38 駄目じゃないか
「また酷い顔だな」
ウィゴが隣にいる私の両瞼にそっと親指でふれた。
子供特有の暖かい体温にほっとし目を閉じたままにしていると、しばらく撫でてくれた。
「ウィゴ様。撫でても直りませんよ。それにそうやってると、間違いなくジュジュちゃんにちゅうしたくなりますから、そろそろ手を離した方が良いと思います」
シバの声がすると、さっと手が離れた。
「ならない!お前と一緒にするな!」
目を開けると、予想通り真っ赤になった可愛いウィゴがシバを睨んでいた。
「シバ様、からかい過ぎですよ。ウィゴ様はお優しいだけなのに」
多分私だから優しくしてくれたのだと思うが、私を練習台にして皆に優しくなってくれると嬉しい。
「まあでも、今のは女の子に無闇にやっちゃよくないですよ?勘違いさせますからね?」
シバがウィゴに注意するとそっぽを向いた。
「他の奴らにはしない!」
不味くはないかと、シバを見ると、苦笑いをしていた。
「ウィゴ様。ジュジュちゃんはお友達ですけど、使用人ですからね」
「分かってる」
分かってるんだ。小さいのに王子って大変だなあ。
城が不自由な奴も、こんなウィゴの不貞腐れた姿を見て不憫に思うのだろうか。
「私、ここへ来ない方が良いのならそうしますけど」
寂しいがウィゴの為だとそう言うと、ウィゴが私を見た。
「それは許さない。お前が来ないなら勉強も剣の稽古もしない」
「ってダダ捏ねるから、ジュジュちゃんはウィゴ様の傍に居らざるを得ないし、ウィゴ様は失恋に耐えるしかないんだよ。自分で選んだんですからね。頑張って友情でとどめて下さいよ」
シバが私とウィゴにそれぞれそう言った。
「あんなこと、自分の努力でなんとかなるものですか?」
剣を手に離れていくウィゴを見ながらシバが笑った。
「難しいだろうねえ。でもせざるを得ないのが王族でね。大事な人ほど手は出せないものなんだよ。どうせ自分の手で幸せには出来ないからね」
「と言う風に刷り込まれてるんですね?」
シバが笑った。
「これは、まあ誰かと言えば私が刷り込んだんだよ。不自由な人はちょっと立ち位置が違うから」
「そうですか」
「ウィゴ様には出来るだけ辛い思いをして欲しくないからね。そこそこでも自分の妻になる相手と愛し合えるのが一番幸せだと思わないかい?世継ぎもどうせ必要で、父と母になる訳だし」
「お生まれになるお子様の為にもですか?」
シバが頷いた気配があった。
「ウィゴ様の母親は彼を嫌っていてね。愛した男と引き離されて、望まぬ種を植え付けられ子を産まされたんだ。責める気にはならないけど、彼は不憫だよ」
それは確かに、子供の為にもそこそこでも良いから愛しあえればと言いたくなる気持ちも分かる。
「良いお相手を選んであげて下さい」
シバが明るく笑って、私の頭を撫でた。
「新王は政略に子供を使う様な人間ではないけれど、出来る限りウィゴ様の意向を叶えられるよう発言力を高める努力はしないとね。頑張るよ」
「で?また泣いたみたいだけど、お兄さんとはどうなってるの?」
「ええと、兄のことはほとんど無視してるままでどうにもなっていないんですけど、私の子供の頃の記憶が不完全だと言うことが分かりました」
「へえ?」
シバが興味深そうに相槌を打った。
「あの、ジョエって言う異臭の友人に話を聞いてたんですけど、兄に遮られちゃって。判然としなくて気持ち悪いままです」
「遮られたんだ。聞かせたくなかったのかな?ジョエは君の子供の頃を知っているの?」
「ええ。でも彼と出会う前のことは兄から聞いて知っているんだと思います。それしかないですから」
「成る程」
「あ、でも、ジョエに出会った時期の記憶はあるのに、その後の事でも私が憶えていないことがあったので、お互い驚いたんです」
シバが目で続きを促した。
「私、子供の頃、兄に触られると怯えて気を失ってたみたいで、その事を全く憶えていなかったんです」
「え?」
シバが目を見開いた。
「今も私が近付くと兄は逃げて行くんです。あからさまに避けられてて。その事でも嫌われていると感じていて悲しかったんですけど、多分、私が倒れちゃうから触らないようにしてるんだろうなって」
「ちょっと待って」
手を上げて遮られ、シバを見上げた。
「君、それを喜んでいる様だけど。兄さんに怯える原因は?何か虐待されたことを辛すぎて忘れているんじゃないの?そんな兄なら構うことはないよ。もう城においで」
しばらくシバに言われたことを反芻して、慌てて手と首を振った。
「違います!あ、えっと。違うというか。兄にされたことは憶えてるんです。鮮明に今でも夢にみます。でもそれは兄のせいではなくて」
シバが怪訝な顔で尋ねる。
「何をされれば触られただけで怯えて気を失うなんて酷いことになるの?触られるってもしかして性的なものじゃないだろうね」
「違います!私からくっついていって倒れてたみたいです」
シバが気の抜けた顔をした。
「なんだ。じゃあ何されたの?」
言い渋るような顔をしていたようで、命令された。
「この際だから言いなさい」
立場上命じられれば従わざるを得ないと分かったうえでの、優しい命令だった。
「私のはっきりした記憶のなかで一番古いものなんですけど、兄に羽交い絞めにされて、鼻と口を塞がれて呼吸を止められるんです」
シバがガタンとテーブルを鳴らして立ち上がった。
「駄目じゃないか!全く違わないよ!今すぐ城に来なさい!」
シバの腕に手をかけてベンチに戻る様に引っ張るが、抵抗された。
「違います。王都とは事情が違うんです。兄は泣いていました。こちらが辛くなるほど悲しい顔で涙を流してました。当時は私も訳が分からず怒ってましたけど、思い出す度に幼い兄が可愛そうで胸が痛みます。飢えの為に、妹に手をかけなければ仕方がなかったんです」
シバが真顔で私を見下ろしていた。




