表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
95/96

94 兄さんの馬鹿


どれ程そうやって抱き合っていただろう。

ソファの背と兄さんの身体にもたれる様に抱き締められ、すっかり温まって力が抜けてしまっていた。

「イリ?寝てる?」

胸だけがどくんどくんと心地よい音を立てていた。

「イリ」

「んー?」

寝てる訳じゃないけど、あまりの気持ち良さにうっとりしていた。寝てたのかな。

兄さんが笑った様な気がした。

目を閉じたまま、兄さんの肩の上に重たい腕を持ち上げた。

兄さんが私を手伝うように身体に腕を回して抱き上げてくれる。

兄さんの肩の上に頭が落ち着き、溜息がこぼれた。ああ、なんて幸せ。


「ねえ、兄さん」

「何?」

良い匂い。まだこの匂いの中でまどろんでいたいけど、言うこと言わなくちゃ。

目を閉じたまま、兄さんに話しかける。

「何をどれだけ一人で抱えてたのか知らないけど、一番辛かったことは話してくれた?私ももう、兄さんの小さなふにゃふにゃの赤ちゃんじゃないんだよ?辛いことは一人で抱えないで、私にも話してよ」

兄さんが微かに笑った。

「すぐ泣くくせに?」

その馬鹿にした調子に、唸る。

「泣くけど。すぐ泣いて頼りないだろうけど、今なら多分兄さんより強いよ。兄さんが辛いなら私が全部代わってあげる。今まで私の分まで一人で頑張って来てくれたご褒美だよ」

ぎゅうと抱き付くと、兄さんが私の首元に顔を埋めてきた。くすぐったくて何とも言えぬ心地がして肩を竦めた。

「辛くなりすぎて、君が潰れてしまったらどうするのさ」

兄さんが私の肩でそう呟く。

自分が辛すぎて既に潰れかかっていたくせに、まだ私の心配をしてる。

可笑しくなって、小さく笑いながら兄さんの柔らかい髪に頬をくっつけた。兄さんが嫌がらずに、頭を押し付けて来てくれる。ふわふわの猫みたい。可愛い。

「私、潰れるまで一人で頑張ったりしないもん。ジョエもいるし、シバも相談にのってくれる。元王太子は兄さんの言いなりで、現王太子も味方になってくれる。後は兄さんが近くにいてくれたら、私は絶対に潰れたりしない。ああでも、兄さんが居なくなったら、他の誰が居ても、私間違いなく生きて行けないからね。そこはしっかり覚えといてよ」

兄さんの両腕が、ぎゅうと私の身体を締め付けた。

「僕の意地悪がずっと治らなくても、傍にいてくれる訳?」

首筋に囁かれる吐息に、全身がぞくりとする様な心地良さを感じる。

同時に、意地悪が病気みたいな言い方をした兄さんが可愛くもなって笑ってしまう。

「良いよ?でも、私が怒ったり泣いたりすることで、兄さんが傷付くのは止めてよ?」

兄さんがもう一度私を抱く腕に力を込めた。

ああ、動悸がし過ぎて息が止まりそう。


「そう言えば、どうして兄妹ってことになって」

自分で質問しながら答えが分かった。

兄さんが想像通りの答えを穏やかな声で、私の髪の中に返す。

「その方が、君が生きやすいと思ったから」

そうだよね。

私の為に、自分が巻き込まれて辛くなるのを覚悟してそうしてくれたんだって決まってるよね。

あまりの幸せな心地良さに、溜息がこぼれた。

覚悟した割に、辛すぎて肝心の私を傷付けてきた弱い兄さんだけど、そんなことはもうどうでも良いや。

「ありがとう、兄さん。大好き」

兄さんの肩に顔を伏せながらそう言うと、兄さんが顔を傾け、私の首筋に口付けた気がした。かすめただけ?気のせい?

戸惑いながら、恐ろしいほどの胸の音を感じる。


「兄さんなんて、呼ばれたことは無かったんだよ?」

「そ、そうなの?」

駄目だ。息が苦しい。

「昔みたいに、名前で呼んで」

え?

首元に囁かれた言葉に、更に酷くなった動悸が身体中を巡り始めた。

「僕のジュジュ。本当に本当に大好きだよ」

う、え!?何?どっち?何のジュジュ?大好き?

「名前」

追い打ちのようにやけに甘えて聞こえる声に催促され、頭にまで血が上り、訳が分からなくなった。

「ア、レ?」

「うん。もう一度」

え?どうして?

「ア、アレ」

「何?」

兄さんが笑った。兄さんの甘い吐息が肌を撫で、全身が粟立つ。

何って何?

どっくんどっくんと、血のめぐり過ぎる音が頭の中まで鳴り響ている。

「イリ、大好きだよ」

う、え?

これの返事を求められてるの!?


さっき言ったよね!?兄さん大好きでいいじゃないのよ!

私の動揺などお構いなしに、兄さんが私の首筋に鼻先を擦りつけて来る。

もうそこから顔を退かして。お願いだから、離れて。

何とか兄さんの身体から離れようと胸を腕で押してみるが、一層強く抱き込まれて動けなくなった。

一刻も早くこの緊張から解放されなければ、頭と胸が破裂してしまいそうだった。


「アレ」

覚悟を決めてもう一度呼んだが、小さい頃口に出し慣れているはずの兄さんの名前は、情けなく震えていた。

名前を口にするだけで、この有り得ない動悸と緊張はどうしたことだろう。

「うん?」

今度は私の肩にこめかみを摺り寄せている兄さんの声が、物凄く楽しそうだ。

「大、好き」

必死にかすれ声を絞り出すと、ぎゅううと力一杯抱き締められた。

息が止まる。

気持ち良いけど、駄目だ。うう、本当に死んでしまいそう。

相変わらず収まらない胸をばくばくと鳴らしながら、息も絶え絶えに兄さんの肩に頬を預けた。



一しきり、抱き締められた後で、急に解放された。

兄さんはやけに楽しそうで、こっちはもう、全力疾走で何日も走り続けた様にくたくただった。

どきどきし過ぎてお腹が痛い。

「ありがとう。子供の頃に戻ったみたいで懐かしかった」

え?

耳を疑って兄さんを見上げた。

子供の頃みたいだったの?今の兄さんの気持ちじゃなかった?

私が必死で言った大好きも、子供が言ったそれと同じ扱いなの?

兄さんはソファの背に片肘をついて、面白そうに私を見下ろしていた。

まさか、この顔は。


「…信じられない」

まさか、今までのあれは、私の兄さんへの気持ちを利用して、からかわれただけ?

「何が?」

兄さんが物凄く意地悪な笑みを浮かべ私に尋ねる。

「何がって!」

私が兄さんにどきどきして!緊張して、ふるえてたのも全部分かってるでしょう!?

本当に意地悪されただけ!?

兄さんと抱き合っていたことによる熱ではなく、騙された自分の恥ずかしさに、全身が真っ赤に染まるのを感じた。

「真っ赤だよ?イリ」

兄さんが私の頬を指の背で撫でようとする。

思いっきり叩き落した。

「怒ってるのよ!兄さんの馬鹿!」

兄さんが楽しそうに笑う。

本当に怒ってたけど、兄さんの綺麗な薄青の目が細められ、長い褐色の睫毛に隠れて行く様に釘付けにされた。

笑ってる。

ちゃんと笑ってる。

意地悪な顔してるけど、私に笑ってくれてる。

「どうして、膨れながら呆けてるの?」

兄さんが私の頬を片手で掴み、ぷっと潰した。


「兄さん、これは、本当に最低よ。意地悪過ぎるでしょう?」

我に返って頬を掴まれたまま睨むと、また、兄さんが目を細めた。

どきんと胸が締め付けられる。続けてまた、我ながら呆れるほどの激しい動悸が始まった。

「何のこと?ああもう、僕のジュジュ。本当に可愛いね」

兄さんがそう呟きながら、私の両頬をきゅっとつねった。

「痛い!」

何なの?可愛いの?可愛くないの?

痛さに涙が滲む。

「ごめん」

兄さんが自分がつねった頬を、よしよしと撫でてくれた。

意味が分からない。ごめんって言ってるのに、楽しそうに笑ってるし。

分からない。

こんなぐちゃぐちゃにこんがらがった兄さんの心の中なんて、分かる訳がない。

今までだって、言葉が足りなかった。

もっと早くに、こうしてちゃんと話していれば、兄さんも死んでしまおうなんて考えずに済んだのかも知れない。

分からないなら聞かなくちゃ。自ら素直に話してくれる兄さんではないのだから。

覚悟を決めよう。


「兄さん」

「何?」

兄さんが冷たさはないけど、意地悪な顔で私を見た。

短く息を吸って、何とか声を絞り出した。

「ジュジュって、妹にも、使うの?」

兄さんが笑った。

「さあどうだろう?知らない」

綺麗な綺麗な目がまたゆっくりと細められる。

明らかに答えをはぐらかしている兄さんに腹が立つが、頭の中にまで響く酷い胸の音に、何も考えられなくなりそうだった。

早く確かめなきゃ。私が、おかしくなる前に。

「私は、妹なの?」

ソファの背に片肘をついたまま薄っすら笑む兄さんが、すごく綺麗だ。

「違うって言っただろう?もう忘れたの?」

私が何を問いたいのか理解しているはずの、意地悪な兄さんの声が、やけに遠くから聞こえる。

すぐそこに居るのに、声が遠い。

妹ではないのなら、ジュジュと私に呼びかけてきた、兄さんの真意はどこにあるの。

「私のこと、妹みたいに、愛してくれてるの?それとも」

胸の中から叩かれるような動悸につられ、声がふるえた。

それとも、私が兄さんを思う様に、私と同じ気持ちで愛してくれてるの?

どうして、私と家族じゃないと、今になって明かしたの?

期待に身体が張り裂けそうだ。

早く答えが欲しい。

目の前の、綺麗なこの人が、大好きなこの綺麗な目が、私のものになる?

嬉しそうに笑みながら、ゆっくりとした動作で私に近付いて来る兄さんの気配に、息が出来なくなった。

兄さんが私の頬に唇を寄せる。

きっと良い匂いに包まれているのに、深く息を吸い込めないことが残念だった。

呼吸も、鼓動も止めて、兄さんの言葉を待った。


「ご飯食べたら?」

楽しげに笑う吐息と共に私の耳に吹き込まれたその答えは、最悪だった。

ううううううううううう!

「兄さんの馬鹿!!!」

突き飛ばされた兄さんの笑い声を背に、部屋から飛び出した。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ