2話 風潮
そう言うわけで。
現在エルメスが居るBクラスに、カティアの姿は無い。
恐らく隣のAクラスに後期から編入ということで、今ごろ似たようなことをしているのではないだろうか。
……先週の意気消沈を引きずっていないかだけが気がかりである。
そんなことを考えつつ、自己紹介を終えて指定された席に向かうエルメスに。
教室の何処かから、こんな声が聞こえた。
「……なんだ。所詮は『出来損ない』か」
(…………なるほど)
正直、予想はしていた。
何故なら、先程の自己紹介の最中、自分の魔法を開示した時。『強化汎用魔法だけだ』と告げた時。
生徒たちの大半が顔に浮かべたのだ──安堵と、嘲弄の表情を。
なんだ、かつて神童と呼ばれていたようだが、大したことはないじゃないか。
血統魔法も奴の言う通り器用貧乏だろう、賞賛すべきほどのものでもない。実家を追い出されたのも納得だ。
おまけにその家も没落済み。現在の身分は限りなく低く、魔法の力も矮小。
──つまりこいつは、自分たちが見下してもいい人間だ、と。
そんなあまりにも一方的かつ限定的な格付けを、けれど多くの生徒が心中で行った。
その結果として今、席へと歩くエルメスに浴びせられる侮蔑の視線。そして囁き声の皮を被った、明らかにエルメスに聞かせる声量の言葉。
「そもそも家名を名乗らなかったってことは、立場的には平民なのでしょう? どうしてこの学園に来ようと思えたのかしら」
「全くだ、おまけに魔法も何だい、つまるところ汎用魔法に毛が生えたようなものじゃないか。高貴なる血統魔法を名乗ることすら烏滸がましい」
「どうせトラーキア家に取り入って、強引に編入させてもらっただけの人間だ。魔法も家格も出来損ない、それでこの場にいるなんて、恥というものを知らないと見えるな」
(……ああ、またか)
エルメスは心中で呟く。
この国の歪み。魔法の力と、それに強い相関を持つ家の力を絶対視する風潮。上下関係を明確に決めなければ気が済まない者たち。
少し頑張ったところで。多少の活躍をしたところで。
加えてその風潮の権化であったあの第二王子を打倒したところで。
そうそう変わることはないほど、これは根強いのだ。この学園、このクラスの様子にもそれはよく現れていた。
予め聞かされていたこととは言え、ここまで露骨となると少々気は滅入る。
そう思いつつ、ともあれさっさと席に着こうと歩みを早めたその時だった。
エルメスがとあるものを感知し──微かにだが顔を歪ませ、思わず小さく口に出す。
「……そこまでする……?」
彼が感じ取ったのは、魔力の動き。
なんと、侮蔑の視線と嘲弄の言葉を投げかけるだけでは飽き足らず。
幾人かの生徒が、エルメスに向けて魔法を放とうとしてきたのだ。
恐らく直接的に害するものではなく、せいぜいがエルメスを転ばせて恥をかかせるとかその程度のものだろう。
実際彼ら──エルメスから見て背後、右横、左後方から三人の生徒が魔法を生成する。その内容は体に纏わりつく風、足を引っ掛ける氷の突起、一瞬だけ体を痺れさせる程度の電撃、の三種類。
まさしく思った通りの魔法が、けれど一応はエリートの貴族子弟なだけあって相当の練度で放たれる。
……と言っても。
彼らが放ったのはあくまで汎用魔法。流石に詠唱が必要かつ威力的に大事になりすぎる血統魔法は使えなかったのか、加えてこの程度の魔法なら誰がやったか特定はされないと踏んだか。
もしくは単純に、『汎用魔法に毛が生えた程度』の魔法の持ち主相手ならこれで十分と思ったのか。
まあ、いずれにせよ。
流石にそれは、エルメスを甘く見過ぎである。
「……」
なので彼は、前を向いて歩き続けたまま、魔法の発生源を一切見ることなく。
魔力感知能力だけで位置を正確に把握し、まずはノーモーションで光の壁を展開。放たれようとした魔法を全て未然に、かつ完璧に防ぎ切って。
更に返す刀で、三種類の汎用魔法を同時起動。風の魔法で背後の生徒の体を軽く浮かせ、氷の魔法で右横の生徒の椅子を滑らせ、雷の魔法で左後方の生徒を撃ちつける。
つまるところ、やられようとしたことをそっくりそのまま、しかも三箇所同時にやり返したのだ。
……きっとあの生徒たちは、エルメスの外見や物腰が温厚そう、つまり反撃してこなさそうだと考えてこのような行動に出た側面もあったのだろう。
だが、それは全くの勘違いだ。
何せ彼は……あのローズの弟子である。
天衣無縫かつ割合手の早い性格である彼女の影響を多大に受けた彼が、このような仕打ちを黙って甘受するなど。
もっと直接的に言えば──売られた喧嘩を買わないわけがなかった。むしろ積極的に買取りに行った上で、もうこんなことをさせないようにきっちり力の差を見せようとするのは当然の反応なのである。
ガタンッ! と大きな音が、教室内の三箇所で同時に響いた。
「──おや、どうしました?」
それを聞いてから、エルメスは少しわざとらしくゆっくりと振り向き、いかにも不思議だという顔と声色で告げる。
それから音がした方を順番に一つずつ、しっかりと目を合わせてから。
──つまり、『ちゃんと誰が何をしたか把握しましたよ』と無言のメッセージを実行者たちに送ってから。
「……不思議なことも、あるものですね」
それ以上は敢えて何も言及せず、背を向けて歩みを再開する。
恐らく、教室の人間の大半は今エルメスが何をやったのか理解していないだろう。
でも、少なくとも実行者の三人は別だ。
彼らは自分がやろうとしたことを完璧に防がれたどころか、全く同じことをやり返されて。
しかも自分だけでなく他の二人も同時に、あまつさえはその全てを一切視線を向けずにやってのけたことまで、気づいてしまって。
……あの大人しそうな少年の裡に、どれほどのものが秘められているのか。なまじ優秀である故に、その片鱗を感じ取り。
怒りと、羞恥と──微かな、本人は認めないだろう畏怖を含んだ視線を向けるのだった。
そんなことがありつつも、エルメスは指定された席につく。
すると同時に、横から控えめな声が響いてきた。
「その……ごめんなさい……」
隣の席に視線を向けると、そこには見覚えのある顔が。
淡いブロンドの髪に、深く輝く碧眼。優しげな印象を与える幼い美貌。
サラ・フォン・ハルトマン。彼の主人であるカティアの友人であり、以前の王都騒乱より深く関わるようになった少女だ。
現時点で、このクラスで唯一の顔見知りと言って良い少女はエルメスに向かって、申し訳なさそうな声を掛けてくる。
恐らくは今しがたのエルメスに対する魔法攻撃未遂のことを言っているのだろう。やはり彼女は起こったことを正確に把握していたか。
流石は『二重適性』の魔法使い、魔法に関する能力はこの中でも並外れて高い。だが……
「? サラ様が謝ることではないのでは?」
「……でも。カティア様がいらっしゃらない今、私がこのクラスの代表ですから。それに……」
エルメスの疑問に、何気に初めて聞く情報を彼女は告げてから。
「エルメスさんが、学園生活をすごく楽しみにしていたのも知っています。なのに、いきなりこんな……」
「……まあ、何とも思わなかったと言えば嘘になりますが」
確かにここまで露骨な感情を向けられるとは思わなかったので、多少のショックは無いでもない。
だが、こういうところだと事前に聞いたり推察したりはしていたし、何より。
「むしろ、だからこそ貴女が……知己の人間がいることはありがたいと思いますよ」
「!」
「すみませんが……学園に慣れるまでは貴女を頼りにしてしまうかもしれません。お恥ずかしながら人付き合いの経験が少ないもので。……よろしいでしょうか?」
「は、はいっ!」
やや苦笑気味に告げられたエルメスの言葉。それに何かを刺激されたのか、サラが胸の前でぐっと拳を握って宣言する。
「ぜ、ぜひ、頼りにしていただけると! 慣れた後でも、ぜんぜん、かまいませんっ」
「こ、光栄です」
何やらすごくテンションが上がっていて戸惑ったが、申し出自体は非常にありがたかったので素直に礼を述べる。
……尚、今のサラの発言は少々高揚ゆえに声が大きく、周囲にも聞こえており。
周りの生徒、とりわけ男子生徒からの視線に何か別の色が混じったりもしたが。
基本的に周りから敵意は向けられるものと認識してしまったエルメスは、それらも一緒くたにしてしまって気づくことはなかった。
そんなこんなで、エルメスの紹介を含めた朝礼は終了し。
授業が始まるまでのわずかな間で、彼は考える。
(……公爵様の、言った通りなんだな……)
この国に蔓延る思想は、そうそう簡単に変わることはない。
次代の人間を育てる教育機関ですらこうなのだ、それはそうなのだろうとある意味納得したくらいだ。
……そして。
ユルゲンがそれを変えようとしており、その旗印として自分に期待をかけていることも理解している。
ユルゲンには恩がある。
打算があったとは言え自分をすんなりとトラーキア家に受け入れてくれたし、今もいち使用人にしては驚くほど自分の自由を尊重してくれる。
何より──彼の思想、ローズに影響を受けた考えは当然、エルメスも共感できるのだ。
(公爵様は『自由にしていい』と仰っていたけど……)
この国に、今はこの学園に蔓延している考えを変えることが自分への期待であるのなら。
応えることはやぶさかではないし、応えたいという意思も彼の中にはあった。
……ならば、そのためにはまず。
(知らないといけないな。この学園の考え方、その根源、温床は何なのか)
そう決意して、彼は意識を新たに授業に臨む。
幸い、と言うべきか。
それを知る機会は、すぐにやってきたのだった。
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