95 お終い
「最悪です」
図書館に駆け込んでお兄さんにお願いし、シバを捕まえて貰った。
お兄さんは、シバと待ち合わせた部屋に私を連れて行ってくれる間も、すごく心配げな視線を私に向けていたけど何も聞かずにいてくれた。
私も余裕がなくてたいした説明も出来なかった。
後でちゃんと事情を説明してお礼を言いたい。
一介の使用人の為に仕事を抜け出したシバが、城内にある小部屋で椅子に腰を下ろした私の頭を撫でてくれていた。
「最悪だねえ。まあ、死ぬのは思い止まったみたいだし、その他は追々ってことで。君も、恋を成就させるのが目標だった訳じゃないでしょ?」
俯いたまま考える。シバの落ち着いた声に、冷静さを取り戻し始めていた。
「そうですね。そうでした。私の恋心なんてどうだっていいんでした。兄さんが生きてれば良いんだった。それに、楽しそうに笑ってたし。何だ、良かった。シバ様。くだらない事でお仕事中に迷惑をかけてしまってすみませんでした」
私の前に屈んでいたシバが、吹き出した。
「いや、君のことがどうでも良いってことはないよ。兄さんもねえ、いつまでも君に甘えてちゃ痛い目を見る羽目になるだろうけどね。いや、ならないのかな?君はちょっとやそっとじゃ揺らぎそうにないからね」
顔を上げた私にシバが笑った。
「それにしても、君と思いを通じ合わせたのではないのなら、どうやって彼を口説き落としたんだい?あの人の話じゃ、君と一緒になるしか彼の生きる道はない様な感じだったけど」
尋ねられ一気にさっきまでの兄さんとの濃い会話が思い出されたが、人に説明できるほど自分の中でも整理出来ていなかった。
「一口では説明できませんけど、兄が生きる為に必要なことは、それではないです」
例え思いが通じても、ただ私と一緒に居るだけでは、兄さんは私を傷付ける自分に傷付いていくばかりで同じことなのだと思う。
渋い顔の私に、シバが首を傾げた。
「そうなの?じゃあ、どうやって?」
「思い留まったのは、兄さんが勝手に死んだら裸で兵舎の浴場に入るって脅迫したからです。私が慰み者になるのは、自分の死んだ後でも許せないみたいで」
目を丸くしたシバが、声を殺して笑いだした。
使用人との密会中に大声で笑う訳にもいかないのだろう。
「そ、そりゃ許せないだろうね。いや、でも、死なないで欲しいって言ったでしょう?生きてくれって」
まあ、それは当然言った。何度もしつこく言った気がする。
頷く私の頭を、優しい顔をしたシバがぽんぽんした。
「好きだとも言ったんだよね?切っ掛け、と言うか決定打かな?それはその変な脅迫だとしてもさ、君に好きだ好きだ言われて、君と一緒に生きてみたくなったんだと思うよ」
そうなのかな。そうだと良いなあ。
シバが私の考えていることを読んだように、優しく目を細めた。
「きっとそうだよ。それなのに、自分を思ってくれる君の気持ちをからかったりして、何がしたいんだろうね」
ああそれは。
「私が自分の事で傷付くのを見ると嬉しいって、言ってましたから」
そうして、自分が必要とされていることを確認してきた節が有ります。
さっきのもそれなのかな。
シバが呆れた顔をした。
「君だけの為に生きて来たくせに?」
「くせにですね」
そうなんだよね。兄さんが私の為だけに生きてきたことは覆ることのない事実だ。
シバが溜息まじりの声を出す。
「捻くれたねえ。よっぽど辛かったんだろうね」
聡いシバには兄さんの心情を想像することも容易いのかも知れない。
「ですよね。もうなんか、可哀想になってきました。聞いて貰ってありがとうございました」
座ったまま深く頭を下げると、にっこりとほほ笑みながら私の頬を撫でたシバが立ち上がった。
「兄さんの所に戻る?」
「はい、あーどうしようかな」
目を泳がせる私に、シバが面白そうな顔を見せた。
「何?」
「えーと、さっき腹立ちまぎれにですね。ジョエに怒られたら良いと思って、兄さんが死ぬつもりだったって教えて来たので、きっと今頃」
「どうなってるの?」
明らかに楽しんでいるシバに苦く答えた。
「怒り狂ってたんで、容赦なく殴られてると思います。顔が変わってるかも。歯が折れてなきゃいいけど」
シバが声を上げて笑いだした。
「苛められた報復はして来たんだね。人の手を使う所が賢い。良いね。でも、あの男が容赦なく姫様を殴ったんじゃ、首の骨が折れて即死だと思うけど?」
目を剥いた私を見て、シバが面白そうに笑い続けている。
「彼らは仲良しみたいだし、力の加減くらい出来るだろう。大丈夫だよ。じゃあ、姫様の顔が変わることだし、良い機会だから二人とも後宮を出なさい。手筈は整えるから、良いね?」
笑顔を優しいものに変えたシバが私に命じた。
「はい。これからも宜しくお願いします。私のついでに、兄の面倒も見て下さいますか?あの方にも兄本人にも、兄を任せるのは不安です」
椅子から立ち上がりシバに頭を下げ、上目遣いで窺うと、鼻先を軽くはじかれた。
「ちゃっかりしてるね。度を越して君を苦しめる様だったら放り出すよ?私は君の兄を気に入っている訳ではないからね?良い?」
呆れた様な笑みを浮かべる優しいシバに、初めて自ら抱き付いた。
「ありがとうございます、シバ様!兄の次に好きです!あ、ええと、ジョエと同じくらい!」
シバが笑いながら、自分の首に巻き付いた私の背中を支えた。
「本当に可愛いね。兄さんに言っといて。君が要らないのなら、私が喜んで貰い受けるよって」
シバの顔を見ると、面白そうに笑んでいた。私のことだよね?
「好きだって言ってもあのジョエと同位の二番目ですよ?良いんですか?」
シバが軽々と片手で私の身体を支え、もう片方の手で私の鼻を摘まんだ。
「失礼だね。私が本気を出せば、好きになってくれるかも知れないんだろう?君が良いと言えば、頑張るよ?」
優しい茶色の目を間近で覗き込んでも、優しくて楽しそうな色しか見つけられなかった。
でも、この人もお腹の底を見せない人らしいし。
私なんかに真意を悟らせる訳もないか。
ここにも、好きの種類が良く分からないけど、確かに私を思ってくれる優しい人が居る。
そうだ。私の一番大切な、弱くて意地悪で、そして死ぬほど優しい綺麗な人は、首の骨を折ってはいないだろうか。
「そろそろ私との密会に飽きて、兄さんの所へ戻る?」
「はい」
シバが苦笑しながら私の身体を床に下ろした。
「はい、はないでしょう?まあ、良いけどね。私の下で働くんだからね?一応上司だからね?心してね」
兄さんの事が気になり上の空で頷く私の顔が、シバの手の平に固定された。
怪訝に思う暇もなく、シバの顔が近付き唇の端に口付られていた。
「シバ様!」
あっさりと離れて行ったシバが悪びれず朗らかに笑う。
「私を邪険に扱うから、ちゅうの刑だよ。ほら、早く兄さんの無事を確認しておいで。折角この世に繋ぎとめたのに、大好きな幼馴染に殴らせて生を終わらせる訳にはいかないだろう?」
その通りだ。
ふくれっ面でシバを一睨みして、今度は兄さんの下に戻る為に駈け出した。
私の後宮生活は、あっという間に幕を閉じそうだ。
そしてきっと、この先の生活は、期待と愛に満ちている。
だって、大好きな優しい人たちが近くに居てくれる。
それに何より、兄さんが生きてる!
ああ、それを確認しに走ってるんだった!急がなきゃ!
一先ずお終い
取り敢えずの完結まで、毎日の様に足を運んで頂いて、ありがとうございました。
読んでくださる皆様の足跡に励まされ、ここまで来ることが出来ました。本当に感謝してます。
続きを書き始めていますが、投稿はもう少し先になりそうです。その際にはまたイリと兄を宜しくお願いします。
追記。続きがとても長くなりそうです。もうしばらくお待ちください。




