52 言いたいことなんて言える訳ない
「二人とも間違ってますよ」
普段は一人離れウィゴの自習に口出ししないシバが、戻りがてらちらりとノートを確認しにっこりと指摘した。
「え!どれですか?」
立っていたシバが私のノートにある計算式を指差すと、ウィゴが覗き込んできた。
「こら。ウィゴ様はこれが違ってますよ」
シバがウィゴの頭を押す。
今度は指差されたウィゴのノートを、私が覗き込んだ。
「あ、これなら教えてあげられますよ」
ウィゴの顔を見ると、頬を膨らませて可愛い顔をしていた。
ついつい笑ってしまう。
「いい、自分でやり直す」
シバも可愛いウィゴを笑った。
「じゃあ二人とも、その間違った問題を自分でやり直して、終わりにしましょうか」
護衛のはずなのに、余裕の表情で教師の役もこなすシバがにっこりと宣言した。
「シバ様も子供の頃からお勉強三昧だったのですか?」
「んー、まあそうかな。ウィゴ様程ではなかったけどね」
「あ!ずるいぞ、お前」
ウィゴがシバに文句を言う。
「ウィゴ様みたいにしょっちゅう脱走するような事はしませんでしたから、結局同じようなものですよ。ちゃんとやらないから無駄に長い時間予定に組み込まれるんですよ」
「ああ、じゃあ、脱走しても良いってことじゃないですか。良かったですね、ウィゴ様」
そう言うと、ウィゴが複雑な顔をした。
「なんだ?俺を馬鹿にしてるのか?ジュジュ」
「違います。そのままの意味です」
シバが笑った。
「ウィゴ様。ジュジュちゃんの言葉は、私や他の人間から言われることの様に裏を読む必要はないんですよ。大抵思ったまま喋ってますから」
「そうか?」
ウィゴが胡散臭そうに私を見る。
「え?はい。多分。ここでは不敬を問わないと言われていますから、好きな様に話してますよ」
「それに加えて、ほら、遠まわしな皮肉とか嫌味なんて言わない子だしね」
シバの言葉に自分が凄く嫌な顔をしたのを自覚した。
「どうした?変な顔して」
ウィゴに問われる。シバも、あれという顔をして私を見ていた。
「はあ、私は嫌味で皮肉っぽい人間なんです。シバ様にせっかくそう言って頂いたのに申し訳ないのですけれど」
兄さんとの皮肉の応酬の様な会話を思い出して溜息を吐いた。
「そうなの?気に入らないことがあればはっきり言いそうな性格に見えるけどねえ。無視に嫌味か。本当に面倒な女なんだねえ、ジュジュちゃん」
後半は聞き流して返事をする。
「そうですね。思ったことをはっきり言えればもう少しマシになるのかも知れませんね」
嫌味の応酬は減ったとは言え、兄さんには思ったことをそのまま伝える等出来そうにない。
このままでは、兄さんとの仲はとげとげしいものから余所余所しいものへと変わるだけだ。
すっかり二人のことを忘れ、兄さんとの関係に思いを馳せ落ち込んでいた私の頭を、シバがポンポンと叩いた。
「誰だって意識してしまって上手く自分を出せない相手がいるものだよ。その理由が、好意的な緊張にしても苦手意識にしてもね」
「私はどうして兄と上手く話せないんでしょうか」
半分自分への問いかけとして出た言葉にシバが苦笑いした。
「やっぱり兄さんか。彼は君を悩ませるねえ。どちらもじゃないの?」
「え?」
テーブルに頬杖をつきこちらを見るシバに首を傾げた。
「おかしいだろ?好きなのに苦手ってなんだよ」
ウィゴが怪訝な表情でシバに言う。
シバが私とウィゴを交互に見てにっこりと笑った。
「好きだから嫌われたくなくて、緊張するから苦手、とか?」
「ああ!」
目を見開いて手を打った。
「そうです!そんな感じ!」
「ウィゴ様も覚えがあるんじゃないのかなあ」
シバがからかう様な視線をウィゴに送ると、ウィゴが唇を噛んだ。
「そうなんですか?一緒ですね、ウィゴ様。どうして言いたいこと言えないんでしょうねえ。仲良くなりたいのになあ」
そう言うと、ウィゴが眉尻を下げ、急に泣きそうな情けない顔になった。
「言いたいことなんて言える訳ない。俺が目に映るだけで冷たい顔をされるのに」
私から視線を逸らし小さくそう言ったウィゴが、まるで幼い頃の自分を見ている様だった。
「母君のことだと思うよ」
私に言うシバを、ウィゴが睨みつけた。
その目は今にも涙を落としそうに潤んでいた。
まだ子供なのに。母親に疎まれている現実はさぞ辛いだろう。
「私も兄に幼い頃から冷たい目を向けられています」
ウィゴが私の顔を見た。まだ泣いてはいないが、唇をぎゅっと閉じて険しい顔をしていた。
「話しかければ話しかけるほど冷たくされて、そのうち家族なのに、どう声をかけて良いのかも分からなくなって。どうすればこれ以上嫌われずに済むのかを幼いなりに考えた結果、仲良くなりたいのに距離を取らなくちゃいけないなんて。そんな事を妹の私に考えさせる兄が大嫌いでした。大好きな唯一の家族だったのに、大嫌いになっちゃって、悲しくて辛くて。とても虚しかったです」
ウィゴが顔を歪めた。
「でも、やっぱり好きです。いくら私が嫌われていたって、家族ですから」
にこっと少しだけ口角を上げて笑って見せると、つられた様にウィゴが口を開いた。
「お前と同じだ。俺も、好きなのに、俺を嫌いな母上を、嫌いになりそうで、いや、だ。もう、会いたくない」
遂に交差した両腕を目元に当てて泣き出してしまった。
押し殺した嗚咽に、子供の泣き方じゃないなあと、大人びたウィゴが不憫になる。
不意に背中を押され振り返ると、シバが苦笑しながら腕を広げる動作をして見せてウィゴを指差した。
ぎゅうか。友達があの能天気なジョエしかいなかったから、泣いている人間を慰めるという行為をしたことがない。
私で大丈夫だろうか。
それでも私が泣かせたようなものだしなあと、そっとウィゴの頭に手を伸ばした。
サラサラの髪に手が触れウィゴがぴくりと身動ぎをしたが、特に嫌がる素振りもなかった。
そのままウィゴの頭を軽く引き寄せながら近付いてみると、ちょっとした抵抗を感じた。
ああ、私がやったことは無いが、ジョエによくこうして慰めてもらった。
こうやって抵抗する場合は、ジョエは無理矢理私の頭を引っ張って、ぎゅうっとするのだ。
私も嫌で抵抗していた訳ではない。甘えた自分が気恥ずかしかっただけだ。
ウィゴの頭を腕ごと胸に抱き締めた。
信頼している人に抱き締められるのは安心する。
私も、おそらくウィゴも、家族が遠すぎて、その安心を家族から得る事が出来なかった。
私にはジョエとおばさんがいた。
ウィゴにはシバと、そして私がいる。
そう思って貰える人間になりたかった。
頑なに腕で顔を隠し声を殺すウィゴが、可愛くて、愛しかった。




