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49 平気だと思うわよ


「ジュジュ?」

兄さんの呼びかけに我に返り、視線を上げた。

手元の本に目を落としぼんやりとしていたようだ。

「どうしたの?ジュジュ。大丈夫?」

兄さんが眉を寄せていた。

「何でもない。分からないところが有った?」

呼ばれたのに気付かなかったのだろうと兄さんに尋ねると、首を振られた。

「呼んだんじゃないの?」

首を傾げると、兄さんが綺麗な唇を引き上げて笑んだ。

瞳の色は判然としないが、いつもの笑みより一層不自然に感じた。

「何?」

もう一度首を傾げると、兄さんが私を見つめたまま唇を開いた。

「ジョエが君に父さん達の話をした時」

兄さんが言葉を切った。

「うん」

兄さんとの間で初めて出た話題に緊張した。

「その時のことを思い出したりはしなかった?」

そう言った兄さんに笑顔はなかった。

何だろう。何か私に思い出して欲しくないことがあるの?

兄さんが私を裏切るのではないかと言う変な考えが頭をよぎり、一気に血の気が引いた。

シバが言っていた。

私の唯一の家族であるはずの兄さんが、実はそうではなかったとしたら、私はどうすればいいのだろう。

混乱して、何も考えられなくなり、ただ兄さんの口元が開かれるのを待って息を詰めた。

「大丈夫?ジュジュ」

「え?」

兄さんの綺麗な唇から零れでた言葉は思っていた様なものではなく、思わず聞き返した。

「怖くなって一人でいられないんじゃないの?」


私が両親の死の瞬間を思い出し怖くなって、ここで本を読んでいるのだと思っていたのだろうか。

そして先ほど様子のおかしかった私を心配してくれているのだ。

安心して身体の力が抜けた。

「何だ」

「え?何?」

今度は兄さんが私に聞き返す。

心配して貰えたのが嬉しくて、笑顔で答えることが出来た。

「大丈夫よ。怖くない。話を聞いても何も思い出せなかったの。兄さんだけ辛いことを憶えてるのに、ごめんね」

そう言った途端に、兄さんがすうと一切の表情を消し、私から視線を逸らした。

何かを間違えたかとぎゅっと絞られるようにお腹が痛くなった。


私の方を向いたときには、兄さんはすでにいつもの笑顔を浮かべていた。

「その事ではないなら、どうして様子がおかしいの?ジュジュ」

兄さんの笑顔が悲しくて、また顔に出てしまっていたようだ。

苦く笑って答える。

「ああ、ええとね。それは。さっき兄さんが、私から離れようとしてたのが悲しかっただけよ」

兄さんが笑んだまま固まったのを見て、私も苦笑いのまま続けた。

「でも、理由はジョエに聞いて理解した。だから大丈夫よ。私が怯えて倒れない様に、離れてくれてたんでしょ?私、倒れてたことも全く憶えてなかったの。今まで兄さんに避けられたことに腹を立てて態度が悪かったりしたでしょ?私の為だったのに、ごめんね」

兄さんが再び笑顔を消した。

表情の無い兄さんの顔は、作り込まれた彫像の様な美しさで、ひんやりと冷たく怖いほどだった。

怖くて目を逸らしたいのに、その瞳に吸い込まれるように目が離せなかった。

「君が謝る必要はないよ。僕が君に、それ程酷いことをしてしまったのだから。僕こそ謝るべきだね」

あの時、兄さんが私にしたことを言っているのだろうか。

兄さんの表情の無い顔に見つめられて、声が出なかった。

「幼い君を苦しめてごめん。本当に悪かった。許してくれなんて言うつもりはないけれど、謝らせて」

兄さんに何か言おうと思うのに、何一つ出てこず、口を開けたまま兄さんを見つめていた。

「ごめん。…ジュジュ」

虚ろな表情の兄さんが私から視線を逸らし、ソファに背を預けて深く息を吐いた。

謝罪を受けているのだと言うのに、その溜息の重さに責められている様な気持ちになった。


「ジョエ遅いね。僕はもう部屋に戻るよ」

兄さんの横顔はいつものように笑んでいる様だった。

「待って。兄さんが謝る事なんてないでしょう?それしか方法がなかったんだから」

兄さんは微笑んでいたが、こちらを向いてはくれなかった。

「自分が君にした行いの恐ろしさは分かっている。君が怯えるのも当然だよ。それでも、僕にふれたせいで君があんな状態になるのを見たくない。あの時自分がしたことを体中で否定されて拒絶されている気になる。僕は君の為じゃなくて、自分の為に君を避けているんだ。身勝手で悪いけど、僕には触らないで」

微笑む兄さんの横顔を見つめて、ゆっくりとその言葉を反芻した。

兄さんは、兄さんが私にした行いに未だ私が怯え苦しんでいると思っている。

兄さんの行いを否定する私を責めながら、自分のことも責めているのだ。

あの時の事は自分が悪かったことにして、今の状況も自分が悪いことにして。


「兄さん」

勝手に私が兄さんを責めていると決めつけられ、腹が立って、悲しかった。

「何?ジュジュ。もう部屋に戻りなさい」

こちらを見もせずに、私を笑顔で拒絶しようとする。

旅中の兄さんに戻ってしまった様だ。

「嫌よ。ねえ、私平気だと思うわよ?」

兄さんが怪訝そうに私を見た。

「え?」

「私、何も分かってなかった小さい頃はともかく、今は兄さんがしたことに怯えてなんかないし、勿論責めてもないわよ」

兄さんが表情を消した。

「そりゃあ、怒られる時は怖いわよ?でも、それとあの時のことは関係ない。あの時の夢だって、当然苦しくて止めてとは今でも思うけど、怖くなんてない。夢の中で兄さんの顔を見上げて思うのは、悲しそう、辛そうって事だけよ」

表情のない兄さんが私を見つめている。

何を思っているのだろう。

「小さい頃倒れてたのだって、きっと兄さんのことが怖かった訳じゃないわ。母さんたちが酷い目に遭った瞬間を思い出しちゃって、それに怯えてたんだと思う。だって、私から兄さんにくっついていって倒れてたんでしょう?」

しばらく返事を待ったが、兄さんは綺麗な唇を噛むようにして、組んだ指を握りしめた。






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