29 笑う意味が分からない
ジョエに文字を教えるのは難航した。
少しは読めると言った割に、習ったことを何も憶えていなかった。
本当に人に教えてもらったことがあるのかが疑わしいほどだ。
基本的な事を自分で勉強していた兄さんの方が、随分先を行っていた。
そしてウィゴは、私達と比べることが申し訳なくなるほど賢かった。
勉強嫌いが聞いて呆れる。10歳近く年上の私より難解な文章を理解して、私の知らないことを沢山知っていた。
「凄いですね、ウィゴ様。これ以上やれと言われてるんですか?まだお小さいのにお城の人達馬鹿なんじゃないですかね。充分脱走して遊んでて良いと思いますよ」
「小さくはない!」
「またそこですか、ウィゴ様」
何処からか運ばれて来ていた広いテーブルに肘をついたシバが、呆れて言った。
「ジュジュちゃんも変なこと言わないでよ。それ、城が不自由な人の発言寄りだよ?」
「そうなんですか。初めて不自由な人の気持ちが少しだけ理解できました。ウィゴ様、昨日馬鹿扱いしてすいませんでした。私の方がかなり馬鹿です」
ウィゴが大人びた顔で私を見た。
「だってお前は王子として生まれた訳じゃない。俺より賢くなくて当たり前だ」
「一言多いですけど、可愛いですね 」
シバに同意を求めると、苦笑しながら頷いた。
「可愛くない!子ども扱いするな!」
ああ、これも子供扱いか。そう言えばこの前シバが可愛いとウィゴをからかっていた。
真っ赤になって叫ぶ可愛いウィゴの顔を見ていると、からかいたくなる気持ちも理解できた。
「すいません。でもそうですね。同年代や少し年上くらいの子にそう言う言い方をすると嫌がられるかも知れませんね。特に家柄が良いのにあまり賢くないような子達には」
ウィゴが面白くなさそうな顔をした。
周囲の子供に言ったことが有ったのかも知れない。
「ウィゴ様の努力や真意を分かってくれる、賢い子が現れると良いですね」
王子だから誰よりも頑張るのが当然だと思っているウィゴの事を、理解してくれる子がいれば良いなと思う。
「今周りにいる奴らは友達になれないってことか?」
ウィゴが年相応の不安そうな顔になり私に尋ねた。
「どうでしょう。ウィゴ様が無礼者!とかおっしゃるのを控えられたらなれるのかも知れませんけど、分かりません。私、友達と呼べる人間が一人しかいないので、何の助言も出来ませんし」
「そうなの?」
シバが横から驚いたように口をはさんだ。
「はい」
「一人はいるのか」
「ウィゴ様はやっぱり食い付きどころが違いますね」
シバが呆れていた。
「あら、ウィゴ様もお一人は確実にいらっしゃるでしょう?」
そう言うと、ウィゴが怒った様に私を睨んだ。
「いない!お前は何も知らないだろう!」
「シバ様なら知ってますよ。シバ様は完璧なお友達でしょう?」
私の言葉に口を開けて可愛く唖然としたウィゴが、シバを見た。
「お前は友達なのか?」
シバがテーブルに頬杖をついたままウィゴににっこりと答えた。
「ウィゴ様が良いなら友達にしてもらっても全く構いませんよ」
ウィゴが戸惑い気味に赤くなって私に訴えた。
「これは違うだろう?友達というのは、一緒に遊んだり」
ウィゴが口をつぐんだ。
「そうですね。一緒に遊んだり、心配してくれたり、いざと言う時守ってくれたりする人、もそうだと私は思います。シバ様はお友達でしょう?ウィゴ様と羨ましいほど仲良しでいらっしゃると思いますよ」
ジョエの事を思い出しながらそう言うと、ウィゴが真っ赤になってちらりとシバの顔を窺った。
可愛い。当然シバもそう思った様だ。ウィゴに向かって両腕を広げた。
「ウィゴ様、ぎゅーしましょうか」
「しない!」
拳を握りしめたウィゴが叫んだ。あまりに可愛くて、シバとともに声を上げて笑った。
「昨日習ったことをもっと教えて下さい。知らないことだらけで楽しいです」
一しきり笑ってウィゴを怒らせた後、気を取り直してそう言った私に、ウィゴが仕方ないなと言う風に豪華な装丁のされた自分のノートを開いた。
シバはそんなウィゴをみて微笑むと、剣を抜いて歩きだした。
逃亡が予想されたジョエを食事とともに食堂から連れて戻り、部屋で昼食を取りながら勉強を進めることにした。
「行儀悪いよ?二人とも」
ソファでトレイを膝に置いて食べながら、間に挟んだ本を覗く私達に兄さんが苦言を呈した。
「だって、食べてる間じゃなきゃ逃げるもん」
「逃げねえって。やりゃあいいんだろ。まあでも、食いながらの方が良い」
「どうして。理解できないな」
兄さんがジョエにそう言った。
「勉強する為だけに椅子に座ってると、お尻がムズムズするんじゃないの?眠くなったり 」
「違いねえ」
ジョエが馬鹿笑いした。
「はい、これ。何て読むんだった?」
「ああ、ジョエだろ」
大量の食べ物を口の中に押し込んで、自信満々にジョエが答えた。
「違うし 」
先は長そうだった。
今日の分の単語集を作り渡そうとすると、兄さんが昨日と同じく指先でそれを受け取りながら私に言った。
「説明文を一度読んで貰えると嬉しいんだけど」
「良いわよ。昨日のも読もうか?」
紙を挟み素早く離れて行った指を苦く眺める。
兄さんが昨日の分の用紙を折りたたんで胸元に入れていたのには驚いた。
しょっちゅう見直している様で、兄さんは一人で順調に単語を憶えていた。
ジョエに比べ手のかからない良い生徒だ。
「ええと、最初は」
兄さんが手にしていた紙を覗くために隣に座ろうとすると、兄さんがソファの端に身体をずらした。
むっとするより悲しくなって固まっていると、兄さんが腕を伸ばし私にその紙を差し出した。
「これ」
あからさまに私を拒絶した後、にっこりと笑う意味が分からない。
溜息を吐いてソファの反対の端に腰をおろし、兄さんから紙を受け取った。
昨日は兄さんと大きなジョエが身体が触れるほどに接して座っていたソファに、人一人分の距離を開けて座っている兄妹の現実が辛かった。
手を伸ばし、兄さんにも見える様二人の真ん中に用紙を掲げて、上から順に読み始めた。




