45 ぼさぼさだね
ジョエと行儀の悪い勉強会を終えた後、一緒に図書館へ向かった。
「お前本当にそれ全部読んだのか?」
「全部って。たった2冊じゃないの」
眉をひそめ私を見下ろすジョエに、眉をひそめ返した。
「そんなのを数日で読めるなんて、お前賢くなったな。あんなに阿呆だったのに」
ジョエが今度は感心したように私の頭に重たい手を置いた。
「読めたって賢くはないわよ。そこから知識を広げて自分で物事を考える力がなくちゃ。読むだけならジョエだってすぐそう出来るようになるわ」
ロウエン出身の妃のことを知らなかった自分を思い出し、面白くないような恥ずかしい様な気分がよみがえる。
「それを俺がすぐ読める様になるとは到底思えねえ」
ジョエが笑った。
「昼食中しか勉強してないからよ。あの人なんて、暇過ぎて凄い速さで単語を憶えてるわよ」
「あいつはお前と同じで元々勉強すんのが好きなんだろうよ。俺はやっぱり座って何かやるのは性に合わん。でも、ここは良いな。強え奴がうようよいる」
ジョエは兵舎や訓練場に通い、稽古をつけてくれる知り合いを着々と増やしている様だ。
人見知りのない性格と、何故か憎めない能天気な気質がなせる技だろう。
「そんなに強くなって何になるつもり?ここで軍に入るの?」
今は戦がなく穏やかな時期ではあるが、今後何が起こるか分からない。
ジョエが戦場に行くのは嫌だ。
私の顔から不安が読み取れたのか、ジョエが優しい顔で笑った。
「心配すんな。食う為に国兵学校に入ったけどよ、俺もこんな国の為に命を張る気はねえ。ここで力を付けりゃ金持ちの護衛や警護の仕事でも食えるだろ、多分」
大雑把だが、先の事を考えて行動している様だ。危険な職を目指しているのに変わりはないが取り敢えず軍に入る為ではなくて良かった。
「向こうにいる時は給金少な過ぎて、他で日銭稼ぐのに必死でそんなこと考える余裕もなかったけどよ。お袋がしばらく困らねえ程の金くれて、どうやったか知らねえけど、除隊させてくれたあいつのおかげだな。俺はここで只で食えてるし」
ジョエが前を向きながらしみじみと言う。
「そうね。ジョエもここに来られて良かったね。私にとっての図書館がジョエにとっては兵舎なのね」
ジョエが私の頭をかき回し大声で笑った。
「間違いねえな!」
「あれ、ぼさぼさだね」
図書館の入り口でジョエと別れ、受付の前を通る時に会釈すると、お兄さんに笑われた。
「え?」
慌ててお兄さん視線が注がれている自分の頭に手をやると、歩きながら一度編み直した髪が再び乱れていた。
ジョエに今、別れる際にやられたようだ。
「ああ、もう」
うんざりした顔をすると、お兄さんに笑われた。
「ジョエにやられたんでしょ?」
「はい」
お兄さんにおいでおいでされて、私達の間にあるカウンターに近付いた。
「君の髪なら、編み直す程ではないかも知れないね」
そう言ったお兄さんが私の頭頂部から後頭部にかけて、指を立てて髪を梳いた。
思いっきり子供だと思われてるなあ。
公衆の面前で堂々と私の髪を撫でつけるお兄さんに、お腹の布で年齢を誤魔化していることが少々申し訳なくなる。
まあ、周りの人達もそんな私達に無関心だし、どうせ子供が頭を直されている様にしか見えないのだろう。
「妹がお転婆で、良く髪を直していたんだよ。でも、手触りは驚くほど違うね。妹の髪はほつれたら酷く絡まって解くのも編み直すのも苦労したけど、君の髪は編んでなければするする解けるだろうね。うちの妹の頭はそんな事したら鳥巣みたいになっちゃうけど、ジョエが君の頭をかき回したくなる気持ちも分かるよ」
俯いた私の頭上でお兄さんが楽しそうに笑った。
最初に会ったとき、私の黒髪に少し抵抗のある優しい人なのかと思ったが、全くの勘違いだったみたいだ。
「でも編んでる時は止めて欲しいよね」
「はい。全くです。さっきも直したばっかりだったのに、何度も何度も。本当にもう」
お兄さんがもう一度笑った。
「はい。大丈夫だと思うよ」
最後に髪の表面をふんわり撫でつけているお兄さんを見上げると、お兄さんがぴたりと動きを止めた。
首を傾げながらちょっとだけ頭を下げた。
「ありがとうございます」
手で軽く頭を確認すると、乱れた部分が綺麗に直っていた。
私の首の上辺りで止まっていたお兄さんの手に、私の手がぶつかって、お兄さんが動き出した。
「あ、ごめんなさい」
「え、ああ、いや。構わないよ。それ返却?」
にっこり笑ったお兄さんが、私の手の中の本を指差しそう言った。
「あ、はい。有難うございました」
「こちらこそいつもご利用有難うございます。確かに受け取りました。ゆっくり選んでおいでね」
笑顔で手を振ってくれる優しいお兄さんに頭を下げた。
この間の男がいないことを確認し、ロウエンの言語についての資料を探した。
辞書が並ぶ棚にはなかったし、ここにもロウエンについての記述はあっても、言語にふれた文献はなさそうだった。
お兄さんに尋ねるべきかしら。
外見からロウエンの直系だと言うことは丸わかりなのだろうから、ロウエンの言語について何か調べていると知られれば怪しまれるだろうか。
お兄さんなら何の為かと聞いてくることは無いかも知れないが、怪しまれはしなくともやはり興味は持たれるだろうなあ。
誰かが借りている資料が他にもあるだろうし、もう少し自分で探してみよう。
『ジュジュ』と言う言葉の意味を、ここで私に教えてくれたあの男の事が気になった。
茶色の髪ではなかった気がするので、ウィゴやシバの血縁ではないかも知れないが、見るからに上等な衣装と堂々とした雰囲気を思い出し嫌な予感がした。
同時に、何故あんな良く知りもしない男の言葉を鵜呑みにしていたのかと、反省もした。
嘘をついていた様には見えなかったが、私のなかで『ジュジュ』の意味は重要だ。
愛しい人、可愛い人と言う意味が本当にあるのかを、自分で確かめた方が良いことは確実だった。




