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4話 間違い

 エルメスの、自己採点によれば満点の回答を血走った目で見ていたガイスト伯爵。

 だが、やがて。


「…………ははは」


 答案のとある部分に目をつけると、おかしくて仕方がないと言った風に笑い出し、こう告げてきた。


「なるほど、平民にしては中々やるようだね、君。──でも」


 そこで一拍置いてから、それこそ鬼の首でも取ったような様子で。


「残念だったね、最後の問題だけは不正解だ!」

「……つまり、まず他の問題は正解だったと認めてくださるので?」

「そんなことはどうでも良い」


 案の定だが、不出来な部分を咎めることしかこの教員の頭の中には無いらしい。


「そもそも私はできて当然の問題しか出していなかったつもりなのだけどね? それを『他は合っていたのだから許してくれ』などと片腹痛いにも程があるよ」


 それこそそんなことは言っていないのだが。


「いくら他が完璧でも、ただ一つの間違いによって全てが台無しになる。それが貴族社会というものなのだよ。君は元貴族のようだが、どうやらそんな当たり前のことすら忘れてしまったと見える」

「……」

「だから駄目なのだよ君は。この問題の正答は“2.43“だ、君の答えは“2.66”だったね。全く、どんなふざけた計算をすればそうなるのやら。よもや単純な計算ミスなのではないかね? これだから──」


 そしてガイスト伯爵は嬉々としてエルメスの誤答を(あげつら)うため、まずは彼にとっての正解を述べる。

 ──ある意味、エルメスの予想通りの回答を。


「……お言葉ですが、先生」


 なので彼は落ち着いた口調で、けれどきっぱりと告げた。



「その問題、間違って(・・・・)いるのは(・・・・)先生の方です(・・・・・・)



「……は?」

「まず先生は──」


 伯爵の疑問符に、エルメスは解説を始めようとするが。

 そこで、ふとあることを思い出したのと、新参者の自分が喋りすぎるのも良くないかな、と思ったので。

 一旦言葉を止めて横を向き、隣の少女に話しかける。


「サラ様」

「え、は、はいっ!」

「先ほど答案を回収するときに軽く見えたのですが──恐らく貴女も(くだん)の問題、僕と同じ回答でしたよね?」

「それは……はい、そうだと思います」


 やはりか、と頷いてから彼は話を続ける。


「恐らく先生と僕たちの回答は、最後に適応する誤差修正式による違いだと思います。貴女はどうお考えになったか、差し支えなければお教え頂けると」

「わ、分かりました……その」


 同じ考え方だったのは自分だけではないということを示す狙いだ。

 ……それに先ほど彼女が、知己の人間が酷い言われようをしている件には思うところもあったので。

 そう思って話を委ねた彼に応えて、サラは丁寧に解説を始めた。


「エルメスさんの言う通り、問題は誤差修正式です。データの傾向的に、一見すると適応するべきは『アルスヴァート式』のように見えます。その場合だと先生の言う回答である”2.43”が正答になるのですが……」

「──あ」

「データの数や分布、適応式の厳密な定義を鑑みると、この場合は『ヨスマン式』を適応する領域に相当しているんです。その場合は答えが”2.66”になります。……わたしも最初は前者で答えそうになったのですが、よく見ると違うな、と。……なので、その、わたしも……正答はそちらかと」

「だ、そうです。僭越ながら僕も同じ考えなのですが、異論は」


 ガイスト伯爵からの返答は、無い。

 彼も言われて分かってしまったのだろう。これは気づくまでが厄介なタイプの引っかけなのだから、一度正答を言われれば理解できてしまう、紛れもなく正しいのはそちらだと。


「いやしかし、すごいですね」


 一旦そんな伯爵を放っておいて、エルメスはサラに話しかける。


「お恥ずかしながら僕もこの問題、初めて見た時は引っかかってしまったんですよ。その経験があったから今回は解けたのですが──サラ様は話の感じからするに初めてですよね? 初見でこの問題を正解できたのは素晴らしい」

「え、あ……ありがとう、ございます……」


 屈託のない賞賛に、サラが照れ臭そうに頬を染めて俯く。

 その姿は大変可憐ではあったのだが、今はとりあえず置いておこう。


 ……そう、重要なのは。

 エルメスが(・・・・・)この問題を(・・・・・)見たのは(・・・・)初めて(・・・)ではない(・・・・)、と言うこと。


 実はこれ、かなりマニアックな分野で有名な引っかけ問題なのだ。

 彼は11か12歳の頃、算術の勉強でローズに出題されて見事に引っかかり、軽くからかわれて結構悔しかった思い出もあって印象に残っていた。

 記憶が正しければ──この問題、その時の問題とそっくりそのまま数値まで同じだ。


 つまり、それは。


「──それで、先生。先ほど先生はこれらの問題を自分で考えた風に仰っていましたが……」

「ッ!」

「少なくともこの問題は、どこかから引っ張ってきましたよね? そう考えてみると他の問題もどことなく既視感があるのですが」


 多分、この推測は間違っていないだろう。

 何せこれらの問題、回答者を貶めるという嫌な意図とは言え──あまりにも作り込まれすぎている。

 自分たちを悪戦苦闘させたい、でもその為に割く労力も惜しい。

 そんな考えのもとで、適当に有名な悪問を引っ張ってきたのではないだろうか。


 故に問題の吟味もせず、回答の精査もしない。『それでも自分なら解ける』との傲慢の元、ぱっと浮かんだ回答を正答だと思い込み。

 だからこそ、この事態を招いたのだ。


「それで、先生」


 未だ黙りこくるガイスト伯爵に、エルメスは意図的に穏やかな声で問いかける。


「一応全問正解者が出たと思うのですが、言葉通り真っ当な授業をしてくださるのでしょうか? こんな何の成果も得られないものではなく。……あと、サラ様も一問は正解ということになりますね。それなら話を聞いてくださるのですよね?」

「ど、どうせ何か不正でも」

「回答を盗み見たと? 誰のを? 全問合っているのは今のところ僕しかいないようですが。正解例も多分用意はしていませんよね、不正のやりようが無いと思うのですが」


 先ほど述べたことに対して、きっちりと言質を元に確認。辛うじての反撃すらノータイムで切って落とすエルメス。

 伯爵は脂汗と共にどうにか反論の隙を探そうとするが見つからず。いっそのこと全てを有耶無耶にしてしまおうと考えたその時だった。


「──えーと、正直全部は分かっていないんだけど」


 別の方向から、声が響いた。

 声の主は、サラとは逆方向のエルメスの隣。そこに座る女生徒が、伯爵に疑問を投げかける。



「まとめると……先生は変に難しい問題を『自分が考えた』と言って出題して。自信満々にこっちの間違いを咎めていたけど──あろうことか(・・・・・・)先生も(・・・)答えを(・・・)間違えてた(・・・・・)、ってことでいいの?」



 その、あまりに簡潔かつ的確な要約が、とどめになった。

 教室の数箇所で、軽く吹き出す音がする。

 改めて言葉にされると堪えられなかったのだろう。その滑稽さに。

『ただ一つの間違いによって全てが台無しになる』、奇しくも伯爵が言った言葉を伯爵自身が綺麗に証明してしまった形だ。


 当然、その羞恥は耐え切れるようなものではなく。


「………………ッ!!」


 生徒たちの視線と向けられる感情に、遂に耐えられなくなったガイスト伯爵は。


 ──びりっ、と持っていたエルメスの回答を破いた。


「……おっと失礼。あまりにも見るに耐えない答案だったものでつい手が出てしまった」

「……」

「何だい、文句でもあるのかね? 全く、些細な咎を見つけるや否や鬼の首を取ったように騒ぎ出して。度量の低さを自ら露呈していると分かっているのかい?」


 それは今までと同じような論調。だが決定的に違う点があった。

 まず、先ほどより明らかに早口だ。まるで何かを言い返されるのを恐れるかの如く。

 声色もやや震え気味だし、姿勢もどこか及び腰。あと普通に言っていることが支離滅裂だ。


 そして何より。──もう教室の誰も、彼の言葉に恐れを抱いてなどいない。


「もういいよ。やる気がなくなったあとは君たちで自習でもしていてくれたまえ!」


 最後には、そんないかにも捨て台詞と言ったような言葉を吐き捨てると。

 答案を放り捨て、かなりの早足で。若干入り口の段差に躓きつつ、教室を出て行った。


 ──逃げた、という単語がありありと浮かぶような一連の挙動。

 教室を出る際、彼の耳が怒りと羞恥で真っ赤に染まっていたことを、多分生徒の大半が目撃しただろう。




 かくして、横暴を尽くす教員が撃退され、教室内に平和が戻った。

 ──の、だが。


『………………』


 教室内の雰囲気は暗い。いや少し違う、正確に言うなら──気まずい。


(……まぁ、それもそうか)


 そんな雰囲気に晒されつつ、エルメスは思う。

 当然だろう。何せその撃退に最も貢献したのが、朝礼の自己紹介から授業開始まで自分たちが蔑みきっていたエルメスなのだから。

 紛れもなく助かったのだが、素直な感謝をするのもこれまでの態度とプライドが許さない。こういったところだろう。


 ──当然だろう、とエルメスは考える。

 彼は特別気にしてはいない。感謝や羨望を受けたかったのではなく、単純にガイスト伯爵が腹立たしいと思ったから彼はあの行動をしたわけだし。


 むしろ、これで手のひらを返して無条件に賞賛してくるようであればそちらの方が嫌だ。

 かつてカティアと訪れたパーティーで見た、貴族たちの盲目的な様子を考えると今の反応の方が健全なのではないだろうか。

 少なくとも、侮蔑一辺倒ではなくなった。今はそれで十分だ。


 なので、こちらを心配そうに見るサラに気にしていない旨を目線で伝える。

 それを受けた彼女が一礼の後、机に向かうのを見届けてから。

 彼も、何とも言い難そうなクラスメイトを尻目に机に向かい。言われた通り自習──内容は算術ではなく魔法理論だが──を開始した。



「……へぇ」


 そんな彼の様子を、彼の隣から。

 先ほど声を上げ、伯爵にとどめを刺した女生徒が、どこか興味深そうに見つめているのだった。

伯爵先生、予想以上に(ある意味)大人気で作者びっくりです。

今回も大活躍だった先生の様子を楽しんで頂けたら嬉しいです!

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― 新着の感想 ―
[一言] こら逃げんなガイスト伯爵ーー!! せっかく面白いところまで来たのにーー!!
[一言]  ツイッターでもたまに見かけますよね。  ドヤ顔で有名人や政治家の間違いを指摘したら、実は 自分の方が間違っていて大恥かくパターンとか。  そういう人は人気が沸騰(大炎上)するものです。 …
[一言] >全く、些細な咎を見つけるや否や鬼の首を取ったように騒ぎ出して。度量の低さを自ら露呈していると分かっているのかい?」 おまいう
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