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77 もうよろしいでしょう?


寝室から出て来た男は、ドアの傍に控えていた私を目に入れ、動きを止めた。

目を赤くも、顔を青褪めさせもせず、平然とすました私の顔に、一瞬確かに表情を歪めた。

ばーか。私が何処かで泣いてるとでも思ってたの?

こっちは最初から、兄さんがここで男の相手をすること位覚悟して来てるのよ。

王に男色の趣味があるのか、そうでなくとも、もし王の渡りがあれば兄さんはどうにかして夜伽をこなすつもりだろうと思っていた。

ここが廃止されているも同然だとは言え、もし王の気紛れがあった場合に私諸共切り捨てられるような計画では、後宮入りなど考えないだろうと思っていた。

相手が最初の予想と違っただけ。王ではなかっただけだ。


傷付いた私を見られなくて残念でした。

嘲笑を気取られぬ様すぐに頭を下げ、形ばかりの礼の姿勢をとった。

「お休みになりますか」

頭上で男が舌打ちをする。

恐らく、ソファの前にわざとらしく揃えられた茶器類に気付いたのだろう。

「ここで兄の喘ぎ声を聞きながら待ち構えていたのか。悪趣味な事だな」

嘲りを含ませた声で蔑まれようと何ということもない。

この男が余程の馬鹿でなければ、自分がやったことの方が余程悪趣味で卑劣だと分かっているはずだ。

もし余程の馬鹿なのであれば、それこそこの男の言うこと等真面目に受け取る価値もない。

「自分の身が大事か。兄を辱める男に茶を出そうと言う気が知れぬな」

出せと言うなら笑顔で茶菓子まで出してやるわよ。

さっさと帰れ、ばーか。

目を伏せ礼したままの私に、男が身体の芯にまで響く様な声で低く命じた。

「答えろ。腹の立つ女だ」

お前こそ何様だ。ここは王の後宮であんたの部屋じゃない。

「申し訳ございません」

「顔を上げろ。答えろと言ったはずだ」

言われた通り顔を上げ、威圧的な大きな男を見上げる。今日は爽やかな顔を作る気はなさそうだ。

太く響く声と他者を怯えさせるような威風にみちた視線に、城の外で無能な元王太子と噂されているこの男が、実際は為政者としての資質を問われ排斥されたと言う訳ではないのだろうと感じる。

いや、自分の感情を抑えきれず今日の様な行為に及んでしまう短慮な性質は、父親である先愚王と似通うのかも知れない。

大方世継ぎの問題がこの男の不自由さと王位継承権放棄の要因となったのだろうが、この男が即位しなくて国は救われた。

兄さんに興味を持った国に片っ端から戦争を仕掛けそうだ。


「小賢しい面だな。俺が王でないこと位はお前の頭でも分かるだろうが。側仕えとして俺を排することもせず、妹として兄を庇うこともせず、自分の身を庇うばかりか。こんな女の為に生きて来たアレが気の毒だな」

兄さんが私への当て付けの為に傷つけられたことも、余程気の毒だと思うが。

兄さんの気の毒さを私に思い知らせたいのなら、この男は自ら兄さんの苦しみを増やす様な真似をして一体何がしたいのだろうか。

意味が分からない。

やはり頭が悪いのだろうか。それともシバが言う様に複雑な感情に振り回され自分が何をしたいのかも分かっていないのだろうか。


黙って自分を見上げる私に、男の目が一層静かに苛立ちを顕にした。

「思ったことを申せ。これ以上俺を苛立たせれば斬り捨てる」

思ったままに喋ってもすぐに切り捨てられそうだが、恐らくそうは出来ないのだろう。

「承知いたしました」

そう答えた私に、男が再び嘲りの表情を向ける。

「やはり自分の身が可愛いか。さもなければ俺に頭を下げる気にもなるまいな」

大人げない嫌味ばかり。内心うんざりと答える。さっさと帰ればいいのに。

「私があなた様に礼を尽くしますのは、兄があなた様を信頼申し上げ感謝致しております故でございます」

今日の事でその信頼がどうなったのかは知らないが。


私を見下ろす男の顔に今までの静かなものとは異なる、明らかな怒りが浮かんだ。

「黙れ。自分を辱める男を信頼だと?頭がおかしいのか。それとも、男に抱かれるのは兄が勝手に選んだ道だと、自分の罪を認めぬつもりか」

自分の罪?それを私に問う為に、嫌がる兄さんを押さえつけて私に行為を見せたの?

わざわざ見せて貰わなくとも、兄さんが私のせいで望まぬ生活をしていたこと位分かっている。

あの優しい兄さんが、私を憎まずにおられない程辛い生活だったのだと分かっている。

「いいえ。自分の罪は理解しております。兄にこれまでの生活を強いたのは私の存在です。兄の選んだ道であろうはずがございませんが、兄があなた様を信頼致しておりましたのは確かです」

怒鳴り散らしたいのを耐えて言葉を絞り出すと、自分でも聞いたことのないような、冷めた声が出た。

男が今にも剣を抜きそうな様子で柄に手をかけていた。

「その信頼をあなたがお裏切りになれば、兄が苦しむのは分かり切っています。私へのあてつけの為に、兄を苦しめられる必要があられたのですか」

「黙れ」

低く命じた男は、剣を抜くことなく私を睨み据えたまま表情を硬くしていた。

「兄に必要でない男に凌辱されていたのであれば、躊躇わず刺しています。丁度茶菓子を切るナイフも持っていましたし。ですが、兄に信頼され、後ろ盾でもあられるあなたを殺めてしまえば、兄からあなたを奪い、私には知り得ない兄の望みを絶ってしまうことになります。私にはその資格はありません。左様でしょう?」

兄さんの望みはあなたの方が良く知っているのでしょう?

私に、今まで私の為に生きて来た兄さんの望みを絶つ権利などないと、あなたもそう思うでしょう?

話し方も適当になった無礼な私を切り捨てることもなく、黙って私を睨み続ける男に続ける。

「私が兄の為に出来たのは、あの場に私が訪れ、あなたの満足を得ることだけです。現に満足なさってすぐに出ていらっしゃったではありませんか。あなたを兄から奪わずに、先程の行為を終わらせました。あなたが兄の信頼を失ってまでの成果を上げられたとは申せませんけれど、私への当て付けにいらっしゃったあなたも満足なさった。何処にご不満が?」

笑んで男の目を真っ直ぐ見返した。

「私も、これまでの兄へのお支えとご援助とに関してはあなたに感謝いたしております。お茶がご必要でしたら準備いたしますけれど、そうでないのならもうよろしいでしょう?早くお帰りになってください」


自分でも分かり切っているだろう今回の卑劣な行いの馬鹿馬鹿しさを、くどくどと小娘に諭された男は、私のかわりに手近の花瓶を剣の鞘で叩き割って出て行った。

苛立ちをぶつけられた綺麗だった花瓶には気の毒だが、私を斬らなかったのは兄さんを思う気持ちの大きさの現れだろう。

本当に自分が信頼されていると感じたことがなかったのだろうか。

ただ利用されていると信じながら、兄さんを愛してきたのだろうか。

馬鹿だ。

あの男の第一は、きっと兄さんだ。






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