27 必死でするに決まってるでしょ
「毎日勉強の相手ねえ。良いんじゃない?賢くなれそうだし」
兄さんに報告すると、いつもの笑顔でそう言われた。
相変わらず突き放されている様に感じられて嫌な気分だ。
兄さんは今日も昼食を半分ほど残していた。朝はある程度食べているが、夕食は昼よりもっと食べない。
何を考えているのだろうか。
好き嫌いの問題ならそう厨房に伝える様私に言えば良いのだ。性別や身元を偽っていても一応姫様なのだから。
小食なのかなとも思ったが、一日ソファでだらりとしている姿を見ると、空腹か栄養不足で力が出ないのではないかと思ってしまう。
まあもっと食べろと言ったところで、前回の様にかわされて終わりだろうけど。
「兄さんも勉強する?暇でしょう?ジョエに文字を教える約束してるけど、一緒にやったら良いんじゃない?」
腹立たしさのまま感じ悪くそう言うと、兄さんが笑った。
「じゃあそうしようかな。僕にも教えてくれるの?」
目の中の冷めた色はそのままだ。その目で私に教わりたいという気があるのかは甚だ疑わしい。
「教えるわよ。じゃあ午後はこっちの勉強会ね」
嫌がらせの様な気持ちで、ふんと顔を背けながら兄さんに言い捨てた。
「げえ。最悪だ。俺はやらねえぞ」
ジョエがベッドから嫌そうな声を出した。
「ゴロゴロしてるなら毎日絶対参加よ。兄さんもね」
兄さんが動く気配がないので、ソファの近くに椅子を抱えて行った。
「ほらジョエもここに来て」
別の椅子に重ねてあった図書館の本を取るついでに、ジョエをベッドから引っ張り起こす。
「ああ面倒臭え。なんでここまで来て勉強なんかしなくちゃいけねえんだよ」
私に背を押されだらだらと動き出したジョエが文句を言う。
「だからおばさんを守る為だって言ってるでしょ。こんな暇な生活今しか出来ないんだから、勿体ないわよ。食い扶持稼ぐのに必死な生活に戻れば、勉強なんてしてる暇ないでしょ」
兄さんの隣にジョエを押しやってドスンと座らせた。
「確かにそうだね。ジョエはもう少し賢くなった方が良い」
兄さんが隣に座ったジョエを横目で見ながらそう言った。
今日も綺麗に入れられたアイラインが兄さんの顔を艶めかせている。
足を組む逞しい美男とソファにもたれかかる美女が、実情を知る私にさえまるでしどけなく寛ぐ恋人同士の様に見えた。
一度目を逸らし、気を取り直してソファの近くに置いた椅子に腰かけた。
「はい。これ読めた?まだ?」
ジョエに超初級の文字の学習本、兄さんにその先の学習本と簡単な歴史の本を差し出した。
兄さんはいつも通り手を出さないので、溜息を吐いてジョエに全てを渡す。
ジョエがそのまま全部を兄さんの膝の上に投げた。
「もう。二人ともやる気あるの?」
ジョエが嫌な顔をする。
「ねえって散々言ってるだろ。ああでも、アレは本開いてたぞ。読めたのか?」
ジョエが兄さんに尋ねると、兄さんが笑いながら首を振った。
「これは全然だめ。殆ど理解できなかった」
歴史の本を持ち上げてジョエに言う。
次の本を図書館で選んでくる私に言ってよと言いたいが、言えなかった。
「どら。おお、確かに何にも分からねえ。なんだこれ?俺らが習った字はこんなんじゃなかったぞ」
「いいえ、そんな字だったはずよ。近隣の国もロウエン以外は似たような言語だって言うし。この国の国兵学校で習ったんでしょ?もしかしてロウエンの学校いったの?」
母の故郷であるロウエンはその昔長く閉ざされて他との国交を絶っていたため、独自の外見や言葉を持つ。
その特殊性からも毛嫌いされるのかも知れない。
皮肉を言った私に、ふてぶてしく頭の後ろで腕を組んだジョエが笑った。
「そんな訳ねえだろ、ばーか」
「どっちが馬鹿なのよ」
腕も足も組んでだらしなくソファに座った最悪の生徒だ。
子供の頃習ったことも大して覚えていないのかも知れない。
「兄さんは?この国の文字だってことは分かる?」
そう尋ねると、兄さんが微笑んだ。
「うん。この易しい方の本は大丈夫だったよ。長い単語になると読むのが難しい」
冷めた目ではあるが、皮肉ではない答えが返ったので少し驚いた。
「そう。えーと、じゃあ、簡単な単語から読んでいく?それとも何か文章を読み進めながら読めない単語を憶える?喋れるんだから読めれば理解は出来るものね」
兄さんが笑んだ。
「文章は無理だと思うよ。読めない単語だらけだから。辞書を引いたところでそれすら読めないんだし」
「そっか。じゃあやっぱり簡単な単語から憶えましょうか。それの組み合わせとか、ちょっとした違いとかでどんどん読める単語が広がると思うわ」
「そうなの?」
兄さんが不思議そうな顔をした。
「そうよ。あやふやでも大体読めれば、喋れるんだから文章の筋からああこれはこの単語かなって予想がつくようになるし。簡単な文章ならすぐに読める様になるわ。次はこう、日常生活の中で使わないような難しい単語の意味を、文章から調べて憶えて行けば良いと思う。私は今ここ。だから辞書」
そう言って、家から持参していた辞書を持ち上げた。
兄さんが微笑んだ。
「学校が役にたってて嬉しいよ。必要ないって言ってたから勉強してないんじゃないかって少し心配した」
「必死でするに決まってるでしょ。兄さんが苦労して通わせてくれてたのに」
冷たい目をみせるだろう兄さんから目を逸らし、今言ったことを誤魔化すように兄さんの横に置かれた基礎の本を取った。
すかさず兄さんが私の手を避け身体をずらすのを見て、溜息を堪える。
「ジョエはこれからね。一人じゃ絶対やらないだろうから私と最初から復習するわよ」
「本当にやるのかよ」
「まだ文句言うの?しつこいわねえ。王都じゃ読めない人間の方が少ないわよ。女の人にモテないわよ?いいの?」
ジョエが頭の後ろで組んだ腕をおろし、愕然とした。
「冗談だろ?ただの兵士でも読めるのか?」
知らないけど。
「読めるわよ。ジョエだけ馬鹿扱いされるわよ、綺麗な女の人に」
少しはジョエのやる気が出た様だ。良かった。




