が現れて、一斉にこの館を囲む。
なんだか大捕物が始まっている様子だが、ニコラにはなんのこっちゃさっぱりだ。




