29話 趨勢
「……すごい」
その光景を見ていたサラは、思わず小さな歓声をこぼす。
アルバートが、勝った。
エルメス曰く、カティアを除けば最も勝つのが難しい相手に、しかも自分の補佐なしで。
しかもその時使った彼の魔法は、二週間前の彼からは到底考えられないほどに洗練された、美しいもので。
純粋な、称賛の心を抱く。
あの魔法を扱えるようになるまでの彼の途方もない努力に。その成果をしっかりと本番で出し切った彼の心の強さに。
……そして、あの彼をそこまで変えることができた、エルメスに。
「……」
自分では、無理だった。
入学した頃は気高い意思に溢れていたアルバートの心が少しずつ腐っていくのを、ただ見ていることしかできなかった。
……本当に、すごいと思った。
エルメスは、当人の能力もさることながら──周りの人間を変える力が突出しているとサラは思う。
それの恩恵を受けた人間は、数知れない。きっとカティアもそうだっただろうし、アルバートも、Bクラスのみんなも。
……そして、自分だって。
だから、勿体無いと思ったのだ。
その力がありながら、本人は他者と関わりを深く持とうとしないことが。ひとりぼっちの……ニィナが言った、そしてサラも思う寂しい生き方をふとすると選びそうになってしまうことが。
だから強引にでも引き留めようとした。……ひどい傲慢であると思う。自分ではどうしようもなかったBクラスを救って欲しいとの思いがあったことも否定しない。
でも──きっと、エルメス自身のためにもなる。そう考えたから、自分はあの時ああ行動した。
それが、彼の中の何かを変えることが出来たのなら──それは、とても喜ばしく嬉しいことだ。
彼女の願う通りに、エルメスはこのクラスを変えてくれた。その波紋はきっとBクラスだけに留まらず、これから学校全体に広がっていくだろう。
ならば、自分は。彼をある意味『巻き込んだ』者として。
まずは彼が成した最初の成果。その集大成であるこの戦いを、全力で彼の望む方向に持っていこう。
……そして、願わくばいつか。
あの時に抱いた憧憬を、形にできたなら。何者にもなれなかった自分も、憧れる彼のように強い人になれたらと。
そんな想いを込めて、彼女は前を向いて行動を開始する。
まずは……あまり得意ではないが、大声でこの情報を。
「──アルバートさんが、勝ちましたっ!」
Bクラスにとっては最大の朗報であり、Aクラスにとっては動揺を免れぬ凶事。
この場では最大級の実力者が敗北したのだ、混乱は免れるまい。
逆にBクラスは一気に衰えかけた気勢を取り戻し、士気が最高潮にまで上昇する。
戦いの趨勢が決まるかどうかの瀬戸際で、これは大きいはずだ。
続けざまに、彼女は告げた。
「辛いかも知れませんが、もう一踏ん張りです! 倒せそうな人はそのまま押して、厳しそうな人はそのまま耐えてください! 必ずわたしが癒しますし、アルバートさんも駆けつけますから!」
アルバートの勝利によって、確実に優位には傾いた。
だが、未だ予断は許されない。地力でAクラス組が勝ることは紛れもない事実であり、自分たちの戦いはあまりにも尖りすぎている。
──流石に、全員が全勝と言うわけにはいかないのだ。Bクラスの誰かがやられた時にどれだけサポートの余力を残せておけるか。それが勝負の分かれ目になるだろう。
ならば自分は、そのために全てをかけよう。
いくら彼女でも、この戦場の全てを詳細に把握することはできない。以前エルメスと戦った時とは味方の数も敵の数も違いすぎる。どう注意しても、自分の回復が追いつかないところはいずれ出てくるだろう。
だが、それを言い訳にはしたくない。
まずは全力で集中する。綻びを可能な限り小さくして、今の自分に出来る範囲は全て把握して優先順位を決定、魔力は一切出し惜しみせず蒼の光を矢継ぎ早に。
同時に足りないところは──言葉で。想いで補おう。
「エルメスさんが、カティア様を抑えてくれているうちに! みなさんならきっとできます! あの人ができると信じて、任せてくれた信頼に──わたしは、応えたい!」
あなたたちも、きっとそのはずだと。
言外の声援と喝破。ずっと戦場を、そしてクラスを支えてきた少女の言葉にクラス全員が奮い立つ。
勝機を見つけた生徒はそれをなんとしても逃すまいと魔法を撃ち込み。劣勢で敗北が免れない生徒も、少しでも余力を削ってやると言わんばかりに死に物狂いで食らいつく。
その鬼気迫る様子に、Aクラス生たちは残らず浮き足立ち。しかし、それでも生まれ持った圧倒的な差、血統魔法の性能によってその気迫ごと押し返す。
だがBクラスも、そんなもの端から承知の上だと更に気勢を高める。
遂にBクラス生が一人倒れ。倒したAクラス生が別の加勢に向かい、いよいよ均衡が崩れそうなところでアルバートが追いついて。
けれどまた別のところでまたBクラス生が打倒され、けれど同時にBクラスも二つ目の金星を挙げ、勝った両者がぶつかって。
いよいよ両者共に脱落者が出始めた結果、加速度的に戦況は終結へと向かっていく。
意地と実力。培った想いと生来の特権。その二つがぶつかり合い、せめぎ合い、交錯し。
遂に、決着の時が間近に迫る。
◆
荒い息を吐きながら、エルメスは呟く。
「……まずいな」
当初の予定通り、最大の脅威であるカティアの足止めへと向かったエルメス。
その目的は一応この瞬間までは果たしていたが──
──その代償が、想像を遥かに超えて大きすぎた。
彼の体には既に無数の傷が刻まれている。全て彼女の操作する幽霊兵の突撃、魔力砲によるものだ。
四方八方から絶え間なく襲いかかるそれを捌くことなど到底できず、倒そうにもそもそも彼の操る強化汎用魔法は異常な耐久を誇るこの兵士と相性があまりに悪すぎる。
どうにか突撃の隙間を縫って本体の彼女に攻撃を仕掛けようにも、彼女は常に自身の周囲を幽霊兵に見張らせており隙がない。崩そうにもこの攻勢の中そんな余裕なんてあるはずもなく。
……苦戦は予想していた。多分勝てないだろうことも。
だが──まさかここまで、手も足も出ないとは。
(……喜べばいいのか、嘆けばいいのか)
仮にも親しい少女、魔法の実力不足で悩んでいた頃を知って、教えた身としては感慨深くもあるが──よもやそれを発揮するのがここではなくてもいいだろうと思わなくもない。
そう考える彼の前に、近寄ってきたカティアがこう告げる。
「ごめんなさいね、エル。いっぱい傷つけちゃって」
申し訳なさそうな声色。けれどそれとは裏腹に──彼女の表情には、微かな笑みすら刻まれている。
「でも不思議ね。すごく強くて、ずーっと私に構ってくれなくて、他のことにばっかりかまけていたあなたのそんな姿を見ると……ちょっと気分がいいかも知れないわ。もうちょっとだけなら傷つけてもいいかなって思ってしまうくらい」
(……うん)
確実にまずい感じのスイッチが全開になっている。
恐らく対抗戦でテンションが上がったことによる一時的なものだろうが……それでも怖いものは怖い。
今後の彼女との接し方も少々考える必要がありそうだと思うエルメスの前で、彼女は手を掲げて。
「大丈夫、対抗戦が終わったらちゃんと治してあげるから。ちゃんと最後まで、私が、つきっきりで、ね?」
同時に、幽霊兵が彼を囲むように展開される。……心なしか彼らの感情も怒りの熱を帯びてエルメスに向けられているような気がするが。
しかし、これは本当にまずい。
エルメスは既に満身創痍を超えて限界の寸前も寸前だ。既にこの攻勢を捌き切れるかどうかも厳しい──というかほとんど無理に近い。
されど有効な手立ても咄嗟には思いつかず。成すすべなく、幽霊兵の突撃が全方位から襲いかかる──その直前。
銀の輝きが、彼の脇を駆け抜けていった。
「──!!」
カティアは目を見開き、咄嗟に幽霊兵を盾にする。そこに間髪入れず剣閃が叩き込まれ──同時に、その一撃を仕掛けた少女。
ニィナが金眼を不敵に向けて、剣に力を込めつつカティアに話しかけた。
「やぁカティア様。いくらご主人様とはいえうちのエル君にそれ以上のおいたは──」
「うちの? 随分と愉快なことを言うのね、お邪魔虫さん」
「──あっやばいやつだこれ」
普段の調子で軽口を叩きかけたが、カティアの反応を見て即座に嫌な予感を感じ取ったため、口をつぐんで飛び退く。
そして彼を庇うように目の前に立った彼女に向けて、エルメスは声を出し。
「……ニィナ様。貴女がここにいるって──っ」
しかし、既に限界ぎりぎりだったせいか、ぐらりと体が傾く。踏ん張ることも出来ず倒れ込む彼を──
──とさり、と暖かく柔らかな感覚が包んだ。
「……お疲れ様です、エルメスさん」
控え目に、けれど健闘に心から敬意を示すような軽い抱擁と共に。金髪の少女サラが、同時に蒼い光でエルメスを癒す。
動けるようになった体で顔を上げると、そこには後方から──数人の、Bクラス生たちが。
彼らの後方から追ってくる者は、誰もいない。クリスタル前に防御要員のBクラス生が一人いるだけ。
──その光景が示す結果は、明白だ。
それを証明するかのように、歩いてくる先頭のBクラス生、アルバートが口を開く。
「──勝ったぞ、エルメス。何か文句はあるか?」
彼らしく淡々と、けれどどこか誇らしげに告げられるその言葉。
当然、エルメスの返答も決まっている。
「……いいえ、全く。お見事です」
謝意と共にサラから体を離すと、エルメスは気を取り直してもう一度Bクラス生に顔を向けると。
「よく、勝ってくれました。……でもまだ、油断なさらないよう」
そう告げて、もう一度反対側を──Aクラス最後にして最大の相手がいる方へと振り返る。
エルメスの誤算は三つあった。
一つは、Aクラス生が想像以上に馬鹿だったこと。お陰で多少の犠牲を覚悟していた最初の乱戦に持ち込むまでをほぼノーリスクで達成できた。
二つは、Bクラス生の奮戦が予想以上に凄まじかったこと。カティアの参戦で一人も崩れきらなかったこと、そこから持ち直してこれほどの人数を残してAクラス生を全員打倒したのは嬉しい想定外だ。
だが、最後にして最大の。エルメスにとっては嬉しいやら対抗戦だけを考えると困るやらの誤算は。
「……カティア様が、想像よりも遥かに強すぎました。正直、もう少しまともに足止めできると思ったのですが」
「いや、実際俺たちが勝つまで抑え込んだのだから十分だとは思うが……?」
アルバートが呆れ顔で呟いてくるが、正直それも彼女が自分に執着してくれたからなのが大きいと彼は分析する。
ともあれ、と彼は改めて言葉を発し。
「まだ対抗戦は終わっていませんから。……流石にこの人数差で負けるとは思いたくありませんが、相手はカティア様です。最後まで、気は抜かない方が宜しいかと」
その結論にBクラス生たちが頷くのを見てから、改めて残ったBクラス勢──八人で、カティアに向き直る。
「……残念。二人だけの時間はおしまいなのね」
それを見てカティアも状況を理解したか、嘆息と共にそう告げる。
けれど、すぐに顔を上げると先程の笑みを取り戻し。
「でも、簡単に負けてあげる気はない──どころか正直勝ちたいわね。ねぇ、私の知らないところでエルとすっごく仲良くなってくれた元クラスメイトの皆さん?」
「……うん、多分これはエル君も悪いやつだね」
そんな彼女の態度で大凡を察したのか、ニィナが少しばかりの呆れを乗せて呟く。
「カティア様ああ見えて……というか見ての通り結構一途なところあるから、拗らせちゃうとああなるの。一時的なものだとは思うけど、対抗戦が終わったらちゃんとケアしてあげるんだよ?」
「……はい、反省します」
これには何の異論も挟めずエルメスは神妙に頷く。
今思えば、対抗戦前に来た公爵様もこの事を言っていたんだなぁと思いつつ、今は対抗戦に集中すべく意識を切り替えて。
「では、僕とニィナ様で仕掛けます。他の皆さんは周囲から隙を見て血統魔法での攻撃、サラ様は全体指揮とサポートを」
瞬時の役割分担を、培ってきた理解力で全員が把握し。
そうして彼らは、対抗戦を確実に勝ち切るべく──最後の戦いに身を投じたのだった。
対抗戦、次回決着予定です。お楽しみに!




