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91 違うんだよ


しばらく下を向いて食べ続けていたが、突如思い出した。

「あ!そうだった」

急に顔を上げた私に兄さんが怪訝な顔を向ける。

「何」

「あの人がね、兄さんを自由にしてくれるって言ってたんだけど、条件があって」

「条件?」

椅子の背にもたれ腕を組む兄さんに、箸を持ったまま答える。

「私が兄さんをこの世に繋ぎとめる事と、後、兄さんを苦しみから解放することだって」

兄さんが私に見せる冷たい表情ではない顔で苦笑した。

きっとあの男のことを思っているのだろう。

兄さんを思うあの男を、仕方がない人だとでも呆れるような、愛しむような顔に腹が立った。

あんな酷い事をした奴なのに、私に対する顔と違い過ぎるんじゃないのかしらね。


「一応、この世に繋ぎとめられたよね?」

「君にくだらない脅迫されてだけどね」

兄さんが私用の顔に戻る。やっぱり腹が立つわ。

「良いよ別にそれでも。あいつも兄さんが死ななきゃ方法はどうでも良いって言うはずよ。苦しみからは?解放された?」

兄さんが一層冷えた目でにっこりと微笑んだ。

「解放された訳ないだろう?今だってこうして君を傷付けて、自分を串刺しにでもしたい気分だよ。今すぐにでも終わりにしたい」

溜息を吐いて、箸をおいた。

「だから、もう傷付かないって言ったでしょ?今私、傷付いてないよ?腹が立ったり寂しかったりはするけど、そんなの普通の事でしょ?兄さんとこうやって話が出来て嬉しい。兄さんがその顔してたって、兄さんにどんな嫌味言われたって、兄さんと話してて嬉しいんだからね?分かった?」

笑みを消した兄さんが真顔で私を見ていた。

ほら、こうして本当の表情だって増えて来てる。

「どんなに酷い事言われたって、酷い態度取られたって、兄さんの事、大好きなんだからね」

言ってしまった後で、顔に熱が集まり始めた。

慌てて下を向いて食事を再開する。

頭上で溜息が聞こえた。


「君がそんな風になっちゃったから、一層簡単に僕の言葉で傷付くのだろうなと思ってしまうんだよ。僕の事なんかどうでも良いって態度を取った方が賢いと思わない?」

兄さんのことがどうでも良い?

そしたらどうなるの?

私が兄さんの言葉に反応しなきゃ、兄さんは私に必要とされていない自分に存在意義を失うのでしょう?

結局死んじゃうんじゃないの?

そうか。今だって、私が自分の手を離れても生きて行けることを目の当たりにして、きっと不安なんだ。

自分はこの世に必要ないんじゃないかって。

だから死にたい?死んで私に悲しんで欲しい?私に、兄さんの存在を刻み付けたかった?

さっき兄さんが言ってた、私の幸せの為には兄さんが居ない方が良いって言う思い込みと重なって、死んだ方が良いって結論になっちゃったのかな。

「兄さんがどうでも良いなんて、有り得ないでしょう?唯一の家族よ?何が起こったって、兄さんがどんな人間だって、私にとって一番必要で、一番大切な人よ」

だから死にたいなんて願わないで。一緒に生きてよ。

私を見下ろしていた兄さんが、再び笑んだ。

「違うんだよ」

「え?何?」

訝しんだ私に、兄さんが続けた。

「家族じゃないんだ」



「え!?」

何て言った?

「え!?何!?何て言った!?」

兄さんが顔をしかめた。

「煩いよ、イリ。静かにして」

「煩いって何よ!何て言ったの!?」

兄さんが立ちあがりかけた私を手で制した。

「煩い。家族じゃないって言ったんだよ」

「はあ!?何、え?どういうこと!?」

「話すから、静かにして」

狼狽える私を冷めた顔の兄さんが窘める。

さっさと先を話して欲しくて、頑張って口を閉じた。

兄さんがそんな私の様子を見て笑う。

綺麗な顔で笑いながら、口を開いた。


「僕らは兄妹じゃない」

それは、知ってる。

「血が繋がらない兄妹って訳じゃなくて、元から家族じゃないんだ」

え?

「え?だって、私の名を、兄さんが、付けたって」

兄さんの冷めた笑みを見ながら、ぐるぐると嫌な考えが沸き起こってくる。

嘘だったの?こうやって私が真実を知った時に傷付く様を見たくて?

本当に最低だ。有り得ない。

兄さんを見つめたままの目からだらだらと涙が流れだした。

「ああもう、違うよ。泣かないで良い。君の名を付けたのは僕だよ。流石に僕だってこんなことで君を傷付けて楽しむ趣味はないよ」

兄さんがテーブルの向こうから腕を伸ばして、たっぷりした袖を使い私の顔を拭う。

死んでまで私を苦しめたいって人に、こんなことでって言われても。

どれが有り得てどれが有り得ないのか、私に判断できる訳がない。

「な、んで。ご飯中に、こんな、話。信じ、られない」

兄さんの袖だけでは足らず、自分の袖でも顔を拭うが、さっきの自分の最悪の予想が衝撃的過ぎて涙が止まらなかった。


「ベッドの上で抱き合いながらする話じゃないだろう?実は他人だったなんて。食事中になったのは君がいつまでたっても食べ終わらないからだよ」

「他人?」

他人なの?家族じゃなくて、他人?

分からない。何が何だか分からない。

「ちょっと、泣かなくて良いって言ってるだろう?ほら、泣き止んで、話すから。あ、駄目だよ、そこで顔を伏せたら料理に髪が、こらって」

兄さんの手の平が、テーブルに顔を伏せようとした私の額を押し戻した。

「嫌だ!放して!」

振り払おうとすると、その手を掴まれた。

溜息が聞こえる。

「本当に小さい時の癇癪そのままだね。おいで。ほら、箸を放して」

袖で目元を覆った状態で全く前が見えないまま、手を引っ張られ、椅子から立たされる。

後ろから両腕を支えられて身体をソファに移された。


腕が解放され、代わりに良い匂いのする兄さんの身体に全身が包まれた。

うう、抱き締めてくれてる。

やっぱり訳が分からない。意地悪なのか優しいのか、まあ、どっちでも兄さんだけど、今は何?

私に意地悪中なの?それとも、私の抜けている記憶を埋めてくれてる?どうして今?

混乱したままだったけど、泣いている私を抱き締めてくれるのだと思うと、死ぬほど嬉しかった。

こうやって抱かれていると、やっぱりこのまま死んでも良いと、ちょっと思ってしまう。

でも、一人でちゃんと生きて行くのか不安な兄さんを残して逝くなど、もう二度と考えることは出来ないと思った。






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