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70 最悪だ

ガバリと起き上がった時、体中が汗で濡れていて凄く気持ち悪かった。

最悪だ。

考えることを避けて来た自分の気持ちを、熱に浮されながら確認してしまった。

兄さんに欲情してるなんてことを確認して、どうするのよ。

ただ兄として好きってだけで良いじゃない。

真っ暗な部屋のベッドの上でうずくまり、頭を抱えた。

ああ最悪。

こんなことを自覚して、これからどうすれば良い。

兄さんは兄さん。いくら血が繋がっていなくても私は妹だ。

大体兄さんが血の事を知っているのかさえ分からない。

兄さんが私の事を実の妹だと信じているのなら、私のこの気持ちは兄さんにとって、気持ちの悪いものでしかない。

もし知られでもしたら、確実に嫌われて、いや、今以上に嫌われてしまう。

どうして、血が繋がっていないことを私に教えたのかと、シバを恨みたくなる。

小さなウィゴの失言なんて、シバが誤魔化し続けてくれたら良かったのよ。

そうすれば、兄さんにこんな感情を抱いたりはしなかったのに。


血の気が引いた。

本当にそう?

血が繋がらないと知ったから、兄さんへの気持ちが変質したのだろうか。

嫌な寒気に肩を擦るが、お腹の底が冷え渡るような感覚はなくならなかった。

髪に伝う不快な汗を、兄さんが置いておいてくれたカートの上の布で拭う。

足から布団を引き剥がし、ベッド脇のチェストの引き出しから、兄さんの文字が並ぶ紙を取り出した。

私の手元に残された後、幾度も眺めたそれは、灯りのない闇の中でも鮮明に私の目に文字を映した。


にくい

いとしい

かなしい

うれしい

ありがとう

ごめん


兄さんへの思いとして私の心にピッタリはまると感じたそれは、何度も見返すうちにわずかな違和を滲ませていた。


『いとしい』だ。

ようやく違和の正体に気付いた。

私が兄さんに感じる思いは、家族としての愛しさと言うより『恋しい』。

そしてそれは、今に始まった思いではなかった。

私は、兄さんの帰りをひたすら待っていた子供の頃から、兄さんに純粋でない欲を感じる様になってしまったたった今のこの瞬間まで、兄さんのことが恋しくて堪らないのだ。


呆然とする私の冷えた頬を、熱い涙が伝うのを感じた。

嬉しいのか、悲しいのか、分からない。

でも、恋しい兄さんのことが、そう自覚した今では、酷く愛しくもあった。



冷えてしまった身体を拭い、新しい寝間着に着替えていると、兄さんの部屋に続くドアが叩かれた。

「待って」

きっちり胸元を合わせて腰紐を縛ってから、ドアを開けた。

兄さんが起き上がっていた私に驚いた様だった。

「音がしたから、目が覚めたんだろうと思って。起き上がって大丈夫?」

「うん。今は熱が下がってるみたい。すっきり」

布団に戻りながらそう言うと、兄さんが小さな燭台を持って部屋に入ってきた。

「灯り、置いておくよ。何か欲しい物ない?」

「大丈夫。飲み物は置いてあるし、まだ次の薬飲んじゃダメ?」

薬が切れてまた熱が上がるのが嫌でそう言うと、兄さんが笑った。

「駄目だよ、ジュジュ。まだそう時間も経ってないし、もう熱も自然に下がるかも知れないからね。必要ない薬は毒だよ」

膨れた私を笑いながら、兄さんは自分の部屋に戻って行った。

これで良い。私の体調が戻れば兄さんの目も元に戻っちゃうのだろうけど、以前よりずっとましな兄妹になれてる。

これで良い。仲の良い兄妹になれる様に、今まで通り頑張ろう。

何も変わらない。

兄さんは、私の兄さんだ。



「熱なんか出してんじゃねえよ。小せえ子供じゃねえんだからよ」

朝食に呼ばれて居間に出ると、ジョエが私の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。

今日は寝間着の上に分厚いローブを羽織ることで許されていた。

ほんとに病人みたい。もう熱も下がってるのに。

結っていない髪を手櫛で梳きながらジョエを睨んだ。

「止めてよ。子供じゃなくたって熱は出すでしょ。ああでも、本当にこんな辛いの初めてだったわ。熱出したの初めてだったのかな」

「小さい頃は良く出してたよ。ここに来て慣れない生活で疲れが出たんじゃない?食べて勉強してるだけだけどね。言うこと聞かずに体調悪いのに雨に濡れたもんね。ねえ、ジュジュ?」

膨れて兄さんを見ると、いつもの顔で笑んでいた。

兄さんには答えず、さっさと食事のテーブルにつくと、ジョエの騒がしい声が追いかけて来た。

「あ、そう言やお前!おばちゃんが言ってたが、男に抱えられて戻ったんだってな?」

焦ってジョエにそれ以上喋るなと合図を送るが、空気の読めない人間に伝わるはずはなかった。

「誰だよ?何か顔見知りだとか言ってたらしいな」

あーあ。

「イリ」

兄さんの作った優しい声が私を呼んだ。

振り返るとにっこりとほほ笑んではいたが、案の定非常に嫌な感じだった。

「だって、おばちゃんが!歩けなかったんだからしょうがないじゃない。他にどうしろって言うのよ」

「誰?」

兄さんが私を無視し、笑顔のままで尋ねた。

「…庭で会った衛兵」

渋々答えると、恐ろしく冷たい目で睨まれた。

「ふうん。言うこと聞かずに熱を出して、そのせいであの男に抱かれて来た訳。面倒なことになるのが目に見える様だね。本当にいい加減にしてね」

「…ごめん」

一応謝ったけど、口がへの字になった。

椅子から立ちあがり、呆れた様に私を見下ろしていたジョエのお腹に抱き付いた。

「うう。兄さんが怖いし」

ほっぺを引っ張られ、隠していた顔を上向かされた。

「阿呆が。説教されて当然だろ。熱出すなら歩けなくなる前に走って部屋に戻れ」

「…はーい」

不貞腐れて返事をする私の頭を、ジョエがもう一度かき回した。

良かった。ジョエが居て。

もう、どうしていいのか分からないなあ。

兄さんの冷たい目に、心が張り裂けそう。






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