22話 特訓2
どさり、と生徒の一人が地面に倒れ込む。
「はぁ……はぁっ」
周りの目も一切気にせず地面に這いつくばり、ひたすら空気を取り入れるべく荒い息を吐く。
しかし、咎める者は誰一人としていない。
──周りの生徒も、全員似たような状態だからだ。
『…………』
まさしく疲労困憊、死屍累々。
むしろ声を出せている生徒はまだ元気な方だ、大半の生徒はそれすら出来ず、それこそ死んだように地面に横たわり、指一本も動かせないまま下手すると眠りそうになるのを必死に耐えていた。
彼の考案した──厳密には師から教わった訓練を生徒たちに合わせてアレンジしたものは、彼の宣言通り地獄そのものだった。
まずは魔力操作能力の訓練。簡単に言えば『同威力同属性の汎用魔法を逆方向からぶつけて相殺する』ことを自分でひたすら行えと言うものだった。一回でも完全に成功したらもう次の訓練に移って良いとも。
生徒たちは最初バカにした。あまり舐めないでもらおう。それくらい簡単にやってみせると意気込んで──
──結局、初日に成功した生徒は誰一人としていなかった。
改めて理解した。本当に精密な魔法の操作がどれほど難しく、どれほど精神力を消耗するか。今までどれほど自分たちがいい加減な感覚で魔法を扱っていたか。
そして以前の合同魔法演習の日。それをクライド、つまり自分ではなく敵に対して同じことを行なっていた彼があの時どれほどの神業を披露していたのかも。
続いては魔力容量、魔力出力の訓練。これは操作訓練とは別の意味で酷い。何せ──自分に出せる最大出力でひたすら汎用魔法を撃ちまくれというある意味何の工夫もない単純極まりなく、そして故にシンプルな地獄の内容だったから。
おまけにそれを魔力切れまで──否、『自分が魔力切れだと感じた状態から更に五発撃つまでやれ』とのことだ。鬼である。
エルメス曰く、
「『辛くなければ意味がない』とまで言うのは語弊がありますが。……少なくともこの訓練に限っては、『辛いこと』に確実に意味がありますから」
とのことだ。
詰まるところ、体力訓練と同じだ。限界ぎりぎりまで追い込むことで、『今のままでは駄目だ』とのメッセージを強制的に肉体に伝え、進化を促す方法。
技術ではない単純な基礎能力鍛錬は、結局のところそれに集約される。
なるほど確かに、そう考えるとこれまで彼らはそこまで必死に魔法を使ってこなかった。学園に入るまでは血統魔法に甘え、学園に入ってからは血統魔法を理由に諦め、本気で魔法を『頑張る』ことはしてこなかったのだろう。
かくして、ある意味では生まれて初めて真っ当な努力をした彼らは、そのあまりの辛さに現在全員魔力がすっからかんの状態で地に倒れ伏しているのである。
多分、エルメスはこれを何年も続けていたのだろう。彼らからすれば信じられない。
……そして、尚も信じられないことは。
そんな自分たちに個別指導を行うべく、きっちり自分たちに合わせて戦い方を変えた上で。途中休憩こそ挟んだが宣言通り自分たち全員と模擬戦を27連戦した彼が。どう考えても自分たちよりも遥かに辛い荒業を積んだはずの彼が、今まさに倒れ伏している自分たちの眼前で。
何故、ぶっ続けでニィナと近接戦闘の訓練まで行えているのかという話である。
響き渡る、剣と拳がぶつかる音。流石にエルメスも通常時と比べれば動きが落ちてこそいるが、それでも崩れ切ることなく体術を駆使し、時には魔法を的確に挟み、格上を相手に渡り合っている。
その底なしの体力、無尽蔵の魔力。磨き上げられた技術、そして恐ろしいまでの精神力。
生徒たちは、倒れた状態でそんな光景を呆然と見守り、改めて驚愕と共に彼のいる場所の遠さを確認し。
──けれど、畏れを、諦めを抱いている生徒は一人もいなかった。
何故なら──彼の指導の根底には、『理論』があるのだ。
こうすれば、こういう理由でここが改善される。
これを得るために、僕はこの原理に従ってこのようにしてきた。
こちらの方が、こんな理屈が働くからこれくらい効率的になる。
そんな、どこまでも論理的な。彼が歩んできた道のりを、どうやって今の力を得てきたのかを。自分たちへの全体指導と個別指導の中で、彼は一切包み隠さず懇切丁寧に教えてくれる。
それを聞いて生徒たちは思うのだ。
確かに遠い。凄まじく遠い。
──でも、一歩一歩着実に進んで行った先に。遥か遠くとも確実に地続きの場所に、彼はいるんだと。
ならば自分たちだって辿り着ける、辿り着く資格は持っているんだと。
それは、生まれついて全てが決まる血統魔法故に。
理屈も何もない、授かったものだけを理由に諦めを強制された彼らにとって、どれほどの光明となったことだろう。
それに、彼の指導方法だってそうだ。
……まあ確かに、正直ちょっと怖いところはある。どこか淡々としており、あんまり関心を強く持ててはいないんだなと分かってしまう。
けれど、放たれる言葉自体はどこまでも真摯で。欠点には的確な指摘を、改善には純粋な賞賛を。
どこまでもフラットに、言い換えれば色眼鏡をかけることなく自分たちを見てくれている。
これも、貴族社会で生きてきた彼らには覚えのない、ある種の心地よさを感じるものだった。
……編入時点では、得体の知れない人間だと思っていた。だから最初は劣等生と決めつけて、そうでないと分かれば今度は自分たちとは違う存在と決めつけ、いずれにせよ排斥をしようとした。
でも、ここで、ようやく。
サラの言うように、彼らは──初めて、エルメスを正しく認識しようとしたのかもしれなかった。
「──はい」
相変わらず、惚れ惚れする程に鋭いニィナの剣閃。息つく間もなく襲いかかるそれに、遂に衝撃を逃しきれず体勢が崩れる。
その僅かな隙を彼女が逃すはずもなく、首筋に剣が突き付けられる。
「……参りました。ここまでですね」
「だねー。これから意識するべきは剣と拳の間合いの差かな。距離を詰めた方が安全な場合もある、ってことまで意識に組み込めると選択肢が広がるよ。やっぱり魔法使いは本能的に距離を取りたがるけど、むしろ相手が魔法使いなら詰められるのは向こうも嫌なはずだもん」
「確かに。修正しましょう」
これまでクラスメイトに指摘を出す側だった彼も、流石にこの場においては指摘される側に回る。
けれど彼はそれを素直に受け止め、頭の中で戦術を更新する。
それが完了すると、もう一度──と言おうとしたところで、ふらりと体が傾ぐ。
……いくら何でも、無理をしすぎたか。
そう考えて今後の予定を修正し、とりあえず踏ん張ろうとしたところで。
「っ!」
「おっと」
とすっ、と横合いから支えられる気配。
見ると、慌てて手を伸ばしてこちらを支える金髪の少女の姿が。
そのまま彼女──サラは手をかざし、そこから蒼い光が放たれる。
柔らかな魔力が流れ込んできて、それに溶けるように疲労が消えていく。
「お疲れ様です。だ、大丈夫ですか……?」
心配そうにこちらを覗き込んでくる彼女に、彼は落ち着いて返答する。
「ええ、ありがとうございます。少し疲れが出ただけなので、貴女の魔法のおかげで──」
「あー、サラちゃんの魔法かけてもらってるー! いいなー、ボクにもしてよ」
その言葉の途中で、ニィナが不服そうに割り込んできた。
「ねーいいでしょ? ボクだって頑張ってるんだからさ」
「えっと、その……ニィナさんはまだお疲れではないようなので……無駄遣いも今はできませんし」
「えー」
そのまま何故かサラに魔法をねだるが、彼女は申し訳なさそうな顔をしながらも拒否。ニィナが軽く頬を膨らませた。
エルメスが若干呆れ気味に告げる。
「……疲れていないのに回復魔法をねだる方は初めて見ました」
「だってボク、サラちゃんの『星の花冠』かけてもらうの好きなんだもん。なんて言うかね、回復した後もすっごくあったかいのが内側に残ってて、元気をもらえる感じがするの。エル君も分かんない?」
「まぁ、何となくは」
彼女ほどふわふわしてはいないが、確かにサラの回復血統魔法は通常の回復魔法と違って効力を及ぼした後も魔力が長く内に残る感覚がある。
それがただの特性なのか、或いはこの魔法の知られざる効果によるものなのか──いずれ解析してみるのも良いなと思いつつ、エルメスはサラに声をかける。
「サラ様も、お疲れ様です。……というか、まだ魔力は大丈夫なんですか?」
「は、はい。結構減ってますがもう少しなら何とか」
サラも他のクラスメイトと違って、直接的な攻撃力のある血統魔法を持たない人間。故にこの手の戦闘訓練からは外してある。
その代わりに、彼女の魔法で負傷や疲労したクラスメイトを回復する役割をお願いしていた。
……一見すると怪我の対策も万全であると言っているようだが、その実は『疲れたからもうできないは言い訳にさせませんからね』という普通に鬼畜のメッセージであることを既にクラスメイトは全員把握していることだろう。
「でも、ほんとにお疲れ。多分サラちゃんの魔法と応援があったから頑張れた人もいると思うよ? 特に男の子」
そんな彼女の働きを、ニィナも若干愉快げな響きを乗せつつ賞賛する。
実際そうだろう。彼女は演習場全体に結界を張りつつ、クラスメイトたち一人一人の様子に気を配り、時に魔法を、時に言葉を駆使して懸命に励ましていた。
この特訓初日、一人の脱落者も出なかったことに対する影の、或いは最大の功労者と言っても良いのかも知れない。
……それは、自分にはできないことだとエルメスは思う。
「……? な、何でしょう?」
そう思って彼女を見ていると、視線をどう思ったか彼女が落ち着かなさそうに体をそわそわさせる。
「いえ。……改めて、敬意を抱いただけです。自分ではない誰かを理解しようとして、諦めず、純粋に信じる。……僕にはなかったものですから、すごいな、と」
「え、あ、そのっ」
偽りなく言葉を口にしたのだが、ひょっとするとそれが良くなかったのか。
サラは慌てて手を胸の前で振ると、困惑と喜びと羞恥がない混ぜになった表情で頬を染めてから。
「……あ、ありがとうございます……」
目を背けつつ、けれど口元は緩ませて。か細くも可憐に、囁くようにそう感謝を告げた。
──そして同時に、倒れているクラスメイトの約半数から恐ろしく強い感情を向けられたような気がした。
「……何やら男子生徒の皆さんがすごくやる気になっていらっしゃるようですが」
「そりゃそうでしょ。……まぁ、先を考えればいいことなんじゃないかな?」
エルメスの呟きに、ニィナが微妙に曖昧な言葉を返して。
こうして、クラスメイトたちからの理解と、敬意と、あと敵意も今まで以上に獲得し。
初日の特訓は、順調な形で幕を閉じたのだった。
大丈夫、カティア様は今教室に居るはず……!
いよいよ対抗戦準備が進んでいきます、次回もお楽しみに!




