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81 お気の毒に


「どうだった?」

ウィゴを見送ったのちの、シバの第一声だった。

朝の挨拶をした時から私の様子を窺う視線は感じられていたが、緊急ではないと判断してウィゴの勉強を先に済ませたのだろう。


「うーん。喧嘩になりました」

喧嘩だったのかな?兄さんは一晩籠城したけど、朝にはいつも通りだった。

「誰と?」

「ああ、兄とです。何か、もう、面倒な方はどうでも良くなりました。ほんと、何の為に来たのかしらあの人」

ここで楽しく暢気に生活している私に、兄さんへの罪を自覚させたかったのだろうと思うが、そんな事は実際見せられずとも良く分かっている。

まさかとは思うが、もし私への嫉妬心からのくだらない嫌がらせなのだとしたら、本当に無駄な事だ。

あのくらいで揺らぐ気持ちなら、元より私の心に在るはずがない。

兄さんがお金の為に男を相手にしていることなんて、子供の頃から知っているのだから。


「本当だね。どうでも良いとか言われてるし。何しに行ったんだろうな」

「多分、兄に嫌われただけですよ。お気の毒に」

シバが苦笑いした。

「流石にきついねえ。寝室に突入したの?」

「しましたよ?それを望まれていたのでしょうから。出てくるまでドアの外で待ち構えていたら、顔を歪めてらっしゃいましたよ」

「ざまあ見ろって顔だね。君が何も知らず守られてきただけの、無垢でか弱い子にでも見えてたんだろうね。あの人の勘違いだったねえ」

「そうですね」


シバが優しい目で私を見ていた。

「でも好きな男のことだもんね。辛くなかった?」

「はい。辛かったのは兄です。余程私には見られたくなかったみたいでしたから。私は腹が立っただけ。私への当て付けの為に兄に辛い思いをさせるあの方に腹が立っただけです」

「彼を止められなくて兄さんには悪いことをしたけど、君が泣いてなくて何よりだよ。私は君の兄より君の方が心配だ」

正直なシバの言葉に、ささくれ立っていた心が癒され、同時に脆くもなりそうだった。

「どうした?やっぱり辛かった?」

シバが顔を伏せた私を覗きこむ。

首を振った。

「いいえ。いえ、はい。きつかったですけど、でも、やっぱり、性が違うから。何だか、恋敵だと思い切れないと言うか。腹は立つけど、多分あの人が女だったらこんな気持ちじゃ済まなかったと思うし。いや、これは今関係ないですね。兄さんはここに来た以上、あの人と関係を持ち続けるのは覚悟していたのだろうし、その点は、兄さんも納得しているのだろうと思ってて、だから私も然程辛くはなくて。でも、兄さんが嫌がってるのに無理強いして最悪で。それで、えっと」

頭をぽんぽんされた。

「混乱中だね」

確かに混乱している。

「はい」

「二人の関係を納得はしてるけど、好きな男の濡れ場を目の当たりにしちゃ当然きついよね。相手が男で自分の気持ちが良く分からなくなってるみたいだけど」

「…そうですね」

シバがよしよしと頭を撫でてくれた。



「あの方、前王太子殿下ですよね?」

シバがにっこりと笑った。

「ご名答。全部分かったみたい?」

何が原因なのか知らないが、次々に命を落とした先王の王子達の生き残りであり、放蕩馬鹿王子と噂されていた前王太子で間違いなかったらしい。

第一継承権を手にしたものの結局王位につくことは無く、王太子の座も新王の息子であるウィゴに譲ってしまったあの不自由な方が、シバの親しい人物だった訳だ。


「何が全部なんだか分かりませんけど、兄がここにいる間は、あの方が兄の下にいらっしゃるはずではなかったと言うことは分かりました」

そうでなければ、あの男を後ろ盾に選んだ兄さんが、あの男の相手を拒み、私に見られることをあれ程嫌がるはずはない。

「そうなんだ」

シバが軽く目を開く。

「そうみたいですよ。だから、兄の信頼を裏切ったあの方は残念でしたね」

シバが吹き出した。

「もしかして、そんな風な事を彼に言った?」

「言いました。思ったことを話さなきゃ斬るって言われましたから」

目を座らせる私をまたシバが笑った。

「そう。言いたい放題言っても斬られるかも知れないとは思わなかった?」

「その辺りが心配な方なら、シバ様が事前に私に注意されない訳ありませんし」

わざわざ図書館まで出向いて、そんなに重要な事を言い忘れる様な人間ではないし、故意にそうする様な薄情な人間だとも今更思えなかった。

シバが面白そうに笑っていた。


「一人機嫌悪く反省してるみたいだったよ。今頃謝りに行ってるんじゃないの?」

「謝って簡単に許してもらえることではないと思いますけどね。まあ、私を含めた兄の周りの人間にまで援助をして下さってますから、表面上許されはするでしょうね」

シバがまた苦く笑った。

「返す言葉がないな。うちの我儘王子が迷惑かけてごめんね」

確かに先王の従弟の子であるシバとは血縁関係にはあるが、極近い身内の仕出かした罪を詫びる体のシバに尋ねる。

「シバ様があの方の係りなんですか?」

困り顔のシバがウィゴの方へ視線をむけた。

「うーん。子供時分は間違いなく係りだったんだけどねえ。ウィゴ様の護衛にもなってしまったし、半日走り回ってるウィゴ様と、何時何処に居るかも分からない面倒なあの人の二人を私に任されても、制御不能だよ。城の人間は私を何だと思ってるんだろうね」

城の中で怖いものなしと謳われている割に、面倒なものに対処できる万能子守とされているシバが、幾分気の毒な気持ちになった。


「そうですか。それで最近面倒な方が野放しに?」

シバに倣いウィゴを眺めながら呟く私に、シバが呟き返した。

「いや、本当に聡いねジュジュちゃん。そうなんだよねえ。ちょっと目を離した隙に、男を後宮に入れるわ、私の大切な君を悲しませる愚行に及ぶわ。あの人が行動を始めてしまってから止めるには、殺すしかないんだ。そこまでは出来なかった私を許してくれる?」

そう言いながらシバが手元に差し出してきた大きな手の平に、見もせずにポンと自分の手を重ねる。

「そこまでしなきゃ止められないなら許すしかありませんね。シバ様が大切に思われる人間だと言うだけで、愚かでも多少好ましい部分のある人なのだろうと思えますし、兄も少しは救われた気がします」

「私も、君のその言葉に救われるよ」

「だからと言ってあの人を許すつもりはありませんけど」

「当然だよ」

シバが私の手をぎゅっと握った。



「シバ様」

ウィゴを眺めていたシバが、私を見下ろした。

「うん?」

「本当に私を雇って下さいます?」

にっこりと笑ってくれる。

「良いよ?ようやく来る気になった?」

「兄がここを出たら、その時は私を働かせて下さい。働いて必ずお返ししますから、私と兄が暮らせる場所をシバ様に頼っても良いですか?あの方にはもう世話になりたくありません」

シバが浮かべていた笑顔を困った様なそれにかえた。

「勿論君が私を頼ってくれるのは大歓迎だよ。兄さんと一緒に住みたいの?」

私一人だと、きっと城に住み込みになる。

それでは、今後職をどうするか分からない兄さんと離れてしまう。

「はい」

「そう。だけど兄さんの意向もあるよね。聞いていないんだろう?まずは兄さんと話してごらん」

シバの口からは言えない何かがあるのだろうなと感じた瞬間、未だ気付いていなかった、気付いてみれば分かり切ったことに思い当たった。

結構な衝撃に、どんな顔をして良いのかもわからなくなる。

「分かりました」

シバが優しい目を細めて、もう一度私の髪を撫でてくれた。






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