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71 ふにゃふにゃだったから


「今日は絶対に出ちゃ駄目だよ、ジュジュ」

「分かってる」

兄さんに答えてから、外に出る支度をしていたジョエに頼んだ。

「ねえ、図書館によって、お兄さんに今日は行けないって伝えて。お兄さんがもう城を出てても、きっとジョエと途中ですれ違うし」

「ああ、分かった。アレの言うこと聞いてろよ。怒らせると怖えからな」

「もう怒ってるじゃん。早く帰って来てよ」

腕を引いてそう言うと、ジョエが優しい顔で私の頭を叩いた。

きっと情けない顔をしていたのだろう。

凄く名残惜しい気持ちでジョエを見送った。


「イリ。どこ行くの」

「どこって。自分の部屋に」

兄さんがにっこり笑った。

「駄目だよ」

「え?どうして?部屋を出ちゃ駄目なんでしょう?」

「うん。本も読んじゃダメ。どうせ寝室に戻ったら休まずにずっと読んでるだろう?ここで寝てて」

兄さんが笑んだまま、今まで自分が座っていたソファを指差した。

「はあ?嫌よ」

兄さんに見張られて過ごすなんて、考えられない。

熱で朦朧としているならともかく。こんなに元気で寝られそうもないのに。

「休まなきゃ治るものも治らないよ。昨日も全然食べてないし、無理してるとその分謹慎が長引くからね」

熱で謹慎ってなに?兄さんが決める期限じゃないのよ。

諦めて溜息を吐き、どすんとソファに身体を沈めた。

やっぱり昨日私が足を上げていた部分が、乾いた泥で汚れていた。

兄さんがいつも座っている場所だ。綺麗になるかな。

泥を爪でこすり落としていると、兄さんが自分の部屋に入っていった。

兄さんが引っ込んでてくれるなら、別に良いんだけどね。

安心半分、寂しさ半分で兄さんの消えたドアを眺めていると、布団とクッションを抱えた兄さんが出て来た。

兄さんと過ごすなんて嫌だと思ったはずなのに、戻って来てくれて、やっぱり物凄く嬉しかった。

「はい。ちゃんと横になって」

クッションを身体と肘掛けの間に置かれたので、諦めて大人しく足をあげて寄りかかると、身体の上にふわりと布団がかぶせられた。

う、わー。

クッションも布団も兄さんの匂いでいっぱいだ。

胸の中が凄いことになっている。何かが胸を突き破って飛び出してきそうだ。

まあ、ここで寝るのも良いかも知れない。

こんなこともうないだろうし、兄さんの良い匂いを満喫しよう。

いやいや、変態は良くない。兄さんに気持ち悪がられるから。寝よう。

布団を顔まで引っ張り上げて、目を閉じた。


眠れない。

当たり前だ。

兄さんの良い匂いに胸が落ち着かないし、兄さんが近くに居るのを気にしながら眠れるわけがない。

ソファの上で寝返りを繰り返していると、兄さんの声が聞こえた。

「イリ?」

兄さんの声に背を向けたまま、布団を引っ張って耳を出した。

「ん?」

「眠れないなら無理して寝なくても良いんだよ。ただ、ゆっくり休んでれば良いんだから」

「えーだって。本も読めないなら起きてても暇なだけだもん。掃除していい?ソファの汚れ取りたい」

溜息が聞こえた。

「駄目に決まってるだろう」

だよね。

兄さんの方を見る気にはなれなくて、延々とソファの背の模様を観察することになった。


「君が小さい頃熱をだすとね」

不意に話し出した兄さんが、すぐに言葉を止めた。

動かない私が起きているのかを窺っているのだろうか。

「うん」

起きていることを相槌で主張して、先を促した。

「毎回、父さんが凄く心配して、母さんは笑ってた。小さな子はこんなもんだって」

「そう、なんだ」

初めて聞く両親の話だ。

私の記憶にある、私達兄妹と同じ色の両親だろうか。

「僕は父さんと同じで、君が熱を出す度に心配で仕方がなかった。君は小さくて細くてふにゃふにゃだったから、このまま酷い事になるんじゃないかって」

「ふにゃふにゃって。猫じゃないんだから」

私の小さな頃の話も初めてで、どう反応して良いのか戸惑う。兄さんが笑う気配が感じられた。

「そう。本当に猫みたいだったよ。父さんと二人で色々世話を焼こうとするんだけど、母さんには叱られるし、君は物凄く機嫌が悪くて癇癪を起して僕らに当たり散らすし」

あまりに幸せそうな家族の話で、自分の事として想像がつかなかった。

「そう」

私にもそんな幸せな頃があったんだ。

「うん。君が熱を出して我儘ばかり言うから、あの頃の理不尽な気持ちを思い出したよ」

今もきっと根は我儘なのよ。兄さんに遠慮して思ったことを言えていないだけで。

「熱がない時は、今より少しはお利口だったと思うけどね」

普段より優しい口調の嫌味に、見えもしないのに、背後の兄さんに口を尖らせた。

「言うこと聞いて寝てるじゃん」

そうよ。最低な奴がいる学校に休まず通って、ここにもついて来て、お腹に布も巻いて、頑張って兄さんが言う通りにしてるじゃん。

兄さんが笑ったような息遣いが聞こえた。

「そうだね。このまま僕の言うことを聞いて、お利口さんにしてて」

酷く優しくて、甘い口調に聞こえた。

お利口さんって。お利口さんって何?幼子じゃないんだからね。

再び、どっくんどっくんと破裂してしまいそうなほど強く胸の中が暴れ出す。

混乱するから。

私が弱っているからって、どうせ本当は冷たい兄さんの口からそんな言葉を聞かせないで欲しい。

布団に顔を隠し、目をぎゅっと閉じて、静まれ静まれと心の中で呟いた。

兄さんの本を捲る微かな音だけが、私の血の音を押しのけて耳に届いていた。






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