25話 戦う前に
今回の集団魔法戦のルールは、非常にシンプルだ。
学園内の一部敷地を戦場と定め、その両端に両クラスが陣取る。両クラス陣地の中心部にはある程度の強度を持つ人間大のクリスタルが置かれており、これを破壊することで陣地を制圧──つまり勝利となる。
自陣から敵陣の間には高低差のある地形や木々の多い地形等いくつかの障害物が存在しており、それをうまく使ってどう進軍するか、またどの生徒をどこにどれだけ攻撃や防御に割り振るか。その辺りが戦術、指揮官の腕の見せ所となるだろう。
「──見たまえ諸君、この一大行事にこんなにも多くの貴族の方々が駆けつけてきてくださった。絶好の機会だとは思わないかい!? これほど多くの方々に、僕たちの実力を、力を合わせる強さと言うものを見せつけることができるのだから!」
Aクラスの陣地にて。
相も変わらずクライドが実にそれっぽい言葉を並べたて、この戦いを見にきている貴族達のことを強調して生徒達を煽り立てている。
実際、名誉を重んじる彼らにとってそれは効果的だったようで。Aクラスの生徒達は口々にクライドの言葉に追従する。
そんな彼らの様子を見て、クライドは心中でほくそ笑む。
──負けるわけがない、と。
まず生徒の実力の差。血統魔法の強さという絶対的な差が横たわっている以上そこは揺らぎようがない。
故にBクラスが勝ちうるとしたら、これらの地形や攻め方を利用した搦手しかない。
しかし──そこは、自分が止める。
クライドは高位貴族の嗜みとして、戦術論もある程度修めている。向こうの指揮官だろうエルメスは多少知恵が回るようだが所詮は平民、高い教育を受けてきた自分を上回れるはずはない。
(実力でこちらが上回るのは明らか、そして向こうの小賢しい手も指揮官の僕が全て潰す。完璧じゃないか、ああ、早く開始の合図を!)
Aクラスの生徒達を立てつつ、自分の手柄も主張できる。そんな空想に酔いしれつつ、クライドは待ち切れないかのように笑みをこぼす。
そして程なくして、クライドの期待に応えるように。
ぱん、と。魔法によってクラス対抗戦の開始を告げる号砲が鳴らされた。
いよいよきたか、と思いつつ。さてどんな手を見せてくるのかとクライド及びAクラスは悠々と待ち構え──
──すぐに、困惑がAクラスの全員を包んだ。
「……何……?」
動かない。
対抗戦は、間違いなく始まっているはずだ。
なのに、向こうの陣地に見えるBクラスの人間が、一人たりとて動く気配を見せないのだ。
(どういう、ことだ……?)
クライドは、恐らく向こうが先に攻めてくるだろうと読んでいた。
それは一般的な常識に照らし合わせても何ら不自然ではない。何せ──地力でBクラスが劣っているのは紛れもない事実であるのだから。
力で上回っている相手には、先手を取るのが常識だ。後手後手に回れば早晩力の差で押し切られるのは間違いないのだから。
故に向こうが何を考えているのか、まるで読めず。
クライド──に加えてAクラスの多くの生徒達が、遠見の汎用魔法を用いてBクラスの陣地、具体的にはその中央にいるエルメスを見やる。
そして、同時に。見計らったかのようなタイミングで。
或いは信じられないことだが──この距離での遠見の魔法の発動を『感知』したかのようなタイミングで、エルメスが動いた。
薄笑いを浮かべ、悠然とした視線でこちらを見据え。
緩やかに片腕をこちらに伸ばし、手招きをする。
その動作に込められた意図は、明確だった。
──先手は譲って差し上げます。どうぞ、お好きなようにかかってきてください、と。
『──』
それを認識した瞬間。
遠見を発動していたAクラス生全員の中に、激甚な赤い意志が燃え上がった。
「……いいだろう」
ゆらりと、クライドはこめかみを引き攣らせつつ手を掲げ始める。
他のAクラス生も同様の意思を宿して、クライドの合図を待つ。
「っ、待ちなさい、クライド」
しかし唯一。
冷静さを保っていた故にきな臭いものを感じ取ったカティアが焦った表情で進言する。
「危険よ、一旦様子を見るべきだわ。誰がどう見ても分かるでしょう、向こうの目的はこちらに攻めさせることよ。わざわざ誘いに乗るよりは、一旦陣を敷いた上で──」
「何を弱気なことを言っている、カティア嬢!」
だが既にクライドは、そしてAクラスはもう止められる段階にはなかった。
「そもそも何を恐れる必要があるんだ、真っ向からのぶつかり合いでこのAクラスが負けるとでも!? クラスメイトを信じてあげることもできないのかね君は!!」
変わらずの言い様にカティアが眉根を寄せるが、最早クライドはそれに構わず、高らかに手を掲げて息を吸う。
……或いは、通常時であったなら。
流石のクライドやAクラスと言えど、あまりにも露骨な誘いに違和感を覚えて踏みとどまったかもしれない。
だが、彼らは既に見てしまっている。聞いてしまっている。
──対抗戦直前の、クライドとエルメスの舌戦。そんな中でエルメスが放った、彼らにとっては許し難い言葉。
『貴方がたが負ける理由は存分にありますよ』という、明らかな挑発。
それが彼らに、引くことを許さない。この程度の挑発にさえ乗らないと言う選択肢は、Aクラスの人間達がこれまで生きてきた人生観の中で培うことが出来なかったものである。
そう。戦いが始まった時点で、どころの話ではない。
戦いが始まる前から、彼らは既にエルメスの術中に嵌っていた。
そして、まんまと彼の狙い通りクライドは大声で。
「──全員、進め! お望み通り真っ向から、Bクラスに力の差を見せつけてあげようじゃないか!!」
全軍突撃を言い渡し、思惑通りの展開へと致命的な一歩を踏みこんでしまうのであった。
◆
「……わぁ。本当にきた」
あっさりと突撃を仕掛けてきてくれたAクラスに、仕掛け人であるエルメスでさえ流石に少々拍子抜けな表情を浮かべる。
しかし、すぐに気を入れ直す。まだ初手が成功しただけだ、ここから勝利まではまだまだ乗り越えるべきものがたくさんある。
差し当たっては──未だに不安そうな顔をしているBクラスの面々からだろう。
辛い特訓を乗り越えたとは言え、これまで恐怖と絶望の象徴だったAクラスの面々。それが一斉に全軍突撃を仕掛けているのだ、恐れを抱いてもおかしくはない。
故に、彼は告げる。
「ご安心を。過剰に怖がることはありません」
まずは、彼らの恐怖を取り除く直接的な言葉。
「僕の知らない彼らからされた仕打ちもあるでしょう。この本番での緊張も、多くの貴族が見にきていることへの恐れもあるでしょう。ですが──それは一旦全て忘れて下さい」
続いて、彼らを良い精神状態に誘導する言葉を。
「具体的には、特訓の日々を思い出すと良いです。精も根も尽き果て、無心でひたすら己を高めることだけに邁進した時間があったと思います。恐怖も、怯懦も差し挟む隙すらないただ純粋な意思だけが宿った時間。辛い、けれど真っ白で心地よさを感じていた時──」
彼の言葉は、クライドのように過度に煽り立てたり声を荒らげたりはしない。
けれど、それ故に。水のように自然に、風のように穏やかに、彼らの中に染み込んでいく。
「──その全てをぶつける相手が、今目の前にいる。それだけのことだ」
そして、最後の言葉で。
彼らの心は凪ぎ、ほぼ理想的な状態に入ったことを彼は認識した。
(……よし)
ならば、次。
向こうの一斉突撃が脅威なのは紛れもない事実。ならばまずは、その出鼻をくじく。
「と言うわけで、よろしくお願いします」
それにぴったりの人材が、今彼の隣に居る。
言葉を受けて『彼女』は──待ってましたと言わんばかりに唇を歪ませた。
Aクラス生、ライネル・フォン・アーレンスは気が逸っていた。
彼はAクラスの中では中堅程度の実力であり、にも関わらず今の扱いは不当と思い込んでいたのだ。
そんな中やってきた、この対抗戦。衆目の中で華々しい活躍を挙げることで、誰もが自分の本当の力に気付くだろう。
あのいけすかないBクラスの編入生、エルメスに関してもそうだ。平民のくせにでしゃばりすぎである。特にあの──Aクラスに新しくやってきた美しき公爵令嬢、カティア・フォン・トラーキアに信頼されていることも気に食わない。
どうせ幼馴染だからという理由で取り立てられているだけに違いない。この対抗戦で奴を一撃の元に倒せば、彼女の迷妄も晴れるだろう。更に自分に感謝も抱くかもしれない。だとすればもうこちらのものだ。
そんな未来を何の疑いもなく信じ込み、歪んだ欲望と共にエルメス目掛けて突き進む──自身が突出しすぎていることにも気付かずに。
そして遂に、エルメスを自らの魔法の射程にとらえる。馬鹿面を晒しているあの男に、魔法を叩き込むべく魔力を高めて──
「はいお馬鹿一号」
瞬間。
目の前を銀の突風が通り過ぎたかと思うと。
何やら脳天に衝撃が走った瞬間、一瞬にして視界が暗転し、訳が分からないまま意識すらも断ち切られて。
「自陣を固めている相手に単騎で突っ込む時点でだめだめだし──そもそもキミ、エル君と違ってボクのことは知ってたよね? なのに何でこの間合いに何の躊躇もなく飛び込んで来れるの? 本気で疑問なんだけど……」
呆れたような少女の呟きは、既に聞こえることなく。
結局最後まで何が起きたか認識すらできないまま、彼は敢えなく対抗戦の脱落者第一号となったのだった。
一瞬だった。
いくら多少突出していたとは言え、栄えあるAクラスの一員が一撃の元に脳天を叩かれ倒される。
そんな彼らにとっては衝撃の光景を見せられ、同時に思い出す。
Bクラスには──絶対に近付かせてはいけない、最強の魔法使い殺しがいることを。
「──さて」
それを成した少女、ニィナはAクラスの面々に顔を向け。
可憐に、妖艶に、けれど凄まじい気迫を宿して笑う。
「次、斬られたいのは誰かなぁ? 最近ボク気分が良いからさ、少しくらいなら相手してあげるよ?」
どこか無邪気さすら感じられる笑みが、むしろ彼女の迫力を高めて。
Aクラス生たちは、それ以上進むことを封じられ。冷や汗をかきながらその場に釘付けになってしまうのだった。
「……気持ちは分からなくもないですがね」
彼女の怖さは毎日手合わせしているエルメスもよく知っている。
ニィナにあの場に立たれ、おまけにあの光景を見せられれば突撃を中止してしまうのもやむを得ないところではあるだろう。
だが──停滞はとりうる手段の中では最悪手だ。
エルメスが恐れたのは、突撃の勢いのままにBクラス全体が蹂躙されること。こちらの戦いに持ち込むよりも先に、力にものを言わせて挽回不可能な状況に持ち込まれてしまうことだった。
しかしそれは、ニィナによって阻止された。そして今は目の前に、止まっているAクラスの面々──自陣の眼前で静止している敵の一軍。
──襲いかかってくれと、言っているようなものだろう。
「突撃」
満を持して、彼は号令する。
瞬間、怒号を上げながらAクラスに突撃するBクラス生たち。事前に取り決め、そのための特訓を積んだ──自らにとっての最適な相手に向かって迷いなく突っ込んで行く。
Aクラス生は面食らうも時既に遅し、突撃してくるBクラス生を迎撃するしか最早道はなく。
すぐにBクラス陣の前は数多の魔法が乱雑に行き交う──乱戦と化したのだった。
30人対30人ではなく、一対一が同じ場所で30回。
まさしく戦いが決まって最初に彼が語った通りの戦場が、ここに実現したのだ。
(……うん、完璧)
戦いが始まってからの流れを、彼は過不足なくそう評価した。
まず、この状況に持ち込めるかどうかがある意味最大の勝負だった。先日カティアに語った『五分五分』との評価はまずこの状況にできるかどうかも込みであり。それが実現した以上、むしろ現状はこちらに有利と言って良い。
何故なら──と彼は軽く笑って呟く。
「これで向こうはもう──『二人』脱落です」
数え間違いではない。
一人は見ての通り今しがたニィナに倒された生徒。
そしてこの戦場。敵味方入り乱れる状況で、戦術ではなく個々の力がものを言う乱戦。
つまり──後方指揮官が意味を成さない戦場。
そう、故に。
血統魔法を使えず、それを補うほどの特殊技能も無い、向こうの指揮官クライドは。
今この瞬間、戦場に何の影響も及ぼせない役立たず。死に兵と化したのだ。
それを理解してしまっているのだろう。
向こうの陣で青ざめた顔、まさか戦うより前に殺されるとは思わなかった顔をしているクライドを、ちらと視界に収めてから。
けれど一切の油断せず、彼は次の状況と山場に向けて冷静に思考を巡らせるのだった。
クライド君は初手で死ぬ。次回もお楽しみに!




