28話 見据える先
かくして、戦況は完全に拮抗した。
Bクラス生はそれぞれ自分と相性の良いAクラス生に挑みかかり、足りない分の実力差はニィナとサラがカバーする。
そして、Aクラス最大の脅威であるカティアはエルメスが全身全霊で足止め、先程のように他の場所へ援軍をやる間もない程に攻め立てることで時間を稼ぐ。
結果として生まれた、現状は完璧な互角の状態。
故に、ここから先は本当に個人の戦いだ。
Bクラスの誰かがやられて戦線が崩壊するか、エルメスがカティアを止められなくなれば自分たちの負け。逆に、Bクラス生がAクラス生を打倒して盛り返せば自分たちの勝ち。
ここまで培ってきた自分たちの力を、目の前の相手にぶつける正念場。
──さしあたっては。
「あっははははは! どうしたんだいアルバート君、威勢が良いのは最初だけかい!? それともようやく認める気になったのかな、どう足掻いても僕たちとの差なんて埋められっこない、無駄な努力だってことをさぁ!!」
「くっ──!」
自分の仕事は、このネスティ・フォン・ラングハイムを。
自分にとって因縁深い相手を今度こそ打倒すること──そう、歯噛みしつつもアルバート・フォン・イェルクは考えるのだった。
「ほら──もっと存分に味わうがいいさッ!」
その愉悦に満ちた掛け声と共に、ネスティの魔法──青い炎が襲いかかる。
アルバートも風の魔法で対応するが……その結果は以前の合同魔法演習と同じ、アルバートの魔法が一方的に押し負ける展開だ。
「ぐぅっ」
アルバートが短く苦悶の声を上げ、ネスティの哄笑が高らかに響く。
ネスティの魔法、『煌の守護聖』。
青い炎──質量を持つ炎という奇妙な性質の攻撃を操る魔法。
それ故に、物理的な性質の強い防御は炎によって燃やされて。
魔法的な性質の強い防御──アルバートの風も同様に、その質量によって突破される。
極めて防ぐことが難しく、加えて直撃した場合もまとわり付くように燃え広がる、凄まじい貫通力と攻撃力を誇る魔法。
アルバートにとっては、入学してからずっと合同魔法演習で煮湯を飲まされてきた、絶望の象徴である魔法だ。
「無駄さ、何もかも無駄なんだよ! クライド君から聞いているよ、この対抗戦に向けて随分涙ぐましい努力をしてきたようだねぇ!」
アルバートの圧倒的な劣勢に気を良くしたか、ネスティによる嘲弄の言葉がさらに加速する。
「全く度し難いよ、君はもうとっくに学んでくれたものだと思っていたんだけれどね! それとも何だ、あの平民の編入生に唆されでもしたのかな!」
ネスティはそう言うと、余裕の表情で後方に目を向け、指差す。
「でも見てみなよ。あの男、平民にしてはやるようだけど──ほら! カティア様を相手にしたら手も足も出ていないじゃないか!!」
その先には言葉通り、カティアを相手に果敢に責め立てるも、幽霊兵による硬い防御に阻まれて一向に攻撃を通すことができないエルメスの姿。
それを無様なものを見るような目で優越感と共に見やり、そのまま同種の視線をアルバートに向けて。
「馬鹿だねぇ、いい加減学習しなよ。どれだけ頑張っても、選ばれし者たちとの差を覆すことはできないんだって! そんな愚かな君には──もう一度この僕の魔法で体に覚え込ませるしかないようだ!!」
ふざけるな、と言いたかった。
まず彼は知っている、エルメスは本来の力を現在発揮していないのだと。もしその制限がなければ恐らくカティア相手でも十分上回れる、どころかカティアを除けばAクラス全員を相手取ってでも戦えるくらいの力があると。
それに、その事を抜きにしても──あのカティア・フォン・トラーキアを相手に。単騎でBクラスを危機に追い込んだ、世代トップクラスの魔法使いを前に。まともに戦えているということが、どれほどの偉業か。それが貴様に出来るのかと。
──だが。
それを言おうにも、現に自分が圧倒的な劣勢にあることは確かで。手も足も出ていないことは、紛れもない事実で。
「ぐッ」
また、ネスティの魔法がアルバートの肩口を掠める。
既に彼の体には、無数の青炎による火傷があちこちに走っている。控えめに見てもその状況は満身創痍。
そして、ついに彼のそんな姿を見かねたか。
「っ、アルバートさん!」
彼の劣勢に気付いたサラが声を上げ、『星の花冠』を起動させようとする──
──だが。
「手を出すなッ、サラ嬢!!」
今までで一番の大音声で、アルバートはそれを拒否した。
体を震わせるサラに向かって、ネスティの魔法を捌きながら彼は叫ぶ。
「貴女はもう手一杯のはずだ、ならば俺のことはいい、他のカバーに集中しろ!」
「で、でも」
見ていられない、と言外に告げるサラ。
それも当然だ。きっと対抗戦の勝利のためには、大人しく彼女の補助を受けるのも一つの手ではある──が。
「我儘かもしれない。だが、これは、これだけは! 貴女の力を借りてしまっては、俺は自分を誇れない!」
アルバートは叫ぶ、己の想いを。以前交わした彼とのやりとりを、思い返しながら。
「俺一人で、この男を打倒したい! でなければ、意味がないんだ──!!」
◆
「頼む」
打倒AクラスのためのBクラス全体特訓が決定し、その初日が始まる前。
以前と同じようにアルバートは、エルメスに頭を下げていた。
「お前は俺たちに、Aクラスの特定の生徒を相手取ることに特化した修行を施すと言った。ならばその上で、頼みがある」
彼はそう言ってから、真っ向から鋭い視線を彼にぶつけて。
「俺の相手は、あの男に。──ネスティ・フォン・ラングハイムと戦わせてくれ……ッ」
もう一度、頭を下げる。貴族の体面など知らない、それよりも大事な己の内にあるものに従って。
入学直後の合同魔法演習で、自分に絶望を植えつけた相手。その決着が、自分にはどうしても必要なのだと。
懇願を受けたエルメスは、しばし思索の海に沈んで沈黙していたが、やがて。
「……まず、前提を一つ述べておきます」
ぽつりと、慎重に言葉を吟味して告げる。
「ラングハイム侯爵令息と、貴方は恐らく──かなり相性が悪い。普通に考えれば貴方を彼にはぶつけない方が無難だ」
「っ」
「……でも」
息を呑むアルバートに、エルメスは否定の言葉とともに真剣な表情を見せる。
「正直に述べますと、Aクラスでカティア様を除けば一番厄介なのは──そのラングハイム侯爵令息なんです。純粋な実力もカティア様以外の中ならばトップ、何より……彼の血統魔法は、あまりに特殊すぎる」
自身の手のひらを見やって、彼は少し苦い表情で呟いた。
「『質量を持つ炎』というその希少性。ある程度の解析は済みましたが、再現は恐らく対抗戦までには間に合いません。そして、強化汎用魔法による擬似再現も無理でしょう。つまり一番シミュレーションが難しい相手なんです、彼は」
この後彼が行った訓練では、解析結果を元にした各Bクラス生が戦う相手を擬似再現することによる個別特訓を課していた。
その擬似再現が唯一出来ない相手がネスティなのだと、エルメスは語る。
「だから、彼を相手取る方だけは、前準備の効かない純粋な実力勝負になってしまう。その点で言うなら──攻撃系血統魔法持ちの中でBクラス最強の実力者であり、早くから僕の訓練を受けているアルバート様。……貴方が一番、勝機があるとも言える」
「!」
一転して緊張と高揚を顔に表す彼を、エルメスはもう一度真っ直ぐに見据えると。
「貴方が彼を相手取って勝てるだけの訓練は、考えてあります。……ただ、相当険しい道になる。これまで貴方が受けてきたものとは、比べ物にならないほどに」
あらかじめ彼の訓練を受けてきたからこそ、その恐ろしさも分かるだろう。
アルバートがそれを理解した事を確認した上で、彼は最後に。
「でも、それを耐えてくれると言うのならば。他のBクラス生よりも遥かに厳しい道を歩いてくれるのならば──むしろこちらからお願いしたい」
そう告げると、初めとは丁度逆の形で。今度はエルメスが、アルバートに懇願する態度で言ったのだった。
「どうか、Bクラスの勝利のために。……向こうの強敵の一人を、貴方に倒してほしいんです」
◆
「──頭を下げたのだぞ。あいつが、俺に」
彼が編入してからアルバートが彼にしてきたことは、誰がどう見ても好意など欠片も抱きようがないものだ。
むしろ恨まれても、逆に酷い仕打ちを受けても仕方のない所業。なのに彼は一切それをせず──ただ純粋に、アルバートを真摯な目線で見て。
アルバートが態度を変えても、一切居丈高になる事もなく。これまで通り対等に、優れた点は評価し間違った点は忠言し。
何の恩も、何の恨みも着せる事なく、今回のように何かを頼むときは、真っ直ぐな態度で何も引きずらない。
──それが出来る貴族が、果たしてこの国にどれだけいるだろうか。
その評価に。その態度に。その信頼に。
応えなければきっと自分は今度こそ、本当に大切なものまで失ってしまう。アルバートはそう直感した。
だから。
「俺は、俺自身の誇りのために──貴様を、俺一人で打倒せねばならんのだッ!!」
そうでなければきっと、自分は過去を乗り越えられない。
そしてきっとあの男に、胸を張って向き合うことも出来ないだろう。
意思を込めての、アルバートの宣誓。それを聞いたネスティは初めて、不快げな表情をその顔に宿らせた。
「……何だいそれ、くだらない。だから言ってるだろう、何をしたところで何も変わらないってさ。それに」
その不快感のままネスティは魔力を高めて、今まで通り。
「結局、何をやったところで君は僕に敵わない! これまでの結果で明らかじゃないかッ!」
劣勢の、防戦一方のアルバートを嬲るべく。歪んだ笑みと共にネスティは青炎を放つ──
──だが。
「これまではそうだったな」
ひらり、と。
あまりにも軽く、あまりにもあっさりと。
アルバートは異常なほどに軽やかな動作で、その炎を躱す。
「……え?」
「何の策もなく貴様の技を受け続けていたと思ったか。これまで耐えていたのは、何も出来なかったからでは断じてない」
続けて放たれる青炎も、ひらひらと絶妙に見切って避けていく。まるでどこに来るか分かっているかのように。
そんな予感を感じ取ってか、アルバートが結論を述べた。
「──『解析』していたのだ。エルメスでも読みきれなかった貴様の攻撃を、確実な勝機に組み込めるまで」
或いは、意識してかせずか。
その語り口は、彼の魔法の意識を変えた人物によく似ていた。
そしてアルバートは、反撃の狼煙をあげるべく。これまで封じていた彼の特訓の成果を解禁する言葉を、魔力に乗せて告げる。
「……『天魔の四風』──『西風』」
エルメス曰く。
『天魔の四風』は、その名の通り大別して四種類の風の魔法を総称したものらしい。
まずは、『南風』。主に風の砲弾を打ち出す魔法であり──アルバートは今まで、これしか使ってこなかった。
何故なら、これが一番扱うのが簡単だからだ。
「そもそも風の魔法には、相当に繊細な魔法制御が必要不可欠なんです。風……つまり空気の流れは恐ろしく複雑だ、それを完璧に操るには、非常に高い魔力操作能力が必要になる」
だが、裏を返せば。
その欠点さえ克服できれば、彼の魔法は化ける。非常に高い汎用性と応用性を兼ね備えた魔法になるとエルメスは語る。
「故に貴方にこれからやってもらうのは、ただひたすらに魔力操作の訓練。それだけです。最終的には──僕に近いレベルまでの操作能力を身につけてもらいたい。それを二週間でやれと言うのだから、まあ地獄も地獄になることは覚悟してもらいます」
しかし、それが出来れば。
「貴方は、Aクラス生と比べても劣らない魔法使いになれる。……あのラングハイム侯爵令息も、目ではない程に」
その一言は、彼のやる気を最大限にまで引き上げるには十分だった。
かくして発動した、『天魔の四風』二つ目の魔法、『西風』。
その効果は、単純故に奥が深い強風の操作。しかしてその本領は──それを用いた、術者本人の移動制御だ。
「何──!?」
ネスティが驚愕を露わにする。
今まではその場に留まって防戦一方だったアルバートが突如、戦場を縦横無尽に飛び回る様になったのだから。
「貴様の魔法の弱点が一つ分かった」
戸惑うネスティを他所に、アルバートが冷静に語る。
「貴様の魔法。確かに威力自体は強力だが──速くはないな?」
「!!」
その結果は、現状が雄弁に示していた。
何故なら、当たらない。高速で移動を続けるアルバートを、彼の炎は最早欠片も捉えられない。
……もちろん、アルバート側も余裕があるわけではない。
エルメスがかつて『魔弾の射手』で行ったことと同じだ。攻撃用の魔法を術者の移動に応用するやり方は、凄まじいまでの制御能力を必要とする。アルバート自身、この高速移動を自在にこなすことはまだ到底出来ていない。
だからこそ、待ったのだ。ネスティに魔法を撃たせ、その性質を看破して。それによる予測によって制御の甘さを補い、完璧な回避が可能になるまでひたすら耐え続けたのだ。
それは実を結び、あっという間に形勢はひっくり返る。ネスティはアルバートを一切捉えられなくなる。
「こ、の──っ、卑怯な! 逃げ回るだけか、貴族ともあろうものが! 守るべき民を後ろに背負った時もそのような無様を晒す気なのかい、風上にも置けない奴め!!」
……追い詰められた途端それっぽい文句が飛び出てくるのは、この国の貴族の特徴の一つでもあるのだろうか。
しかしアルバートは動じず、むしろそれを受け止めた上で冷静に回答する。
「……確かに、そういった在り方に憧れていたことは否定しない。だからこそ先程のような足を止めた戦い方にこだわっていたことも。だが──」
気付いたのだ、それでは駄目だと。
その契機となったあの日。彼に連れられ、規格外の彼の魔法を見せられた時。
自分と同じ、けれど自分よりも遥かに優れた魔法を見せられ、目に焼きついた情景。
それを思い出し、アルバートは語る。
「追いつきたいものを、見つけた。──そのためには、なりふり構ってなどいられないのだッ!!」
そして当然、アルバートとて逃げ回っているつもりなど毛頭無い。冷静に、機を待つ。
それはすぐにやってきた。ネスティの魔法制御が乱れ、青炎の海の中に綻びが見つかる。
瞬間、彼は現状の全力を注ぎ込んで叫んだ。
「『天魔の四風』──『東風』!」
それは、竜巻を起こす魔法。制御能力の上昇によって可能になった三つ目の手段。
竜巻を伴い、竜巻と同化し。綻びに向けて一直線に突き進んで行く。
ネスティは面食らいながらも、咄嗟に青炎を防御に回す。寸でのところで受け止め、拮抗する両者。
目と鼻の先で、ネスティは焦りに顔を歪めながら叫んだ。
「この……ッ、ふざけるな! あっていいはずがないだろう、お前如きが僕を上回るなど!! 大人しく這いつくばっていろ落ちこぼれがッ!!」
対して、アルバートは静かに語る。
「その程度か、貴様が俺を止める理由は。ならこちらこそ言わせてもらおう──ふざけるな、と」
……普通に考えれば。
威力においては、『煌の守護聖』の方が遥かに上回っているのだ。この拮抗状態になった時点で、アルバートに勝ち目はないはずだった。
だが。
「──退け。何度も言うが、俺はここで立ち止まっている時間などない!」
誰かの足を引っ張るために魔法を振るっていたネスティと、遥か先を見据えて突き進んでいたアルバート。
そんな両者がその瞬間の魔法にかける魔力、技術、そして──想いには。あまりにも、違いがありすぎたのだ。
然して、均衡は崩れ。
「……なぜ、だ」
竜巻が炎を貫き、ネスティの体を激しく打擲する。
意識を刈り取るには十分なその衝撃。訳もわからず──自分が何故やられたのかすら理解できず崩れ落ちるネスティ。
そんな彼を、念願だった絶望の相手の打倒を果たしたアルバートは一瞬の感慨に身を任せ……しかし、それだけだ。以降は一切振り返ることはない。ネスティには最早、目もくれない。
何故なら、彼の語った通り──目指す先は、遥か彼方にあるからだ。
「……行くか」
その先を見据え、その遠さに目が眩みつつ。
それでも目を逸らすことは、もうしない。クラスメイトの加勢に向かうべく、アルバートは駆け出した。
二章前半、もう一人の主人公のお話でした。楽しんで頂けたら嬉しいです!




